叡福寺(南河内郡太子町) ・聖徳太子御廟を守護する寺院と古墳の詳細

叡福寺(南河内郡太子町) ・聖徳太子御廟を守護する寺院と古墳
ちょっと気になる! ~大阪発史跡旅~
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記事タイトル 叡福寺(南河内郡太子町) ・聖徳太子御廟を守護する寺院と古墳
概要

叡福寺2017年12月訪問叡福寺(えいふくじ)は大阪府南河内郡太子町太子にある寺院で、山号は磯長山(しながさん)です。地名の由来でもある聖徳太子(厩戸皇子)の墓所とされる磯長墓(しながのはか)があることで有名です。聖徳太子といえば、第33代推古天皇を補佐し、十七条憲法や冠位十二階…… more の制定、遣隋使の派遣などを行う一方、仏教を取り入れ神道とともに厚く信仰し興隆につとめた日本史上最も有名な人物の一人で信仰の対象でもあります。磯長山叡福寺(南河内郡太子町)叡福寺は四天王寺、法隆寺と共に太子信仰の中核をなす寺院で、古くから「上の太子」とも呼ばれ、「中の太子」こと羽曳野市の野中寺、「下の太子」こと八尾市の大聖勝軍寺とともに、「河内三太子」として多くの人々の巡礼を受けました。当寺は南河内地域有数の規模を誇る寺院で、その周辺には天皇陵を含む多くの古墳や旧跡があり、日本最古の官道「竹内街道」も通っています。このことから、お参りはもちろん、周辺の歴史スポットを巡る観光客が立ち寄る散策の拠点として、今も多くの人々が訪れています。歴史と概要現在の叡福寺は真言宗系の単立寺院で太子宗を名乗っており、本尊は聖如意輪観世音菩薩です。戦後に単立寺院となる前は古義真言宗金剛峯寺の末寺で、かつては周辺の地名から石川寺や磯長寺と呼ばれていたそうです。正確な当寺の創建年は不明ですが、寺伝によると、聖徳太子は生前の推古天皇28年(620年)にこの地を墓所と定め御廟を造営したそうで、翌推古天皇29年(621年)に生母の穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后が没するとここに葬られました。さらに翌年の推古天皇30年(622年)には、相次いで没した聖徳太子と妃の膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が追葬されたといわれています。叡福寺境内図聖徳太子の没後、伯母にあたる推古天皇が陵墓を守護し追福を営むために土地を寄進し、堂を建てたのが叡福寺の始まりとされています。また、その約1世紀後の神亀(じんき)元年(724年)に、聖武天皇の発願で東院と西院の2つの伽藍を整備し、東院を転法輪寺、西院を叡福寺と称したも言われていますが、こちらは史実かどうか定かではないそうです。磯長山叡福寺縁起叡福寺は聖徳太子ゆかりの寺として、歴代の天皇や権力者に重んぜられましたが、天正2年(1574年)の織田信長による兵火で焼失し、古代の建物は残っていません。その後、慶長年間(1596年~1615年)に後陽成天皇の勅願により豊臣秀頼が伽藍の再興にとりかかり、慶長8年(1603年)再建した聖霊殿と、秀頼死後の承応元年(1652年)に再建された多宝塔が重要文化財に指定されています。毎年4月11日、12日の大乗会式は「太子まいり」として多くの人でにぎわいます金剛力士像を配した南大門境内道路に面した駐車場から大きな階段を上ると仁王像の立つ南大門があります。ちなみに、ここに掲げられた寺額の「聖徳廟」の書は第56、57代内閣総理大臣岸信介によるものです。南大門の額南大門をくぐると、左側に金堂、多宝塔が見え、その奥に宝蔵があります(宝蔵での宝物拝観は拝観料がかかります)。南大門から見た御廟右側には手水舎や寺務所、会館、休憩所などが立ち並び、南大門をくぐって正面奥は一段高くなっていて、石段を上り二天門をくぐると聖徳太子の墓所があります。また、石段の手前左側に聖霊殿があります。寺務所などがある寺院東側金堂18世紀に再建されたと考えられている金堂はご本尊が安置されていて、叡福寺の中でも特に大きな建物で迫力があります。多宝塔その南に建つ多宝塔は承応元年(1652年)に江戸の豪商三谷三九郎が再建したもので、昭和52年(1977年)1月28日に国の重要文化財に指定されています。宝蔵(宝物拝観所)宝蔵の拝観料は大人200円、小学生100円で、開館時間は午前9時~午後5時(入館は4時半まで)。月曜休館(但し祭日は開館)、冬期(12月第1月曜~2月末)休館となっています。聖霊殿(太子堂)金堂の奥、御廟の手前にある聖霊殿(太子堂)の御本尊は聖徳太子16歳のときの御尊像で、こちらも多宝塔と同じく昭和52年(1977年)1月28日に国の重要文化財に指定されています。二天門聖霊殿前を更に奥に進むと石段があり、その上に二天門があります。こちらは元禄元年(1688年)に将軍徳川綱吉の命により丹南藩第6代藩主の高木正陳が、東西に連なる回廊、鐘楼堂、および聖徳太子摂政像を祀る御堂とともに寄進したものです。浄土堂(左)と鐘楼堂(右の回廊奥)二天門をくぐると正面に聖徳太子の墓所、磯長墓(後述)があります。そこから右に進むと浄土堂や鐘楼堂があります。久邇元帥宮御遺髪塔(七重塔)浄土堂の右手奥には昭和天皇の后である香淳皇后の父、久邇宮邦彦王の遺髪を納めたと思われる石塔があります。見真大師堂浄土堂の右手には見真(けんしん)大師堂があります。見真大師とは浄土真宗の宗祖である親鸞のことで、こちらの本尊は親鸞自身が彫ったとされる聖人坐像です。融通念仏宗の開祖、良忍(聖応大師)廟と奥の経蔵さらに進むと融通念仏宗を開いた良忍(聖応大師)の御廟があり、その左の石段を上ると、右手に六角形の経蔵があり、奥に当寺の鎮守と思われる科長岡神社があります。なお、ここから2kmほど南東には科長神社もあります。弘法大師堂再び見真大師堂に戻り、前の石段を下ると真言宗の開祖である空海が自ら彫ったとされる像を祀る弘法大師堂があります。このように、叡福寺は空海、良忍、親鸞、叡尊、日蓮、一遍など日本の仏教史上重要な役割を果たした高僧ゆかりの寺院ともいえます。聖徳太子磯長廟二天門をくぐると正面に聖徳太子の墓所とされる磯長墓(しながのはか)があります。磯長墓は宮内庁により治定された名称で、学術的には叡福寺北古墳と呼ばれ、考古学的にも聖徳太子の墓の可能性が高い古墳とされています。前述のようにこの御廟には、聖徳太子とその生母である穴穂部間人皇后、太子の妃であった膳部菩岐々美郎女(膳部大郎女)とが葬られていて、「三骨一廟」と呼ばれています。聖徳太子磯長廟(叡福寺北古墳)叡福寺北古墳は磯長谷古墳群を構成する古墳の1つで、古墳時代終末期・飛鳥時代の7世紀後半頃の築造と推定されています。直径は南北約43m、東西約53mの楕円形の円墳です。墳丘は3段築成となっており、墳丘表面に葺石や貼石は認められていません。御霊屋と結界石横穴式石室が南に開口しており、玄室内部には棺を据えた棺台3基が残っているそうです。2段の結界石(西側)後世、古墳には改変が加えられ、墳丘裾周囲には「結界石」と称される列石が二重に巡らされていて、内側と外側の列石はそれぞれ「中段結界石」、「下段結界石」と呼ばれています。また、石室入り口には「御霊屋」と称される独特な3段の唐破風屋根の覆屋が建立されています。古墳裏山山頂への道御廟正面の御霊屋前でお参りし、左に進み建物の脇を抜けるとかなり古い墓石や石塔などが点在するエリアがあります。現在、叡福寺の北側と西側には比較的新しい墓地が広がっていますが、この古墳のすぐ西側は昔からの墓地となっているようでした。その古い墓地の中を抜け舗装されていない林道を登ると、古墳の裏(北)の山の頂上にでます。山頂には石垣とその上に立てられた宝篋印塔があります。山頂の石垣と宝篋印塔なお、当寺院の向かい(南側)には聖徳太子の3人の乳母を祀り日本最初の尼寺とされる西方院が、500mほど南東には聖徳太子の父である用明天皇の陵があります。アクセス公共交通機関を利用する場合、近鉄南大阪線上ノ太子駅、または長野線喜志駅から金剛バスで「太子前」バス停下車すぐです。叡福寺の境内(東側)大阪府内から車でわかり易いコースは国道170号線(外環状線)で富田林市の「旭ヶ丘」交差点を目指します。大阪市内や藤井寺、羽曳野方面からは左折、河内長野、富田林方面からは右折します。喜志駅前の踏切を渡り少し行くと「喜志」交差点(五叉路)に出るので、右斜め前方へ。後は道なりに3km弱進んだ左側です。途中、河南橋で石川を渡り、「太子」交差点を通ります。奈良県側からの場合、穴虫峠を越えるルートでは太子町の「六枚橋」交差点を右折、竹内峠からの場合は国道166号線を下り「六枚橋」交差点を左折します。後は太子町役場を過ぎ、「叡福寺東」交差点を越えて少し進んだ右側です。駐車場は無料です。●太子町・まちづくり協会 叡福寺 →http://www.taishi-kankou.jp/spot/view/eifukuji.htmlEifukuji Temple(Taishi Town,Osaka Prefecture)  close

叡福寺(南河内郡太子町) ・聖徳太子御廟を守護する寺院と古墳
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タグ お寺 古墳 太子町 寺院 聖徳太子
投稿日時 2018-01-19 02:41:02

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