石間稲荷神社と夜刀神(2)の詳細

石間稲荷神社と夜刀神(2)
秩父・仙台まほろばの道
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記事タイトル 石間稲荷神社と夜刀神(2)
概要

神社裏手の広い原野に、何かを感じました。 ここだけ木が切られ、中央に草があまり生えていない部分がとても気になった。 写真をとると、どうしても白いオーブが映りこむ。 どんなに角度を変えても映ってしまう。 この先へ行く気持ちはなく、とても中へ入る勇気がない。 何かを守っている感…… more じもする。 地元の伝承で、神社境内の松の木(今は切られていると思います) が甲冑をきた人に似ている話があった。 何があっても不思議ではないですが、 いろいろと感じる場所です。 でも、私はどうしてもこういう場所へ来ると、 負の感情で拾うならば、悲しみしか感じとれない。 恨みのような重い霊魂よりは、悲しみしか受け取れない。 なので、ここも、忘れられたもの寂しさを感じる。 ただ、私には何もできないので、 手を合わせるだけです。 夜刀神---------------------------------------------------- 上毛野田道の父は、荒田別(あらたわけ)とされる。 朝鮮へ派遣された武将なのですが、鹿我別(かがわけ)という巫部(かんなぎべ) と遠祖らしく一緒に同行していた。 かなりシャーマニズムな家系だったんでは? 石間稲荷神社のある場所が、葦の原野であったこと。 砂が見つかること。これがもし砂鉄も見つかっていたとしたら、 古代産鉄族がいた所と考える。 夜刀神は、常盤国風土記に登場する蛇神。 蛇体で角を生やした神で行方郡にみられる原野に群棲する。 相馬の産鉄族の話しでは、行方郡は鉄族がいた所だった。 「産鉄族の多氏」の柴田氏によると、 香島郡の角折という地名は、 「南方にある平原と角折の浜は、昔、大蛇がいて東の海に通おうと 思い浜を掘って穴を作ったが蛇の頭の角が折れて落ちた。それで名付けた」 とある。 鹿島市大野は太平洋側にあり、仙台市太白区にも大野の地名がある。 かつての郡山遺跡のあったところで、多賀城より古い。 大野という地名も、出雲の銅鐸、オオヌテがオオノに転じた話しがあった。 それで行方郡が砂鉄産地だったと。 夜刀は谷頭(ヤツ・ヤト)で、原始的製鉄の説がある。 そこにフイゴを持ってきた西方産鉄族の麻多智(またち)が侵入してきた。 葦原を新田とし、開墾した人で、妨害する夜刀神と打殺し、山へ駆逐。 人の地と神の地を区分するために、境界である掘りに「標(しるし)のつえ」 を立て、以後、祟りのないように社を建てた。 麻多智は、箭括氏という存在は不明ですが、物部氏と同族といわれ、 矢の製作をしていた集団だった。 大きい杖で外と内の境界を引いた。 トーテムポールみたいな? 塞神というフナト神も夜刀神の蛇が絡んでそうだ。 なぜ、蛇神なのか。 川崎町の蛇塚八幡の伝承に、木に登る蛇(男神)の伝承をもう一度。 「一本の高い樹は、信仰であり聖なる樹。 神が降りる木に何年かごと切り下ろして祀る風俗があるが、 その木に登るのは、男が蛇の姿になる。 それを占いにより命じるのが蛙。 占いは女であり、蛙は山姥=巫女(占い師)。 これらは、洞窟に関係し、三輪山の神封じの洞穴や、 夜刀の神(蛇)が畑に出て邪魔をするのでそれを嫌がった 里人が神の住まいに立札をたてて追いやったと。」 (蛇信仰と機織姫:篠田著より) 蛇はまた水神を表象とし、夜刀神に対する祭は、 稲作に係る水利に関係し、農耕儀礼、自然神から土地を譲りう受ける。 また、夜刀神について、その姿をみた者は、一族諸共に滅ぼすといわれる。 まさに、田道将軍が蛇になって蝦夷を滅ぼしたというのは、 夜刀神であったことを伝えているわけです。 以前ブログに書いた内容を。 「日本とは何か」の著者、細野善彦氏より夜刀神について。 「この官人はの開発姿勢は、人間の自然に対する関わり方が大きく 変化したことを物語っている。これまでの歴史家は官人の姿こそ 文明の担い手のあり方を示しており、未開から文明へ社会を発展させる 進歩の現れだと評価してきた。 しかし、この官人のように魚や蛇などを殺すという姿勢で自然に立ち向かい はじめたことは、文明による自然の本格的な破壊の始まりということもできます。」 原野を切り開く時に、自然霊(夜刀神)を殺したり排除するのではなく、 人間と神との領域に境界をひき、夜刀神を形象化して祀る。 環境を破壊することに繋がるが、自分たちの領域をもつことを 「お許し頂く」ために丁重に祀り、儀式をしていたのです。 その場所へは害さないように誓いをたてた。 そう考えると、田道将軍など上毛野氏や多氏は、古くからいた古代産鉄族と考え、 弥生人や縄文などの先住民と共同し、鉄資源を利用した開拓と水田開発を行おうとしていた。 そこへ、物部氏系の新しい産鉄族が支配するようになり、追われる形になったのだろう。 鹿島の地名が多いことを考えると、中臣氏や物部氏たちは、 夜刀神に対して呪術的支配を行っていたのだろうと思う。 だが、残酷に殺したというのではなく、儀式的な意味あいがある。 しかーし、田道将軍が殺されてしまったことが汚点というか。 蝦夷は田道将軍とも友好的だったと思うのですが、殺されてしまったわけです。 北上し石巻まで行ったのだが、物部氏系の蝦夷によって殺されたのかもしれない。 後に、マロが鎮魂の意味で、猿賀神社から石間へ霊を弔うことをしたのは、 実際、ここに古代産鉄族がいたからでしょう。 マロの東北における活動とは、蝦夷征伐で亡くなった霊を弔う(寺社を祀ることで慰めた) 行為を行っていただけではないか。 なので、地元ではマロに対する信頼感があったでしょうし、 朝廷もマロの絶大な信頼を得ていたわけです。 その裏に物部氏がいることは、確かです。 ※左上にも、いろんなオーブが写りこんでしまいましたが、黄色のオーブは始めてです。 ---------------------------------------------------- 角をもつ産鉄族というと、アラハバキしか浮かんできません。 その姿は、まさにアラハバキ。 角をもつ蛇のことを、中国の武神蚩尤(しゆう)と考えられ、 「天界の帝王である黄帝と大戦争をした。 獣身で銅の頭に鉄の額を持ち、また四目六臂で人の身体に牛の頭と蹄を持つとか、 頭に角があるなどといわれる。」 「砂や石や鉄を喰らい、超能力を持ち、性格は勇敢で忍耐強く、 黄帝の座を奪うという野望を持っていた。」 ※蚩尤。漢代の石刻画(ちと、怖いね~) これは仮面をかぶった儀礼かも。 これが、ミャオ族の祖先といわれる。 もう、禹(う)だよね。 半人半魚。 治水工事をした禹なんだな。 北斗七星などの星に沿って歩く禹歩(うほ)というのがあり、 川の氾濫を鎮める意図があるのですが、開拓を行う際、 その土地や山を人工的に変えず、自然の形を利用した治水工事を 行った人で、大洪水を引き起こす要因が不自然に壊すことにあると 提言した人だったんですね。 おそらく、禹の思想は、日本でも産鉄族に繋がっていると思い、 道教に影響を与えたものだと思います。 柴田氏によると、ギルガメシュ神話に古スキート人と 鉄の結ぶつきがあると書かれていて、ギリシャではサソリのこと。 ギルガメシュ神話とはシュメールなんですが、 メソポタミア文明を築いた。 埼玉にある古墳群は騎馬民族特徴の埋葬だったのですが、 刀などの装飾品のデザインが、メソポタミア文明のものと酷似しているそうだ。 「偉大な神々が姿を造った。人間と神を繋げる存在」 天界を神、現世を人。人間は神々の労働の身代わりに創られた伝承があり、 神に反すると大洪水により滅ぼすと。 これがノアの大洪水のことを伝えている。 こちらも半神半人という姿なんですね。 龍族といわれる話しは、ここからきているようです。 半神半人(龍)VSシュメール人の人類。 が、今は、過去のことは忘れて、再び一緒に仲良くという宇宙人な話。 2017年は、意識をそこへ向けていければ、2020年は平穏に訪れると。 また、さそり座は、中国人では青龍にたとえ、 強力だが慈悲深く、天に現れることによる春を告げるといわれ、 頭に房宿、心臓に心宿、尾部に尾宿の3つの星宿をもっている。 青龍にも角があり、一つはアークトゥルス。 もう一つは、スピカ。 武蔵の武将たちは、このへん受け継いでるようなんだよね。 武蔵国は独特な騎馬民族だったんです。 アテルイも騎馬民族だった気がするんですね。(妄想) 武蔵と絡んでいたかもしれないなあ。 猿賀神社--------------------------------------------- では、津軽の猿賀神社はどんな場所なのか。 結構、興味深い話がありました。 由縁 「蝦夷討伐の将で仁徳天皇55年(367年)に伊峙水門(いしのみと)で敗死し、 後に大蛇の姿になって蝦夷を平定したとされる上毛野君田道命 を主祭神とし、保食神を相殿に祀る。」 境内にも鏡池がある。 胸肩神社(弁天宮) -- 鏡ヶ池内の中島に鎮座。市杵島姫命を祀る。 あかい堂(水天宮) -- 拝殿東側の鏡ヶ池湖畔に鎮座。水天宮水波能売神を祀る。 池上神社(薬師様) -- 拝殿東側に鎮座。少彦名神を祀り、医薬の神として信仰される。 日吉神社 -- 鏡ヶ池内の中島の胸肩神社のそばに鎮座。事代主神を祀る。 ※猿賀神社のサイト http://saruka.webcrow.jp/ 他の伝承では、田道命は、鹿角郡猿賀野(現秋田県鹿角市)に祀られましたが、 欽明天皇28年(567年)の大洪水の時、その神霊が、白馬にまたがり 漂木を舟として津軽の地に降臨したと伝えられています。  鹿角市には同名の「猿賀(さるが)神社」があり、由緒には、 そのことが記されているということです。」 また、その姿が大きな人だったと伝わっている。 秋田の鹿角にもあるんですね。 「サル・タとは大蛇の日本古語という川崎真治氏の指摘から、 猿賀神社や申ヶ野のサルは、サル・タのサルではないかとする。」そうです。 猿田彦がサエの神だったり、何かと猿の言葉が気になります。 相馬新地町の貝塚伝承は、手長足長明神で、猿田彦とも言えそうです。 そういえば、「猿」とつく岩や石の伝承が東北地方に多い。 阿武隈川にある猿岩や、胆沢(岩手県)の猿岩もそうですが、 治水工事などの開拓を行う際に、猿とつく岩が邪魔をし、 大洪水を起こす伝承がありました。 福島県の国見町にもあります。 だから、手長足長明神=猿田彦になるのか。 なるほど。 石については、猿賀神社にも伝わっていました。 津軽に、猿賀石というのがあるそうです。 「太古の昔、山神社(金屋・権現平)の辺りに、 線刻文字を使う集団がいた。彼らは巨石を崇める原始信仰をもっていた人々で、 「大石さま」を中心とする祭祀場をつくっていた。 狩猟を主として生活していた彼らは、やがて農耕文化が広がるにつれて、 より肥沃な土地へ移った。現、猿賀神社の付近に定着し、巨石を見つけた人々は、 そこに新しい祭祀場としたが、元の「大石さま」の祖先の霊地として、 その後も変わらず崇拝し続けた。その結果、田道命の伝説も残った。」 引用:「津軽の北斗七星「猿賀神社」ーつがるみち121」 http://madamada888.blog.fc2.com/blog-entry-197.html 線刻図は、星を岩に記したものだろう。 北斗七星も。 金山巨石群(岐阜)にも、北斗七星のイワクラがある。 しかも、石間稲荷神社もそうでしたが、猿賀神社周辺も「葦」があった。 「葦の魂」という石碑があるのだ。   「中泊町は、小泊村と中里町が合併してできた町ですが、 旧小泊村は漁業が盛んなのに対して、この「下の猿賀さま」のある 旧中里町は農業依存型の町です。 この地域もまた、江戸時代に新田開発が盛んに行われた分けですが、 一帯は葦の茂る沼地が多く、その開拓は容易ではなかったようです。  【湿地帯で「腰切田」とか「乳切田」といわれ、 多くは深いぬかるみ田んぼ。加えてたびたび冷害に見舞われた。」 葦の原野は、開拓が困難だったのを、人が住めるように開拓した話し。 アシは、他に意味があると思います。 石やイワクラのある所は、水に関係しています。 川沿いに巨大な石を置くのも「流れを変える」意図があり、 意図があって置かれたことが、だんだん調査でわかってきている。 自然の物を利用した自然の治水工事。 今のように破壊して削るやり方はしない。 巨石やイワクラは、ただ、そこに居るのではないんですね。 意味があって、はるか昔、置かれた石なのです。 天の宇宙に沿って岩が置かれるとか、石は天と地を結ぶ役目だったり。 地上の星座を作っているのがイワクラなんです。 古代の人は、私たちよりずっと近い宇宙にいたのですから。 UFOを見るとかそういうのではなく、ただ「天にそって地上を歩く」 それが修験や仏法の行脚であり、ひたすら山や森を歩いていたんです。 それは地上の浄化になりますから。 現代人は、そのことを忘れているからどんどん破壊します。 土砂災害が起きる場所は、自然に対し、何も感じていない人への報復なのです。 なので、ちゃんと祀ることをしないといけない。 でも、まだ日本は良い方なんだな。 工事を行う前に、神主さんを呼んでお祓いをしている。 これはとっても重要だと痛感する。 実家の家の木を切った時に、そう思った。 木を切る時、なんにもしないで切ったのよね。 そしたら木を切った人が大怪我をしてしまった。 その後、夢でインディアンが出てきて、 切られた木の供養をしてくれたのだよ! そのルーツは、夜刀神だったわけですね。 自然神に対し、お許し頂くというお祓い。 まだ日本にはそれが残っているから救い。 そのおかげで、人口が増え山を崩して団地を作っても何も問題がない。 実際、震災の時も無傷な団地は多かった。 しかし、その代わり、海側に被害が及ぶのです。 水は土に対し、浄化しようと一生懸命なのです。 ----------------------------------------------------- ところで、猿賀神社は、「深沙大権現」が始まりとされる。 Wikiより 深沙大将(じんじゃだいしょう)は、深沙神、 深沙大王とも呼ばれる仏教の守護神の一人で、 大般若経の十六善神の上首として信仰されることが多い。 従って、独尊としての信仰は修験道によるところが大きい。 玄奘三蔵がインドへ行く途中、砂の中から現れ、玄奘を守護したと伝えられる。 姿は、1面2臂(ひ)で髑髏の瓔珞をつけ、象革の袴を履く、 持物については一定しないが、蛇や戟を持つものがある。 西遊記の話ですね。 助けてくれたのは、髑髏(どくろ)をつけていたことを想像するに、 海賊だったりして。山の海賊。 イタコのような巫女も動物の骨などをつけていたので、 アジアの山岳信仰が想像されます。 「しんしゃ」は、辰砂と同じ響きだね。 なんと東京の調布市に「深大寺」があり、創建由来が、深沙大権現でした。 「深大寺を開いた満功上人(まんくうしょうにん)の父、福満(ふくまん)が、 郷長右近(さとおさうこん)の娘と恋仲となりましたが、 右近夫妻はこれを悲しみ、娘を湖水中の島にかくまってしまいます。 時に福満は玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の故事を思い浮べ、 深沙大王(じんじゃだいおう)に祈願して、 霊亀の背に乗ってかの島に渡ることが出来たのです。 娘の父母もこの奇瑞を知って二人の仲を許し、 やがて生まれたのが満功上人であったと伝えています。」 もう、いろいろと浮かびますね。 亀の背に乗って島へいく。補陀落(ふだらく)の世界。 観音霊場、水を祀る意味。 まあ、こんなにいろいろと繋がりすぎると、いずれ忘れる。笑 まとめると、田道将軍は、 夜刀神のような古代産鉄族で、治水工事をすすめて悪い土地の環境整備をし、 水が飲めるようにし、水田開発をし、人々を住みやすい環境にした。 それは、アイヌ人や北方先住民と協力しながら行ってきたが、 中臣氏など藤原政権になる前と考えると、上毛野氏や物部系産鉄族がやってきて、 多氏や阿部氏、大伴氏などと協力しつつ、新しい産鉄の世界を築き始めた。 マロの鎮魂話しは、東北地方に多いですが、 物部系(穂積氏など)の呪術集団が、マロの名前を利用して、 鎮魂してきたのだろうと思います。 そこにアテルイが登場するということは、マロの代わりに物部氏がそれを担う ことにしたわけで、やはりアテルイは武蔵の産鉄とも関係深い騎馬民族だったと思し、 出雲とも繋がっていたと思う。 物部氏はアテルイとなり、名前を出さず、見えない世界で、エミシの鎮魂をしてきたのだ。 エミシで以てエミシで征する。 物部らしいな、と思うのでした。 ------------------------------------------------ いろいろと思うことはたくさんあるのですが、 また機会があったら、田道将軍について妄想したい。 しかし、なぜ今、上毛野田道なんだろう~と思った。 今までずっと登場することなかった人が、亘理町の小さな神社で縁をもつことが、 不思議でならない。 こうなると、偶然にも、流れ流れついて、ホピ族と繋るのだから! へ~、そうなるのか。 夜刀神とは、かなり原始的なシャーマニズムが根底にあるのかもしれない。 そうだった。 この流れは、妙見様ですが天之御中主神だった。 天之御中主神は宇宙の中心ですが、最初、ひとつだった家族が、 世界中に広がり、それぞれがその土地で暮らしていた。 でも、みんなバラバラになっても見ている星がひとつだった。 それが北極星だった。 それを、天之御中主神と呼んだ。 「田道」という名前も意味がありそうです。 以前、北斗七星を妄想していた時、 記事にも書いていた事があった。 それがホピ族の予言と繋がるのでした。 やっぱり相馬妙見は、宇宙だった。 つづく。 close

石間稲荷神社と夜刀神(2)
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ 東北地方の伝説(南東北) 神社
投稿日時 2017-01-26 14:30:00

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