魚山大原寺 来迎院(らいごういん)の詳細

魚山大原寺 来迎院(らいごういん)
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記事タイトル 魚山大原寺 来迎院(らいごういん)
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ブログ☞京都大原 声明の聖地を訪れる来迎院(らいごういん)所在地 京都府京都市左京区大原来迎院町537山号  魚山宗旨  天台宗本尊  薬師如来 魚山は、大原の円融院、往生極楽院、勝林院、来迎院、融通念仏寺などの諸寺院の汎称で、声明の中心地であった中国の長安の外にある山東省に所在…… more する声明の聖地「魚山」の名称に由来する。大原の地は、平安時代初期、日本天台宗を開宗した伝教大師最澄の弟子の円仁(慈覚大師)が声明(声明)[仏教歌謡]の修練道場として開山しました。円仁は中国(唐)に留学した折、五台山の太原(たいげん)を中心に盛んに行われていた五台山念佛(声明)を帰朝後、比叡山に伝え、中国の太源に因みこの大原の地を声明の根本道場とされました。大原は藤原時代には、俗化した比叡山を離れた念仏聖が修行する隠棲の里となります。この寺は、承和2年(835年)、慈覚大師円仁によって開かれたと伝えられる。円仁は唐で経典などに独特の旋律を付けて唱える声明を学んできており、この地にそれを伝えた。しかし、その後寺は荒廃してしまう。長和2年(1013年)、寂源によって復興され、勝林院が建立された。その際、寂源はここを声明研鑽の地としたので声明も復興された。聖応太師良忍が天仁2年(1109年)に来迎院を再興すると、勝林院を本堂とする下院と来迎院を本堂とする上院が成立し、この両院を以て「魚山大原寺」と総称されるようになった。以来、大原で伝承されてきた声明は「天台声明」や「魚山声明」と呼ばれます。たびたび焼失したが、その度に再建され、現在の建物は天文2年(1533年)に再建されたものである。江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられている。伝教大師度縁案並僧綱牒(でんぎょうだいしどえんあん ならびに そうごうちょう、国宝)は、最澄(伝教大師)の得度や受戒に関わる文書類3点を一巻としたもので、最澄の伝記資料としてきわめて貴重なもの。東京国立博物館に寄託されている。宝亀11年(780年)近江国府牒案、延暦2年(783年)最澄度縁案、延暦4年(785年)僧綱牒の3通の文書からなる。1通目の近江国府牒案は、近江国府が最澄の得度を近江国師(地方僧官)あてに通達した文書の案文。2通目の最澄度縁案は、最澄に関わる度縁(律令制度下において僧尼たることを政府が公式に認めた文書)の案文。3通目の僧綱牒は、僧綱(僧尼を統轄する官職)が最澄を延暦4年の受戒者として認可した文書。1、2通目の文書は案文であるが、この僧綱牒は正文であり、紙面には「僧綱之印」が捺されている。1通目の文書には最澄の俗名(三津首広野)、出身地(近江国滋賀郡古市郷)などが記され、2通目の文書には最澄のほくろの場所などの身体的特徴が記されている。三千院を過ぎて呂川沿いをさらに上がって行くと来迎院を再興した良忍についてのエピソードが、看板に描かれている。良忍上人(聖應大師)は、延久四年(1072)尾州知多郡富田荘(現愛知県東海市富木島町)に誕生、父はその地方一帯を治める領主で、名を藤原秦氏兵曹道武といい、母は熱田神宮大宮司第二十四代、藤原秀範の息女でした。良忍は、もと比叡山の高僧でした。菩提心が深く、叡山の無動寺で千日詣でをはたし、つねづね隠遁の志を抱いていたと言います。良忍二十三歳で一念発起して、叡山をおり、大原野別所に蘢居しました。それから四十六歳に至るまで日夜ひまなく、住生極楽を祈り勤行に励みました。良忍 阿弥陀如来から融通念仏の教えを受けます。四十六歳になったある夏の昼下がり、まどろんでいると夢の中に阿弥陀如来が現れます。「わたしのいる仏国土は、すべて清浄の堺で、功徳の種を植えた大乗の人の世界(極楽世界を指す)である。たとえ、小さな善根を積んで福徳を得たとしても、かの仏土にうまれることはできない。」さらに「なんじの積んだ行合の程度では、たとえ過去に長い時間をかけたとしても決して、順次の往生のてだてにはならない。いま、すぐさま往生できる方法を教えてやろう。それは円融念仏である。円融念仏は一人の行をもって衆人の行とし、衆人の行をもって一人の行とするゆえに功徳も広大であり、やがては往生もかなうであろう。一人往生を遂げるなれば、衆人も往生を遂げること、まころ疑いはない」阿弥陀如来のお告げに驚き、みずから修得した功徳によって往生を祈る心をすて、融通念仏勧進の志をおこしました。1124年の6月9日から開始して、上は天皇から、下は庶民にいたるまで、僧俗・男女・貴賤・老少を問わず、会う人ごとにこの融通念仏の義を説いて、加入を勧めた。そしてその結縁者の姓名を記録して、如来蔵にこれを収蔵しました。ある早朝のこと、青い衣をきた壮年の僧が訪ねてきました。そして念仏帳に記帳したいといい、名を記入するとたちまち立ち去りました。良忍が不思議に思い名帳を開いてみると「念仏百反を請け奉る。仏法の護者、鞍馬寺毘沙門天王、念仏の結縁衆を守護せんが為に来り」と記されていました。1132年 かねてから病床に臥していた良忍が、1月26日に死期を悟った。数えて7日め、予測のとおろ2月1日に静かに行きを引き取った。臨終に際して、異香が良忍の草庵のあたりに漂い、紫雲が軒端近く立ちこめた。大原の里四囲をめぐる山々に、虚空会の妙音が響きわたる。山を隔てた西方浄土の仏の国から、良忍の迎え講に、阿弥陀如来をとりまく菩薩たちが次々に現れる。振り鼓を打ち振る菩薩。腰につけた羯鼓を打ち鳴らす菩薩。笛を手に構える菩薩。やがては、山の端から、大太鼓がせりだしてくる。融通念仏の勧進に明け暮れた良忍の臨終にふさわしい、おごそかな往生の儀式であった。左手に「勝手神社」がありさらに上がって行く山門受付を済ませ、石段を上がって行くん?なんか書いてある踏んづけていいのだろうか?鐘楼梵鐘(京都市指定)藤原国次作 (室町時代 永享7年)本堂室町時代中期、火災により諸堂焼失 天文2年(室町後期再建)美しい【本尊】薬師如来像(重文)釈迦如来像(重文)阿弥陀如来像(重文)三尊は藤原時代の【木造漆箔寄木造】円満な相好とやわらかい曲線により優雅な美を構成している。【脇侍】不動明王像 藤原時代後期  毘沙門天像 藤原時代後期鎮守堂、獅子飛石、地蔵堂良忍上人 御廟 ※当院より律川沿いに300メートル上流にある音無しの滝は、良忍上人が声明の修練中、自身の唱える音律と滝の音が調和したため「音無しの滝」と言い伝えられている。御朱印私感です1127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建したのが、大阪市平野区にある「融通念佛宗総本山 大念佛寺 」だといいます。良忍が始めた融通念仏は当初は勧進行脚が主で、仏教宗派としての組織を持たず集団運動の中から発展したものでした。大阪の平野の大念仏寺をはじめ、京都の清凉寺や壬生寺などで融通念仏が盛んになり、壬生寺や清凉寺、千本閻魔堂、神泉苑には融通念仏の中興者である円覚上人による大念仏狂言が伝えられています。四天王寺は、極楽浄土の東門に位置し、その本尊 救世観音が応現 したのが聖徳太子で、極楽浄土への救い主と信じられ、彼 岸 に四天王寺の西門から海に入る夕日を拝して極楽を観想する「日観想」が流行しました。また、太子の本地である救世観音を本尊とする京都・六角堂は、太子建立の最初の寺と信じられ、建仁元年 (1201)、29歳の親鸞は六角堂に百日参籠して聖徳太子の示現を得て、法然を訪ねています。今回京都大原を訪れようと思ったのが「寂光院」現在の私の旅のテーマがブログ☞聖徳太子(厩戸皇子)の伝承地を訪れるなので「寂光院」は、聖徳太子開基説があるので、行ってみる事にしました。寂光院は、平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所ですが、寺伝では推古天皇2年(594年)、聖徳太子が父・用明天皇の菩提のため開創したとされ、太子の乳母玉照姫(恵善尼)が初代住職であると伝わります。建礼門院徳子が寂光院へ入寺したのが文治元(1185)年9月良忍が22歳から23歳のころ京都大原に隠棲し、来迎院を再興したのが天仁2年(1109年)であり、寂光院も良忍による創建説があるそうですが、良忍が京都大原に隠棲し理由も「声明聖地 大原」だけでなく、「聖徳太子」の信仰からだったのかもしれません。また、来迎院の「来迎」とは、仏教において、念仏行者の臨終の際に阿弥陀三尊が25人の菩薩と共に白雲に乗ってその死者を迎えに来て極楽に引き取ることであり、「阿弥陀如来を信じていれば、臨終に際して阿弥陀如来が極楽に導いてくれる」という建礼門院徳子の祈りも聞こえてきそうです。三千院が現地にくる以前からあった「往生極楽院」の本尊である阿弥陀三尊像は、三尊が来迎する様を表現した像であり国宝です。そんな、時代の人々の思いを感じ取りながら大原を訪れるのもいいかもしれません。最後まで呼んで頂き感謝です。 close

魚山大原寺 来迎院(らいごういん)
サイト名 神旅 仏旅 むすび旅
タグ お寺
投稿日時 2018-05-20 02:21:00

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