後村上天皇陵〔河内長野市寺元〕 父帝の遺志を継いで戦い続けた「武闘派」天皇〈前編〉の詳細

後村上天皇陵〔河内長野市寺元〕 父帝の遺志を継いで戦い続けた「武闘派」天皇〈前編〉
IL PELLEGRINAGGIO 古社寺巡拝記
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記事タイトル 後村上天皇陵〔河内長野市寺元〕 父帝の遺志を継いで戦い続けた「武闘派」天皇〈前編〉
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 高野山真言宗遺跡本山観心寺。役行者によって開かれ、弘法大師が道場としたその古刹には参拝客の絶えることがない。その中にあって、訪れる人の稀な、ひっそりと静寂に包まれた場所がある。  金堂前の広場を右へ進み、諸堂を通り過ぎると、山上へと延びる石段が現れる。傍らの石標には「後村上天皇…… more 檜尾陵参道」とある。そう、この先に、第九十七代後村上天皇の眠る御陵があるのだ。 ◆後村上天皇陵 参道石段 檜尾陵 【ひのおのみささぎ】 所在地: 大阪府河内長野市寺元檜尾 管轄: 宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所 被葬者: 第九十七代後村上天皇 分類: 天皇陵 形態: 円丘 皇子 Il principe 義良【のりよし/のりなが】親王、のちの後村上天皇は嘉暦三年(1328)九月、後醍醐天皇の第七皇子として生まれた。母は右近衛中将藤原(阿野)公廉の娘廉子【やすこ/かどこ】。後醍醐の寵愛を一身に受けた女性。廉子が義良を懐妊した時に太陽を抱く夢を見たということを北畠親房が『神皇正統記』に記している(これは勿論、義良が天皇に即位してから書かれたもの)。  諱は初め憲良と書いたとされる(『南朝紹運録』)が、初名が憲良でのちに義良に改めたとするものもある。  鎌倉幕府が倒れ建武の新政が開始された元弘三年(1333)、後醍醐天皇は、日本全土を掌握するために皇子たちを各地に派遣した。この時僅か六歳の義良は奥州鎮撫の任に就くことになり、北畠親房・顕家父子を後見として同年十月多賀城に下向した。  翌建武元年(1334)五月には七歳で立親王。 叛旗 La rivolta 義良が奥州に滞在して二年を経た建武二年(1335)十一月、足利尊氏が鎌倉で後醍醐政権に叛旗を翻す。京都を目指して西上する尊氏を阻止すべく、同年十二月、北畠父子と義良は五万の兵とともに奥州を発った。  翌建武三年(1336)一月、足利義詮らの守る鎌倉を陥とした奥州軍は、驚異的な速度の行軍で京都へ向かい、新田義貞・楠木正成らと合流、連戦の末、尊氏を撃破し、九州へと追いやった。凱旋後の延元元年(1336)(二月に改元)三月、内裏において義良の元服の儀が行われるとともに、三品陸奥太守に叙任される。そして間もなく北畠顕家とともに奥州へと帰国した。親房は義良の補佐を息子に任せ、京都に留まった。  義良らが多賀城に帰り着いたのは五月だったが、その間に勢力を回復した足利軍が九州から東上。新田・楠木軍が摂津湊川でこれを迎え撃つが、楠木正成が命を落とし、新田義貞も大損害を蒙って退却、六月には尊氏が再び京都を制圧する。 関連記事(湊川の戦いと楠木正成の死) 湊川神社〔神戸市中央区多聞通〕悲劇の英雄楠木正成〈前編〉 湊川神社〔神戸市中央区多聞通〕悲劇の英雄楠木正成〈後編〉  八月、尊氏は光明天皇を新天皇に立て、和議に応じた後醍醐は廃帝となり、十月、幽閉先の花山院邸に入った。尊氏は十一月に建武式目を制定。新たな武家政権、すなわち室町幕府が実質的に成立する。  一方、後醍醐の覇権への執念は衰えてはいなかった。延元元年(1336)十二月、後醍醐は京都を密かに脱出して吉野に立て籠り、自らが正統な天皇であると宣言する。南北二つの朝廷が並立する南北朝時代の幕開けである。 流転 Le vicissitudine 延元二年(1337)一月、義良と北畠顕家は多賀城から伊達郡の霊山城に拠点を移している。その前後、京都を奪還すべく上洛せよとの後醍醐の綸旨が顕家の許に届いた。八月、十歳の義良は顕家に奉じられ、奥州各地から集められた十万を超える軍勢を引き連れて西上を開始する。  奥州軍は各地で足利勢を撃退しつつ十二月に鎌倉を制圧、翌延元三年(1338)一月には美濃で足利方を蹴散らしたものの、長期の行軍で疲弊が頂点に達していたため、このまま京都へ攻め入るのを諦め、吉野へ向かうべく伊勢に軍を転進させた。  二月、奈良般若坂で北朝軍と激突、大敗を喫した顕家は義良を吉野へ送り、自らは河内へ逃れた。  畿内各地で激戦を繰り広げた顕家だったが、延元三年(1338)五月、和泉石津で討ち死。享年二十一歳。兄のような存在だったであろう顕家の死を、十一歳の義良はどのように受け止めたのだろうか。 ◆後村上天皇陵 制札 close

後村上天皇陵〔河内長野市寺元〕 父帝の遺志を継いで戦い続けた「武闘派」天皇〈前編〉
サイト名 IL PELLEGRINAGGIO 古社寺巡拝記
タグ お寺 大阪府の陵墓
投稿日時 2017-09-14 02:01:01

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