近江の式内社 多賀大社の詳細

近江の式内社 多賀大社
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記事タイトル 近江の式内社 多賀大社
概要

多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町多賀604鎮座)御祭神 伊邪那岐大神・伊邪那美大神(一説に天津彦根命もしくは犬上君の祖神)延喜式神名帳「近江國犬上郡 多何神社二座」表参道鳥居多賀大社は彦根市街、そして琵琶湖を見下ろす赤土山なる丘陵地帯に鎮座するお社。「おたがさん」と敬われ、古事記にも…… more 記載がある長い歴史を持った社で、御祭神は伊邪那岐大神・伊邪那美大神を祀っています。太鼓橋『伊勢へ七度、熊野へ三度、お多賀様へは月参り。伊勢へ参ればお多賀へ参れよ、お伊勢お多賀の子者孫者もの。』といったキャッチコピー(類似多し)や、長命のお守りとして有名なお多賀杓子は古くより有名で、中世から近世にかけて伊勢・熊野詣とともに、もしくはセットとして流行っていたようです。御神門古事記に『淡海の多賀に坐す』と記載がありますが、概要は以下の通りです。『スサノオが母イザナミの棲む「妣国根之堅州国母」へ行きたいと泣き止まないため、父イザナギがスサノオを追放し、「伊邪那岐大神者、坐 淡海之多賀也(イザナギは多賀に坐す)」近江の多賀に坐した。』しかし、日本書紀には『構幽宮於淡路之洲(幽宮を淡路の洲に構りて)』とあり、イザナギ・イザナミが最初に生んだ淡路島の洲・幽宮に籠ったとされ、古事記に記載の『淡海』は『淡路』の誤植だったのではないかという説もあります。社殿神門をくぐって境内へ。当方が参拝した時には万灯祭の準備をしていて、境内には金属のポールが数多く建っていました。きっと祭のときには沢山の提灯がぶら下がって美しい風景が広がっているのでしょう。本殿多賀大社は延喜式神名帳に「近江國犬上郡多何神社二座」と記載されるお社ですが、御祭神について犬上縣の祖神天津彦根命、もしくは日本武尊の子稻依別王の後裔・犬上君の祖神だったのではないかという説があります。姓氏家系大辞典によると、鎮座地の犬上郡は古代から犬上縣の地で、河内氏の族、すなわち御上親の一族であるとあり、三上山を御神体を崇める御上神社の流れをくむ祖神(=天之御影神の父神・天津彦根命)を祀った社で、その後犬上縣は衰微し、代わりに武部氏(建部大社)とともに日本武尊の子で稻依別王の後裔である犬上君が台頭したことから、「多何神=多賀の神」は犬上君の祖神のことだった、もしくは彦根の神天津彦根命を祀っていったのでは?と想像してみました。犬上縣:天津彦根命を祖神とする一族で、時代とともに衰微した。犬上君:日本武尊の子稻依別王の後裔で、日本書紀景行紀に「稻依別王は是れ犬上君、武部君凡そ二族の始祖也」とある。拝殿と神楽殿由緒神代より此の地に御鎮座の事は、古事記上巻に伊邪那岐大神者坐淡海之多賀也と見え、相殿に伊邪那美大神御鎮座の事は、延喜式巻十に犬上郡七座並小多何神社二座と見えたり。 古来延壽司部の霊験あらたかにして、歴朝の尊信不浅、所謂お多賀杓子の起源たる元正天皇御不豫の御平癒を初めとして、明治初年に至るまで禁廷の勅願所にして、武門衆庶崇敬甚深の事歴は、鎌倉以後社蔵の文献に明証あり。元弘年中五辻宮逆徒追討の祈願あり、戦国の世豊臣秀吉特に崇敬深く、大政所回春奉斎のため一萬石の寄進をなし、又社殿悉皆造営あり。社殿脇の松の木その後元和元年火災に罹り、寛永年中金参拾萬両を以て造営せられしが、後安永、天明両度の炎上に会い、文化二年假造営を爲し近年に及びしが大正十一年造営の計画を立て昭和七年九月本殿以下竣工十月十四日本殿遷座祭を斎行せり。之今の社殿にして境域の面目全く一審するに至れり。 現今高宮町の一の鳥居多賀大社の神號額は、正親町天皇の御猶子青蓮院宮尊純親王の御親筆にして、由来徳川時代には、尊勝院門跡当社の別当に補せらるるの例にして、幕府より三百五十餘石、井伊家より百五十石の寄進ありしが、維新の際神佛分離の推移を経て、御社領一時の隆替あり、明治十二年十一月縣社兼郷社に被列、同十八年四月二十二日、官幣中社に被列、大正三年一月四日、官幣大社に昇格あり、以て今日に至る。勇壮な社殿主な沿革反正天皇三年 木菟臣直を奉じて降臨の地を検す。清寧天皇元年天皇一日群臣と本社の祭儀を論定し給ふ養老元年 養老年中、元正天皇御不豫の事あい、時の神職勅命を奉じ斎火を切って蒸飯を調へ神山のしでの樹を以て飯七を作りて献りしに、御平癒あらせる。天平十年一月本社を再建し、同十一年三月落成天平神護二年多賀神社に神封六戸、摂社日向神社に同二戸を充て給う延長五年延喜式に多賀神社二座と記される。是より前伊邪那美大神を配祀せられたるものなれど、其の年代不詳なり。康和五年六月御トに加賀の神事を穢すの出示ありしを以て、社司に中祓を科せらる天正二年右大臣織田信長より社殿造営のため勧進の事を許可せらる天正十六年関白豊臣秀吉より大政所町病気平癒の祈願あり(多賀大社由緒略記より)鐘楼多何神社二座今阿自岐西村に在り。(按新抄勅符、多何を田鹿に作る、並同じ。)今高宮驛多賀村赤土山の麓にあり。多賀大明神といふ。(村上美濃日記、行舊鈔、木曽路記)伊邪那岐大神を祭る(古事記)。上古伊邪那岐大神天神の詔の隨天下を修理成して復命し給ひ、後又淡海の多賀になし坐ましき、即是也。(古事記、日本書紀)。称徳天皇天平神護二年、近江地六戸を神封に充奉り給ひ、(新抄格勅符)堀河天皇康和五年六月御トに、多何神の神事を穢す祟りあるを以て、社司に中を科せしめき(朝野群載)。凡毎年四月十一月中午日祭を行ふ。其冬祭は本社東北栗栖祠に神幸あり(類聚抄)。神官は大神主、山田神主、日向神主、及禰宜四人を置く。其日向山田社並に本社の所摂の神也。(神祇志料より) 多何神社二座和名抄、郷名部田可。祭神伊弉諾尊、伊弉冉尊。多賀郡多賀村に在す。田阿社。古事記上に、「伊邪那岐大神者、坐 淡海之多賀 也。」神書抄曰、日之少宮者、近江國犬上郡多賀大明神是也。「近江在 艮方、日之所 初出 也。故曰 日之少宮、出雲杵築宮在 乾方、故曰 日隅宮、日之所 入也」(神社考)(神社覈録より)大釜境内には社殿だけでなく、鐘楼や大釜もあって、お詣り以外にも楽しむことができます。徳川幕府は、当大社を崇敬すること篤く、寛永十一年(1364)より五年の歳月と三十万両の浄財をもって本殿以下の大造営を完成し、それより約六十年後には再び大修復工事を相営み社頭の荘厳を整えた。この二つの大釜は両度の正遷宮を記念して設けられた。御湯神事の調度といい伝える。(境内案内板より)日向神社日向神社多賀大社境内の西脇に日向神社という延喜式内社も祀られています。御祭神は瓊瓊杵尊ですが、多何神の御子神だったのでは?ともいわれてます。延喜式内社 日向神社御祭神 瓊瓊杵尊例祭日 四月二十四日、十二月一日御祭神瓊瓊杵尊は天照大神より神勅をうけられ三種の神器を奉じ日向高千穂の宮に御降臨された神である。延喜式内社で昭和九年当大社摂社に指定せらる。(境内案内板より)日向神社本殿日向神社今多賀村多何社域の西あり。(神社啓蒙、神名帳打聞、近江輿地志略。按延喜式内蔵寮式大神祭日向王子幣とある。此日向神社も、蓋多賀神の御子神なるへし)称徳天皇天平神護二年近江地二戸を充て神封とす(新抄格勅符)。凡三月四月中申日祭を行ふ。(神祇志料より) 日向神社 祭神瓊瓊杵尊。多賀神社内西方南向に在す。則ち多賀神社末社也。社中に日向神主、同禰宜の家あり。(神社覈録より)夷神社西参道には他にも事代主神を祀った末社の夷神社が鎮座しています。多賀大社が鎌倉~室町時代に隆盛を誇った一因として神宮寺による全国布教活動があったといい、夷神社の鎮座地にはかつての神宮寺般若院(井伊家宿坊)があったとのことです。尚、小説「花の生涯」の主人公、村山多賀女(村山たか)は多賀大社の寺坊尊勝院の娘として生まれ、井伊直弼による安政の大獄の頃、日本史上初の女スパイとして活動していましたが、直弼暗殺後に捕らえられました。(詳細はWikipediaで調べてください)般若院跡明治の神仏分離まで多賀の境内には不動院・般若院・成就院・観音院の四つの神宮寺があった。このあたりはその般若院の跡と云われる。般若院は彦根藩主井伊家の宿坊であり藩主参拝毎年古例大祭に奉仕する藩の上士の出役などこの宿坊を起点とされた。「花の生涯」の村山多賀女はこの坊で若き日を送り、ここで直弼公を知り長野主膳を知ったと云う。(境内案内板より)左:愛宕神社・秋葉神社 右:神明両宮太鼓橋脇の神門前には火伏の神(愛宕神社・秋葉神社)の祠、そして日向神社脇には内宮外宮の神を祭った神明両宮が坐しています。左:聖神社・三宮神社 右:熊野新宮・天神神社・熊野神社神門内にも数社の境内社が坐しています。聖神社は少彦名命を祭神とし、三宮神社は角樴神・活樴神・大富道神、大富邊神・於母陀神・訶志古神を祀った社。対して熊野神社は櫛美氣野命を、熊野新宮は速玉之男神、天神神社は天之御中主神、高皇産霊神・神皇産霊神を祭神としたお社です。境内前の社前にはいにしえの情緒たっぷりの商店や食事処が軒を連ねています。ゆっくり立ち寄りたかったのですが、先を急いでいたので胡宮神社に向かいます。御朱印胡宮神社拝殿多賀大社から南に1キロメートル南の青龍山の麓に「多賀大社奥の院」と呼ばれていた胡宮神社が鎮座しています。御祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神、そして事勝国勝長狭命(ことかつくにかつながさ・塩竃大神)が祀られています。本殿本神社山頂には上代二神御鎮座の神蹟といわれる磐座がありましたが、長旅と酷暑で体力を奪われて途中でダウン・・・。機会があれば登ってみたいと思います。「近江は日本の楽屋裏」と白洲正子さんが自身のエッセイで記していましたが、その言葉に相応しいほどに近江(滋賀)は奈良・京都、そして北陸地方~大陸が織り目のように絡み合う深い歴史が潜んでいるように感じました。再び巡る旅をしてみようと思いますが、まずはここまで。 close

近江の式内社 多賀大社
サイト名 Journey To The End
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投稿日時 2019-05-23 01:40:03

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