ワタツミを想う志賀神社(2)の詳細

ワタツミを想う志賀神社(2)
秩父・仙台まほろばの道
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記事タイトル ワタツミを想う志賀神社(2)
概要

志賀は滋賀県なのですが、大津京があり天智天皇が遷都した所です。 その時代、蘇我氏と物部氏、また天智側か天武側か、という抗争はあったわけで、 朝廷から逃れてきた豪族もたくさんいました。 簡単に言いますと、母違いの天皇となった兄の天智天皇は百済や高句麗を受け入れ、 弟の天武天皇は新…… more 羅を受けいれたといわれます。 朝廷は、百済や高句麗側。 その闘争は九州で激しくなり、新羅は長く九州をおさめていた先住民族についた。 その渡来人どうしの対戦が壬申の乱になっていきます。 天智天皇は自分の娘をみな天武天皇に嫁がせています。 次の政権は大海皇子(天武天皇)が握るとわかっていたからで、娘を守るためでもあります。 「大海」という名前から、天武天皇も海民といわれます。 持統天皇は父(天智天皇)を復権させるために、天武天皇に嫁いだと思うのですが、 そのため持統天皇の時代になって新羅との関係をたち、再び百済と関係をもつようになります。 三韓征伐の歴史は、645年頃から活発になります。 この時代(奈良時代から)の朝鮮半島と日本の歴史が、 日本の未来に大きく関わる転換期だった時代です。 海民の宗像市に織幡神社があり社家が壱岐氏の神社があります。 織幡神社の祭神を武内宿禰(武内大臣)とする説があり、 朝鮮征伐の話があるのですが、武内宿禰は、「赤と白の旗を振って敵を翻弄した」といい、 その旗は、最後に沖ノ島に立てたと伝わる。 その意味は、「神霊は異賊の襲来する海路を守護するため海辺に鎮座する」と。 織幡神社は、鐘ノ岬を過ぎる際に「志賀の皇神」(志賀海神社祭神:阿曇氏奉斎神) に祈願する旨の歌が見えることから、海人族の阿曇氏(阿曇族)が当地に居住して 志賀神を奉斎したと見る説もあるという。 また、神功皇后が朝鮮へ行ったときにお供していたのが、武内宿禰といわれる。 と、考えると武内宿禰側の海民は、志賀神を敬っていた。 それに対し、秋田物部氏とあるように、この頃、日本海へ逃れた物部氏がいた。 秋田物部文書の中には武内宿禰の名はなく、物部膽咋宿禰(いくいすくね) (宿禰は天皇の臣下の敬称。)が、三韓征伐で神功皇后と一緒に行動していたとある。 この違いについてはわかりませんが、おそらく、まつろわぬ民とされた藤原家ではない 出雲、物部氏、葛城氏などの豪族(元は皇室に仕えていた)は、新羅人と関係をもち、 天皇や藤原家は、百済人と関係をもっていたわけです。 なぜ、そこまで百済と新羅などの朝鮮出兵で日本が戦う場所とされたかは、 互いの異なる民族の主張としかいえません。 日本でその続きを抗争するつもりで、日本に入植してきたのを、 海賊を利用して阻止していた海民とまつろわぬ民がいた。 たぶん、今、難民問題がありますが、 この頃、日本も難民問題があり、これ以上海外の移民が日本へ入国することを 拒否してきた歴史があったかもしれません。 なので、藤原不比等が律令制を用いて、日本を神国とし、国家にしようとしたのは、 海賊などの入植、植民地化から防ぐことにあったと思います。 だから日本の海賊は恐ろしかった。 場合によっては上陸するものを殺害していたという。 なので、決して古代の歴史が勝者側の視点で書かれているわけではないのです。 しかし、まつろわぬ民といわれた人たちは、日本ではなく大陸をみていたので、 その中の中心に日本があるという考え方。 その違いから闘争が始まります。 東北へ逃れた出雲族などの先住民は、自由貿易をすすめていました。 治外法権というのがありますが、奥州藤原氏はその支配下に及ばない中で 海外との交易を積極的に進めていました。 その噂は海外でも有名で、黄金のジパングとまで言われた。 そんな力をもっていた「もうひとつのワタツミ」が、「海部氏」です。 以前からシンクロしていた籠神社や、伊雑宮がそれに関係してきます。 鶴と亀の歌にも繋がる。 海部氏側についたのが、秋田物部氏だったと思います。 混乱してきましたが、ワタツミもいろいろですけど、安曇氏というよりは、 東北地方に影響を及ぼしたワタツミは、海部氏かもしれません。 伊雑宮は、本当の伊勢神社といわれます。 妄想なので、断定できませんが、 名取老女が熊野とかかわり、志賀という地名が登場するのは、 志賀神のワタツミであり、それは安曇氏の感じがしないと思ったのは、海部氏の方であると。 そのため、福島県飯坂温泉に菩提樹として鎮座する信夫佐藤氏は、 滋賀県の三井寺を本尊としている。その意味は、宮城県北部に特に多い 巨人説、朝比奈に関わるものであり、和田氏系の人たちが「先にいた」こともある。 その人たちがサメを信仰し、熊野本宮の神職であったからです。 「先にいた」というのは、県北は「玉造部」があったからです。 サメとは、「イソベサマ」とよばれるオセアニアのサメ信仰があり、 サメを神格化する風習があるのは、日本では磯部地方といわれ、 今も鮫を神様とし、えびす様と唱え鮫(ふか)ともいう。 またそのサメは、サバ(鯖)であったから、 飯坂温泉は、鯖湖神社(さばこ)と言われるようになり、 瀬織津姫とも縁がある地になっている。 そうさせたのが、熊野信者であることは確かですが、 伊雑宮に置かれていたであろう瀬織津姫を、東北地方へもたらした海民がいたわけです。 ヤマトタケルやら熊野やら、いろいろあるわけで。 もうこのへんキリないのでやめておきます~。 ------------------------------------------------ そんなことで、源平合戦というのは、 源氏は百済系であり、いつまでも新羅側の平家打倒を掲げて、 巨大な旗を持ち歩いていたわけです。 ま、いろんな裏が隠されているのでしょうが。 奥羽越列藩同盟の旗(五街道を歩くより) https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59042266.html 南北朝時代以降、志賀海神社は武家の支配を強く受けたそうです。 1407年、志賀島は筑前を領する大内(おおうち)氏の保護下に入ったと。 以後、大内氏が宮司職に関わり、志賀島を祈祷し守ってきたそうだ。 大内氏は中世、安曇氏が建立した志賀神神社を継承してきたのだから、 大内氏も海民であったと思います。 「大内」という地名は全国に多く、東北では「陸奥国菊池氏流の大内氏」というのがあった。 陸奥国安達郡小浜城主の大内氏。多々良姓を称する。 陸奥国四本松石橋家重臣、のちに伊達仙台藩家臣。 菊池大阿弥丸のち大内太郎左衛門尉、丹波守、菊池を改めて、 外祖父の氏をもって大内と称す。 「その後三春の主田村清顕に属す」 安達郡の三春!! なぜ、あそこに三春の滝桜があったのかっ! 偶然?いやいや、こういう話が登場するってことは、やっぱ鹿のなせる技。(後で) 「往古、田向の菊池が氏族分かれて、月山に住し、南方を押さえて大内次郎左衛門、 大内掃部などを称せしが、田村清綱に攻落さる」とあるように菊池氏の一族であるとする説がある。 あら~、こういうところでNさんもご縁があったね~。 ですから、菊池氏は、鷹の羽です。 名取老女も伊達政宗も奉納していた伝承がある鷹の羽。 阿蘇氏だわ。 他にもある。 陸前伊具の大内氏は、陸奥国伊具郡大内邑が発祥。 あ~、丸森町の大内! 狼信仰が伝わっているところで、鎌倉山という巨石の山に登りました。 確かにあの場所にも道祖神がありました。 ※葉山神社 胆沢の大内氏は、陸奥国胆沢郡の柏山氏家臣。 出羽の大内氏秀郷流藤原姓田原氏流の大内氏は、武蔵国埼玉郡の鷲宮神社社家。 陸奥国田村郡の大内氏儒学者の大内熊耳が知られる。 きてます、きてます、Mrマリック状態。ワラ~ 大内氏とかでてきた。 ヤマツミはワタツミ。 ワタツミもまたヤマツミ。 胆沢については、おそらく、アテルイと紀古佐美が対戦した巣伏(すふせ)の戦いは、 アテルイの郷で書いてましたけど、「周防」が関係していると思った。 大内 義隆は、周防国の在庁官人・大内氏の第31代当主。 すふせの「スフ」について、周防国(スフ)というのが山口県にあって平安時代ですけど、 このスフは、元は「スワ」と読んでいたのです。 アスハとかアスワとか、スワとかいう言葉は飛鳥や熊野の阿須賀に似ている気がしてた。 ワタツミがもたらした伊具郡に志賀神を敬っていた大内氏という人がいたのですね。 阿蘇神社が地震で倒壊した時、十三塚に行ってました。 そこで名取老女妄想が一気にきたのです。 それからどんどん繋がっていきました。 遠く航海してきた人たちは東北へ上陸した。 故郷へ帰ることはなく。 そんな時に熊本の大地震。 阿蘇神社の倒壊。 それは海民にとっても衝撃的な出来事でした。 -------------------------------------------------------- 最後にもうひとつ。 志賀海神社の力石について。 力石(ちからいし)は、力試しに用いられる大きな石である。 日本では鍛錬と娯楽として、江戸時代から明治時代まで力石を用いた力試し が盛んに行われた。磐持石 / 盤持石 / 晩持石(ばんもちいし)、 力試し石(ちからだめしいし)など地方によって様々に呼ばれた。 また、伝説的な人物が投げたと言い伝えられる力石も各地にある。 この重い石の話は、海民がもたらしたと言われています。 名取老女生誕地にある古刹、岩蔵寺には薬師様が祀られています。 伝承では、「伊達政宗が拝んだあと、仙台に移す予定だった薬師如来像を 30人で運んだが、途中で重くなり更に30人を追加して仙台にようやく着いた。 本尊なき後、岩蔵寺は無住になり、伊達政宗にお願いして返してもらったという。」 石積とかありますが、石も木と同じように宿します。 ということでつらつら書いてましたが、いろいろありすぎです。 なぜ猿田彦神なのかな、というのも気になって、 猿田彦神を祀る伊勢の二見輿玉神社は、ウカノミタマと綿津見大神を祀ってます。 だから、申という神の語源由来になっているのは、「間をとりもつ働き」 なんだと思います。 ウカノミタマと綿積見神は、例えるならば、見えない方の醜いイワナガヒメの海神、 ニニギのコノハナサクヤヒメの山神。 ニニギは人間の美を求めたから、人間をそのように創った。 角田熱日高彦神社へ行った時、紳士がいるような白馬を想像した。 ユニコーン。 例えば、この旗もそれで異なる民族の印。 イギリスの国章 これって、獅子舞と鹿舞の違いみたいにも見えるよね・・・。 鹿は「角」だから。 でもユニコーンは鎖で繋がれている。 秩父神社も龍は鎖で繋がれている。 この旗の意味には、呪術が隠されています。 琴の絵や赤い竜など。 この旗も海が関係してるかもしれないですが、日本でも航海するとき、 琴をひく巫女をのせると言われます。金比羅さんも「コトヒキ」と言われ、 熊野のコトビキ岩にも通じ、神降ろしや荒波を鎮める祷ともいわれます。 そのように記した旗は、戦国時代に使われていたので、とにかく旗を掲げて戦っていた。 海民と山民は同族というか、兄弟というか。 「3」も間にとりもつ人がいないと、原子もくっつかないから、 3が重要なんだと思います。 日本の神話には、天と地と海がある。 それも三位一体。 一緒になろうとしているから、結局は、みな同じ神になっている。 猿田彦神は、赤貝に手をはさまれて亡くなったとされる。 赤は魔よけだから? 猿田彦神もまた星神であり、銀河の航海に流された存在だったと思うのです。 --------------------------------------------------------------- ところで、話変わりますけど、昨日、今日と連続してUFOの夢をみました。 連続してみるのは珍しい。。。 秋田物部氏や海部氏のことは書くつもりなかったのですが、 昨晩みた夢がなぜか秋田県で目撃したすごいUFOだったもんで。 最初にみたUFOの夢は、 実家の庭がお花畑になっていてバラとか咲いていて見事でした。 UFOが実家に飛んできて、お花畑にしてくれたのだけど、 残念なことに、私は写真にとるので必死なんだよな。 相変わらず。笑 UFOもついでにスマホで写真とろうと思うと、撮れないんだな。 でしょうね。 UFOにスマホ向けてもね~。 写真とってる場合でなく~。 で、昨晩は、一人で秋田県のどこか知らない無人駅で電車を待ってました。 まだ雪が残っていましたが思ったより雪は多くなく。 線路とその風景がとても良かったので、写真にとっておこうと思って デジカメで写真をとっていたら、飛行機が飛んでいた。 飛行機だと思っていたが、突然白い煙をゴーと出して旋回しだす。 墜落するのかな?と見ていたら、光に変わり、ブルーインパルスみたいに、 数機のUFOがすごいスピードで旋回して上空を飛び回っている。 やっぱり秋田はUFO目撃が多いんだ~と思ってみていたのですが、 あまりにもすごい高速で飛んでいるので、なんとかそれでも写真におさめたい!と思うのだよ・・・ ちょうど下から上にガーっと上がって行くところで、一瞬上空で停まったから、 その瞬間写真におさめた・・・つもり。 だから、写真とってる場合でなく~。 でもなんとか2枚くらい撮れたと思う~。笑 緑色の光だったな~。 ・・・とかいう変な夢。 なんだか、宇宙の話になっていきそうですが、ワタツミの船は空の船になったんですね~。。。  後は何かがうまくやってくれると期待して・・・。 次は、八坂神社へGO。 念願の志波彦さんの冠川へ。 おまけ-------------------------------------------- 志賀神社の近くにかわいらしいカフェクラフトがあります。 カレーランチを頂いて満足~♪ close

ワタツミを想う志賀神社(2)
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ 東北地方の伝説(宮城県) 神社
投稿日時 2018-03-05 03:40:04

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