平等院で発見された観音菩薩と雲中供養菩薩像の詳細

平等院で発見された観音菩薩と雲中供養菩薩像
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記事タイトル 平等院で発見された観音菩薩と雲中供養菩薩像
概要

平等院の最近のニュースで驚きの事実が報道されていました それは、平等院内の観音堂に安置されていた「聖観音」について美術院の修理が入った事によって明らかになった「事実」です 色々な報道機関で報道されましたが、例えば『城南新報』2017年10月7日の記事によば、 このようなに報道…… more されていました(抜粋して引用) 「「菩薩立像」真の姿は… …当初想定されていたオーソドックスな観音菩薩ではなく、阿弥陀如来と西方浄土から臨終者を迎えに行く躍動的な菩薩であった可能性が高い―と、成果発表した。…今回の修理過程で、後世に施された部材を取り外すと、… ▽前方から全身に風を受ける ▽左足を一歩前に踏み出す前屈みの姿勢 ▽蓮華座でなく雲座か ▽両手で蓮台を捧げる姿か ―などと推定され、阿弥陀如来をメーンに臨終者を迎えに行く「阿弥陀三尊」の左脇に構え、蓮台を捧げる「観音菩薩」の可能性が高いー と結論づけた。…たった一つの独尊も、本来は阿弥陀三尊であったことが想像できるという。」云々 つまり、今まで平等院の阿弥陀如来像は独尊と考えられてきましたが、 この観音像の「発見」により、創建当初は阿弥陀三尊だった可能性が出てきたと考えられる、というニュースだったのです これには驚いた! ↓こちらは読売オンラインからとった、観音菩薩像の写真です  ↓どんな顔か見てみましょう!   どれどれ?この方が、阿弥陀の脇侍だった?うーむ… わりと美肌だ… 平等院による、創建当時の想像図 ( ̄◇ ̄;)! 脇侍、小っさっっっ!!(゚Д゚≡゚д゚)エッ!? はたして、本当に阿弥陀三尊だったのでしょうか?? このたび、平等院に行く機会がありましたので、鳳翔館ミュージアムでじっくりとこの件に関する展示を見てきました ここからは、そのレポートです 像の概要 この観音像、まずは頭部が後補でした! …なので上の画像にあるお顔は、美術院の技術者のかたが、当初の雰囲気を出して慎重におつくりになった平成のお顔でございました(すっかりだまされるところだった)  もともとはもっと違う、大きめの(ブサイクな)お顔が乗っていたようで、ミュージアムにはその写真がありました 美術院の調査は平成27年から29年まで行われたそうです 像はヒノキの割矧ぎ造(雲中供養菩薩像も割矧ぎ造なので、おんなじ〜♪)で、台座蓮肉部を含めて一材から彫り出しているそうです 後補は、頭部、右腕、両前腕、持物、蓮華座、光背、宝冠 右足に木心があります ふつうは干割れを防ぐために木心は外して避けるとか、後ろにずらすとかするのだけど、この像で右足に木心をもってきた理由は、像の正面に柾目の美しいところが来るように木取りされたからだそうです この像は水で洗われたため(後世にそのような信仰があったそうです)、その木目の美しさは際立ってよくわかりました また、像の左の「腋の下」に胴体と上腕部にわたり同心円状の木目が見てとれて、本体と上腕が一材であることがわかりました それから、この像は一本の大きな原木から仏像二体分の材をとったものの片割れの一体なんだそうです…このことも最初から観音と勢至菩薩の二体を作ることが予定されていたことの裏付けとなるようです では、次にこの像の特徴を列記してみます その1 風を受けて前進する姿だった!  このことは、次のような表現方法からわかります   正面からみると、条帛が左に曲がって いる   後ろから見ると、天衣が両肩からずり下がり腕に巻き付いている        後ろ姿の写真ありませんが、同様の天衣の着方は↓即成院日照王がこんなふうにやっています   後ろから見ると、腰帯がめくりあがっていて風をはらんでいる表現をとる    背中に垂髪の痕跡がある    ふつうは両肩側上につくものが、後ろになびいていた痕跡があり、これも前から風を受けて前進した表現のよう  後ろ姿の垂髪のイメージ↓(下手な絵でごめんなさい)   同様の表現は神護寺宝光虚空蔵菩薩にもあるそうですが、画像がない…(>_<)   一方、普通は垂髪はこんな感じだそうです ↓雲中供養菩薩像北7号(ひどすぎる絵でお送りします ) 前から見たらこのお方 髪の毛、右耳の後ろで束ねていたのね〜 その2 前方に傾く!  この観音像は、本来左足前方に重心がかかる像だったそうで、腰高で直立させると像のバランスが悪くなるそうです  さらに裳の裾は異常に長く、現在の蓮華座では裾が台座に埋まってしまうそう  …つまり、これらのことから、この像は前傾の姿勢をとっていたと考えられるようです  (私がイメージしたのは、快慶の三尺阿弥陀の中でも前に傾いているやつ…あんな感じの「前のめり状態」だと像が落ち着く感じといえば分かりやすいでしょうか?ミュージアムにはわかりやすい画像の展示もありましたので、行ってみてください) その3 蓮台を持っていた! 当初この観音像は脇が今より少し詰まっていたと考えられ、その角度から推測すると肘から先を前方に突き出す形状だったと考えられるそうです つまり蓮台を両手で持っていた姿勢と考えられますが、蓮台は観音の持物です  その4 雲に乗る 像の全体の洗練度に比べて、足元(足の指)の部分の彫りだけが稚拙な出来上がりのために、「そこ」には彫りにくい何かが周りにあった、あるいは、しっかり彫る必要がない雲座のような台座だった、という可能性が考えられるそうです  足指のイメージ↓(また酷すぎる絵でお送りします ) 実際を見ると、「ここ見えないし、彫りにくいし、テキトーでいいや~(^。^)」と仏師が考えちゃったかもしれない感じがよくわかりますよ その5 以上のことからこの観音像は当初「来迎の菩薩」だった!? 以上のことから、当初は左足を前に踏み出して前傾姿勢をとり、風を受けて進む「動き」のある来迎菩薩だった可能性があるというのです そして、腕の形状や頭の傾きから(頭は後補だけど)、向かって右の「蓮台を持つ観音菩薩像」であった可能性が考えられるそうです …と、ここまで疑問なく、納得できましたか? 実際の像を見ると、後世水で洗われたためきれいな木目がよくわかり、平安後期の彫りの浅い、穏やかな像であることがよくわかりました 平等院が制作したという↓この画像で言えば、向かって右の像にあたるわけです… え?なんですか? なんか、質問ありますか? え、像が小さくて見えない? ……そうなんですよね〜 私も、このニュースを見て、まずその「小ささ」が気になっていました 上の画像は平等院でつくられたものなので、実際の縮尺もあんな感じなんだろうと思います なにも「中尊と脇侍を同じ大きさにしろ!」とまでは言わないけど、 それにしても 脇侍小さすぎませんか? たらーん  この点に関して、上記のように報道では「阿弥陀三尊の可能性」を報じていましたが、平等院の解説はニュアンスが違っていました 平等院の解説では、 阿弥陀如来とは、サイズが小さいので三尊が成立しない(やっぱりね、そうだろね♪) 雲中供養菩薩の中から選ばれた特別な観音・勢至菩薩と考えると阿弥陀如来像の両脇でも不自然ではない 雲中供養菩薩像とは彫刻表現がよく似ているので、同時期に同じ空間にいた可能性がある …とこういうことでした つまり、長押の上にうじゃうじゃいる雲中供養菩薩像の中から特別な使命を帯びて、観音と勢至菩薩が阿弥陀の脇に降りてきた…雲中供養菩薩像は壁掛けのためにみなレリーフ(表側しか無い彫刻)だけど、この特別な二体は後ろ側もある全身像の立像となった …といったところでしょうか? 阿弥陀三尊として阿弥陀如来像と一具と考えると、サイズのちぐはぐ感が否めないので、 周りの雲中供養菩薩像の選抜メンバーと考えるほうがサイズ的にも自然という解釈でしょうね たしかにこの解釈の方が、落ち着きますね しかーし 面白い解釈だとは思うのですが、同時に話がややこしくなったともいえるのです なぜかというと、雲中供養菩薩像についての解釈が、中尊の定印阿弥陀像とのからみもあって定説がないからなのです では、次に雲中供養菩薩像についてはどのような解釈があるのか?ということについて考えたいのですが、これは一筋縄ではいかないようですよ(°_°) あくまでも「ざっと」ですが解釈について列挙してみます  まず、 雲中供養菩薩像は来迎する聖衆であると解釈する説   平等院は藤原道長の子である頼通が創建したことは有名ですが、雲中供養菩薩像は阿弥陀堂(鳳凰堂)において頼通や礼拝者に対して来迎する聖衆をあらわしているという比較的新しい説です そのために聖衆は雲に乗っています 今回ニュースになった像に対する平等院の解釈は「雲中供養菩薩像の中から選ばれた特別な観音像」というものでしたが、これはこの「来迎の聖衆説」に一番しっくりくるような気がします  なぜならば、来迎の聖衆は、阿弥陀如来とともに極楽から往生者の前に来ますが、観音菩薩と勢至菩薩が先導するからです 先導する観音菩薩↓(先頭の蓮台を持つお方)  平等院扉絵復元模写図(下品上生) こちらは知恩院の「早来迎」 こちらも、観音菩薩(可愛い) でもこの説では、すでに当然、観音と勢至菩薩は既存の雲中供養菩薩像の中から選ばれているのです 例えば、北25号像が観音にあたる、などというようにです 観音に比定される北25号↓ そうすると、新しくまた観音が来ると、仕事がバッティングしちゃいますね ついでに言うと、この「来迎の聖衆」であるという解釈はさらに発展して、頼通や礼拝者に向かうように体の方向で聖衆を二分して左右の壁に配置し直し、さらに体の傾きや視線の方向も頼通や礼拝者に向くように並べなおして「当初の配列」を考える意見も出てきています …これはCGで再現してみると面白いことになると思います(誰かやって) この「来迎の聖衆」であるとする考え方に対して問題になるのが、中尊の阿弥陀如来像が定印をとるということなのです …話にキリがないからあまり踏み込まないでおきますが、来迎の聖衆を引率する阿弥陀如来はふつう来迎印をとります 上の、下品上生図(実物)も来迎印 ここをどう説明するか? という問題にぶち当たるわけです  …これに対しては、京都常照皇寺阿弥陀三尊像、宇治かげろう石線刻阿弥陀、愛媛保安寺阿弥陀などの例で「 定印は阿弥陀でもOK!」という主張があります 定印をとる愛媛保安寺阿弥陀如来像↓ 五尊揃った状態 (周りは観音、勢至、地蔵、龍樹菩薩…うーむ…) さらに、この「定印でもOK」説に対しては、「時代が合わない」とか、「きわめて少ない例でいうのは難しい」などの再反論があって、話はどんどん藪の中に入り込んでいきます(もう知らん )  雲中供養菩薩像についての、もう一つの説は、 雲中供養菩薩像は極楽で阿弥陀を供養讃嘆する像であるという説、です  雲中供養菩薩像が来迎の聖衆であるという説に対して、雲中供養菩薩像が極楽浄土で阿弥陀如来を供養讃嘆している群像であるととらえる考え方です   こちらの説の方が古いのですが、  …これだと、今回発見された観音像の解釈との整合性が苦しくなってしまう気がしますよね  そして、この供養讃嘆説はにも大きな問題があります …ほんとにキリがないから、少しだけにしますが、 雲中供養菩薩像の中には、制作当初に「名前」がつけられた像があり近年(といっても20世紀以降)次々と発見されてしまっているのです それが大問題なのだ… 発見された名前は5体につけられていました(全部で52体なので、その中で5体というのが多いのか少ないのかどちらに考えるかも問題だけど) その名前は、「金剛薩」「金剛光」「花厳」「満月」「愛」という名前(墨書銘)ですが、これらの解釈が定まりません  墨書銘↓「金剛薩」 最近の説では、金剛薩、金剛光、愛の3体はそれぞれ密教の金剛界十六大菩薩の中の金剛薩埵、金剛光、金剛愛に相当し、花厳は二十五菩薩の華厳王(あれ?二十五菩薩って何時代からだったかしら)、満月はもしかして法華経序品の満月かもしれないけどわからない…というような解釈で落ちついたようですが… が… 「金剛界十六大菩薩」?ん?これ密教じゃん? じゃあ 雲中供養菩薩って密教尊なの? あ、 そうか!だったら阿弥陀如来像が 定印でも問題ないわけねという方向に話が行っちゃいそうです               でも、思い出してください !たしか、 平等院鳳凰堂って「浄土教世界の再現」とか「極楽浄土 の再現」されたお堂だったんじゃなかった? 教科書ではそう習いませんでしたか? ほら↓(中学歴史資料集『学び考える歴史』浜島書店) " 学校では、国風文化、浄土信仰のところで出てきます でも、密教なの? …もうこうなると、密教 浄土教で平等院の取り合いみたいな感じになってくるわけです いえいえ、「取り合い」 という言葉 は適切ではないかもしれません、が、 鳳凰堂は、このほかにも問題山積なのです 例えば、 ・観無量寿経の九品来迎を現した壁扉画と仏後壁に「中品下生」図だけがないんじゃないか疑惑 とか ・阿弥陀如来像の胎内には、当時最新の梵語で書かれた阿弥陀大呪小呪の心月輪が納入されていて、しかも体内はベンガラ色で塗ってある(=ガチ密教疑惑) とか ・雲中供養菩薩像は、密教曼荼羅世界の再現である疑惑 とか… まさに、問題山積⛰ (これらのことの一部は当ブログで書いていますので、タグ「平等院」で見てみてくださいね) なので、今回それに加えて、 「阿弥陀が三尊だった」とか言うわけ?「ご、ご冗談を!」…なんて空に向かって叫んでみても、そんな叫びは変態過ぎて、マニアック過ぎて… ということで、長くなりましたが、この辺でおしまい! close

平等院で発見された観音菩薩と雲中供養菩薩像
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タグ お寺 平等院
投稿日時 2017-12-15 15:01:00

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