東大寺 三月堂 百日紅 『将門魔法陣は存在したか?』の詳細

東大寺 三月堂 百日紅 『将門魔法陣は存在したか?』
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記事タイトル 東大寺 三月堂 百日紅 『将門魔法陣は存在したか?』
概要

奈良市雑司町 東大寺  東大寺 三月堂 百日紅①執金剛神の髻、平将門の乱を平定する。三月堂の不空羂索観音の後ろの厨子に秘仏の執金剛神(しゅこんごうじん)が安置されています。この執金剛神には次のような伝説があります。940年、平将門の乱がおこったとき、執金剛神の前で将門誅…… more 討の祈祷を行った。すると執金剛神の髻が大きな蜂となって東方へ飛びさり乱を平定した。そのため、執金剛神には髻の元結紐の端が決失している。この伝説にちなみ、今日は成田山不動尊 夕景『将門関連七神社は北斗七星をあらわしていない?』 のつづきを書きたいと思いま~す。  東大寺 三月堂 百日紅②将門関連七神社=北斗七星説に納得できなかった3つの理由成田山不動尊 夕景『将門関連七神社は北斗七星をあらわしていない?』 ↑ こちらの記事で、「東京には平将門に関連する神社がたくさんあり、それをつなぐと北斗七星の形になる(将門魔方陣)」と、加門七海さんが指摘しておられるという話をしました。  ですが、私には納得できないことが3点ありました。a.将門関連七神社というが、東京には将門関連の寺社は11か所あります。b.私は「江戸城は天の北極、筑波山はカシオペア座、富士山は北斗七星になぞらえられている。」と考えています。その理由については、次の記事をお読みください。富士山 夕景色と朝景色 『関東に北極星・カシオペア座・北斗七星が存在していた?』 すると、下図のように、北斗七星がふたつあっておかしなことになってしまいます。実際の天の北極の近くにはこぐま座がありますが、将門魔方陣はこぐま座とは形がちがうし、位置も異なります。   ※現在はポラリスがほぼ天の北極にあって北極星とされていますが、歳差運動の影響で1600年ごろの天の北極は上図のようにポラリスからはやや離れていたと思われます。 c.bは夜空を反転させた形でなぞらえられている。(星が天球にはりついているものとし、天球の上から星をながめると左右反転してみえる。)すると将門関連七神社がつくる北斗七星の形は左右反転していることになる。(北斗七星と将門魔方陣は左右反転していますね)⑥将門関連寺社の由緒これ以上のことは、加門七海氏の著書「将門魔方陣」を読んだり、将門関連11寺社について調べてみないことには結論が出せない!ということで、さっそく本も読み、将門関連11寺社についても(主にウィキペディアで)調べてみました。これらの寺社の由緒をざっと表にまとめておきます。加門氏は七神社を将門サイド(鳥越神社・兜神社・首塚・神田明神・鎧神社・稲荷鬼王神社・筑土神社・日輪寺)、アンチ将門(筑土八幡神社・水稲荷神社・烏森神社)という風にわけておられるので将門サイドはピンク色文字、アンチ将門は水色文字でわけておきました。オレンジ色で示したのはウィキペディアには記載がなかったが、加門氏が本に書かれていた内容を記したものです。●将門関連七神社鳥越神社景行天皇代に、日本武尊が皇祖二柱の大御神を祀った。651年、村民が「白鳥明神」として奉祀した。前九年の役征圧のため源頼義・義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。白鳥明神のご加護として鳥越大明神の社号を奉った。1620年、江戸幕府は浅草御蔵を造営するため、土地を没収して大明神のある鳥越山を切り崩し埋め立て用に用いた。三社のうち熱田神社は今戸へ、第六天榊神社は森田町(現・蔵前3丁目)に遷され、残った大明神が現在の鳥越神社千葉氏という一族が神職を務めている。千葉氏の祖先は平将門の叔父・平良文であるともいう。将門の首がここを飛び越えたとする説あり 兜神社境内に兜岩と呼ばれる岩がある。由来については3つの説がある。1.後三年の役(西暦1080年代)で、源義家が奥州から凱旋してきたとき、東夷鎮定を祈願して兜を楓川の辺の土中に埋めて塚を作った2.前九年の役(西暦1050年代)で、源義家が奥州征伐に向かう際、岩に兜をかけて戦勝を祈願した3.承平の乱(西暦935~940年)のころ、藤原秀郷が平将門の首を打って京都へ運ぶ際、将門の兜を埋めて塚をつくり供養した。鎧の渡付近に将門を祀った鎧稲荷や源義家の兜塚があった。昭和2年現在地へ移転 江戸時代より兜岩は現在地へあった。 首塚首塚はかつて盛り土と石室・石郭があり古墳だったとみられる。将門の首塚、東国の平氏武将の崇敬をうける。芝崎村住民は長らく将門の怨霊に苦しめられてきた。1307年、他阿真教が将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈って首塚の上に自らが揮毫した板碑を建立した。首塚の近くには天台宗寺院日輪寺があったが、時宗芝崎道場に改宗した。日輪寺は、将門の「体」が訛って「神田」になったという。神田明神別当をつとめる。江戸時代、日輪寺は浅草に移転するも、今なお神田明神とともに首塚を護持している。首塚は江戸時代まで酒井雅楽頭の上屋敷の中庭にあったが、関東大震災によって損壊。周辺跡地に大蔵省仮庁舎が建てられることとなったが、大勢の関係者が謎の死をとげ将門の祟りと噂された。昭和2年(1926年)将門鎮魂碑が建立された。芝崎には安房神社があり将門は生前同系の神社に太刀などを治めていた関係で、首をここに埋めた。神田明神730年、武蔵国豊島群芝崎村に入植した出雲系氏族が、大己貴命を祖神として祀る。神田はもと伊勢神宮の御田(神田)があり、神田を鎮める目的で創建され、神田ノ宮と称した。神田明神の近くに将門の首塚があった。1309年、平将門が当社の相殿神とされる。1603年、神田台へ移転。1616年、現在地へ移転。1874年(明治7年)、明治天皇行幸の際、逆臣である平将門が祀られているのはよくない、として平将門が祭神から外され、代わりに少彦名命が茨木県大洗磯前神社から勧請された。平将門は境内摂社に遷された。1984年(昭和59年)平将門、本社祭神に復帰した。筑土八幡神社嵯峨天皇代(809-823)、老人の夢に顕れた八幡神の夢告げにより、創建。850年、円仁、最澄作の阿弥陀如来像を安置。文明年間(1469-1487)上杉朝興が社殿を建て、土地の鎮守とする。1616年、江戸城田安門付近にあった田安明神が筑土八幡神社の隣に遷座し、津久戸明神社となる。江戸城乾の守護として勧請1945年、第二次世界大戦によって全焼。津久戸明神社、千代田区九段北に移転して築土神社となる。八幡神社は現在地に残る。江戸時代初期、天海僧正が、平将門の足を祀ったとする風説あり。別の史料によれば、八幡神社に将門が合祀されている。将門は津久戸明神という名前の地主神となっている。八幡神社は将門の霊域に立つという伝説がほしかったのではないか。庚申塚あり。 水稲荷神社941年、藤原秀郷が冨塚の血に稲荷大神を勧請し「冨塚稲荷」と名付けた。1702年、 神木の椋の根元より涌きだした霊水が眼病に利くとして「水稲荷神社」と改名された。1788年、 「江戸の水稲荷」を名乗る翁が現れ、京都御所の大火に功績を認められ、「関東稲荷総領職」を賜る。1963年、早稲田大学と土地を交換して現在地に遷座。稲荷神の神託により源経基は将門を滅ぼした。鎧神社醍醐天皇代(898-929)、円照寺創建。鎧神社は円照寺の鬼門鎮護として創建されたと考えられている。947年、平将門の鎧を埋めたとの伝承あり。俵藤太が将門の首を埋めたとも。猿の石像あり。ピンク色文字・・・将門サイド 水色文字・・・アンチ将門 オレンジ色文字・・・加門氏による鎧神社を加門氏は「将門サイド」としておられますが、「アンチ将門」とするべきだと思います。というのは鎧神社の別当寺に円照寺があり、円照寺の伝説として、次のように伝わっているからです。平安時代、薬師如来が祀られていた。平将門討伐のため藤原秀郷がこの地を訪れたが病に倒れる。薬師如来のご加護を得て病は治り、将門も討伐することができた。藤原秀郷はこれに感謝して円照寺を創建した。ただ、慰霊にせよ、調服にせよ、どの寺社も将門の怨霊を鎮めるという目的を持っているわけで、「将門サイド」「アンチ将門」のように分類することにさほど意味があるとは思われません。加門氏もあまり「将門サイド」「アンチ将門」の分類にこだわっておられないように思われました。あと将門関連七神社からもれた4神社についてもまとめておきます。●将門関連七神社以外築土神社940年、津久戸村(上平川村、現:千代田区大手町1丁目、将門塚付近)に平将門の首を祀り、塚を築く。「津久戸明神」として創建された。室町時代、大田道灌が田安郷(現:千代田区九段坂上)へ移転させ、「田安明神」と呼ばれた。1616年、江戸城拡張工事のため、筑土八幡神社隣(新宿区筑土八幡町)へ移転し、「築土明神」と呼ばれた。1874年、天津彦火邇々杵尊を主祭神として「築土神社」と改称する。1945年、東京大空襲によって全焼。1954年、九段中坂の途中にある世継稲荷境内地へ移転。太田道灌が江戸城乾の守護として勧請(江戸名所図会)江戸名所図会の詞書に「将門註せられし後、その首級を当国江戸平川の観音堂へ移し、これを斎(いわ)いて津久戸明神とす。」とある。稲荷鬼王神社平将門の幼名「外都鬼王(げづおにおう)」「鬼王丸」というところから神社名を鬼王にしたともいわれる。1653年、諏訪神社境内の福瑳稲荷を大久保村に勧請し、氏神として稲荷神社を創建。1752年、田中清右衛門が病気平癒のため、紀州熊野の鬼王権現を勧請。1831年、稲荷神と鬼王権現を合祀し、稲荷鬼王神社とする。1894年、古来よりこの地にあった浅間神社を、稲荷鬼王神社に合祀。昭和5年(1930年)境内社として浅間神社を再興。境内に富士塚を造成昭和43年(1968年)社殿再建、富士塚を二分する。  烏森神社940年、藤原秀郷が武蔵国の稲荷神社に平将門の乱鎮圧を祈願したところ、白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えた。その矢によって速やかに乱を鎮めることができた。その後、秀郷の夢に白狐が現れ、神鳥が群がる場所が霊地であると告げた。秀郷が桜田村にやってきたとき、烏が群がっていたので、そこに神社を創建した。日輪寺徳治年間(1303-1308)この地を訪れた他阿真教が将門の首塚の祟りで疫病が流行しているとおびえる村人のため塚を修復し供養をしたところ疫病が治まり、村人の勧めもあって日輪寺を時宗に改め念仏道場とした。 1590年以降、移転を繰り返す。1601年柳原へ移転。1657年の明暦の大火で焼失し、浅草へ移転。 注意したいのは、日輪寺・首塚・神田明神はもとは同じ場所にあったということです。その後、神田明神は1603年に神田台へ移転し、さらに1616年、現在地へ移転しています。日輪寺は1601年に柳原へ移転し、1657年に現在地へ移転しています。さらに、筑土八幡神社と筑土神社ももとは同じ場所にあったことにも注意してください。嵯峨天皇代(809-823) 筑土八幡神社創建1616年、田安明神が筑土八幡神社の隣に遷座し、津久戸明神社となる。1945年、第二次世界大戦によって全焼。津久戸明神社、千代田区九段北に移転して築土神社となる。八幡神社は現在地に残る。  神田明神⑦日輪寺・神田明神・田安神社の1616年の移転は将門魔方陣を作るのが目的だった?加門氏は、日輪寺・神田明神・田安神社の1616年の移転は、幕府によるもので、江戸に将門魔方陣(北斗七星を象る7つの星)をつくるためだったのではないかとしておられます。 将門の首塚⑧日光東照宮=北極星、将門魔方陣=北斗七星?さらに加門氏は・1616年が徳川家康の死亡年であることを指摘され、家康の死によっ遂行された呪術プロジェクトではないか。・天海が家康亡きあとの江戸を安泰にするために江戸に北斗の結界をはり、日光に東照宮を造営したのではないか、と言っておられます。(日光東照宮の創建は1617年) 日光東照宮 五重塔つまり日光東照宮は北極星で、将門魔方陣(将門関連七神社)は北斗七星、ということですね。北斗七星の位置にある神社または史跡は兜岩をのぞき、1616年までにその場所にあったことがわかります。(兜岩は江戸時代からその場所にあったというが、正確な年がわからない。)⑨稲荷鬼王神社は北斗第六星の補星あと、稲荷鬼王神社について、加門氏は北斗第六星の補星になぞらえたものとされています。北斗七星の柄の端から2番目の星(水稲荷神社に相当する星)はミザールといい、伴星アルコルがあります。アラビアではこのアルコルがみえるかどうかで視力検査を行っていたといわれます。加門氏のいう北斗第六星の補星とはこのアルコルのことでしょうか。そして、この北斗第六星は魔多羅神=妙見菩薩の化身と解釈する説があるとおっしゃっています。すると将門関連七神社ではなく、将門関連八神社というべきかもしれませんね。⑩烏森神社はなぜ将門魔方陣から外されたのかという疑問が残る~日輪寺は神社でなく寺なので、除外してもいいかもしれません。でも、940年に創建された鳥森神社が将門魔方陣(将門関連八神社)から除外されているのはなぜかという疑問が残ります。⑩「水稲荷で将門の首と胴がきられている」は確認が必要加門氏は「水稲荷で将門の首と胴がきられている。」とも指摘されています。鳥越神社・・・首兜神社・・・・首首塚・・・・・首筑土八幡(津久戸明神)・・・首水稲荷・・・将門調服鎧神社・・・胴ですが筑土八幡の伝説について、加門氏は首とされていますが、脚を祀ったという風説もあるようで、もう少し確認してみないと「水稲荷で将門の首と胴がきられている。」とは言い切れないです。⑪天の北極=日光東照宮、北斗七星=江戸。カシオペアは磐梯山?加門氏がおっしゃるように、天の北極=日光東照宮、北斗七星=江戸の将門関連神社とすれば、どこかにカシオペア座になぞられたものがあるのではないでしょうか?地図を眺めてみると磐梯山があります。磐梯山の西南にある会津若松市から磐梯山をみると、どんな風に見えるでしょうか。https://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10131018590リンク先の写真は「会津若松と磐梯山」というタイトルになっています。磐梯山は向かって左側の山が高いカシオペアのように見えますね。http://maropie.blog44.fc2.com/blog-entry-126.html↑ こちらの写真は「会津若松の高速道路から見た磐梯山」のようです。やはり左側の山が高いカシオペアのように見えます。磐梯山の南南西にある日光東照宮から磐梯山が見えるとしたら、やはり同じように左側が高いカシオペアの形に見えるはずです。もしかして、天の北極=日光東照宮、北斗七星=将門魔方陣、カシオペア=磐梯山?会津若松という文字の向かって右に湖があります。その湖の北あたりが磐梯山です。 天の北極=江戸、北斗七星=富士山、筑波山=カシオペアの組み合わせは、夜空を反転させたものでした。しかし、天の北極=日光東照宮、北斗七星=将門魔方陣、カシオペア=磐梯山のほうは夜空を反転させていません。江戸は天の北極になぞらえて作った町でした。さらに家康の死後、江戸の北に北極星になぞらえて日光東照宮をつくった、ということでしょうか?皆さまはどうお考えになりますか? 東大寺 大仏殿 百日紅※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!にほんブログ村  close

東大寺 三月堂 百日紅 『将門魔法陣は存在したか?』
サイト名 心の旅
タグ お寺 奈良県
投稿日時 2019-10-12 02:01:01

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