越中国一ノ宮 雄山神社 中宮祈願殿(旧芦峅寺)の詳細

越中国一ノ宮 雄山神社 中宮祈願殿(旧芦峅寺)
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記事タイトル 越中国一ノ宮 雄山神社 中宮祈願殿(旧芦峅寺)
概要

雄山神社 中宮祈願殿(富山県中新川郡立山町芦峅寺鎮座)御祭神伊邪那岐神(立山大権現雄山神・本地 阿弥陀如来)天手力雄神(刀尾天神剱岳神・本地 不動明王)延喜式神名帳 「越中国新川郡 雄山神社」越中国一ノ宮・旧中宮芦峅寺千垣駅ホーム失意の雄山登拝断念のあと、予定を変更して雄山神社中…… more 宮へ。富山地方鉄道立山線で立山駅から千垣駅で下車します。千垣駅舎千垣駅から立山町の町営バスに乗って雄山神社中宮へ向かいます。駅舎がなんともレトロチックで郷愁を感じます。鳥居雄山神社は立山山系の最高峰・雄山山頂に鎮座する式内社。神社というよりも「立山大権現」として古くより高名な霊場で神仏混淆の社で、創建は大宝元年(701年)と伝えられています。立山は万葉集にも登場する霊山。万葉集・大伴家持「立山賦」に天ざかる鄙に名懸かす越の中国内ことごと山はしも繁にあれども川はしも多に行けども すめ神の領きいます新川のその立山にとあり、奈良時代から「神の坐す山」として崇められていたことがわかります。磐境と参道その後、平安時代初期に仏教が流入するにつれ、雄山の神:立山大権現雄山神ー伊邪那岐神(本地:阿弥陀如来)劔岳の神:刀尾天神剱岳神ー天手力雄神(本地:不動明王)二柱の本地垂迹を採るようになりました。但し、御祭神について他説もあり、明治神社誌料によると、『三千風行脚文集に「蘆倉庄立山、大寶元年慈興上人開基、日本第一大梁正一位立山権現、本地国常立尊、皇孫尊、思兼命、手力雄命等也云々」とあり、(中略)他に五十猛命・伊達神と称する云々』ともあります。石畳と神橋平安末期~鎌倉時代以降、神仏混淆の『立山信仰』として多くの参詣者が入山しましたが、全国的にその名が広まったのは、芦峅寺と岩峅寺を拠点とした僧侶・山伏・衆徒達の熱心な布教活動によるものでした。岩峅寺は、主に越中・加賀・能登といった近国への布教を担当し、一方芦峅寺は、近国以外の国々への布教を担当していたといいます。ちなみに布教の際、山伏達は百草薬といった薬草を縁起図・護符などと共に持参していたことから「富山の薬売り」の起源になったといいます。しかし神仏分離令のあと、芦峅寺では布橋灌頂において重要な役割を果たした中宮寺女畾堂(ウバ堂)は廃止され、天下三霊橋と誇った布橋も落ち、塔中諸坊も四散してしまい、寺院に纏わる建築物は悉く取り壊されました。そこで神社として以下の通り再編し、明治六年に県社、昭和十五年に国幣小社に列しました。本宮立峅寺→雄山神社峰本社中宮芦峅寺→雄山神社中宮祈願殿前立社壇岩峅寺→雄山神社前立社壇参道鳥居をくぐったは正に緑の世界。樹齢五百年を超えるといわれる杉の木立、そして鬱蒼とした社叢、地面にも苔が蒸していいて、神が坐す場所に相応しい厳粛且つ静謐な雰囲気が漂っています。さて、ここ雄山神社中宮祈願殿は「中宮芦峅寺」と称し、立山を開山した佐伯有頼命(のちの慈興上人)が開山後立山座主として居を定めた聖地。立山に入山する最後の村落にあり、古くから立山修験道・登山信仰拠点の一つとして賑わっていました。往古、門前には数多くの宿坊が立ち並んでいたといい、登拝者はここで「中語」と呼ばれる山岳ガイドと共に入山して雄山登拝に挑んできたといいます。また立山は女人禁制の山だったので、入山できない女性のため布橋灌頂会という行事がここ中宮芦峅寺で執り行われていたといいます。中宮祈願殿(旧大講堂)祈願殿(大講堂)と石燈籠参道を歩いていくと、雄山に向かって祈願殿と称する拝殿が鎮座しております。明治神社誌料で中宮祈願殿について『山麓に雄山神社摂社大宮あり、其社には祈願殿と風雨を祈る社あり。』の記載があります。祈願殿明治維新まで芦峅大講堂と称したが、改新後祈願殿と称し、諸祭儀、御神楽等を修するところなり。本殿には、雄山の大神を始め、立山々中三十六社の神々を合祀す。(境内案内板より)立山本宮(西本殿)石段と巨杉、その先に本宮祈願殿からさらに進むと巨杉に囲まれた石段があり、その奥に「立山本宮」(西本殿)と呼ばれる社が坐しています。立山権現麓芦峅中宮の末社で、立山権現伊邪那岐大神を御祭神として、相殿に立山開山にゆかりのある第四十二代文武天皇と佐伯宿禰有若公を祀っています。立山本宮立山大宮御祭神 立山権現伊邪那岐大神相殿 第四十二代文武天皇・佐伯宿禰有若公立山権現麓芦峅中宮の末社にして、女畾堂と竝び立山信仰の中心社堂で本殿・大拝殿と偉容を誇っていたが明治初年、山中よりの落石の災害に合い、両殿共に破壊される。(境内案内板より)立山大宮と丸石参道脇には苔に蒸した二体の丸石も祀られていました。ここ越中にも丸石信仰があるのでしょうか?立山若宮(東本殿)若宮への参道と磐境立山本宮(西本殿)に続いて立山若宮(東本殿)へ参拝します。立山若宮は劔岳の神である刀尾天神(天手刀雄神)を主祭神として、佐伯氏の祖である稲背入彦命と立山開山した佐伯有頼命(のちの慈興)を相殿として祀っている社です。立山若宮(東本殿)石垣の先にはさざれ石状の大きな磐座があり、その上に本殿が鎮座しています。その神さびた佇まいに心震えます。立山若宮御祭神刀尾天神(天手刀雄神)・稲背入彦命・佐伯有頼命古来より立山若宮権現と称し、刀尾天神二十一末社の総本宮として厚く崇敬されてまいり、殊に足利将軍義植公の祈願奉幣の社として尊敬を受け、以来戦国武将江戸時代清里武門より敬信の誠を捧げられ、大願成就・必勝不敗・災難除けの神として信仰される。また霊峰立山登拝の諸人は必ず参拝するを例とした。(境内案内板より)磐座と若宮社殿若宮社殿文武天皇の大宝元年(701年)越中国司佐伯宿祢有若卿の嫡男有頼少年が白鷹と熊に導かれ霊峰立山雄山神を奉斎する根本中宮を始め、壮大なる神社仏閣が建立された。若宮社殿は文治元年(1185年)に鎌倉幕府が大内冠者惟義に命じて造営したと伝えられている。現在、天正十六年(1588年)三月吉日大和国宇陀郡平臣加藤清〇の棟札が残されているので、この時期に修理を加えたと考えられている、間口2.73m、奥行4.69mの一間社流造で、明治初年に本殿の老朽化が著しく自立が危うくなったため、本殿の外側に全体を覆う軒支柱が造られた。また、現在は銅板葺きであるが、当初は柿葺きであった。若宮社殿には佐伯氏の祖稲背入彦命・佐伯有頼命が祀られており、足利義植公の祈願奉幣の社として尊敬を受け、以来戦国武将名門の尊崇厚く、大願成就、必勝不敗、災難除けの神として信仰されている。立山町教育委員会(境内案内板より)切株にも苔が蒸している由緒書祭神西本殿 立山大宮 伊弉那岐命東本殿 立山若宮 天手力雄命別 宮 立山開山堂 佐伯有頼公當神社は日本三霊山立山を神山と仰ぐ雄山神社中宮にして、延喜式内国幣小社であり、鎌倉時代神道集によれば越中國一の宮と称せらる。鎌倉幕府室町幕府金沢藩主の特別崇敬保護を享け、中宮寺塔中の衆徒社人三十八戸軒を列ねて奉仕し全国に立山の霊験を布教せり。総拝殿を祈願殿と称し境内二万余坪あり樹林は富山県天然記念物に指定せらる。境内に於て草木を採り、殺生を行い、無禮を為すことを固く禁制す。(境内案内板より)別宮開山堂(立山開山御廟)立山開山御廟東本殿と西本殿の間には立山を開山した佐伯有頼(出家して慈興と改名)の御廟があります。石碑には以下の文が刻まれていました。立山開山御廟違矣速鎮座神宮安置本尊欲護持一実秘法更待竜萃三會之暁 終結講堂置自作三尊神神躰精舎引接十万群生乎吾壽齢巳盡三茎之池辺可入定別宮開山堂への参道雄山神社(立山大権現)のご由緒について嘉永七年の写本「立山手引草」によると次の通りです。大宝元年(701年)のある夜、文武天皇の夢に阿弥陀如来が現れ、「今、越中国は争い絶えず里人は苦しい生活をしている。佐伯有若を越中の国司にすれば、国家安泰となる」とお告げになりました。天皇はすぐに佐伯有若に越中へ下向するよう勅命し、有若は息子の有頼とともに、越中布施の保伏山(今の富山県魚津市・有頼柳周辺)に居城を構えました。ある日、有頼は有若が大切にしていた白鷹を連れて狩りをしていると、鷹は南の方向へ逃げてしまい、有頼は大切な鷹を逃がしたことに激怒した父の許しを請うために鷹を探すことにしました。別宮開山堂鎌倉時代製作の木造慈興上人坐像が安置森尻の森(神度神社・上市町鎮座)で鷹の羽を見つけて行方を祈念したところ、『森尻の権現』が現われ「辰巳の方角を尋ねるべし」と教えてくださりました。森尻の権現の教えの通り、辰巳の方角の山へ入っていくと、右手に鋭い剣を持ち、左手に数珠を持った老僧が現れ「我は立山の地主神である刀尾大神にして不動明王である。あなたが尋ねる鷹は東にいる。心を改めて登りなさい」とお告げになりました。 しばらくすると白鷹を見つけることができましたが、そのとき大きな熊が現れ、有若はその熊に矢を放ち胸に命中。逃げた熊を追いかけてさらに山中に入り『玉殿の岩屋』という石窟の中に追い詰めた有頼が、中の様子を伺いました。慈興上人の像?すると、胸に矢が刺さった熊に化身していた阿弥陀如来と鷹に化身していた不動明王が立っておられ、阿弥陀如来は有頼にこう告げました。「吾は濁世の衆生を救うため立山に現わした。刀尾大神は鷹となり、熊は私である。汝をここに導いたのは、この霊山を開山するがよい。」感激した有頼は、下山して『慈朝』という僧から教えを受けたのち。『慈興』と名乗り、立山を開山、山頂に霊殿を築いたといわれています。其の後有頼公自ら出家して慈興と号し、常願寺川(旧名:新川)の南北六か所に堂塔社殿を建立し立山座主として山麓芦峅寺に居を定め、立山信仰の普及に生涯を捧げられました。境内末社左:劔嶽社 右:治国社(宝童社)・神明社劔嶽社御祭神 須佐之男命此の社は昭和三十一年八月建立より平成二十一年八月新社殿御造営迄五十五年間に亘り剱岳山頂に俸斎さあれ多くの剣岳登山者を見守ってまいりました旧社殿です。保存のため麓遥拝所として建立致しました。雄山神社社務所(境内案内板より)治国社 通称 宝童社祭神 新川姫命首から上の病気の守護神として、又子育ての守り神として深く信仰さる。(※宝童社は常願寺川を司る神で、今は耳垂れ地蔵とも称されています)神明社右 豊受大神宮 中 皇大神宮 左 麻続御祖社(以上、境内案内板より) 左:神秘社(山神様) 右:水神社神秘社(山神様)の御祭神は造化三神と大山祇神、久々廼智神。水神社は芦峅寺各所の水源地に祀られていた水神石堂を合祀したとのことで、水波能賣神を祀っています。苔むした石仏神仏混淆の社だった名残なのか境内に石仏も置かれていました。幾多の困難を乗り越えた石仏さま、とても侘寂を感じる佇まいです。狛犬中宮祈願殿は緑溢れる美しいお社。拝して良かったと心から思えた神域でした。御朱印 close

越中国一ノ宮 雄山神社 中宮祈願殿(旧芦峅寺)
サイト名 Journey To The End
タグ お寺 神社
投稿日時 2019-09-20 01:21:02

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