「ゴールデンウィーク企画」最終回?は我が村の神社『井田神社』をご紹介します。の詳細

「ゴールデンウィーク企画」最終回?は我が村の神社『井田神社』をご紹介します。
「高天原の縁側日記」
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記事タイトル 「ゴールデンウィーク企画」最終回?は我が村の神社『井田神社』をご紹介します。
概要

「ゴールデンウィーク実家帰省企画」の最期を飾るのは、思いでの詰まった我が村の社『井田神社』です。目次【プロローグ】故郷の誇りを確かめに『八幡さん』にお詣り。・兎追いしあの頃、「凄いぜ!でかいぜ!」・伊福城が併設されています(笑)。・式内社:但馬國氣多郡『井田神社』・兵庫県無形文化…… more 財”井田大神楽”と四年に一度の大祭り【最後に一言】三つ子の魂百まで。【プロローグ】故郷の誇りを確かめに『八幡さん』にお詣り。今回ご紹介いたしますのは、私の故郷”兵庫県豊岡市日高町鶴岡区”の村社『井田神社』です。前回も申しましたように、鶴岡区は、日高町(市町村合併によって現在豊岡市日高町(旧:城崎郡日高町)の中でも歴史上一番といっても過言では無い大きな地区です(地図をご覧に入れます。)。勿論但馬地方の過疎化によって人口は減ってきてはいますが、平安時代に国府が存在した場所(二度の移動があり二期国府の位置は確定出来ていません。)と、明治以降日高町久斗地区にグンゼ工場の社員寮(女工さんがかなりの人数労働に従事していました。)が有った時期意外は、日高町(旧但馬國氣多郡)最大の人口を誇っていたと思います。(顔の修正はしてませんが、区長さんの許可の元撮影してます。でも真ん中はひどい?弟です。笑)子供の頃は、お詣りに行くというよりはよく遊びに行きました。カブトムシやクワガタムシを取りに行く場所でした。私が初めて徹夜をしてカブトムシを一人で捕獲したのも、この神社でした。要領の良い上級生がいつも私よりも先に行って昆虫を取ってしまっていたので、絶対に欲しかった私にとっては徹夜して暗いうちにチャレンジするしか彼らに勝てる方法はなかったのです。最初に取った一匹はカブトムシの♀でしたがすごく嬉しかったことを記憶しています。そんな井田神社ですが、古い歴史を誇る神社であるとともに円山川の岸壁という天然の要害を備えた山城「伊福城」という側面も持ち合わせています。今回ネットで地図を探してみたところ神社の裏山そのものが城として存在していたことにが分かり、びっくりしました。それでは、『市郎右衛門』の歴史ブログをお楽しみ?くださいね(人´ω`*).☆.。 絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ポチっと」クリックして応援お願いします。|o´艸)。oO(Thank you)。バナーをクリックしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~!有難いことに現在、市郎右衛門のブログは、皆さんのお陰でランキングTOP10にINしておりますので、「高天原の縁側日記」をもう一度クリックして頂きますと、元のブログに戻ります(^人^)。又PCの片方は、Ctrlを押しながら「ポチっと」上のバナーを押していただけますと、ブログから離脱せずに応援していただけます。兎追いしあの頃、「凄いぜ!でかいぜ!」”兎追いしあの頃”と書きましたが、実際は昆虫追いしあの頃ですね、先日クワガタムシの値段について検索するとミヤマクワガタとノコギリクワガタを比べるとミヤマクワガタの方が高額なのにびっくりしました。井田神社にはミヤマクワガタが以外に多くてノコギリクワガタが少なかったので、ノコギリクワガタの方が値段が高いと大人になるまで思っていました。ノコギリクワガタの顎のラインの美しさに魅了され、今でもノコギリクワガタは上手にスケッチできます。上の地図は、鶴岡地区の現在の範囲を赤線で囲い表したものですが、いかに鶴岡地区が大きいかお分かりでしょう。実際に人が暮らしているのは円山川の西側と対岸一部なのですが地区が多くの山林を保有しているのは珍しいと思います。時代を遡ること400年戦国時代に豊臣秀吉の弟秀長が但馬征伐(但馬人としては但馬侵略としたいです)の時秀長に味方して”漫画センゴク”で有名な「仙石権兵衛久秀」や城作りの名人としても有名な「藤堂高虎」などと共に『水生城』を攻略した郷氏一族がいました。その一族は宵田城主の垣屋氏に代わって但馬国氣多郡のほとんどを褒美として手中にしたと言われています。その一族は現在も続いており地区のほとんどの土地に関係を持っておられます(つまり大庄屋)。さて我が家ですがどちらかと言うと但馬側勢力であったと伝わっています。ただ郷氏一族との関係もあり、古くは婚姻関係も結んでいるようです(江戸初期に二度我が家から嫁に行っているようです。その理由も調べたいですね。)。戦国期の但馬は山名氏と山名氏四天王(垣屋・田結庄・太田垣・八木)が支配していましたが、「織田勢・羽柴秀吉軍」が攻撃を始め山名が有子山城(現出石城山城部)から逃れると、羽柴軍に内通するものも出て、毛利支配下の但馬勢力と二派閥に分かれて戦闘に成ります。この隙をつくように美作を抜けて因幡に攻め込んだ秀吉と対峙する事になった「毛利勢・吉川元春」は但馬に援軍を送りようもなく、弟「羽柴秀長軍」が難なく但馬を制圧しています。伊福城が併設されています(笑)。 (円山川沿いの井田神社参道ですが、車通交止めに成っています。)(伊福城図、井田神社裏山全てが山城ですね。)次は伊福城概略ですが、山名氏の家臣下津屋氏の居城でした。康正年間(1455年~1457年)頃には下津屋伯耆守、永正年間(1504年~1521年)頃には下津屋新三郎、永禄年間(1558年~1570年)には下津屋安芸守、天正年間(1573年~1592年)には下津屋丹後守の名が城主として知られています。(父が新鶴岡橋の工事を撮影していました。手前の山が北西五郭(曲輪4)、奥に見える三連山は須留岐山です。川の岸壁は天然の要害です。)「伊福城」は円山川に沿って北西に伸びた丘陵に築かれており、現在は登山道が整備されています。以前は地区の花見を北西五郭(曲輪4)あたりで催すことがありましたが、現在は台風の影響によって登山道が削られることも度々あり花見なども催されなくなったことで、北西五郭の状況もよく分かりません。主郭は山頂にあって東西に長く城内で最も広く平坦です。この主郭の周辺に腰曲輪などが付いており、曲輪の切岸も高く明瞭です。主郭の北西側は堀切状の窪地の先に一段の曲輪があり、南東側は竪堀が長く伸びた堀切と、北側のみ竪堀のような感じに落とした二重の堀になっています。また、北東側の山腹に三条の竪堀があり、西の二条はともに深く長く伸びているようです。子どもの頃に神社の裏山に当る城山中を駆けずりまわって遊びました。当時は城山だとは思ってなかったですね~(;^_^A 式内社:但馬國氣多郡『井田神社』(鳥居が新しくなってました19年前長女の宮参り以来です。)(かごの木?なんじゃもんじゃ?)式内社但馬國氣多郡『井田神社(旧村社)』は主祭神「倉稲魂命(ウカノミタマミコト)」 配祀神に「誉田別命・気長足姫命(ホンダワケノミコト・オキナガタラシヒメノミコト)」を祀っています。                  倉稲魂命(ウカノミタマミコト)は、『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記されます。名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神です。両書とも性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきました。『特選神名牒』には、大冝都比賣命(オオゲツヒメ)とありやはり穀物神です。 誉田別命(ホンダワケノミコト)応神天皇(おうじんてんのう)の事です。(仲哀天皇9年12月14日~応神天皇41年2月15日)は、第15代天皇(在位:応神天皇元年1月1日~同41年2月15日)。諱は誉田別尊(ほむたわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけのみこと)。気長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)神功皇后は『古事記』ではオキナガタラシヒメ命という名で記され、神社ではその名で祀られることが多いです。オキナガとは地名とも長寿の意味とも言われ、タラシは尊称でこの語を名にもつ天皇も多いそうです。第十四代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后で、八幡神として祀られる第十五代応神天皇の母です。但馬では始祖とも言われる『日本書紀』では「天日槍」、『古事記』では「天之日矛」が出石神社に祀れており、神功皇后の祖先としても知られています。(古い神社は階段が定番。)創祀は不詳ですが、元々は倉稲魂命を祀っていましたが、嘉祥元年(848)悪疫流行の際、山城国「石清水八幡宮」より誉田別命・気長足姫命の二柱を勧請したと言われています。 山陰本線「江原駅」の北東1.5Kmほどの距離です。国道482号線を進み、円山川にかかる新鶴岡橋を渡って左に戻りと参道入口(鳥居)がありますが、車は通行止め、入口には「式内井田神社」と刻まれた社号標が立っています。車で向かうなら、新鶴岡橋経由上之郷区から井田神社へ向かう山道か、もしくは日置区日置橋から鶴岡区の多田谷経由の迂回路を使わないと行けなくなっています。社号の井田は「いだ」とも「いた」とも読み、通称は伊福八幡社(伊福は鶴岡、江戸期前の名前です。)です。神社の鳥居は円山川に面しており、川の方向から階段が続き船着場があります現在の参道が付く前は対岸から船で参拝するのが正式な参拝していました。鳥居(私の知る限り3回作り直され現在は御影石)をくぐり階段を上り、木々の茂った参道を進むと境内です。明治以降の一時期、円山川対岸の楯縫神社が井田神社に合祀されていましたが、昭和二十二年、現在地(対岸日高区)に分離されました。(もう少し、見えて来ました。)(初めてカブトムシをつかまえたしいの木です。)(拝殿と神殿は一緒にUPします。)『播磨国風土記』では、「アシハラシコの黒葛は一条は但馬の気多の郡に、一条は夜夫(養父・ヤブ)の郡に、もう一条はこの村(御方里・おごうり)に落ちたので三条(ミカタ)と云う。」とあり葦原醜男(大国主・アシハラシコ)と天之日矛の土地争いの話が出て来ます。さらに『但馬故事記(貴重な歴史資料と考えるべきか偽物と考えるべきか?な書物です。)』では、神功皇后2年、気多の大県主の物部連大売布命が亡くなり、その子・物部多遅麻連公武をもって多遅麻国造とする。 多遅麻国造、彦狭知命(職の神)の末裔・楯縫首を召し、矛・楯を作らせ、(式内楯縫神社は現在地ではなく鶴岡字多田谷) 石凝姥命の末裔・伊多首を召し、鏡を作らせたとあります(式内井田神社)。伊多首は鏡造りの祖・石凝姥命(いしこりどめのみこと)事で鋳含(いふく)丘に祀りました。やはり伊福は鋳含から来ているようです。兵庫県無形文化財”井田大神楽”と四年に一度の大祭り(幟を持った村役さんたちです。)(続いてお囃子。)(御神輿来ました。皆さんへべれけですが、大祭りですから。)(子どもだんじり、一つの区で出来るレベルは越していると思いませんか?凄いぜ~!)(女の子たちの手踊りですが雨のため急遽、我が家で踊る事に(;^_^A、30分で準備無理があると思うけどね。)井田神社大祭(ここでいう大祭四年に一度の事ではなく通常の秋のお祭り)は、鶴岡区の氏神である井田神社に奉納する秋の神事で、五穀豊穣、村内安全を祈願するため江戸初期から始まったと伝えられています。例年は『大神楽』と「子どもだんじり」だけの奉納ですが四年ごとの夏のオリンピックの歳には区民総出の大祭が行われます(戦中戦後は時節柄、また男手不足から中断していました。私が中学生の1976年モントリオールオリンピックの年に再開されるようになったと記憶しています)。昔の大祭では、屋台に乗る囃子や三十石船で円山川を渡る雅やかな船渡御(ふなとぎょ)勇壮な馬の早駆けなども行われ、一つの地区の祭としては稀有のにぎやかさでした。現在は、陸渡御(りくとぎょ)のみとなり、旗持ちと大太鼓を先導に神輿が練り歩き、それに続き屋台、囃子、大神楽、子供の手踊り、子供だんじりなどが随行して総勢300人の行列が区内を一日かけて巡行します。(物語があります。獅子のわがままを放置しない天狗が剣を奪う。)(獅子と天狗のにらみ合いです。)(獅子をこらしめる天狗。)(力比べで天狗が勝ち、改心した獅子に太刀を返す。)(獅子は喜んで豊穣の舞を踊る。伊勢太神楽は、”壬申の乱”の時大海人皇子「後の天武天皇」が舞った姿を模しているそうです。)『大神楽』ですが「伊勢大神楽」の流れを汲むと思われ、兵庫県の無形文化財に指定されています。午前中に氏子を廻り「浄めの舞」を舞い、午後2時過ぎに井田神社本殿前で「幣の舞」「天狗の舞」「祇園囃子」「剣の舞」「わくわく」「豆ひろい」「乱獅子」を奉納します。円山川の対岸(左岸)にある楯縫神社と氏子が合併した時期があり、大神楽もかつては一つで、芸態・衣装などよく似ていますがいずれも、約200年前の文化年間が起源と伝えられています。【最後に一言】三つ子の魂百まで。子供の頃の思い出は楽しいものばかりでもありません。せっかく捕まえたミヤマワガタを無理やり上級生に買い取られたこともあります。今思えばおかしな感じがしますが、両親はすごく怒ってそのお金(50円でした。)を私に返しに行かせました。その上私が採った虫までも、上級生にプレゼントしてしまいました。教育者だった両親は、そのようなことにも厳しかったような気がします。さて今回久々に”お宮さん”を訪れ、やはり故郷はいいなあと感じました。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と言いますが、離れているからこそ良いところが目につくような気がします。父が送ってくれる米や野菜や果物はいつも新鮮で美味しい、これで母が健在でいてくれたらと思う今日この頃です。厳しかった父も八十歳を超え、少し弱くなったなあと感じるようになりました。そろそろ田舎に帰って面倒を見る日もそう遠くないかも等と考えています。親不孝をしてきた私、親孝行できる日は限りが有ると考えると複雑な心境です。ブログを書き終えようと目を閉じると「子供だんじりの太鼓の音」「神楽の笛の音」が頭の中に鮮烈に蘇りました、やはり故郷は良いですね。 いつも応援ありがとうございます。歴史って本当に面白いですよね~!今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思います。はげみになりますので宜しくお願い致します(^人^)下の日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナーを「ポチっと」と、クリックして頂けましたら嬉しいです。⏬ close

「ゴールデンウィーク企画」最終回?は我が村の神社『井田神社』をご紹介します。
サイト名 「高天原の縁側日記」
タグ 『神社仏閣巡り』 神社
投稿日時 2018-06-07 01:00:03

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