祭祀遺跡の石都々古別神社の詳細

祭祀遺跡の石都々古別神社
秩父・仙台まほろばの道
ページの情報
記事タイトル 祭祀遺跡の石都々古別神社
概要

天栄村から石川町へ向かい、目指すはツツコ! 一番、ここに寄りたかった。 なぜなら、巨石がいっぱい~♪ 後で知ったのですが、「いわつつこわけ」神社のツツコの由来が、 ツトコである説があった。 お盆前に、ツトコの話をしていたのですが、 霊を降ろすのに巨石が必要だったのが、この神社へ来…… more てわかりました。 都々古和気神社は、他に2社(馬場と八槻)あり、奥国一ノ宮とされる。 今回行った「石」がつく「いわつつこ」ですが、 他の2社と同一の神を祀っていますが、巨石がたくさんある不思議な神社です。 マップで設定した場所が本宮だった為、 かなり上の方まで狭い道を車で上がってしまいました。 下の方に駐車場があるので、参道を階段でのぼっていくのが普通なのですが。 私は行く前に、迷うと嫌なのでgooglemapで場所を確認しておきます。 でも、現地へ行ってから設定すると、興奮してるのか、集中力に欠けるのか、 違う場所を設定していることに気づけない・・・。 でも、そんな時に限って? 宮司さんとタイミングよく会ってしまうのです。 今回も、私たちが車を止めて降りたら、すぐ軽トラで豪快に入ってくる車が。 その車は本宮の方まで入っていったので、関係者かなあ、と思いきや、 車の横に立っていたのが宮司さん。(軽トラなんだ・・・) で、お互いに挨拶をかわすことに。 ラッキーなことに参拝者は、私たちだけでした。 たぶん、ほとんどの人は、都々古和気神社に行くのでしょう。 しかも、止めた場所は、「鏡岩」のある場所でした。 もし、下に停めていたら鏡岩には気づかなかったと思うのです。 ご祀神は、アジスキタカヒコネ(待ってました!) アジさんの本殿はかっこえ~。 神社に関してうる覚えだったので、一応、宮司さんに磐鞍などの祭祀場は本殿の裏手の山? にあった気がしたのですが、訊ねてみましたが、この裏はないらしい。 下の方に下りていくと磐鞍がたくさんあるので、見ごたえありますと。 その後、宮司さんに「ご朱印帳はもっていますか?」と聞かれました。 最初、何のことだろう?と思ったのですが、 最近、ご朱印を集めるのがブームなんですね。 私は、今まで数々の神社にたちよってきたので、今さら集める気は…。 ご朱印を集める目的の神社巡りも楽しそ~。 秩父の札所観音霊場を巡ろうとご朱印帳を買った時がありましたが 全然、たまってないし。 こういうスタンプ集め(御朱印はスタンプじゃないけど)が向いてない…。 ------------------------------------------------------ 石都々古別神社の由緒(看板より) ご祀神 味鋤高彦根命(アジスキタカヒコネ) (本土創造、農工業の神) 大国主命(商売、成就神) 誉田別命(戦、武軍神) 延喜式内社のひとつに数えられる古社で、古くから山岳信仰の聖地として 多くの方々に信仰崇敬されてきた。 また、全国的にも数少ない祭祀遺跡の跡地として考古学的にも大変重要な遺跡と 言われている。 約1万年前から信仰されており、多くの磐境(いわさか)が山々に点在し、 屏風岩、船形岩、亀石、天狗石、石門(鳥居)、さらには三種の神器といわれる剣(剣石) 玉(勾玉岩)、鏡岩等がある。 古代、この地において多くの土着民が集まり、自然崇拝や太占(ふとまに)、 深湯(くがたち)等の神事が行われ、1年間の吉凶や物事の神意を占ったとされる。 京都の住人、福田安芸源有光(ふくだあきのかみみなもとのありみつ)が、 1051年奥州の安倍一族追討の軍に加わり(前九年の役)多大な功績をあげ、 その後、天皇の命により、八幡太郎源義家の代官となり、この地を賜った。 1063年のこの地に移り、名も石川有光となり、さらに1066年守護神である 京都石清水八幡宮の御分霊(大国主命、誉田別命)を頂き、当石都々古神社に合祀した。 この日が、旧9月19日であり、この時よりこの日を祭日と定め、 ご神体を納めた神輿が氏子等の手により、 山頂神社よりふもと馬場町御仮屋にお下がりになり、奉納行事や流鏑馬などが行われていた。 (以下省略) この場所は、昔から湿地帯だったので、無数の芦(あし)が生えていたそうです。 石川家は、527年もこの地を支配し、神域は中世の山城としても遺跡に指定されていた との事で、石川城跡があるんですね。 本殿裏に、剣石があります。 共に?祀られているのが、諏訪神でした。 なんだか納得。 ※多賀神社も。 前回の龍ヶ塚古墳に関係する天津彦根命の話がありました。 神功皇后の朝廷に仕えた人と伝わりますが、この神社に祀られている誉田別命(ほんだわけ) とは、応神天皇のことで八幡神のこと。誉田別命は神功皇后の母にあたる。 ※祖霊社 なぜ、諏訪神なのかは、仙台の愛子を思い出しました。 愛子に諏訪神社がありますが、お祀りしているのが、本来、住吉三神。 龍ヶ塚古墳の祠も住吉神の后神の説があるのは、熊襲征伐があった神功皇后が関係している。 ということで、ツツコも龍ヶ塚古墳の主と関係している。 エミシや熊襲、隼人という人たちは、土蜘蛛ともいわれ、 蝦夷穴のように、岩や洞窟などに住んでいたといわれます。(山民でもあり) 先住民=豪族(土着した)だったわけです。 その後、八幡神(ユダヤ教)が入り、神道と融合したのだと思います。 オリエンタルユダヤ人というのがいます。 白人ではなくアジアのユダヤ人。 これが元祖日本人ユダヤだといわれます。 その人たちが日本に戻り、神道と結びつき、自然崇拝をそのまま維持したと思います。 なので、諏訪神があるのですね。諏訪神も相当古い古代祭祀(御柱)をもっているので、 その諏訪神を崇拝している感じを受けます。 なので、ここは諏訪神が重要な気がしましたが、 石というのは、木の信仰より新しいか、と。 木の依代であった御柱から、巨石の岩に依代とした民の時代が到来。 ここで巨石の写真を。 屏風岩が全然見えませんが、下の写真がそうだと思います。 諏訪にいた人たちは先住民だったのですが、諏訪大社が征服されたような話に ツツコの由来が似ています。 その征伐をした女神として、陸奥では軍神=神功皇后という話は多い。 神功皇后は、妊娠してから朝鮮半島に出向いた時、出産を遅らせるために、 美しい石を腰につけて出産を遅らせるように祈ったところ、 筑紫国に帰国してから出産できるほど遅らせることが出来た。 という伝承がある。 石=妊娠というのは、秋田物部氏降臨地の唐松神社の天日宮と同じ伝承。 唐松神社も神功皇后の腹帯が祀られている話がある。 たくさんの岩の名前がつく神社で面白いですが、 今は木々が生い茂る参道になっているので、晩秋の葉が落ちる頃に参拝した方が 磐鞍がよく見られると思います。 黒曜石の神?------------------------------------------------------- アジスキタカヒコネの実態は人物かどうかわかりません。 アイヌ語説ですと、アジは黒曜石の意味がある。 スキは鋤の道具があるように、土を掘るという意味らしい。 アジスキタカヒコネを翻訳すると、「黒曜石を生み出す高貴な男神」 と言った意味なんだろう。 ※黒曜石 ただ、日本では黒曜石を鏡として用いた痕跡はまだ見つかっていませんが。 何の目的で必要だったかは謎が多い。 黒曜石は黒い石なので、アジさんが祀られている埼玉の横穴古墳は黒岩遺跡という。 黒=アジさんのイメージがあります。 「黒曜石3万年の旅:堤隆」著の本には、黒曜石の交易が旧石器時代~縄文時代に 既に行われており、その中心が信州の諏訪地方であった事が記されていた。 「~黒曜石の謎が浮かんできました。 それは黒曜石分析の結果、和田峠でも麦草峠でも神津島でもなく、 日本中どこの黒曜石産地とも成分が一致しない謎の原産地の黒曜石がたくさん みつかったことです。 この黒曜石は京都大学原子炉実験所の藁科哲男先生によって"NK産地"と仮に名付けられ、 その場所をつきとめるための調査が八ヶ岳旧石器研究グループによりなされています。 沼津高専の望月明彦先生の分析によるとNK産の黒曜石は 最近静岡県沼津市の遺跡からも数点みつかっているということです。 ただ、その分布量からすると野辺山周辺にかたよる傾向が顕著ですので、 予測的には八ヶ岳周辺に人知れず存在した産地の可能性があるものとみられます。」 ※黒曜石の謎より(画像:八ケ岳の黒曜石) http://www.avis.ne.jp/~tsutsumi/kokuyo/kokuyo.htm 八ヶ岳周辺に人知れず存在した産地・・・宇宙からやってきたんでは? 船のような形をした岩 --------------------------------------------------------- 味耜高彦根命(味鋤高彦根命)(アジスキタカヒコネ)=鴨家という話がある。 鴨大神とは、アジスキタカヒコネのことをさす。 そして一言主だという説も。 日本武尊は東征のおり、1000回戦い1000回勝ったといわれ、 八幡太郎義家は、社号を千勝明神と改め、現在は「ちかつさん」と呼ばれている。 なぜ諏訪神なのかは、チカツの神を崇拝している子孫がツツコを祀ったこともあるかも。 ですが、土蜘蛛とチカツとの関係はわかりません。 諏訪の大杉の神降ろしをしていた一族は、洩矢であり、守屋は後からきた人。 古代、治めていた人は、「矢」なのです。 屋根の「屋」は、天を意味しますが、矢は、狩猟の道具となる神器と考えられます。 ツツコの看板の説明にも、八幡太郎源義家の代官となった福田氏の話がありました。 これも、諏訪大神と同じような意図があっての国譲りだったのでしょう。 だから、ツツコは諏訪神と縁があったと思うのです。 さて、アジさんについては、また次回にして。 いろいろと妄想することはあるのですが、これでツツコは終わったと思っていました。 もう宇都宮へ帰ることしか考えていなかったのですが、 主人が茨城経由で帰ろうと言う。 ほ~、ちょっと茨城県に入れるのか。 私の予定では、このまま白河の方へ南下し栃木入りするつもりでいましたが、 茨城から栃木の道も、そんなに時間的に変わらないという。 ということで、まだツツコは続いていたのでした・・・。 close

祭祀遺跡の石都々古別神社
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ 洞窟・巨石探訪 神社
投稿日時 2017-08-17 02:00:02

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