六勝寺を探して〜京都・岡崎界隈探索の詳細

六勝寺を探して〜京都・岡崎界隈探索
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記事タイトル 六勝寺を探して〜京都・岡崎界隈探索
概要

京都、白河の地に平安時代後期、天皇や院、女院によって建てられ、「勝」の字がつく6つのお寺がありましたこれらのお寺を総称して六勝寺(ろくしょうじ)と呼びますゲリラ雨が降ったり晴れたり、蒸し暑かったりした10月のある日、この六勝寺のあった場所=京都岡崎界隈を訪ね、往時に思いを馳せてみ…… more ました以下、その時の記録です六勝寺の場所と名称、発願者はおおよそこんな感じ↓(⚠️私が作った地図なので、アテにしないように…)現存するお寺が一つもないのが残念なのですが、このあたりは現在では平安神宮を中心にして、京都市動物園、京都市美術館、京都国立近代美術館、みやこめっせ、ロームシアターなどが立ち並んでいます緑が多く、空が広く、京都の中でも開放感があり、好きなエリアですでは、六勝寺を一つずつ見ていきたいと思います☘️☘️☘️☘️☘️☘️1.法勝寺法勝寺は白河天皇の御願で、承保3年(1076)に創建されました白河天皇(白河院)https://ja.m.wikipedia.org/wiki/白河天皇六勝寺の中では一番東の場所に位置しています(赤い印のところです)今は南隣に京都市動物園がありますが、この動物園も平安の昔は法勝寺の敷地だったそうです(高級な土地に住む動物たち)白河天皇が堀河天皇に譲位したのち、白河上皇(白河院)として院政を始めたのが1086年なので、法勝寺はそれより10年ほど前の天皇時代に建てられたことになりますとても広大なお寺で、八角九重の塔が建っていたそうですで、現地に行くと、なんと驚いたことに、その「白河院」が「営業中」だったのです!\(゜□゜)/↑これだけでは「営業中」なのか、ただの遺跡なのがわかりませんが、↓こちらには、現代の「白河院」の看板(°_°)そして、門の表札にも「白河院」あれ?電灯なんかついているけど、平安時代に電灯あったのかしら?この場所をグーグルマップで調べると、このような案内が出てきますそう、現在の「白河院」は公共の宿(私学共済)になっているようですそして住所は「法勝寺町」なんですね「日本私立振興共済事業団 白河院」とあります他方、平安の昔を偲ぶ、↓こんな説明板も建てられていましたこのお宿「白河院」の場所が、法勝寺跡で間違いないようですちなみに白河院の目の前のバス停は、「岡崎法勝寺町」でした↓では、次に行きまーす!2.尊勝寺六勝寺の中では、白河院から一番離れたところにありますここは、白河院の子、堀河天皇の御願寺ですhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/堀河天皇1086年、堀河天皇は8歳の時に即位し、そこから父親 白河上皇による院政がはじまりました堀河天皇の尊勝寺は、康和4年(1102)創建ですその場所は、↓赤い印の位置にあります…六勝寺の中では、父親 白河とは一番離れたところにあるのです(反抗期か?)では、いざ現地へ!先程の法勝寺から西方向へ、平安神宮の前を通り、ロームシアターの裏手を琵琶湖疏水に沿って北上します琵琶湖疎水が西に曲がると、道の左手の現在は府営住宅の入り口となっている場所に「尊勝寺跡」の説明板がありますこちらも大きなお寺だったのでしょうが、上に府営住宅の鉄筋低層団地が建てられ、往時の面影は全くありませんでしたさて、次!3.円勝寺次は、円勝寺を目指します円勝寺は待賢門院璋子(たまこ)の勅願寺で、大治3年(1128)の創建です待賢門院璋子https://ja.m.wikipedia.org/wiki/藤原璋子待賢門院璋子はとても美しい女性だったそうで、若い頃から白河天皇の「寵愛」を受けていましたこれはなんとなく、『源氏物語』の若紫→紫の上のリアルバージョンみたいな感じで、白河はまだ幼いたまこちゃんを気に入り、成長を待ち男女の仲になったらしいのです…おえ〜白河は子の堀河天皇が亡くなると、今度は孫の鳥羽を5歳で天皇にしましたそして、なんということでしょう!白河院は、自分が寵愛した待賢門院璋子を、孫の鳥羽の嫁にしたのです! ゲボ〜ッ当然、鳥羽からみれば待賢門院璋子はじいちゃんの寵愛を受けた、年上の女性なのです!そんな方を嫁にしろだなんて!…でも、たまこちゃんは美しい女性だったようなので、鳥羽もまんざらでもなかったようですhttp://history.kaisetsuvoice.com/Toba-Sutoku.htmlから一部お借りしました大治4年(1129)には、白河院が崩御その翌年に、待賢門院璋子は法金剛院を建てました法金剛院には阿弥陀如来像が安置され、たまこちゃんの半生をジッと見下ろしていたとかいなかったとか…法金剛院と阿弥陀如来像(院覚作)六勝寺の中で待賢門院御願の円勝寺は、地図では赤い印のところ↓法勝寺(白河院)から西へ数百メートルの位置です…近いわ…!では、実際の場所に行きましょう!スタスタ……あら? あらら?? 現地は…↓↓こうなってました!(゚ω゚)ジャジャーン!ザ・工事中!ヽ(゚◇゚ )ノでした〜!これ、京都市美術館の工事のようです建設現場の北東の角がアクリル板になっていたので、そこからなんとか内部を覗いてみたのですが、鉄壁の内部ギリギリまで地面が掘り下げてあって、とても石碑など見えませんでしたおそらく、今は石碑はどこか別の場所に保管してあるんだと思いますそうは言っても、折角行ったのですからそのまま引き下がるわけにはいきません!建築計画が掲示してあるのを見つけたので、それを撮りました↓地番に「円勝寺」と書いてあります(^ ^)…まあ、これで円勝寺は「よし」としようはい、次!4.最勝寺次は、鳥羽天皇の御願、最勝寺を探しましょう!鳥羽天皇はお父さんの堀河天皇が亡くなると、5歳で即位しました(ご、ご、ご、5歳です!)鳥羽天皇https://ja.m.wikipedia.org/wiki/鳥羽天皇最勝寺は元永元年(1118)創建のお寺なんだそうですが、…これ、現地では一番わかりづらく、結局石碑の類は探せなかったですグーグルマップで「最勝寺」を調べると、何故か「全国水平社創立の地」がヒットするのです…↓赤い印のところです…なんで?で、グーグルマップには、このように説明が出てきます↓「岡崎最勝寺町」という住所が出てくるので、この辺りに最勝寺があったことに間違いはなさそうですが、なぜ、水平社創立なんでしょうね?奈良県じゃなかったかしら?(しかも、グーグルさん、「3時間29分」って計算してくれていますが、まさか鎌倉起点の計算?)これでよし、としようかと思いましたが、なんだか釈然としません石碑はないのか?この点が気になり、諦めきれずに、結局、付近をぐるぐるすることになりましたで、現地の様子です↓水平社の碑には気づかなかったのですが、グーグルマップが示す地点のすぐ近くには、京都市美術館別館がありましたこのあたりだろうと思って撮っている写真…ここは、ロームシアターの裏側です周囲をウロウロしているうちに、琵琶湖疏水を渡ってしまい、「最勝寺町」という地名の場所まで行ってしまいました(ピンク線引いたところ↓)このあたり、細見美術館の裏手になりますが(もちろん細見美術館にも寄り道しました)、住宅地が広がります細い袋小路にはまったりしながらも、府営住宅のゴミ捨て場付近に「最勝寺町」の文字を発見!これでよし! としよう…はい、次、次!5.成勝寺さて、次は白河と待賢門院の「疑惑の子」崇徳天皇の御願寺を探してみましょう!崇徳院https://ja.m.wikipedia.org/wiki/崇徳天皇上にも書きましたが、崇徳天皇は、一応、鳥羽と待賢門院璋子の子なのですが、、待賢門院璋子はそもそも鳥羽のおじいちゃんである白河の寵愛を受けていました…そのため、崇徳は白河と待賢門院の間に出来た疑惑の子と世間では評価され、父であるはずの鳥羽天皇からは叔父子(おじこ)と呼ばれ、疎んじられていました(子どもに罪はないのにね)白河、待賢門院、鳥羽の関係性は、上に引用した系図を見てねで、「叔父子」崇徳天皇御願の成勝寺は保延5年(1139)の創建です…グーグルマップで見ると成勝寺は赤い印のところ↓自分を疎んじた「父 」鳥羽天皇の最勝寺がすぐ北隣、母待賢門院の円勝寺がすぐ東隣、実の父(かもしれない)じいちゃんの法勝寺が東の向こう側…なんと濃い立地なんだ…(絶句)現地に行った時、ちょうど雨上がりで背後からものすごく西陽の後光がさしていました写真は、光っちゃってどうにもならなかった↓この場所は特に人の流れの多い通りに面していますなのに、石碑は「半分、緑」くらいに下草が伸びてしまっています崇徳は生まれも不幸でしたが、その後も不幸が続きます(詳しくは、上のリンクで)現代の人々にも忘れ去られている「成勝寺」の「半分、緑」の石碑は、崇徳天皇が今でも不遇な扱いを受け続けているように、私には思えましたしかしまあ、この立地崇徳天皇もよく寺を建てたものだと思います次は、ラスト!6.延勝寺六勝寺の最後は延勝寺です延勝寺は、久安5年(1149)、近衛天皇御願の寺ですhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/近衛天皇近衛の母は鳥羽天皇の皇后 美福門院…https://ja.m.wikipedia.org/wiki/藤原得子ん?鳥羽天皇の皇后だって?ちょっと待った〜!待賢門院璋子ちゃんはどうした〜!? …と思いませんか?待賢門院と美福門院の二人、かなりの年齢差があります待賢門院は鳥羽からみると年上の女性(しかもおじいちゃんの白河からあてがわれた←しつこい)でしたが、美福門院は若くて美しい女性だった ‍⚖️らしいのですそりゃ、若い方がいいわね…白河院が崩御した、大治4年(1129)以降、待賢門院の勢力はだんだん凋落し、若い美福門院に鳥羽の愛情も移っていくのです(*´ω`*)その美福門院が生んだのが体仁(なりひと)親王、のちの近衛天皇です鳥羽は崇徳天皇を叔父子として嫌っていましたので、美福門院との間に出来た体仁親王を、崇徳天皇の皇太子にしたのです…体仁親王と崇徳は親子関係ではないのですが(表向きは腹違いの兄弟だよね)、体仁は「崇徳の中宮」と「養子関係」にあったために、「皇太子」ということになったのですしかし、譲位の宣命には崇徳は「皇太弟」と書かれたため、体仁が天皇になっても崇徳による院政は不可能(弟の院政はできない)となってしまいました(崇徳、可哀想…)こうして体仁親王は、たったの3歳 で即位し、近衛天皇となりました当然、鳥羽院が院政を行いました(…その後も、あれこれあれこれあって、崇徳は讃岐に配流され「祟りじゃ〜」 となるのです(←説明がテキトー)が長いので割愛)ところで、近衛天皇はというと、病弱だったようで(崇徳の祟りかしら?)、17歳で崩御してしまいます近衛天皇の崩御ののち、鳥羽法皇も崩御し、政治情勢は悪化し、やがて保元の乱に展開してゆくのです(崇徳vs後白河)興味のあるかたはこちら↓https://ja.m.wikipedia.org/wiki/保元の乱近衛天皇御願の延勝寺は、何故か石碑が二ヶ所にありました(赤い印のところ↓)1つは疎水沿いです説明板が外れて落ちていたのが、不気味です説明板落下は、崇徳の祟りでしょうか?それとも、役所の怠慢でしょうか?もう一つの石碑は、みやこめっせの駐車場の入り口のところ腕を伸ばしても、石碑は「半分、みどり」でしたこちらの「半分、みどり」も、崇徳の祟り?役所の怠慢?折角二つも石碑があるのに、これでは若くしてお亡くなりになった近衛天皇が浮かばれませんね…ここも、平安時代に敬意をはらって、石碑が見えるように草刈りをしてほしいな〜と思ったりしました あとがき 今回は「六勝寺を探して」、岡崎界隈を歩きましたが、実はその前に泉屋(せんおく)博古館に行ったのでしたここは、私が見る限りいつも閉館していましたが、今回は珍しく展覧会開催中でした「イズミヤ」かと思ったら「せんおく」という名前なんですね…知らなかったわ〜 それから、動物園の入り口?にあるビュッフェにも入りましたここは、コスパ良し!です直前に大雨が上がり、二重の虹が見えました 京都国立西洋美術館では、東山魁夷展が開催中でした私はこの展覧会に、とーっても行きたかったのですが、旦那が「もう見た」とか言うので(今更ですが、旦那登場…)、私は東京会場で見ようと思っています 平安神宮は、今回はこの一枚だけですみやこめっせ は大混雑向かいのロームシアター記事では、効率的に六勝寺を回っているように書いていますが、実際は右往左往で、同じ道を行ったり来たり…とても歩きました人出もすごく、活気があるエリアでしたが、六勝寺の石碑に関心があった人はおそらく私と、引き摺り回された旦那だけだったと思いますこの日は、私の誕生日 だったので、旦那もグーグルマップとにらめっこしながら、付き合ってくれました(てか、誕生日に六勝寺を探す必要はないのだけど) close

六勝寺を探して〜京都・岡崎界隈探索
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タグ お寺 京都
投稿日時 2018-10-11 16:01:00

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