石間稲荷神社と夜刀神(1)の詳細

石間稲荷神社と夜刀神(1)
秩父・仙台まほろばの道
ページの情報
記事タイトル 石間稲荷神社と夜刀神(1)
概要

ここも、相馬妙見と繋がっているのでしょうか? 深い話しになってくるのですが。 もうこれは妄想しないと、エミシの歴史上 重要な場所だと気づかないままに。 ほとんどの人が知らないと思う、この遺跡。。。 私も知らなかった。列車でチラ見するまでは。 数年前、常磐線を利用した時に、車窓か…… more ら石碑がたくさんおかれた 鳥居をみかけて。気になっていたけど、ずっと忘れてました。 すると先日主人が、福島へ行った時に車窓から石碑がたくさんある 神社をみかけたと。気になるので行ってみたい。と言うのだ。 ・・・正直、うっそうとした感じを受けたので、 あんまり気が乗らなかったけど、相馬妙見神社の帰りに寄ってみよう。 となり、行ってみたら、すごい所だったー。 常磐線は海に近いので、産鉄族の多氏の経路をたどる道に、 6号線や常磐線が存在すると思った。 この道も、この列車も、古代産鉄族の歴史を運んでいる。 --------------------------------------------- 看板の説明より。 「石間稲荷神社」(亘理町) 御祭神:宇加之御魂神(うかのみたま) 衣食住の神様であり、あらゆる産業の守り神。 特に稲の豊作を守護する神様です。 父は天照御大神の弟、速須佐男命です。 由緒: 「神社が鎮座します逢隈下郡地区の昔は、現在と同様に 「石間山や八ツ山峰」を中心とした山々の谷を源流として、 山林と水利の恵まれた田畑があり、自然条件のバランスのとれた所で、 古くから集落もあり、阿武隈川を古来より生活の水源とした大変住み良い 地域でありました。 また、平安時代頃までは上郡、下郡地区の山辺から東は海であり、 海の変化と共に川や沼に囲まれた葦の原野だったと云われております。 石間山周辺は海であり、今でも境内の一部から砂地が出るようです。」 説明はまだ続くのですが、小出しに話しをしないと、 まとめられず、わけわからなくなるので。 まず、ここが葦の原野だった環境を踏まえた上で次の話しを。 看板の中盤の説明を飛ばして、最期の部分、 「当初、神社が建立された石間山の処は、巌山で波が打ち寄せあう場所で、 石の間に祠を置き祀ったことから、神社名は「石合稲荷(いしあいいなり)」 「石間大明神」と称しておりました。 その後、時の豪族が奉護し、拠点として下郡をはじめ逢隈地区が開拓開墾され 発展しました。 (大和朝廷より、ヤマトタケルをはじめとする将軍が時代により陣所をかまえ、 統治の施策として鎮守しに来たのです。) 後の豪族とは、藤原秀郷や北畠顕家などと伝わりますが、 ここは、古くから有名な場所だったと思われます。 説明にあるように、弥生時代頃から古くはすぐ側まで海があり、 葦の湿原が広がっていたそうです。 ヨシという和名があり、「豊葦原国」とよばれた。 馬人が隠れるくらいの生い茂る葦の湿原のことで、平安時代までは、 西の方ではアシとよばれた。 しかし、アシが悪しを想像させるため、良しのヨシに変化した。 葦の湿原は、浄化作用があると聞いた。 土壌汚染に非常に役立つ葦は、古代エジプトでは葦をパピルスといい、 紙のように文字を記したのは有名ですね。 伊勢神宮にも葦の神社(葭原神社)があります。 この神社の祭神もウカノミタマが祀られ、月宮の裏側に鎮座している。 ------------------------------------------------ なぜここに数々の武将も訪れ、修験の石碑が多く祀られているのかと思う。 とても有名なよく知られた場所とは言えない。 ひっそりとして人を拒んでいるような感じすらある。 石碑が多い場所は、弔う意味があるのですが、弥生・古墳時代の遺跡から、 何かここに埋まっている可能性もないことも。。 墓とは言い切れませんが、何かあったと思う。 それが、看板の説明で、納得いった。 まさか、この方の名前をここで聞くとは思わなかった! ※椿山観音堂 「797年征夷大将軍となった坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折り、 この地で討伐の犠牲になった先人の将軍上毛野田道(第十代崇神天皇の皇孫) をはじめ、土地の豪族や住民達の弔意のために、伊治水門(石間山) に石合稲荷(現在の石間稲荷神社)を勧請(神様の分霊を祀る)し、 椿山に観音堂を祀り、その後神社境内に移転。武運長久や開拓の安全を祈願したと 伝えられています。」 かみけのたみち!! 上毛野田道将軍は、早くに陸奥開拓にやってきた上毛野氏で、 蝦夷に殺された話しがある。 上毛野田道は、青森県平川市の猿賀神社に鎮座し、367年と古くから 征夷大将軍に抜擢されていた。朝鮮半島の時に、軍功をたてた為、征夷大将軍に 任命されたという。 伊治水門(いしのみと)で敗死たそうですが、場所が上総国(千葉県)と 石巻の説と2つあるのですが、石巻が有力?らしい。 石巻には、蛇田という地名があり、田道将軍が石巻で矢を射られて 倒れた場所なので、蛇田道と名付けたと言われる。 その亡くなった所に、石碑があり「面剣田」というものである。 面というのは、田道将軍が眉間(みけん)に矢を射られて亡くなった為と伝わる。 顔のことだろうけど、平将門も、こめかみが弱いという。 で、これが産鉄族の巨人、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)のことだと思った。 上毛野氏は、毛野国にあたり、上野(群馬)栃木(下野)にあたる。 ここには豊城入彦を祀る二荒山神社があり、太平山には天目一箇神を祀る神社がある。 また、星宮神社がとても多いのが毛野国の特徴。 以前、新羅の朝貢について触れたことがあったのですが、 新羅が朝貢を怠ったため、まず兄の竹葉瀬を詰問使として遣わし、 続いて田道が兵を率い遣わされ新羅の兵を撃破したとある。 それは、百済が新羅のあるモノを取り替えた(盗んだ)という話しだった。 そのモノが何だかわからないが、珍しいモノだったので、百済がとってしまったので、 新羅は質の劣るモノになってしまったから、朝貢できなかった話があった。 その話しに続いており、その時、四つの邑の住民を捕虜とし連れ帰ってきた人だという。 妄想するに、神宝だったと思うのですが、ユダヤにつなげると、 モーセの一族は私だ。と互いに主張していたので、メノラーのような神宝を 取り合いしていた感じを受ける。 もーせのもうそう・・・。 第三の目をもつ人-------------------------------------- ところで、眉間を射られたというのは、第三の目のことだろう。 目と目の間だから、第三の目を失った話。 天目一箇神とは、目が一つしかないのではなく、 第三の目をもつ人を、一つ目といったと思う。 この方が殺されたことは、衝撃だったはず。 妄想するに、テレパシーな古代のテクノロジーを使って 開拓をすすめてきた人物だったと思うのです。 多賀城ができる前から奈良の都まですでに道ができていたことが驚き。 その技術は、第三の目をもった巨人の系譜だったわけで、 高速で道路や灌漑用水を確保し、水田の確保など、治水工事を 急ピッチで行ってきた人であると。 また、地中に眠る鉱石なども第三の目で見つけていた、なんてことも? 隕石の隕鉄だって、どの山にその石が埋まっているかを探すだけでも一苦労。 でも、第三の目をもつ者は、簡単に見つけられた。 なので、片目のカジカ、片葉の葦など、片目を潰された将軍の話しは、 田道将軍のことを言っているわけです。 片目が、右か左かで異なるのは脳の作用に関係するのですが、 後の将軍で片目にされている(源氏)武将たちは、 第三の目をつぶされた田道将軍の跡継ぎということになり、 またその怨霊を鎮めるために書かれた話しなわけです。 松果体は、第三の目といわれる。 漢字のごとく、松の実にそっくりなので、松と蛇の描写や、 昔話に蛇が木に登るというのは、松果体=第三の目=天目一箇神=巨人ワールド。 だったわけですね。 松果体は、人間の体の中でも一つしかない。 脳は左右あるけれど、松果体はひとつ。 この世は、松果体で創られた。 巨人のテクノロジーはすごいものがあったのでは? 想像できませんが。 それに、亘理町を南下すると相馬の方は新地町がある。 手長足長明神を祀る貝塚で有名。 猿賀神社の猿から連想するに、猿田彦っぽいけど、ここの繋がりはわからない。 猿賀神社については後ほど。 妙見と蛇------------------------------------------- 上毛野田道が殺されて埋葬された時、蝦夷がその墓を掘り起こすと、 大蛇になり毒気を吐いた。蝦夷たちは次々と亡くなったので、 田道命の祟りと考え、猿賀神社に祀った伝承がある。 田道将軍が蛇になっているのは、どういうことか? これも妙見信仰など道教の思想に関係していそうですが。 例えば、東京都多摩地区に妙見寺があります。 「蛇より祭り」というお祭りがあり、 北辰妙見尊の言い伝えに関わる北斗七星(七曜星)になぞらえた七人の村人が、 朝早く茅場から茅を刈り出し、妙見山の二十三夜塔のある広場に運び上げ、 一握りの束(約300束前後)に丸って日干ししておく。 蛇をよる足場を組み、蛇の胴の首にあたる辺りから3人の編み手により干した 茅で約200メートル位の長さに拠り込んでいく。 頭にあたる部分は別に編み、上顎(7本)、下顎(5本)及び舌(3本) の部分をあわせ、角をつける。 胴部分が編み上がると、当日参拝の全員で、妙見宮の参道に沿って担ぎ上げ、 最後に、二十三夜塔の前で頭の部分と胴の部分をつなぎ合わせ、 事前に修法を行っている僧侶により、 蛇の頭等への御神酒での清めにより完成となり、行事は終了する。」 ※多摩川三十四観音 神王山北辰妙見寺より http://www.myoukenji-i.com/hebi.htm これは、ハイヌヴェレ神話ですなっ! すごいね。 要するに、バラバラにした蛇の胴体を、二十三夜塔の前でつなげる儀式。 肉体に戻すといった意味か。 二十三夜塔とは、月待行事というもので、月齢から二十三日に行われることを 意味するもので、講の人が行う行事のこと。 十五夜もそう。月は、悪霊を払う意図がある。 蘇生のことですね。 死者を再び生き返らせるお祭り。 これが妙見の竜が蛇となり、ハイヌヴェレの豊饒の神に捧げる儀式だった。 かなりシャーマン。 この話しから、田道将軍が亡くなり、蛇になったのは、 ハイヌヴェレ神話に重ね、再び生き返らせる蘇生の神話にし、 蛇の化身となって蘇ったことになっている。 その蘇生をさせたのが、妙見信仰の北斗七星の働きだった。 なぜ、津軽に猿賀神社があり田道将軍が祀られるのか、 全部繋がってしまいました。 なぜなら、以前にも津軽の北斗七星の大星神社を書いたわけで。 イシキルイのこと。大星=ミカボシ=カカセオ 伝承ではマロ(坂上田村麻呂ではないと思う)が、 北斗七星の形に寺社をおいた。 蝦夷征伐では、よくある話だそう。 この時は、あまり気にしていなかったのですが、 猿賀神社(猿賀深沙宮)は、マロが置いたという北斗七星の一つだったからです。 「乳井」という神社も、丹生の方でしょうね。 辰砂(しんしゃ)というもの。秩父和銅も関連する鉱石です。 水銀=丹生=丹党一族=相馬(秩父平家) ※「津軽山信仰グループ」 田道将軍が石巻で亡くなったとし、墓の場所は不明ですが、 蛇となり祟りになった為、猿賀神社に霊を祀ったのだとしたら、 猿賀神社も元は縄文、弥生時代から伝わる儀式等を行っていた聖地だったと。 田道将軍のような人は他にいない。 この人を再び蘇生するには、津軽しかなかった。という事なんだろうか? そこには北斗七星の星神の御加護あると? この場所ならば、天に還ることができると約束された地が、津軽だったのだろうか。 思うことは、自ら第三の目を失うことにしたのだろうと。 私たちのような人類が、第三の目をもつと危険なので、  自ら、封印したわけです。 その復活祭は、エジプトの蘇生につながり、 古くは北斗七星なのだろう。 マロは青森には行ってない説が有力なので、 坂上田村麻呂ではない、別のマロが鎮魂したかもしれない。 なぜ、石間山に田道将軍の霊を祀ることにしたのか。 ここは実際、そのような人たちが開拓を勧めて住んでいたのだ、という事がわかる。 縁がないと思っていたけれど、相馬探訪からここに繋がることは、 意味があってそういう流れになっていることもよくわかった。 行かなければ、ずっと田道将軍のことを知らずに終わっていたわけだし。 これも何かのご縁。 もう少し田道将軍について妄想したい。 長くなるので次にします~。 田道将軍が夜刀神だったと思われる話しと、猿賀神社について。 つづく。 ※石間稲荷神社は、逢隈駅から徒歩10分弱。(MAP有) 駐車できるスペースありますが、民家があるので迷惑のならないように。 用水路の橋が狭いです。 close

石間稲荷神社と夜刀神(1)
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ 東北地方の伝説(南東北) 神社
投稿日時 2017-01-25 15:06:03

「石間稲荷神社と夜刀神(1)」関連ページ一覧

新着記事一覧

”❁〚石山寺;秋月祭』龍神池の御神木に【明王様】出現!”


❁【摩訶不思議の世界シリーズ】〚未曾有(みぞう)写真〛 《峠の祥龍》
    ***先年掲載記事が届きましたので~御紹介させて戴きました。***【摩訶不思議の世界】その他最新版は〖松下輝志ツイッターフェイス...
❁【摩訶不思議の世界シリーズ】〚未曾有(みぞう)写真〛 《峠の祥龍》
お寺
2022-09-26 04:22:34

桜につられてお参り「日照山 真證寺」


歴史めぐり 御朱印好きのあちこち紀行
春のこと満開の桜があまりにも素晴らしかったので車を停めて見に行きましたお寺の境内の桜ですこちらからだと逆光なので反対側に回るとさらに美しい桜...
歴史めぐり 御朱印好きのあちこち紀行
お寺 山口県の寺院 御朱印
2022-09-26 01:01:03

府八幡宮


神社 御朱印 日本巡り旅
府八幡宮ふはちまんぐう静岡県磐田市中泉112-10538-32-4762  鳥居の前でペコリ    手水舎    楼...
神社 御朱印 日本巡り旅
神社
2022-09-26 01:00:10

東光院 風鈴祭り (京都府綾部市上延町堂の奥) <東光院 其の肆>


和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
風鐸から風鈴へ(2022.6.17)<コース>【往路】JR大阪(5:55) → JR京都(6:27→6:37) → JR園部(7:20→7:26) → JR綾部(8:25)あやべ駅前観光案内所 →...
和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
お寺
2022-09-26 00:41:52

【2022年9月】京都・奈良・三重県神社参拝&観光まとめ


SERUNAさんちのあじふらい
2022年9月。二日間で京都・奈良・三重に行ってきた記録。URLクリックで記事に飛べます。★一日目(2022.9.6)旅のメインはゴールデンカムイ展。大好き...
SERUNAさんちのあじふらい
【まとめ】旅の記録 神社
2022-09-25 15:00:08

【大阪】住吉大社「初辰まいり」で新たにいただけるようになったステキな【刺繍御朱印】~まとめ版~


~ Destiny 癒しの御朱印巡り ~
【大阪】      住吉大社   初辰まいり とは    毎月最初の辰の日に 種貸社・楠珺社・浅澤社・大歳社の   ...
~ Destiny 癒しの御朱印巡り ~
御朱印 神社
2022-09-25 14:40:07

重陽の節句は陸奥国分寺の菊理媛命さま~【木ノ下白山神社(宮城県仙台市)】


ハロちん♪と参拝歩記
木ノ下白山神社(きのしたはくさんじんじゃ)2022.9.9(金)宮城県仙台市若林区木ノ下に鎮座する白山神社へ行ってきました薬師堂にある鐘楼へ近づいてみ...
ハロちん♪と参拝歩記
お寺 神社
2022-09-25 14:21:24

狛犬たちのモノローグ  File.1249  胡録神社  其の弐


白獅子・黒狛犬
若者と中年をつなぐライン「 えっ えー !! 今の若い人にとっては LINEって中年との連絡ツールになってしまったんだってー」「 ほんとうに ⁈ ...
白獅子・黒狛犬
狛犬たちのモノローグ 神社
2022-09-25 04:40:14

東光院 本堂 (京都府綾部市上延町堂の奥) <東光院 其の参>


和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
丹波の厄除薬師(2022.6.17)<コース>【往路】JR大阪(5:55) → JR京都(6:27→6:37) → JR園部(7:20→7:26) → JR綾部(8:25)あやべ駅前観光案内所 →...
和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
お寺
2022-09-25 00:41:01
;