裏の山寺:垂水鍾乳洞とマタギの詳細

裏の山寺:垂水鍾乳洞とマタギ
秩父・仙台まほろばの道
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記事タイトル 裏の山寺:垂水鍾乳洞とマタギ
概要

この場所へは何度か来ています。 洞窟はいろいろありますが、なかなか良いと思う洞窟です。 ここは山寺を開山した円仁(慈覚大師)が修行したと伝わりますが、 先にこの場所に住んでいたのは、マタギの磐司磐三郎でした。 ほとんどの人は山寺へ参拝しますが、ここまで来る人はまずいないでしょう。…… more 根本中堂を通りすぎ、トンネルをくぐって直進すること約15分。 観音堂(千手院)がみえます。 線路を渡るんですよ~。 このそばに、磐三郎の墓があることを知っている人は、ほとんどいないでしょうね…。 磐司磐三郎は兄弟と伝わりますが、伝説については、こちらを参照して下さい。 ※磐司磐三郎物語(秋保里センター) http://akiusato.jp/history/bansaburo2.html 「慈覚大師と出会うまでの磐司磐(万)三郎は、ここ山寺地内を自分の庭にしていたので、 あちこちに、かれの名をとどめるところがある。 「弓かけの松」「矢投げの松」などがそれであり、「大声立て」という奇妙な地名は、 狩りに出かけようとした磐司が、自分の愛犬を大声で呼んだところだというが、 村の人びとは、慈覚大師だけではなく、慈覚大師に帰依した磐司磐三郎に共鳴し、 自分を磐司磐三郎に重ねて伝えてきたものであろう。」 陽の洞窟(光があたる場所) 陰の洞窟 峯の浦という散策コースもあり、巨岩もたくさんあります。 (でも道がちょっと危険らしいので、一人では行かない方が無難です。) 「山寺の裏山には、天邪鬼が住んでおり千手院から橋をかけようとして失敗し、 奥山寺に籠って考えてから、再び橋をかけて今度は見事に成功したという。 その時の石橋の残石が、宮城県名取郡秋保の石橋だという。」 石橋は、おそらく赤石橋と思われます。 また、所部には材木岩の柱状の石があり、そこに石橋をかけようとしたが、 石積が終わらぬうちに朝になってしまい、橋脚のみが残ったのを、材木岩、柱岩と呼んでいる。 山寺は非常に岩が多いため、ひとつひとつ名前がついているそうですが、 把握するのは難しい。 それすべては、慈覚大師が手をかけた石とか、修行した場所とか、慈覚大師に関わる石名になっている。 ----------------------------------------------- この日は、天気のよい平日でした。 団体客、幼稚園児たち、海外からの観光客で大賑わい。 紅葉シーズンとなると、東北地方は観光客だらけになりますね。 まだ、紅葉には少し早いので、来月あたりがちょうどいいと思います。 山寺が好きな理由は、狩猟と農耕の境の聖地であり、 天台宗と自然崇拝が混在している所だからです。 面白山峠を越えるので非常に自然が深いうえに豊かな水。 昔は、動植物が楽園のように広がっていた所でした。 阿仁(秋田)へは行ったことがないのですが、似ているのかもしれません。 今、東北歴史博物館で「熊と狼展」をやっています。 熊狩りの映像(昭和初期)が貴重です。 狩猟とは、自然界から多種多様な食糧を得、動物などがいなくなれば、 他の地へ移動する移民でした。 それに対し、農耕は定住社会を築きます。 田畑、家畜をすることで食料の維持を確保するが、天候に左右される。 そのため、自然をコントロールするために雨乞い儀式などが盛んになりました。 また、品種改良も農耕の民にとっては重要なこと。 しかし、その品種改良や自然よりも人間が主になることを反対したのが、 磐司磐三郎でした。 面白い本を見つけました。 「ホモ・サピエンスの秘密」なぜか、ほりえもんが推薦していたので買ってしまった。笑 子供も読めるわかりやすい本なので、こちらを参考に、磐さんと共鳴したい。 ホモ・サピエンスは農耕をするようになった人類なんだそうです。 それ以前のネアンデールタール人は狩猟の民だった。 狩猟の民は、免疫をもっていたうえに、菌が繁殖しやすい場所の排泄物やごみ捨て場などに、 長く留まることなく移動していた。 そのため、狩猟の民の死因は、病気ではなく狩りや移動中の怪我だった。 農耕社会になると定住するため、菌が繁殖し感染病が広まる。 それによって牛頭天王の疫病神がうまれた。 アンコールワットの遺跡の滅亡は、マラリアだったそう。 貯水池の水まわりに蚊が繁殖する。 そのため、抗生物質が登場した。 要するに、農耕社会になったので宗教が生まれたということ。 狩猟の民は、自然崇拝だったので、神という概念はない。 定住するとなわばり争いが始まる。 イラク北部のモスル付近では、人骨がたくさん見つかったそうだが、 激しい争いの跡があったという。 これも貯水池の争いです。 水の確保のために、戦争が始まった。 ------------------------------------------------------- 「対面石」というのがあります。 ハート型をしているのですが、 この形になっているのも意味があります。 狩猟文化と農耕文化が対面した所だからです。 「この大石は対面石といわれ、860年慈覚大師が山寺を開くにあたり、 この地方を支配していた狩人磐司磐三郎と大師がこの大石の上で対面し 仏道を広める根拠地を求めたと伝えられている。 自然の景観を生かし、山岳仏教の霊場を築きあげるため、 動物を殺すことをやめてほしいという、慈覚大師の尊い心に感動した 磐司磐三郎は、生業としていた狩猟をやめたうえに自ら仏道に帰依して 立石寺開山の基礎づくりに協力したといわれている。 狩人をやめたことを喜んだ動物たちが、磐司に感謝して踊ったというシシ踊りが 8月7日の山寺磐司祭で奉納される。」 磐さんは屈辱だったでしょう。 天台宗の霊場については、名取老女生誕地と伝わる岩沼の岩蔵寺でもあります。 修行場にしたいから、10年間の契約で貸してほしいと頼む。 期限通りに修行場に戻ると、慈覚大師は、「永久に」と約束したと言い張る。 契約違反だと怒った主は、大蛇になって大雨、落雷を降らせたという話。 これって、異なる宗派の派閥を伝えているんでしょうね。 慈覚大師は空海の存在が大きかったから、必死だったと思う。 自分の業績のために…? 宗教が誕生した理由は、はっきりとわかっていませんが 農耕が始まる前に、祈りのための動物儀礼をした跡がトルコで発見されました。 大麦が生産され、麦は貴重だった為、捧げ物としていた。 その大麦の食物が必要となり、小麦を改良して大量生産が始まる。 ここから農耕が始まるきっかけと考えられ、それは儀式に必要だったからです。 本来、農耕は自然をコントロールすることはできない。 天候のコントロールもできない。 そのため豊饒の女神が誕生。イナンナ、トヨウケ神、ラクシュミー、サラスバティなどの 女神信仰がうまれ、火(太陽)と水(雨)の信仰がもたらされる。 西洋の二元論は単純なものです。 神の教えに従う者が善。 神の教えに従わない者は悪。 そのどちらでもない日本はグレー。 キリスト教にとって異教徒は悪と考える。 イスラム教がそれ。 イスラムを追われた人たちが、日本にたくさん渡ってきています。 そういう人たちを保護してきたのも、先住民であり狩猟の民なんですよっ! 狩猟の民が忌として嫌われた理由には、肉食と血を飲むことでした。 「穢れ」とされたその行為は、死者や家畜の死に触れること。 そのような人たちを神社から遠ざけたのです。 歴史上、忌、嫌われた部族として有名なのは物部氏ですが、 神の祝詞から排除されたのは、死者に接することができたからでしょう。 蘇生というミルラ(ミイラ)を扱える人。 仏教はアニミズムなやり方を嫌ったと考えられますが、 もっと深い話だと、言霊の真理を知らない人たちが理解できなかったというのもあります。 しかし、マタギのルールはとても厳しいものです。 山へ入る前は、穢れを一切はらわないといけない。 女性との関係をもつことはもちろん、女性も入山は禁止。 --------------------------------------- 山寺を追われた磐司磐三郎は、仙台市の蕃山へ移動。 蕃山とは、盤二盤三郎(漢字は「盤」)の伝説に因んでついたとされます。 狩の適地を探し山寺から名取川へ到着し、このあたりを住処としていたようです。 その後、秋田県阿仁地方へいき、戻ってきたという話はありません。 阿仁地方は、マタギの聖地なのですが、マタギの間でもなわばりがあったようです。 「根子集落というのがあり、まるで人目を避けるかのように、 険しい山を隔てた盆地に、ひっそりと住み着いて切り開かれた集落である。 今でも国道から根子集落に入るには、ここから先に人が住んでるのかと思わせる ような場所から、入り込んでいかねばならない。」 「農耕作業と併せて、農閑期の狩猟活動も当然行われただろうが、 何しろ縄張りは比立内マタギ、打当マタギに大半を握られていたから、 新規に縄張りを獲得するのは大変な事だった。 「根子集落のマタギ関係の住民に、その点を尋ねてみると、 確かに比立内や打当方面(森吉山も含む)へ出かける事は、 あまり無かったようで、根烈岳と呼ばれる集落の西方向の山か、 八幡平、駒ケ岳など遠くの山へ出かける事が多かったと聞いた。 ちなみに森吉山という山は、クマが繁殖する山として、 その生息数は東北随一の山と言われている。根子マタギは、 その山に取り付くことが出来なかったのである。」 ※根子集落について、「くまの棲むまち」サイトより引用 平家の落ち武者が開いた村などと言われるそうですが、 そうであると12世紀頃になる。 熊や狼の動物儀礼をし、 自然と共存していた人たちの遺伝子の中に、ホモサピエンスの遺伝の多くを 受け継いでいないとも言える。 ホモサピエンスを必要とした創造主とは? 現代人は、創造主の下で生きなければならないことを、強いられてきた部分もある。 本来は、創造主を「喜ばせるために」生まれたホモサピエンスであるべきなんだが。 それを奴隷化したのが、農耕と宗教であることを、山寺にいた磐司磐三郎から教えてもらった。 close

裏の山寺:垂水鍾乳洞とマタギ
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ お寺 洞窟・巨石探訪
投稿日時 2017-10-21 14:41:01

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