摂津国一ノ宮 住吉大社 第一本宮~第四本宮の詳細

摂津国一ノ宮 住吉大社 第一本宮~第四本宮
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記事タイトル 摂津国一ノ宮 住吉大社 第一本宮~第四本宮
概要

住吉大社(大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89鎮座)御祭神 底筒男命・中筒男命・表筒男命・息長足姫命延喜式神名帳「摂津國住吉郡住吉坐神社四座」名神大 月次相嘗新嘗摂津國一宮 二十二社(中七社)西の海やあはぎがはらの汐路より あらはれ出でし住吉の神ト部兼直社頭住吉大社は全国にある住吉…… more 神社の総本社であり、かつて「住吉津」と呼ばれた港に面し、海上守護・港の神として崇められてきた大社で摂津国一ノ宮。現在も大阪湾の方角に向がって坐しております。朝日と鳥居松並木の参道がかつて湾沿いに鎮座していた名残を残しています。西向きに鎮座しているせいか眩いばかりの朝日が容赦なく照りつけてしまい、逆光だらけの写真ばかりなので、うまく撮れているのか心配だったのですが・・・なかなか神々しい風景を撮影することができました!反橋参道を進むと、住吉の象徴と言われる反橋が架かっています。長さ20メートル、幅5.5メートル、高さ3.6メートルの太鼓橋で、現在の石の橋脚は慶長年間に淀君が奉納したものと伝えられています。反橋朱色がとても艶やかな反橋です。鎌倉時代の書物にも反橋の記述があり、その頃から存在していたともいわれてます。反橋の上から池を臨む住吉大社の御祭神はいわゆる「住吉三神」と呼ばれる底筒男命・中筒男命・表筒男命の三柱に加え、新羅討伐し本神社の創建に深く関っている息長足姫命(神功皇后)の計四柱。住吉三神はイザナギの禊からお産まれになった神で、神功皇后の条に「日向国の橘の水底にいて、海藻のように若々しく生命に満ちている神ー名は底筒男命・中筒男命・表筒男命がいる」とも記載のある神さまです。角鳥居(住吉鳥居)と幸壽門幸壽門の手前には角鳥居(住吉鳥居)があり、その先から瑞々しい朝日が輝いています。とても神々しい風景に感動しました。第三本宮・第四本宮神門をくぐると、第一本宮から第四本宮の社殿が並んでいます。住吉三神を祀る第一本宮・第二本宮・第三本宮が縦一列に並び、第三本宮の北隣に神功皇后を祀る第四本宮が鎮座しています。ちなみに玉垣の南側にある社務所から全景写真を撮るのがベストでしたが、逆光がハンパなく、かつ開門間もない時間に参拝したせいか「朝のお勤め」をされていたので邪魔にならないように参拝しました。第四本宮(祭神:息長足姫命)住吉大社の創建時期は神功皇后摂政十一年辛卯の歳(西暦211年)と伝わり、創建については『日本書紀』に次の通り記載されています。新羅討伐に新羅に向う神功皇后に住吉三神(住吉大神)が神託して、その教えに基づいて新羅を征せられ、凱旋の帰途の途中、仲哀天皇の御子・忍熊王らが軍を率いて待ち構えていて、武庫の港に還って占った際、住吉三神は「わが和魂を大津渟中倉之長峡に居さしむべきである。そうすれば往来する船を見守ることができる」と神託し、その教えに従って大津渟中倉之長峡に創祀したのが摂津の住吉坐神社、現在の住吉大社です。尚、凱旋の帰途に「住吉三神の荒魂を穴門(長門)の山田邑に祀れ」と神託があり創建したのが長門国下関市鎮座の住吉神社で、武庫の港で占った際に、天照大神の神託により創建したのが広田神社、稚日女尊(天照大神の妹)の神託により創建したのが生田神社、事代主命の神託により創建したのが長田神社と書かれてます。この記述は九州の神々が畿内に勧請したことの示唆なのでしょうか?第三本宮祭神:表筒男命住吉神社について、現在は「すみよし」を読みますが、元来「すみのえ」と呼ばれていたといいます。本居宣長著の『古事記伝』によると、「住吉を須美與志と唱るは後世のことにて、奈良(那良)のころまでは須美能延(スミノエ)とのみ云り。まづ此記には墨江とかき、日本書紀萬葉集には住吉と書かれても須美能延とよみ、又萬葉には墨之江、清江、須美能延など有て須美與志と云ることは一つもなし」とあり、奈良時代の頃までは「スミノエ」と呼ばれていて、古事記にも「墨江」と記述があり、日本書紀や万葉集に「住吉」という記述はあるが、「墨之江」「清江」「須美能延」などと記されてあるが、「スミヨシ」というのはないとあります。そして、延喜式神名帳に名神大社とされている「住吉神社」は五社あります。摂津國住吉郡 住吉坐神社四座長門國豊浦郡 住吉坐荒魂神社三座筑前國那珂郡 住吉神社三座壱岐島壱岐郡 住吉神社對島島下郡 住吉神社(対馬)この五社は大阪湾→関門海峡→博多湾→壱岐島→対馬島と朝鮮半島への道程と重なっており、遣唐使や遣隋使派遣の際に執り行われていた朝廷の臨時祭祀『延喜式祝詞巻』の「遣唐使時奉幣」にも住吉大社の祝詞が奏上されていたことなどから、古くから航海の守り神として崇敬されていました。第二本宮祭神:中筒男命また、住吉神社社務所編『住吉大神の御名義について』に以下記述があります。「根元の神社は筑前國の御社であったろうが、おそらくは、神功皇后の御時に摂津國に奉遷せられ、その舊地になほ依然として御祭になっているのが、今の筑前國住吉神社であろう。」これによると、住吉神社の元宮は福岡市博多区鎮座の住吉神社で、神功皇后の御代に摂津国の大津渟中倉之長峡に奉遷したのがここ住吉大社とされています。また、壱岐対馬の二神社は恐らくは神功皇后の新羅討伐の際に住吉大神を奉斎せられた遺趾にそのまま創建された社ではないかとも書かれています。住吉造の本殿さて、第一本宮から第四本宮の本殿は「住吉造」といわれて、妻入式の力強い直線形の本殿は国宝に指定されていて、玉垣近くまで参拝する事ができます。この構造は天皇陛下即位後に行われる大嘗祭で造営される「大嘗宮」に類似しているといわれています。尚、現在の本殿は、江戸時代の文化七年(1810年)に造営されたものです。第一本宮祭神:底筒男命第四本宮~第三本宮~第二本宮と参拝し、境内奥に鎮座する第一本宮へ。他の本宮と比較するひと回り大きいようで、拝殿内の金屏風も開帳されていました。拝殿内に鳥居や玉垣らしき囲いがある構造も本神社独特の造りなのではないかな?と思います。拝殿内にも鳥居がある住吉大社御由緒御祭神第一本宮 底筒男命第二本宮 中筒男命第三本宮 表筒男命第四本宮 息長足姫命(神功皇后)御由緒底筒男命 中筒男命 表筒男命の三神を総称して住吉大神と申しあげます。住吉大神の「吾が和魂をば宜しく大津渟中倉長峡に居くべし。便ち因りて往来ふ船を看む」との御神託により神功皇后がこの地に御鎮祭になりましたのが、皇后の摂政十一年辛卯の歳(西暦211年)と伝えられています。第一本宮と御神木御神徳住吉大神は伊弉諾尊の禊祓に際して海の中でお生まれになった神様であるますから、禊祓、海上守護の御神徳を中心とし古来産業・文化・外交・貿易の祖神と仰がれ、常に諸願成就の名社として付録普く崇敬されています。御社殿第一本宮より第三本宮までは縦に、第四本宮の横に配列奉斎祀りされ、各本宮ともに本殿は住吉造として神社建築史上最も古い様式の一つで、妻入式の力強い直線形をなし四本殿とも国宝に指定されています。(境内案内板より)境内住吉神社住吉神社は、摂津國住吉郡住吉に在り、底筒男命、中筒男命、表筒男命の三座を祀り、後に神功皇后を合せ祀りて四座とす。底筒男命等の三神は、皇后の新羅征伐の時、皇軍を導き給ひし神にして、凱旋の時、宣託して大津宮中倉長峡に留まらんことを求め給ふ。因りて其地に社を作りて鎮祭す。是を本社の起源とす。現今官幣大社に列す。古来此神は、海路を守り給ふと称して、航海者は大に尊敬し。中古以来和歌の神と称して、詠歌者流の尊信するもの頗る多し。延喜式 摂津國住吉郡住吉坐神社四座 並名神大、月次相嘗新嘗釋日本紀 摂津國風土記曰、所以称住吉者、昔息長足比賣天皇(神功皇后)世、住吉大神現出而、巡行天下、覔可住國 時、到於沼名椋之長岡之前(前者今神宮南邊是其地)乃謂斯實可住之國、遂讃称之云 眞住吉之國、仍定神社、今俗略之、直称須美乃叡(古事類苑より冒頭抜粋)住吉鳥居(若宮八幡)と五所御前第一本宮の北に神功皇后の御子神・応神天皇と武内宿禰を祀った若宮八幡社と住吉大神降臨の伝承地とされる五所御前が坐しています。神蹟 五所御前五所御前は、別名を高天原ともいい、住吉大神降臨の伝承地である。社伝によれば、神功皇后の摂政十一年、勅命を奉じた田裳見宿祢(住吉神主の始祖)が、大神の神殿を建立すべき処を求めた際、「真住吉 住吉国」(清らかな海に面した、安住の地の意)との神託を得て当地を選定し、其の地の大樹に白鷺が飛来して、あたかも歓喜、賞賛するかの様子であったため、住吉大神の御心にかなった処として当社の鎮座地を定めたものと伝えられる。後に四つの神殿を造営した後も、元の大樹に注連縄を張り、忌垣を設けて祭祀を行ったものと伝えられる。この故実に倣い、当社の御鎮座を奉祝する卯之葉神事(五月初卯日)では、当所に神鏡を懸け、卯の葉の玉串を捧げて拝礼する。そのため、四神殿に准じた神蹟として五所御前と呼称される。(境内案内板より抜粋)「五所御前」に関連するか分かりませんが、『神祇志料』によると「十一月新嘗祭、神人祭衣を着け午に騎り、大和畝火山口神社の埴を取来て、天平瓫を造りて神饌を供ふ、祈年祭も又同じ(名所圖會)」とあり、日本書紀に登場するシイネツヒコとオトウカシが天の香久山の土で天の平瓫(あめのひらか)80枚を作る話と近似しています。国魂神に繋がる祭禮が行われていたようです。(現在は分かりません)北高蔵・南高蔵第一本宮裏には、北高蔵・南高蔵と呼ばれる高倉が建っています。慶長十二年(1607年)の造営で、国重要文化財に指定されています。ちなみに釘を1本も使用せずに建てられていることから「釘無宝庫」とも称されています。神門、その先に南門神門の先に見えるのが石舞台。奥の門の先には御田があり、御田植神事が行われてます。石舞台住吉大社の石舞台は豊臣秀頼公によって寄進されたもの。「日本三舞台」のひとつといわれ、こちらも国重要文化財にも指定されているとのことです。境内が広すぎて、まだまだ記すべき境内社や境外社が数多くあるので、今回はこれまで。(Link)住吉大社 第一本宮~第四本宮住吉大社 式内 大海神社 と 境内社住吉大社 式内境外社 生根神社と大歳社御朱印 close

摂津国一ノ宮 住吉大社 第一本宮~第四本宮
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タグ 神社
投稿日時 2020-02-24 01:20:05

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