雪の山寺の詳細

雪の山寺
秩父・仙台まほろばの道
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記事タイトル 雪の山寺
概要

毎年、年末になると山形へ行きたくなります。 主人と二人でのほほ~ん、山寺へ。 一昨年は、若松寺(天童) 昨年は、赤湯。 今年は、山寺。 私は冬の山寺が一番好きなんです~。 まっ白い風景もなかなか良い。 が、寒すぎて口が開かない。 無言の行脚。。。 しかも凍…… more っているから、降りてくる人は、つるつる滑って転ぶ。 帰りのテンション下がる。 松尾芭蕉も白い。 「さむいね~」 「静かさや 岩にしみいる 蝉の声」の石碑。黒ネコが歩いてきた。。。 いつものように、山寺を開山した猿について妄想したいところだけど、 難しいね~。 山寺は何度も訪れてますが、霊の世界だな、とつくづく思う。 なんだか、他の山岳宗教とは独特な感じがします。 例えば、奥の院ですが、「ムカサリ絵馬」というのがあり、 それをたくさん奉納しています。 ちょっと怖いけどね。 今は、奥の院は閉山してますが。 こういう生と死への考え方が、独特だと思うのです。 これは日本が発祥なのか、他の国からもたらされた発想なのか…。 雲南省のトンパ文字を残した文化でも、 若い男女が結ばれないと心中するそうです。 あの世へ行けば結ばれると信じているので、若い男女が自殺するそうです。 中国の漢民族の侵入による政略結婚もあり、 以前の自由な婚姻ができなくなった背景があると言われる。 昔の日本の結婚もそれで、親が決め、家系で結ばれるものなので、 恋愛結婚はまずご法度でした。 もっと古い時代は自由だったのですが、藤原氏の摂関政治によってから、 家族構成が変わって行きます。 村でおさめていた一つの集団から、家という核家族への「個」へうつる。 そうなると、自分たちの家系が重要になってきます。 それが、イエスキリストの転換期だったと言えるでしょう。 隣人を愛せよ、というのは、「個」がないとできません。 貴族同志の婚姻だけではなく、地方豪族との婚姻を結ぶことにより、 権力を誇示するようになります。 血縁を絶やさないための目的もあり、領土拡大の意味もあって、 互いに自由な恋愛結婚というのが、難しくなってきた時代でした。 最近までそうだったと思います。 ムカサリという風習-------------------------------------- ムカサリ絵馬とは、山形県に伝わる風習で、結婚前に亡くなってしまった人に向けて、 せめて婚儀だけは挙げさせたいという親の思いから、 絵馬に婚礼の様子を描いて寺に奉納するものである。 なお、婚礼の絵馬には、故人の戒名と享年が入る。 藤沢版ムカサリは、この風習に「ただし、一つ決め事がある。 絵馬に描く婚礼相手にまだ生きてる人間を描いてはいけない。 婚礼の行列が迎えに来てしまう」という設定を付け足している。 ムサカリは誤記。ムカサリは「迎えられ」からくる結婚の方言。 嫁に迎えて去ることからこう呼ばれる。 事故や事件、病気などで子供を失った親が絵や写真で架空の人物との 婚儀の様子を描き、寺に奉納することで、故人の成仏や死後の幸せを祈る。 (Wikipedia) 私はこの絵馬を、遠野博物館で見た事がありました。 山形県の「村山地方のみ」で行われているというのが不思議です。 奥の院は、如法堂という。 慈覚大師が中国で持ち歩いていたとされる釈迦如来と 多宝如来の両尊を御本尊とする如法堂は、参道の終点にあるので 「奥之院」と呼ばれています。(写真) おそらく、このあたりにムサカリが風習となったのは、 山形県東村山郡に、岩谷十八夜観音堂があります。 ここではオナカマという巫女がいまして、仏降ろしの口寄せといわれます。 その時につかった巫女の道具などが奉納されています。 無念な若い死をとげた人たちの、オナカマがいたことが盛んだった為、 死者との対話を試みながら、あの世への成仏を行っていた場所だったと思われます。 ※オナカマという巫女 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/939d27418b47dbe0fe6c2d6ca9fb23d0 奥の院には、三重塔の額が奉納されています。 仏教の祖である釈迦の舎利(遺骨)をおさめる仏塔の形式の一種。 ------------------------------------------------------- ということで、山寺は安らかな死を迎えることができなかった 霊も慰める所なので、独特な黄泉国だな、と感じます。 この時の山寺は、年末は忙しいので、新年のお飾りの準備をしている状況。 観光客もまばら。でも、外国人観光客が多かったです。 今年は介護の年だったし、喪中の時期もあり、 今も義父を介護中ですが、喪に服す意味で、 私にとって今年の山寺はとても深い時間が流れていました。 山形県は、東北地方の中でも独特な風習があります。 日本海の中でも一番、山形県が平穏な場所だと感じます。 このような風習のおかげでもありますし、出羽三山があるからか、とても信仰が深い。 太平洋側はトラウマが多すぎて、重たい。(関東も) 何となく、山形に来ると軽くなる感じがします。(もちろん個人差ありますけど) 猿麻呂と小野氏・春日氏-------------------------------------------------- 入口に入ると、姥堂がありますが、 ここから上が極楽という浄土口で、そばの岩清水で心身を清め、 新しい着物に着かえて極楽の登り、古い衣服は堂内の奪衣婆に奉納する。 今は階段で登れますが、昔は、階段がなかったので山道を登ってました。 山寺は、洞窟ばかりの世界です。 こんな所で修行なんぞしたら、いくら慣れとはいえ、最初は孤独感との戦い だったのではないかな。 ところで、こんな霊場を誰が作ったのだろう? 伝説では、貞観2年(860)清和天皇の勅願のよって慈覚大師が開いた 天台宗の山といわれる。 しかし、もうひとつ「猿麻呂」の伝承がある。 山寺に狩猟をしていた人がいたので、慈覚大師が霊場として この場所を譲ってほしいと頼んだ。 その代わり、宮城県側の秋保や蕃山がある一帯を自由に狩りをしてよいと。 猿とよばれた兄弟の話なのですが、山寺に住んでいた猿とは、 狩猟をしていた民で、北関東に伝わる戦場ヶ原の、 日光男体山(栃木県)の蛇に味方した猿のことである。 その猿の子孫が石巻にいた伝承もあり、それが小野氏か春日氏のことであろう、と。 山寺の三大祭りというのがあり、この地を支配していた 磐司・磐三郎と大石の上で対面し、仏道を広める根拠地を求めたと伝えられる。 「獅子踊り」は、磐司が狩人をやめたことを喜んだ動物達の喜びの舞だという。 ※「旅ぐるたび」より。 マタギのような弓が上手で狩りをしていた人に助けを求める話は、 近江三上山(大津小野村)の俵藤太秀郷のムカデ退治にもあります。 大津小野村といったら、琵琶湖がある滋賀県。 小野姓が宮城県に多い理由は、ここにある。 ウカノミタマを祀る石巻の旭山は、小野の郷でもあり、牧山もあります。 また、桃太郎神社もあるので、吉備国の先祖がやってきた証拠でもある。 それが山寺にいた磐司に繋がる。 その小野郷は、支倉常長の地名由来、支倉も小野郷の一部だった。 ムカデ退治の俵藤太は、藤原秀郷のことである。 藤原秀郷は、平安時代中期の貴族・武将。下野大掾藤原村雄の子と。 平将門をたおしている人。 この人は武蔵守となっている。 猿「マロ」というのは、坂上田村麻呂も「マロ」ですが、 マロとつけるのは、丸子氏や丸とつける氏族がルーツにあるようです。 それが和邇氏という人?にあたる。 和邇が、ワニとよむため、爬虫類とされているので、 トヨウケオオカミと重ねられる。 他に、「和邇」とは、「古代の船」の意味をもつ言葉ではないか?という説がある。 戦場ヶ原は、かつて湖でした。 1万年以上も前に、噴火によってできた湖でしたが、今は湿原となっている。 戦場ヶ原の戦いは、ケヌ国の中心としてあり、 上野国、下野国、に分かれていた。 古事記の編纂時代より前の話らしく、かなり古い伝説。 もし、この頃まで湖として形成されていたなら、 湖に多く生息していた貝類などの資源争いがあったと考えられる。 琵琶湖にいた人たちが戦場ヶ原の湖(もしくは中禅寺湖)の資源を求めて、 開拓していたのを、別の氏族により湖を奪われた話に。 それが和邇氏に関係し、蛇信仰の産鉄族(おそらく出雲や三輪など) に味方した猿=和邇氏がいたと。 後だったか前だったかわかりませんが、石巻に上陸したと考えられます。 鳥海山も丸子氏が関係している。 来年は酉年ですが、丸子氏は鳥を敬う(鳥海山)ので、 鳥を食べないというタブーがあります。 来年は、鳥海山の年でもありますね。 鳥海山のある遊佐町には、「丸子親王」の伝説があり、 月山も含め開拓した人といわれる。 それが藤のマークの家紋をもつヤタガラスで、稲を神としている。 丸子親王の系統には、2つあり、大伴氏と武蔵江戸氏流がある。 おそらく、山寺には江戸山王大権現日枝神社を祀っているので、 この神社は新しいものですが、子孫が、 武蔵江戸氏流の丸子氏だったと考えられます。 そうすると、山寺に最初にいた猿麻呂とは、武蔵の和邇氏となる。 それが小野氏と春日氏となったわけです。 日枝神社は山王祭りがあるように、山王信仰がある。 というと、これも近江をルーツとする日吉神社も同じように山王だ。 小野氏か春日氏の先祖は滋賀県の近江国によるのだろう。 猿だから、猿田彦の何か?かと思ってしまいますが、 猿は、猿女のサルメの方かもしれない。 朝廷の祭祀に関わっていた氏族のことですが、岩場で修行をするのは 男性と決まっているわけではない。 お籠りをしていた岩場もありそうなので、この世を「去る」意味から、 猿麻呂とは、これまたユダヤっぽい雰囲気もあるような~。 ※平安時代の岩仏 また伝説の世界では、磐司と磐三郎と兄弟で記す伝説の典型は、インディアンの部族がそうです。 インディアンの部族では、創世したのは兄弟であると。 日本では、姉と妹の山神伝説になります。 イエスが二人いる=兄弟がいた。にも似ています。 天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)という人が小野氏、 春日氏の先祖という。 この方を祀っている神社は、「猪上神社」で「いがみじんじゃ」とよぶ。 おがみ神社から、いがみに転じたそうですが、なぜ、猪なのか? そういえば、物部氏の中に「荒猪」といわれている人がいた。 蘇我氏と物部氏の神道と仏教の話が、山寺にも関わっていそう~。 この猪上神社の場所は、二ギハヤヒが降臨した奈良県生駒郡である。 ナガスネヒコだね~。 駒だね~。高句麗だね~。 生駒山はナガスネヒコと神武天皇の激戦地といわれる山。 繋がるよね~。 和邇氏は、太陽信仰をしていた一族である。 まさに、トヨを思う卑弥呼なんだよなあ。 猿は、そのような太陽神を崇めていた女首長の狩猟の民の長だとし、 仏教によって帰依したという話は、鳥海山の手長・足長と同じである。 ※胎内堂 海にいた安曇氏などの海民が、山に住むようになって海と山のそれぞれの氏族が 融合した場所に、大山津見神社を祀るように思う。 例えば、福島県・宮城県堺の鹿狼山は、手長足長を祀っています。 貝塚の話がありますが、元々は海の民でした。 その人たちが山民になった為、鹿と狼という描写になるのか、と。 海幸彦・山幸彦の伝承のことも。 なので、猿麻呂に2人の兄弟を記して、磐司・磐三郎とするのは、 ワタツミとヤマツミの2人のことを示す意図もあり、 ネイティブの世界では、男性の兄弟2人が創世した話、 イエスキリストと繋げるならば、イエスには兄弟がいたので、 その子孫が、代々、日本へ来て伝えている話なのか、と思います。 ジオラマ風にとると、仙山線の山寺駅がおもちゃみたいだ。 -------------------------------------------------- 私は、山寺の参道入口の姥神が好きなんです。 山姥などの大地母神は、厳しいけど優しいから好きです。 3体の姥がおりまして、中には死人みたいな怖い顔をしてますけど。 猿女は、歌や踊りをしていたアーティスト集団だと思っています。 髪を振り乱して、目がいっちゃってるような祈祷ではなくっ。 そんなのは、どうかしてる。 もっと楽しい祈りです。笑いがこみあげてくるような。 だから神楽と言いますよね。 神が楽しいと思うことは、自分が楽しいことと同じです。 神は内にあるのだから。 それが本物の巫女です。 ただ、オナカマのような仏降ろしだと、人間を対にするので重くなりますけど。 目に見えない精霊や自身の内へ入ると、本来は、もっと軽く楽しいものです。 現実が厳しいと、それも難しいけどね~…。 山寺はしんみりしてますが、楽しい場所だったのですよ~。 なので、1000年以上も前、もっと2000年以上前となると、 すごく軽くて明るくて歌ばっかりうたっていたイメージがあります。 時代が断つにつれて、人の考え方、生き方も変わってくると、 恐怖や不安、病気といった重たいものに翻弄される。 今の時代がとても重いのは、仕方ないと思う。 でも、昔はもっと軽く楽しい世界だったのです。 ということで、今年は介護を通じて、人の生死を体験した学びの年でした。 自分の最期は、どんな感じだろうと思う今日この頃。 人は死ぬために生きるとは、本当にその通りで。 何を食べても一緒だというのもわかった。 健康食や栄養管理なんて、何の役に立たない。 その人の体質によるから、自分の体しか何が良いかなんてわからない。 ※日本一古い石塔(清和天皇) 来年は酉なので、ますます飛躍する東北行脚になりそうです! ですが、情報が入るにも出るにも、日々、高速になっているようです。 追いつかない状態でして、まだまだ、そのままにしている内容のものが、 いくつかあるのですが、更新できない状態が増えるとは。 天童 山形蔵王 過去の記事をみると、全然、書いてないのにね。 本当に必要だと思う内容しかお伝えできないのが、残念。 この道のようにまっすぐ、私は私で、これからも東北を行脚します。 来年もよろしくお願いします。 close

雪の山寺
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ お寺 東北地方の伝説(南東北)
投稿日時 2017-01-13 11:59:05

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