「海幸彦と山幸彦の神話」で語られる、西野神社主祭神・豊玉姫命の詳細

「海幸彦と山幸彦の神話」で語られる、西野神社主祭神・豊玉姫命
西野神社 社務日誌
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記事タイトル 「海幸彦と山幸彦の神話」で語られる、西野神社主祭神・豊玉姫命
概要

当社の御本殿でお祀りしている神様は、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)様、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)様、譽田別命(ホンダワケノミコト)様の、 三柱の神様です。 これらの神様のうち、西野神社の主祭神でもある「豊玉姫命」という御名の女神様については、平成17年10月23日…… more 付の記事や平成26年4月17日付の記事など過去の記事でも何度か解説させて頂きましたが、いずれもかなり昔の記事であるため、今回は改めて豊玉姫命様について、記紀(古事記や日本書紀)に於いて語られている神話を紐解きながら説明させて頂こうと思います。 豊玉姫命様は、元々は、父である大綿津見神(オオワタツミノカミ)様や、妹である玉依毘売命(タマヨリヒメノミコト)様と共に、海中の宮殿(所謂、龍宮城)で暮らしておられた国津神です。 「国津神」とは、元から地上の世界(海中も含みます)におられた神様の事で、一方、天上の世界である高天原におられる神様、もしくはその高天原から地上に降臨された神様や、その直系の御子孫に当たる神様は「天津神」といいます。 必ずしも常にそうであるとは限らないのですが、「天津神のほうがより尊い神様」という基準・価値観から、序列としては一応「天津神>国津神」という上下関係があり、記紀などの神話で語られている豊玉姫命様に纏わるエピソード、所謂「海幸彦と山幸彦の神話」は、その天津神と国津神の交誼の物語であり、詳しくは後述しますが、山の霊力と海の霊力とが合体するという事に大きな意味がある物語でもあります。今回の記事では、その「海幸彦と山幸彦の神話」を改めて詳しく紹介致します。   遙かな昔の神代、地上の世界に、山幸彦(ヤマサチヒコ)様と海幸彦(ウミサチヒコ)様という、兄弟の神様が暮らしておりました。この兄弟の神様はどちらも地上で生活されていた神様ではありますが、高天原から降臨された神様の直系(邇邇芸命の御子)に当るため、天津神に分類される神様です。山幸彦様は弟で、その名の通り山の神様であり、一方、海幸彦様は兄で、その名の通り海の神様でもありました。 ちなみに、「山幸彦」「海幸彦」という御神名はどちらも通称で、正式には、この神話に於ける事実上の主人公ともいえる山幸彦様は古事記では「火遠理命」、日本書紀では「彦火火出見尊」という御名であり、兄である海幸彦様は、古事記では「火照命」、日本書紀では「火闌降命」という御名なのですが、ここでは一般的に定着している「山幸彦」「海幸彦」という通称で話を進めさせて頂きます。 山で獣を狩る事を得意としていた山幸彦様は、ある時、たまにはいつもとは違った事をしようと思い立って海で釣りをする事にし、兄の海幸彦様から大切な釣り針を貸して貰うのですが、山幸彦様は釣りをしている最中、うっかりその釣り針を失くしてしまいました。いくら釣り針を探しても見つからず、そのため山幸彦様は海幸彦様に謝って代用の釣り針を沢山用意するのですが、海幸彦様はそれを受け取らず、あくまでも元の釣り針を探し出して返すようにと山幸彦様を責めました。困り果てた山幸彦様が海辺に立っていると、海路と潮流を司る神様である塩椎神(シオツチノカミ)様が現れ、山幸彦様は塩椎神様に事情を話しました。すると塩椎神様は、「海神・大綿津見神の宮殿へ行きなさい。大綿津見神の娘が相談にのるであろう」と言われ、山幸彦様はその助言に従って、塩椎神様が用意して下さった小舟に乗り、海中にある海の国へと向いました。 海の国には海の宮があり、そのお宮には前述のように、豊玉姫命様という美しい女神様(西野神社の主祭神)が、父である大綿津見神様と共に住んでおられました。 豊玉姫命様は、海のお宮の前に立つ木のほとりで山幸彦様と出会い、山幸彦様の素晴らしい姿に一目で魅せられて直ぐに大綿津見神様に報告し、山幸彦様もまた豊玉姫命様に惹かれ、こうして山幸彦様は海の宮へと迎え入れられました。豊玉姫命様にとって山幸彦様は、異世界から海中へと降臨された尊い男神と映った事でしょう。 こうして豊玉姫命様と直ぐに夫婦になった山幸彦様は、海の宮で大変な歓待を受けて、楽しく幸せに暮らしました。 ちなみにこのエピソードは、浦島太郎が龍宮城へ招かれてそこで乙姫様から手厚い歓待を受ける、という広く世に知られている浦島太郎の民話とほぼ全く同じである事から、「あれ?これって浦島太郎のパクリ?」とたまに誤解する方がおられますが、浦島太郎のお話が今の形になったのは「御伽草子」以降であり、その御伽草子が成立したのは早くても鎌倉時代末期以降であるため、実際には「海幸彦と山幸彦の神話」のほうがずっと先に成立しており(この神話が記された記紀が成立したのは奈良時代)、むしろ、山幸彦様と豊玉姫命様のこのエピソードのほうが浦島太郎のお話の原形に当たり、乙姫様のモデルは豊玉姫命様であった、と考えられます。   兎も角、こうして山幸彦様は豊玉姫命様と共に海の宮で幸せに暮らすのですが、結婚から凡そ3年が経った頃、山幸彦様は、次第に望郷の念が強くなってきた事や、失くした海幸彦様の釣り針が海の世界で見つかった事(大綿津見神様が魚たちを呼び寄せて釣り針の所在を尋ねたところ、一匹の鯛の喉にその釣り針が引っかかっていた事が分りました)などから、豊玉姫命様を海の宮に残して単身で地上へと帰られました。 平成24年10月22日付の記事では、西野神社拝殿の南側内壁に掲げられている「西野神社由緒彫刻額」を紹介しましたが、その彫刻額の右側に再現されているのがこの場面(下の写真)で、山幸彦様が、ワニの背中に乗って、海の宮から地上へとお帰りになっていく様子が彫刻されています。この彫刻での山幸彦様は右手に箱を持っていますが、その箱の中には、大綿津見神様から授かった呪宝が入っており、恐らくはここに、見つかった海幸彦様の釣り針も入っていると思われます。ちなみに、山幸彦様がお乗りになったものについては、ワニ、サメ、龍などの諸説があります。   地上へと帰られた山幸彦様は、早速海幸彦様に釣り針を返しますが、海幸彦様は釣り針を失くした事をいつまでも許そうとしなかったため、兄弟は対立するようにりなります。しかし、山幸彦様は海の宮から譲り受けた呪宝の力によって海幸彦様との争いに勝利し、降参した兄・海幸彦様を従わせて地上の世界を統治するようになりました。 一方、海の国へと残された豊玉姫命様も、間もなくして地上の世界へと来られ、夫・山幸彦様に、「私はあなたの御子を身ごもり、臨月を迎えました。しかし、尊い天津神の御子を海原で生むわけにはまいりません。そこで、こちらへと出向いてまいりました」と言い、身籠もった山幸彦様の御子を地上の世界で出産しますという事を告げました。 山幸彦様と豊玉姫命様の御夫婦は、出産に備えて、鵜(う)の羽を集めそれを葺草(かや)の代わりにして、海辺に産屋(出産をするための仮小屋)を作り始めますが、まだ屋根を葺き終わらないうちに豊玉姫命様が産気付きます。そして豊玉姫命様は、「異郷の者は、子を生む時には本来の姿に戻ります。お願いですから、決して中を覗かないで下さい」と山幸彦様に言ってから、産屋にこもりました。 下の写真は、前出の「西野神社由緒彫刻額」の左側に再現されているその一場面で、これは、豊玉姫命様が御自分で産屋の屋根を葺いている様子です。   ところが、産屋の中の様子が気になった山幸彦様は、好奇心に勝つ事が出来ず、中をこっそり覗いてしまいます。すると、出産中の豊玉姫命様は、大きなワニ(もしくはサメ、龍)と化してのたうっており、驚いた山幸彦様は思わずその場から逃げてしまいました。 正体を見られた豊玉姫命様はこれを大変恥じて、「もう以前のように海と陸とを自由に往来して親しむ事は出来ません」と言い残し、生んだ御子も地上に残し て、海坂(陸と海の境)を塞いで海の宮へと帰ってしまわれました。 この時、豊玉姫命様がお生みになって山幸彦様のもとに残された御子が、豊玉姫命様と共に当社のもう一柱の御祭神である、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)様です。 ちなみに、「鵜草葺不合命」という御名は略称で、古事記に於けるこの神様の正式な御神名は「天津日高日子波限建鵜草葺不合命」(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)といい、これは意訳すると、「渚に鵜の羽毛を葺き合わないうちにお生まれになった、勇ましい天孫の御子」となります。つまり、産屋の屋根に鵜の羽を葺き終わらないうちにお生まれになったという誕生時の様子から、「鵜草葺不合命」という御神名になったのです。 なお、外国の神話や民話などに於いても、妻が「見ないで」と言ったにも拘らず夫がその禁を破って覗き見てしまった事で二人の関係が破局する、というお話は時々見受けられ、日本の神話では、この豊玉姫命様の御出産のエピソードの他に、伊邪那岐命(イザナギノミコト)様と伊邪那美命(イザナミノミコト)様の黄泉国でのエピソードもそれに当たりますし、民話では、「鶴の恩返し」「雪女」「ヘビ女房」などのエピソードがそれに当たります。 山幸彦様と豊玉姫命様の場合は、妻が正体を見られ海の国へと帰った後も、夫婦は恋歌を交わし、妻(豊玉姫命様)は子(鵜草葺不合命様)の養育のため夫(山幸彦様)の元に妹(玉依姫命様)を乳母として派遣するなど、その後も夫婦の友好関係が持続している、という特徴があります。 ちなみに、日本書紀の一書(日本書紀の本文ではありません)には、異伝として、豊玉姫命様は鵜草葺不合命様をお生みになった後、我が子を渚に置き去りにする訳にはいかないからと、自分で抱いて海の世界へと帰り、長らくして後に、「天孫の御子を海の中においてはいけない」と言って、妹である玉依姫命様に抱かせて山幸彦様のもとへと送り返されたとも記されています。   このように、元々は地上と海中というそれぞれ異なる世界をテリトリーとしていたため本来は出会うはずのなかった、山の神様である山幸彦様と、海の神様である豊玉姫命様は、運命の赤い糸に導かれるように海の世界で劇的な出会いをされ、お互いに一目惚れをして結婚し、そして豊玉姫命様は、比較的軽いお産(産屋の屋根も葺き終わらないうちに産気付きました)で尊い御子を授かりました。 そして、立派に成長した鵜草葺不合命は、後に、乳母であり叔母でもある玉依姫命様と結婚をされ、玉依姫命様との間に、五瀬命(イツセノミコトと)、稲氷命(イナヒノミコト)、御毛沼命(ミケヌノミコト)、神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイワレビコノミコト)の4柱の御子をもうけました。 その4柱の御子の末子、神倭伊波礼琵古命が、のちに橿原の地で初代天皇・神武天皇として即位され、その尊い血統は現在の皇室に繋がっております。 つまり山幸彦様と豊玉姫命様の結婚は、単に男女の神同士が結婚したという話ではなく、天津神と国津神が結婚したという事、山の神様と海の神様が結ばれたという事であり、山の霊力と海の霊力との合体によって鵜草葺不合命様が誕生した事を意味しており、それは、天皇の祖先が海も山も支配し、名実共に地上世界の統治者となった事を象徴しているのです。 ちなみに、鵜草葺不合命様が叔母と結婚をして子供までもうけたというのは、現在の日本人の感覚からはかなりの違和感を感じてしまいますが、記紀が編纂された当時(古代)の日本では、近親婚は然程のタブーではありませんでした。 さすがに当時でも、親子同士や、母を同じくする兄弟姉妹との恋愛・結婚は認められていませんでしたが、母親が異なれば兄弟姉妹に対する恋愛も概ね自由で、第40代・天武天皇が、同母兄である第38代・天智天皇の皇女(後の第41代・持統天皇)を皇后とされたように、伯父と姪の結婚なども然程珍しい事ではなかったようです。 記紀で詳細に語られている、豊玉姫命様に纏わるこの「海幸彦と山幸彦の神話」でのエピソード、つまり、この大変お目出度く意義深い出会い・結婚・出産から、西野神社の神様、特に豊玉姫命様は、縁結びや安産に大きな御神徳(所謂、御利益)があると云われているのです。 ちなみに、西野神社の神様のもうひとつの代表的な御神徳として知られている勝運上昇は、豊玉姫命様と鵜草葺不合命様に次ぐ三柱目の西野神社御祭神である譽田別命(ホンダワケノミコト)様の代表的な御神徳とされています。   ところで、豊玉姫命様やその御子である鵜草葺不合命様をお祀りする神社は、当然、当社以外にも全国各地にあります。 ただ、邇邇芸命様が高天原から地上へと天降って来られてから鵜草葺不合命様に至るまで(邇邇芸命様 → 山幸彦様 → 鵜草葺不合命様の3代)の伝承は、主に日向(現在の宮崎県)を舞台としていて「日向三代」とも呼ばれている事から、必ずしもそうとは限らないものの大凡の傾向として、豊玉姫命や鵜草葺不合命様をお祀りしている神社は九州をはじめとした西日本に多い傾向が見られます。 北海道では、もしかしたらあるのかもしれませんが少なくとも私が直接見聞きしている範囲に於いては、当社以外に豊玉姫命様や鵜草葺不合命様を御祭神として本殿でお祀りしている神社は、まだ聞いた事がありません。 札幌の市内や近郊に鎮座する各神社の御祭神については平成27年7月22日付の記事でまとめましたが、これらの中でも、豊玉姫命様や鵜草葺不合命様をお祀りしている神社は、やはり西野神社1社だけでした。 ちなみに、主に佐賀県が多いようですが九州の北部には、「與止日女神社」や「淀姫神社」という名の神社が複数あり(読み方はどちらも「よどひめじんじゃ」)、これらの神社で主祭神としてお祀りされている女神様(與止日女命、与止日女命、淀姫神)は、記紀にはその御名が登場しない謎の多い神様でもあるのですが、この神様の正体は、豊玉姫命様であるという説や、神功皇后の妹である、などという説もあります。   文責:西野神社権禰宜 田頭 close

「海幸彦と山幸彦の神話」で語られる、西野神社主祭神・豊玉姫命
サイト名 西野神社 社務日誌
タグ 神社
投稿日時 2020-10-27 16:00:07

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