秩父の虎と二十三夜寺の詳細

秩父の虎と二十三夜寺
秩父・仙台まほろばの道
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記事タイトル 秩父の虎と二十三夜寺
概要

恒持神社付近をマップで調べていると、 富士仙元神社とその先山中にある二十三夜寺というのを見つけた。 十八夜や二十三夜とか、月待講に関係するのですが、 皆野町三沢に月待講があることは知りませんでした。 三沢:二十三夜寺から秩父方面 ところで、秩父神社で寅の秘法を信仰した徳川家…… more 康がいた。 という話は、鬼門を開いた意味になるのかね? 「寅の秘法」が何のことやらわかりませんが。 信貴山というのが、奈良県生駒山にあります。 生駒といえば、あの車輪の家紋ですね。天使ケルビムです。 ※生駒氏の家紋 生駒氏の車輪の象徴は、波を切ってすすむ波切車という。(なぜか半分) また、生駒氏の「駒」の意味に、回転する光のほか(隕石説も)、 駒は、高麗、狛、独楽・・・といろいろある。 狛犬は高麗の犬。独楽は、回るものだが古代にあったものか不明。 生駒は、元は二ギハヤヒ降臨の鳥見白庭山という所を占拠していた氏族。 これは、秋田の鳥海山と同じ二ギハヤヒ降臨地やエミシの地周辺に駒形を祀る のと同じ意味があると思った。 駒形神社は東北地方に多く、エミシ征伐に必ず祀られるといわれ、 それが私が勘違いしていた千葉県市川市大野に駒形大神社があったのです。 平将門を祀る神社でした。大町のとなり町。 父の平高望王が上総に任じられ坂東に下向けした。 駒形を祀るのを嫌がるエミシとは、大国主を祀る(ミワ信仰)ことを排除されたから? それを物部氏が嫌がったということもあり得ます。 そこに何かありそうで、物部氏が嫌がった理由に、寅が関係していた・・・。 信貴山の縁起に、 「毘沙門天に援(助)けられたのが寅年、寅日、寅刻だったので、 これに因んで「虎」が神使としての扱いを受けている。 しかし、毘沙門天の本来の神使は百足(ムカデ)とされる。」 ここでムカデが登場。 ムカデといえば、秩父和銅黒谷に聖神社がありますが、 百足を奉納しています。 聖神社は二十三夜寺のすぐ西側にある。 信貴山の絵馬 毘沙門天の神使である百足と虎の絵が入った絵馬。 毘沙門天=百足=和銅黒谷=聖神社(大国主)=二十三夜の月=聖徳太子。 信貴山朝護孫子寺は、奈良県生駒山にあります。 全国の毘沙門天を祀る社の総本山とされる。 「縁起」の概要は、 「聖徳太子が、朝敵物部守屋を討伐しようとこの山に来て、 戦勝の祈願をすると、天空遙かに毘沙門天が出現して、必勝の秘法を授けてくれた。 その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻であった。 聖徳太子は、そのご加護で敵を滅ぼすことが出来た。用命天皇2年(587)。 世が治まって後、聖徳太子自ら、毘沙門天の尊像を刻み、 伽藍を創建して、信ずべき山尊ぶべき山「信貴山」と名づけた。 延喜2年(902)、醍醐天皇から病気快癒に謝して、「朝護孫子寺」の勅号が贈られた。 以来、信貴山の毘沙門天は虎に縁のある神として信仰されている。 ※毘沙門天の百足より http://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/tora/tora-1-1-1.html --------------------------------------------------------- 偶然なのかわかりませんが、皆野町三沢の二十三夜寺に12月3日に参拝しました。 後で調べてみると、興味深い伝承のお寺でした。 二十三夜といえば、月待講です。 しかも、なぜかここに聖徳太子が開山しているお寺と伝わる。 このお寺の由来がなかなかです。 「その昔、聖徳太子がこの地を巡訪された際、諏訪明神から夢の中でお告げを受けた。 ここは仏法隆盛の地であると奇異な思いを感じた太子は、自ら薬師如来の像を彫刻して  草庵に安置、医王善逝の寺とした。これが今の奥の院である。 聖武天皇の時代には行基菩薩が巡訪され、勢至菩薩を安置し、師慶山観音院と名付けられた。」 まだ伝承はある。 「弘仁元年(810年)に弘法大師が訪れ、この地が往古の霊場との念から坊舎仏閣を建立、 大師が自ら馬鳴菩薩を彫刻し、これを安置した。 また、境内地に井戸を掘った際に不思議な球体の石を得た。これを「月輪石」と名付け、 火防の象徴として祈念した。」 勢至菩薩とは、先月、名取の高舘山に登った時のキリークの石碑が勢至菩薩で、 あまりお目にかからないな~と思っていた菩薩様でした。 「聖徳太子開山の祈願寺」 詳細は、こちらのサイトへ。 http://nijusanyaji.com/ このお寺には、不思議な月輪石というのがあります。 通常、開放していないようです。 古来より雨乞いの儀式(雨乞い祈願)の際に逗子の扉を開いて 祈願する霊験の石と伝えられているそうです。 こんな話がサイトにありますので紹介します。 平成25年秩父に例のない大雪をもたらした日。 平成25年1月27日は、初護摩の縁日だったのですが、その矢先の大雪。 天気予報は午後10時~翌朝9時まで雪だったため、 「月輪石」の御宝前で「降雪伏せ」の祈願を厳修したところ、 雪はおろか小雨さえも降らない天候に落ち着くという、不思議な体験をしたそうです。 他にも、平成25年10月27日、大型の台風が関東地方に接近しており、 台風の影響で二十三夜の月見ができないと思っていた。 しかし、午後になると雨はすっかりあがり、晴天になったという。 27日午後11時半からの少しの間だけ、晴れて月観ができたので喚声があがったそうです。 翌28日午後には曇りはじめ、29日は雨。天気予報では台風が去った後は晴れると いう予報でしたが、それとは逆の天気になったそうだ。 その日は、月観の午後に、参拝者から月輪石を見せてほしいとの要望があり、 ほんの数分だけ扉を開けたそうです。 お産の石仏と如意輪観音 ------------------------------------------------- 月輪石は、扉を開けると晴れになり天候が変わることがありそうです。 雨乞いにふさわしい石なんですね。 私の父が、子供の頃、三沢まで歩いて参詣したそうです。 父は祖母と一緒に二十三夜寺の下に小さいお社があるのですが、 金比羅さんで、そこまで来たそうです。 ・・・だから私もここまで参拝してしまうのかなぁ。 でもこの場所までは車で来ましたけど…。 さすがに横瀬から歩きはきついね~。 でも、なぜ毘沙門天と寅なんでしょう? 方角に意味もありそうなのですが、 物部氏と聖徳太子の話は、八尾市の歴史に物部氏と蘇我氏の仏教をめぐる 争いで古戦場になった場所です。 聖徳太子は、戦勝祈願のため四天王を祀り、その加護によって 物部守屋を打ち破ることができたとして、その地に大聖勝軍寺八尾市太子堂3丁目) を建立したといわれています。 その話の中に、神妙椋(しんみょうむく)というのがあり、 物部守屋に攻め込まれて聖徳太子が危険な状態にあったとき、 椋の木に寄り添うとその幹が割れて開き、聖徳太子はその割れた幹に身を隠して 難を逃れたという伝承がある。 椋神社は秩父固有の神様です。 猿田彦神、天児屋根、経津主神(ふつぬし)、応神天皇を祀る。 景行天皇御字の創建にして、もと猿田彦大神一柱を祀ったと伝わる。 聖徳太子が助かった椋の神が、高麗ならば納得できます。 椋は「モグ」の高麗語で村という意味。 もぐ→むくになった説があります。 高麗神社は猿田彦命と高麗王若光を祀っています。 つまり、椋は高麗の人たちと考えると聖徳太子は高麗人に助けられたと。 信貴山でも聖徳太子が秘法により助かったのは、 生駒の駒→高麗であると考えられます。 祖母の実家は吉田町で近くに椋神社があったので、小さい頃、よく獅子舞をみにいってました。 その神社は、秩父事件でみんなが結集した場所です・・・ かなり前ですが「草の乱」という秩父事件の映画があり、なんと両親と仙台でその映画をみたのよ。 夜、椋神社に集まって反旗を翻しているのをみて、あそこかっ!!ってなるさね~。 そんなところで遊んでいた私・・・。 県外の方が言っておりました。 秩父人が本気になったらすごいでしょうね。って。 ・・・でしょうね。笑 でも、ばあちゃん家は、秩父事件には一切関与してませんでした。 曽祖父は、屋根裏に隠れていたそうです。(捕まると困るから) といった歴史があるならば、椋というのは深い意味があり、 何か過去のいろんなわだかまりを清算するために秩父事件になったと感じます。 民族の誇りをもちつつも、先祖への恩返しができない怒りが爆発。 そういう遺伝はもっているでしょう。 そんな秩父では、高麗人は赤平川~蒔田地区に住んでいたそうです。 高麗と対立していた新羅は、先に和銅黒谷を占拠していたのですが、 後に高麗人によって政権が変わったのでしょう。 和銅黒谷は新羅系の金上元→金山洞窟にシャングリ様の小社があり、養蚕の神である。 なので、新羅人は養蚕を伝えた秦氏系であり道教も伝えた。 でも、秦氏・物部氏VS蘇我氏とは単純に言えません。 ここは難しいところなのですが、縄文遺跡も多く見つかっている秩父なので、 先住民族が崇拝していた土地に開拓してきた渡来人が入植してきた。 新羅や高句麗・百済などの帰化人が多い。 もともと日本人だった人が多いのですが、 戻ってきてから互いの権力争いに巻き込まれたでしょう。 元あった諏訪神の信仰を、上書きされて新羅由来の養蚕・妙見信仰、 高麗由来の椋の神という宗教に変わった。 九州では豪族(先住民)と手を組んだのが新羅。 大和朝廷(渡来人)と手を組んだのが高句麗。 その対立が、そのまま東北へ流れているようなんですね。 しかし、新羅のほうが縄文の精神を継ぐ意識があったのか、 北斗七星や北極星などの星信仰はそのまま継承したのだと思います。 それが平家集団として形成されたわけです。 天の岩戸開きは、秦氏はユダヤ人が定説なので、 ユダヤと日本の融合を考えていた場所のひとつに、秩父があり、 思兼命を崇拝したのだと思います。 それが艮の金神、国常立命なんだと思います。 この存在の働きを知っていたというか、縄文回帰という言葉がありますけど。 なので、ひっそりと武甲山麓に、国常立命をおいたのは、 御嶽講と富士講の人たちだったわけです。 あぁ、そうだった。 元々この妄想は、富士塚の「ひふみ」国常立命でした。 武甲山麓に「神様の墓場」と勝手に命名したくなる古御嶽城跡にたくさん石碑があります。 ずっと前にみよさんと探検してきましたけど。 国常立命の石碑と氷川大神、春日大神が中心にある。 (中央に三創世神の国常立命、右:三大神社の春日大社、左:氷川太神) コノハナサクヤヒメの産泰神社や、「岩戸神社」と刻まれた石碑も。 岩戸神社 だから、武甲山麓にも誰かが国常立命を降ろしたわけでしょう? それで武甲山が破壊されたというのは、シバ神みたいですが、 その代わり、何かが潤っているわけです。 それは東京でしょうね。。。 トーゼン、首都東京が潤っているから、武甲山が破壊される。 しかーし、日月神示のように、もうそれが厳しい状態になっている暗示ですね。 その潤いが単なるお金という経済であり、それが正当に潤っているならばよいが、 間違った方向へ行っていたら大惨事になる。 それこそ後の祭りじゃ。 そうならないように、秩父夜祭が武甲神にご機嫌をうかがっている。 機嫌を損ねないように? 長瀞にも、石上神社、光玉稲荷神社があります。 国常立命を中心に、氷川太神、春日神社の他の神々が連なるのは、 魂を天へ上昇させることができるように氷川と春日の神々を祀ったと考える。 ------------------------------------------------- 最後に、面白い話を。 1万5000年前にモンゴルとシベリア境界付近に衝突した隕石とみられる仏像があった。 なんで毘沙門天なの?という疑問があって調べたら、デタ。 その隕石で作られた毘沙門像があったというのだから。 ホントカ? チベット仏教が盛んになる11世紀より前に、ナチス親衛隊が見つけた仏像。 ヒトラーはアーリア人が最も優秀であるということを言い張っていた。 「仏像は高さ24センチ、重さ10.6キロの毘沙門天の座像で、 開いた右手を下に向けている。 化学分析の結果、鉄とニッケルを多く含むアタキサイトという極めて 珍しい隕石を彫ったものであることが分かった。」 だそうです。 像はこちらで。 http://www.afpbb.com/articles/-/2904113 しかも卍のマークだ・・・。 シャンバラ王のヤシャスみたいで。 時論のタントラ。 やっぱり地球の時間が変わってきている。 で、このポーズがどこかでみたことあるような。 思いだせないけど、踊るシバ神にも似てますね。 足が踊っているみたいな。 右手を下にしているのは、教えを受けるポーズ。 日本の大黒天は、シバ神と大国主が融合している。 いい笑顔だね~!(Wikipedia) 笑みしだね~。 シバ神は、破壊と再生の神。 シバ神は虎柄のパンツをはいているね~。 シバのリンガは蛇で、クンダリニー。 光の結合の意味があるそうです。 (Wikipedia) 過去に無理やり抑えてきたことが爆発してきてるのかも。 みんなストレスや怒りで蔓延してるし。 でも、ナチスが見つけた毘沙門天が、あんまりイメージないですけど。 毘沙門天というよりは、聖者みたいですねえ、宇宙人の。 岩手の成島毘沙門堂を想う。 まだ行ったことないけど。 なんかね~、フツウツと思うね。 成島毘沙門天は、坂上田村マロでしたか? 聖徳太子が毘沙門天と一緒に物部守屋を倒したというのなら、 エミシの地に毘沙門天を祀ったマロは、物部守屋のことを考えて? 悪路王の主は、物部氏=もののふだったとも言えますね。。。 言霊入門「ひつく神示」によると、 ヤマトタケルの唄にもある 「八雲立つ、出雲八垣 妻篭みに 八重垣つくる その八重垣を」 これを言霊で解釈すると、八を4回言っているのは、 四方八方のこの世を越えた次元の法則があり、ヤマトタケルは魂の目覚めの 唄を言っていると解釈される。 八は空間の広がりであり、妻篭みの「篭」は、かごのことだが、子宮を現す。 三柱の神は、神と天と地を表し、天と地の橋渡しをする役目は国常立神。 言霊のいのちは「ヒ」「ミ」の火と水の意味がある。 いのちのヒミを司る国常立神に、地の世界がオトヒメ(龍神)とされる。 かご・・・籠神社・・・。 三柱は、シバ神の三頭と同じです。 シバ神は日本でいう国常立神なのかもしれません。 ということで、どうなることやら。 日本から始まる=日本がますます厳しくなる。 世の中のいろんな仕組みを知りたければ、 まずは、先祖参りが欠かせません。 そうすれば、この先の道筋を照らしてくれます。 しばらく物部氏のことを忘れてましたが、 私はもののふ(武士)の鎮魂が意味あることだと思えてなりません。 秩父妙見と狼の話をしようと思ったら、 こっちの妄想が強すぎて書けませんでした。 また後で何か出てきたら秩父妙見の妄想してみます。 ということで、ひふみ探訪は終了~。 close

秩父の虎と二十三夜寺
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ お寺 秩父の祭りと信仰
投稿日時 2017-12-11 04:21:18

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