京都の社 伏見稲荷大社 楼門~千本鳥居~奥社奉拝所の詳細

京都の社 伏見稲荷大社 楼門~千本鳥居~奥社奉拝所
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記事タイトル 京都の社 伏見稲荷大社 楼門~千本鳥居~奥社奉拝所
概要

伏見稲荷大社 -1(京都府京都市伏見区深草薮之内町68番地鎮座)御祭神 稲荷大神宇迦之御魂大神(下社) ・佐田彦大神(中社)・大宮能売大神(上社)相殿 田中大神・四大神延喜式神名帳 「山城國紀伊郡 稻荷神社 三座」 名神大月次新嘗新参道と大鳥居今回は全国稲荷神社の総本社で、京都を…… more 代表する神社、伏見稲荷大社です。夏の三連休の朝8時頃に参拝開始しましたが、それ程多くの参詣客はいませんでした。(同日に開催されていた祇園祭に流れていっていたのかもしれませんが。)二の鳥居さて、私のブログの神社記事を見て頂ければ分かりますが、殆ど稲荷神社の記事がない、というか参拝していません。(お社巡りをしているときに、近くに有名な稲荷神社があれば立ち寄る程度です。)あまり神社に御利益を求めていない性分なので、『お金や商業に御利益がある』というステレオタイプなイメージが先行している点と、江戸(東京)には江戸時代の『流行り神』現象からなのか、本当に数多くの稲荷神社があって敬遠していたという点がありました。楼門(重文)天正十七年(1589)豊臣秀吉造営といいつつ、折角なのだから一度はお詣りしてみよう!ということで、稲荷大社参拝というより「稲荷山を登って山科方面に抜けるハイキング」と自分に動機付けをしながら参拝することにしました。伏見稲荷大社は、楼門から奥社遥拝所まで『国指定重要文化財』の宝庫でもありますので、今回は御社殿を中心に、次回以降は古文書を中心に本神社の創建などについて綴っていきたく思います。伏見稲荷大社の沿革や由緒(別リンク)まず簡単にご由緒について・・・伏見稲荷大社の創建は、和銅四年(711年)に秦家の末裔が遠祖で祖神の秦公伊侶具を祀るために初めてお社を建てたといわれてます。創建時の奇譚として、渡来人一族である秦氏の秦伊侶具が餅を的として矢を射ると、その餅が白鳥となって三箇峯に飛び去り、そこに稲が成っていたことから、その地に伊侶具公神として祀り、名を伊奈利社としたとのことです。元々「稲荷神社・伊奈利社」と称していましたが、全国へ勧請した「稲荷社」との混同を避けるため、太平洋戦争後「伏見稲荷大社」として現在に至っております。現在の御祭神は宇迦之御魂大神(下社) ・佐田彦大神(中社)・大宮能売大神(上社)に相殿として田中大神・四大神が祀られています。楼門から境内を臨む大鳥居から新参道を進むと楼門が見えてきます。近年社殿群を塗装修繕したようで、眩いばかりの朱色が目に飛び込んできます。楼門(重文)構造 入母屋造 檜皮葺建立 天正十七年(1589)南北廻廊 二棟(重文)構造 切妻造 檜皮葺建立 江戸時代中期この建物は、天正十六年(1588)六月、豊臣秀吉が母大政所の病気平癒を祈願し、本復御礼の奉加米をもって、翌年再興されたのである。その後、元禄七年(1694)、社頭拡張時に西方へ五間移築し、前方の石段が造られ、その時それまで築地塀であった南・来た廻廊が絵馬掛所として新造された。昭和四十八年(1973)の楼門解体修理の際、再興当時の墨書が発見され、当社の中では本殿に次いで古い建築である。(以上、境内案内板より)天保十一年建立の外拝殿(重文)軒下の吊燈籠は「黄色道十二宮」を表している楼門を抜けた先にはこれまた朱色が際立つ美しい社殿が目に飛び込んできました!装飾もキレイに施されており、掃き掃除された後だったなのか、とても神々しい神の坐すお社に来たと実感することができました。外拝殿構造 入母屋造檜皮葺建立天保十一年(一八四〇)この建物は、天正十七年(一五八九)の社頭図には「拝殿」として描かれ、当初は四間四方であったものが、その後、天保十一年に稲荷祭礼の五基の神輿を並べる関孫上、間口五間奥行三間のものに改められた。軒下の吊燈籠は「黄道十二宮」を表したものである。(境内案内板より)内拝殿そして内拝殿へ。正面の向拝は、元禄年間の大修繕のときに本殿に付け足されましたが、昭和三十六年に内拝殿が建立されたのに伴って附設したとのことです。拝殿前の鈴の数とお賽銭箱の大きさが半端なかったです。本殿(重文)内拝殿の先には本殿が連なっております。「稲荷造」と称されていて、応仁二年(1468)の兵火により、境内社殿の全てが焼失してしまい、のちに仮殿が建立されましたが、明応八年(1499)に再建されました。安土桃山期独特の優雅な造りになっています。ちなみに紅白の支えが張り巡らされてますが、これは「本宮祭」の準備のためで、ライトアップをされるのか電球がたくさんぶら下がっていました。寛永十二年(1635)建立の権殿(重文)拝殿の裏手には権殿といわれる社殿が鎮座しています。寛永十二年(1635)建立のもので、遷宮時の仮殿、もしくは若宮とされていたお社です。権殿(重文) 五間社流造 檜皮葺 建立寛永十二年(1635)この社殿は『明応進宮記録』(1499)によると、『御殿ノ北ニハ仮殿、若宮ト云也是ハ遷殿トテ本社造営ノ時、此宮ヘ御ウツリ也 爲其仮殿ト申ス也』とあり、この頃には建立されていた様である。現在の建物は寛永十二年(1635)に再興されたもので、昭和三十四年に東北側に移築された。(境内案内板より)奥宮もしくは稲荷山遥拝所??本殿の裏、権殿の脇には奥宮、もしくは稲荷山そのものを遥拝所でしょうか。とても丁重に扱われております。三の鳥居から玉山稲荷を臨む拝殿~本殿の先には三の鳥居があります。またも神使の狐がお出迎え。上末社 玉山稲荷社御祭神 玉山稲荷大神ゆるやかな勾配にある石段の先に鎮座しているのは玉山稲荷社。伏見稲荷大社から宮中鎮守として勧請されたが、遷都に伴い現在地に移り奉ったとあります。玉山稲荷社御祭神 玉山稲荷大神当社御神霊は古く当大社より宮中鎮守として勧請されたが、宝永五年東山天皇より大和局にお預けの御沙汰があり、この一男子をして修学院の玉山において預り祀らしめられ明治に至った。この間宮中からお使いが差し向けられ祭祀されていたが東京遷都に伴いこれが止められたので神慮を虞れ当大社に移霊され今日に至っている。(境内案内板より)左より長者社・荷田社・五社相殿・両宮社玉山稲荷社の左脇には四祠のお社が並んでいます。四社とも元禄七年(1694)には現在地に鎮座されています。尚、大正十三年出版『官幣大社稲荷神社由緒記』によると、「長者社の御祭神は玉依日賣神、荷田社の御祭神は荷田殷・嗣・早・龍四霊合祭」と記されていました。また若王子社の御祭神は不詳ともされていました。末社 長者社(重文附)御祭神 秦氏(当社旧社家)の祖神構造 一間社流見世棚造 檜皮葺建立 江戸時代前期この社殿は、『明応遷宮記録』(1499)に境内社としてすでに現れており、天正の社頭図に本殿の北方に「長者社 西向」と描かれている。社殿の化粧部材はほとんど江戸初期の材が遺されており、元禄七年(1694)以前からある建物を現在の地に遷したものと考えられている。末社 荷田社(かたしゃ・重文附)御祭神 荷田(当社旧社家)の祖神構造 一間社流見世棚造 檜皮葺建立 元禄七年(1694)この社殿は、安元二年(1176)、荷田氏の祖・荷大夫没後、「稲荷山の命婦社の南に社を造り霊魂を祀る」とあり、『明応遷宮記録』(1499)には、「命婦ノ南ニハ荷大夫明神在之云々」と記されている。元禄七年(1694)、現在の地に再興された。五社相殿(重文附)構造 五間社流見世棚造 檜皮葺建立 元禄七年(1694)末社 八幡宮社 御祭神 応神天皇末社 日吉社 御祭神 大山咋命末社 若王子社 御祭神 若王子大神末社 猛尾社 御祭神 須佐之男命末社 蛭子社 御祭神 事代主命この社殿は、古くは長禄三年(1459)の記録に現れる若王子社を始め、境内に祀られていた各社を、元禄七年(1694)、現在の地に遷し、五社相殿に奉祀したものである。末社 両宮社(重文附)御祭神 天照皇大神、豊受皇大神構造 二間社切妻見世棚造 檜皮葺建立 元禄七年(1694)この社殿は、天正十七年(1589)の社頭図に「伊勢両宮南向再興」とあり、神明造の社が描かれている。その後元禄七年(1694)現在の地に社殿が再興された。(以上、境内案内板より)四の鳥居玉山稲荷社から右に向けると四の鳥居、そして神馬舎があり、その近くにはなぜかお土産屋さんが並んでいました。昔から営んできた習慣が残っているのでしょう。左:白狐社 右:奥宮(上御殿)さらに石段を登った先には奥宮(上御殿)と白狐社が坐しております。奥宮は三社殿あるいは上御殿ともいわれ、三社別殿制当時の上社あるいは中社に深い関係をもっております。本大社内で唯一眷属を祀る白狐社は古くは「奥之命婦」「命婦社」とも称されていて、往古の下社末社であった『阿古町』という女狐がその前身らしく、通称告狐とも呼ばれていたとのことです。奥宮 (重文)御祭神 稲荷大神構造 三間社流造 檜皮葺建立 天正年間(1573~1592)この社殿は、本殿と同様の流造で建てられ、摂社でも末社でもなく稲荷大神を祀ることから、他の境内社とは別格の社である。『長禄三年(1459)指図』には「命婦」として記され、存在が確認できる。『明応遷宮記録』(1499)には西側に八間の廻廊があったことが記されているが、この廻廊は現存していない。現在の社殿は天正年間に建立されたもので、元禄七年(1694)に修復された。末社 白狐社(びゃっこ・重文)御祭神 命婦専女神(みょうぶとめのかみ)構造 一間社春日造 檜皮葺建立 官営年間(1624~1644)この社殿は、稲荷大神の眷族を祀る唯一の社で、古くは「奥之命婦」「命婦社」とも称された。元禄七年(1694)までは現在の玉山稲荷社あたりに祀られていた。(以上、境内案内板より)千本鳥居そしていよいよ伏見稲荷大社の代名詞ともいえる千本鳥居へ。この参道は「命婦社参道」といわれています。本神社で祈願し心願成就した崇敬者が鳥居を奉納するという習わしは江戸時代以降から続いていて、明治時代に撮った写真には今と同じ風景が写されております。私自身、この千本鳥居はいささか懐疑的でしたが、いざくぐってみると・・・完全にヤラれてしましました!朱色は人の心を惑わす力があるようで、身体だけでなく心までも鮮やかな朱色に彩られた鳥居の先に吸い込まれてしまうような錯覚に陥ってしまいました。伏見稲荷 奥社奉拝所色鮮やかな千本鳥居を抜けた先には稲荷山奥社奉拝所(奥の院)が鎮座しています。ここは通称「命婦谷」呼ばれており、ここから稲荷山三ヶ峰を遥拝することができます。本殿背後には願掛け絵馬が奉納されていたり、有名な「おもかる石」、そして「後醍醐天皇の歌碑」があったようでしたが、朝のお勤めで神職さんがお掃除をされていましたので、参拝のみ済ませて先に進むことにしました。奥社本殿・・・と、ここまでは伏見稲荷大社の社殿群についてスポットライトを当てて綴ってみましたので、最後に大正十三年に本神社が出版した『官幣大社稲荷神社由緒記』に年代別の社殿群の沿革が記載されていましたので、抜粋してみました。御社殿の沿革和銅四年(711年)秦中家忌寸等が遠祖秦公伊侶具、始て社を建つ。(山城風土記)弘仁七年(816年)二月僧空海の請に依りて、神社を三峯の麓に移奉る。延喜八年(908年)譄太政大臣藤原時平公始めて三箇の社を造営す。(諸社根元記)文治三年(1187年)八月鎌倉将軍三社正殿諸神殿を造営す。(東鑑)寛元四年二月上下殿造営永享十年(1438年)正月足利義教公三所の社を山下に遷し奉り。三ヶ峯に模して三箇別殿を造営す。応仁二年(1468年)三月兵火に罹り山上山下諸神殿焼失同年十一月 假殿造営明応八年(1499年)十一月本殿造営。此時より五社相殿になれり。天正十七年(1589年)八月豊臣秀吉公の沙汰を以て造営。今の本殿は此時の儘(まま)なり。(以上社傳)元禄七年(1694年)十月関東の沙汰を以て修復正遷宮。(京都御役所向大概覚書、後中内記、公卿補任)文政五年(1823年)幕府の沙汰を以て本殿、若宮殿、其他諸神殿修復(社傳)明治十五年(1882年)官許を得て本殿拝殿楼門を始め摂社末社に至る迄総屋根替且つ修繕。社務所・集会所・能楽殿等を新築す。(以下略)新池へ続く参道附属社奥宮・又上御殿とも云。権殿・又若宮とも云。摂社大八嶋神蹟。境外摂社田中神社・祭神田中大神境内末社白狐社・祭神不詳。両宮社・祭神伊勢両宮。八幡社・祭神応神天皇。日吉社・祭神大山咋命。若王子社・祭神不詳。猛尾社・祭神須佐之男命。蛭子社・祭神事代主神。長者社・祭神玉依日賣神。荷田社・祭神荷田殷・嗣・早・龍四霊合祭。熊野社・祭神伊邪那美大神。藤尾社・祭神崇神盡敬皇帝。玉山稲荷社・祭神本社に同じ境外末社命婦神社 現今の旅所に在り。祭神稻荷大神分御霊山上の神蹟下の峯は下社神蹟(宇迦之御魂大神)中の峯は中社神蹟(佐田彦大神)上の峯は上社神蹟(大宮能賣大神)荒神の峯は摂社田中社神蹟。劔石は末社長者社神蹟。荷田社は末社荷田社神蹟。御膳谷は往古此處に於いて神饌を調進せりご云。今も毎年一月五日此處にて大山神事又は注連張神事ご稱へ。清酒濁酒献備の式あり。(以上、大正十三年出版『官幣大社稲荷神社由緒記』より抜粋)鳥居だらけの参道稲荷駅から奥社奉拝所までおおよその所要時間は約20~30分程度です。次回は新池~膳ヶ谷までです。次回(谺ヶ池)へ続く close

京都の社 伏見稲荷大社 楼門~千本鳥居~奥社奉拝所
サイト名 Journey To The End
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投稿日時 2019-01-17 01:20:03

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