真野にある零羊崎神社と香野姫(2)の詳細

真野にある零羊崎神社と香野姫(2)
秩父・仙台まほろばの道
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記事タイトル 真野にある零羊崎神社と香野姫(2)
概要

零羊崎神社のある牧山は、真野とよばれていました。 『封内風土記 巻之13』の真野村の条では、 真野村にも零羊崎神社があることが記されている。 それによれば、真野の零羊崎神社にあった神輿を牧山に移したところ、 仏僧の姦計(悪だくみ)で零羊崎神社の神号まで牧山に奪われたのだという。 …… more 参道 なんていうんでしょうか。ちと、このへんは触れたくないねぇ。 もとは神道だったのが、仏教にとられた?ような話。 この話は、栄存神社があるので後でお伝えします。 -------------------------------------------- 松尾芭蕉が石巻にきて、万葉集で歌われた地を訪れています。 芭蕉が見たかったのは、「真野の面影」でした。 「みちのくのまのの萱原遠けどもおもかげにして見ゆといふものを」 万葉集(巻30)笠女郎 内容:奥州の真野の萱原は遥かに遠いけども面影になって見えるのに、 近くにいるあなたを恋い慕わない訳にはゆかない。 この歌は、笠女郎(かさのいらつめ)が大伴家持に送ったラブレターと解釈される。 笠女郎は、笠金村の出身で、宮廷歌人だったそうです。 大伴家持は陸奥開拓で多賀城に赴任していました。 その寂しさを歌にしたそうですが、ここは恋話をさくっとスル―しまして、 大伴氏が金と関わりをもっていたのは、聖武天皇の側近であったので、 これも金採掘に関係しているものと考えます。 エミシの金とどうやって交易しようかと、考えていたのは、藤原実方より大伴家持の方が先輩。 真野の「萱原」とありますが、奥州には真野があり、そこは湿地帯のように、 何もない平坦な場所というイメージだったでしょう。 ※日和山より牡鹿半島 「真野」は枕詞でもよく使われているので、あまり不思議ではない言葉ですが、 真野は高貴な人をさす言葉としても使われているのです。 宮城県大河原にある大高山神社の時に、妄想していたことがあります。 白鳥と鷹の話で。 金ヶ瀬という所は、地元の伝承に、あこや姫が訪れていた話があった。 金ヶ瀬も金がとれたタタラ製鉄の場と関係していると言われています。 大高山神社境内には、その面影の物もあります。 その金ヶ瀬にも「金ヶ瀬の真野という長者」の話がある。 「ある時、菊模様の笛を吹く身分の高い青年が訪れる。 その人を住まわせると、田畑の手伝いをしてくれた。 その地を「お笛田」とよんだ。」 金ヶ瀬に真野とよばれた長者の話になっていて、 用命天皇が山路の名を変え、牧童になり、笛を吹けば 猛牛も馴養できたことが伝承になったと言われています。 おそらく、用命天皇か都からの貴族がやってきて、「真野」と呼んでいた為、 真野の長者伝説になったと考えられます。 奥州街道にあった場所らしいですが、正確な場所は不明です。 用命天皇は、587年頃でかなり古い。 その後、天皇に即位したのが崇俊天皇なので、藤原家が都から左遷されたような話です。 崇俊天皇の妃(最初の)が、大伴小手子で小手姫になっています。 出羽三山開山の蜂子皇子の母と伝わる。 福島の「真野」についてみると、養蚕を伝えた小手姫にも繋がっているようです。 養蚕を伝えるために、遠い陸奥国へほぼ単身でやってきた機織り婦人。 陸奥開拓には、養蚕も奨励しています。 坂上田村麻呂は、そのサポートをしていたと考えられます。 なので、宮城県にはマロと、(坂上田村麻呂以下マロで。) 陸奥の豪族の娘と結婚して~・・・・という話が残るのです。 それは、養蚕を奨励するために左遷された、斎宮(祭祀)であったかもしれない。 元は、朝廷に仕えていた巫女であった可能性はあります。 機織りも「衣をまとう」ので、機織りそのものが神格化されていたでしょう。 金ヶ瀬の「笛」伝承と似ている所では、そこから北上すると岩沼にあたる。 岩沼の千貫・深山に斎宮があったとされ、「おすずひめ」伝承があります。 角田が日高見国であったという説が浮状するのは、「真野」を考えれば否定できない。 角田には麻積郷(おうみごう)と静戸郷(しずのべりのごう)があり、 麻と絹の養蚕がさかんであった所です。 麻積郷は、郡山遺跡一帯を含むので、ここが「伊具」の総称となった。 後に、伊達家がそれを継承していきます。 だから鶴の恩返しなんだ~。 -------------------------------------------- さて、もう一度、松尾芭蕉の石巻の話に戻ります。 「袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、はるかなる堤を行く」 と、奥の細道に書いてある。 住吉大社にも寄っている。 「帰ニ住吉ノ社参詣。袖ノ渡リ、鳥居ノ前也。」(曽良事項日記) ※日和山の松尾芭蕉と曽良の像(逆光だったのであえてモノクロに) 歌枕「尾ぶち(の牧)」の地は、旧北上川の東岸にある海抜250mの霊山。 それが牧山のこと。 曽良事項日記で、「尾駮(ぶち)御牧。石ノ巻ノ向牧山ト云山有。ソノ下也」とある。 歌枕の「真野の萱原」は、奈良時代が発祥とされる。 石巻市の真野・萱原地区は、古くから萱や葦や荻の生育地で、 「おくのほそ道」に書かれた「まのゝ萱はら」はこの萱原地区とされているそうです。 当地の長谷寺(ちょうこくじ)参道入口に、「真野萱原伝説地」の文字と、 藤原定家の「露わけむ秋の朝気は遠からで都は幾日まのの葦原」の歌を記す 木製の標柱が建てられている。 逆光で読めないけど、おくのほそ道の碑。 もうひとつ、「真野の萱原」は、和名抄では、「陸奥国行方郡真野郷」のこととある。 現在の、相馬市鹿島町。 ここが、真野であるという定説に。 なぜ、石巻の長谷寺に歌が残されているのか。 「ちょうこく」ではなく、「はせ」ではないかな? 相馬市鹿島に真野古墳群があります。 前方後円墳と多数の小円墳で構成される大規模古墳群。 時代は、5、6世紀頃。 南相馬に真野川が流れていますけど、 南相馬市かしま観光協会の写真が、エミシっぽい。 相馬野馬追に出場する馬の調教も見ることが出来るそうです。 写真:南相馬市かしま観光協会 http://www.kashima-kankou.jp/2017/05/18/%E7%9C%9F%E9%87%8E%E5%B7%9D%E6%BC%81%E6%B8%AF/ そんな古墳群で、また武蔵と繋がります。 武蔵の「サシ」は、焼畑のことを言います。 「さし」や「さす」は、「指」の漢字を使いますが、 小手指などもそれで、実家の付近にも「指」の地名が残っています。 そのサスが、狼信仰が残る福島県飯舘村の山津見神社です。 狼の天井画が復活した神社ですが、 白い狼に導かれた伝承があり、この付近の山を佐須山といい、 サスは、焼畑の由来があります。 要するに、焼畑農業=狼であると。 秩父宝登山の由来で、ヤマトタケルが山で火に囲まれた時に、 狼が助けて導いてくれた伝説があります。 これも、焼畑の火に囲まれたとみる。 抜け出せなくなり、助けたのは、先住民。 白い狼ならば、そのまま白人だったとか。 焼畑農業が衰退し、森から動物がいなくなったので狼が絶命したと考えるのが自然です。 どうやら、この焼畑農業が、真野と萱に繋がりそうなのです。 スサノオの由来も、サシ・サスからスサの倒語になったと思います。 逆さ杉というように。 言葉も逆さに使うことが度々あります。 スサノオは焼畑農業を推進していたかもしれない。 その一族にイソタケルがいて、焼畑農耕を進めるために、森林の再生を行っていたと考えられます。 植物の多様性を考えていた人々。 秩父の8割は、焼畑農業でした。 稲が育つ環境ではないので、和銅がとれて渡来人が住もうとしたが、 岩盤の上に秩父があるので、掘っても硬い石がでてくる。 そのため、山を下りて大宮のある付近(現在のさいたま市)や群馬県にも移動。 埼玉県北部と群馬は巨大古墳を残すくらいの、騎馬民族によって作られた王国になります。 北関東の一帯は青々とした平野だったので、「毛野国」とよんだ。 上毛野国は群馬、下毛野国は栃木。 そのひとたちが、北上して相馬へやってきたわけです。 秩父が国津神だったのは、焼畑農耕をしていたからでしょう。 幸いなことに、稲が育つ環境ではないので、天孫系が祀られていても早くに見切りをつけて、 去っていったのでしょう。 そのまま秩父や飯能(小手指も含め)に残ったのが、サンカだったと思います。 相馬の真野郷には、奈良の役所が置かれたところで、行方軍団(丹取軍団みたいな)もあった。 蘇我氏に暗殺された伝承がある崇俊天皇がいますが、 崇俊天皇の異名が、「泊瀬部天皇」とよばれ、 泊瀬→長谷→支倉になっていることを、以前、柴田町の新羅の郷で妄想してました。 支倉常長の出生地とされる。 この先、入間田があり巨石文明残る拆石神社があるところ。 その崇俊天皇のお后が小手姫で養蚕を伝えていた伝承になっている。 ということで、石巻の真野は、福島県相馬市の真野川に由来すると思い、 また、蝦夷征伐より以前から、陸奥開拓へやってきた人の中に、 養蚕を奨励してきた女性がいて、その教育をマロみたいな人から受けていた 可能性があります。その最初の基盤を作ったのが、大伴氏の小手姫でした。 さて、次は、小手姫伝承から真野の実態に近づいてみます。 つづく close

真野にある零羊崎神社と香野姫(2)
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ 東北地方の伝説(宮城県) 神社
投稿日時 2018-04-05 04:40:05

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