美具久留御魂神社(富田林市) ・大国主命を祀り水を護る神社の詳細

美具久留御魂神社(富田林市) ・大国主命を祀り水を護る神社
ちょっと気になる! ~大阪発史跡旅~
ページの情報
記事タイトル 美具久留御魂神社(富田林市) ・大国主命を祀り水を護る神社
概要

美具久留御魂神社2018年8月訪問美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)は大阪府富田林市宮町にある神社です。富田林市外の人にはあまり聞きなれない社名かも知れませんが、南河内随一の神域の広さを誇る当社は「延喜式神名帳」という平安時代の書物に河内国石川郡9座のうちの一つとして名前…… more のある式内社でもあります。美具久留御魂神社(富田林市)鎮座地は富田林市の北部、石川左岸の丘陵の麓であり、少し東には狭山池同様に古くから地域の農業を扶けてきた人口のため池「粟ヶ池(あわがいけ)」があります。この粟ヶ池は紀記に記載がある仁徳期の丸邇(わに)池(古事記)、和珥(わに)池(日本書紀)であるともいわれ、古代からこの周辺が重要な地域であったと考えられます。歴史と概要社伝によれば、美具久留御魂神社が創建されたのは第10代崇神(すじん)天皇の10年(紀元前88年)だったとされています。これには、この地にしばしば大蛇が出没し民を悩ませたので、崇神天皇自ら視察して「これは大國主命の荒御魂の荒振るなり宜しく祀るべし」として大国主命を祀らせたことに始まるというエピソードもあります。その後、崇神天皇60年(紀元前38年)丹波国氷上郡の氷香戸辺(ひかとべ・女性)の小児が神懸かりして「玉萎鎮石(たまものしずいし) 出雲人祭(いずもひとのまつる) 真種之甘美鏡(またねのうましかがみ) 押羽振甘美御神(おしはふるうましみかみ) 底宝御宝主(そこたからみたからぬし) 山河之水泳御魂(やまかわのみくくるみたま) 静挂甘美御神(しずかかるうましみかみ) 底宝御宝主也(そこたからみたからぬしなり)」という神託がありました。天皇は直ちに皇太子の活目入彦命(いくめいりひこのみこと=後の垂仁天皇)を河内国支子(きし)に遣わして祀り、「美具久留御魂(みくくるみたま)」の名を贈り相殿に四神を配祀したということです。本殿の裏には真名井ヶ原と呼ばれる丘陵があり、その頂上付近には4基からなる古墳群もあります。この丘陵は神体山(神奈備山)とも呼ばれ山そのものが御神体となっています。これは有名な奈良の大神神社と三輪山のような関係で、共通点も多い神社といえます。また、摂社末社も多数あります(後述)。美具久留御魂神社略記美具久留御魂神社の主祭神は美具久留御魂大神(大国主命)で、左殿に天水分神(あめのみくまりのかみ)、弥都波迺売命(みずはのめのみこと)、右殿に国水分神(くにのみくまりのかみ)、須勢理比売命(すせりひめのみこと)を配祀しています。千早赤阪村に鎮座し、同様の神を祀る建水分神社を上水分社と呼ぶのに対し、当社は下水分社(しものすいぶんのやしろ)とも呼ばれました。また、八尾市の恩智神社を下水分とする場合は当社を中水分と呼んだそうです。このように「美具久留御魂」という名は「水泳御魂(みくくるみたま)」であり、建水分神社同様に水を司り、水を土地に配分する神を祀るということに由来すると考えられています。また、江戸時代の「五畿内志」の一つ「河内志」とそれを引いた「河内名所図絵」では「和爾(わに)池」が喜志村にあるとし、美具久留御魂神社について、「喜志村和爾ノ池の西にあり、一名、和爾神社」としています。美具久留御魂神社説明板当社は歴代天皇からの崇敬が厚く、文徳天皇の嘉祥3年(850年)には神階を従五位上に進められ、光孝天皇は河内大社の勅額を奉納されたそうです。延喜式には官幣社に列せられ「河内国二の宮」「石川郡の総社」とも称せられました。また、平安時代末期にはすでに神域に幾つかの神宮寺がありました。鎌倉時代末期、鎌倉方が赤坂城を攻めた時、喜志にあった西条城と共に焼き払われましたが、間もなく再建され、南北朝時代には南朝歴代の信仰も厚く戦乱の間にも朝廷はしばしば参拝されたり、社殿を造営するなどして治世の安泰を祈願しました。また楠木氏は、前述の上水分社(建水分神社)と共に、下水分社である当社を氏神として寄進するなどして篤く信仰しました。室町時代には下之坊をはじめ11坊、天正の頃には17坊を擁する神仏の霊場となっていたようですが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火により社殿を焼失し、以後神宮寺が再び建つことはありませんでした。その後江戸時代に入った万治3年(1660年)に社殿が再建されました。明治5年(1872年)には郷社に列格し、近隣の村々の氏神を合祀しました。平成6年(1994年)、氏神崇敬者の篤志により、本殿・摂末社および拝殿・社務所等の大改築がなされ、同8年(1996年)に完成しました。美具久留御魂神社案内図神宝・文化財等美具久留御魂神社の神宝は日本神話に登場する須佐之男の秘蔵の神器である生大刀(いくたち・生太刀とも)・生弓矢(いくゆみ)とされます。神話によると、大穴牟遅(おおなむち、後の大国主)は根之堅州国(ねのかたすくに)で須佐之男から須勢理毘売と生太刀、生弓矢、天詔琴(あめののりごと)を奪って葦原中国(あしはらのなかつくに)まで逃げ、そこで反抗する八十神をこれらで倒した後に葦原中国を平定し、大国主と名乗ったとされます。生太刀はもともとは出雲大社の神剣でしたが、現在は当社で祀られています。また、下拝殿右殿には「朝鮮通信使の絵馬」が掲げられています。これは天和2年(1682年)に友好親善使節として李氏朝鮮から日本へ派遣された第7回朝鮮通信使の船旅の様子を描いたもので、元禄8年(1695年)に喜志櫻井村から奉納されたものです。境内とその周辺美具久留御魂神社の神域は南河内随一の広さですが、一の鳥居は一般的な境内への入口と思われる注連柱からさらに500mほど東にあります。一の鳥居一の鳥居は国道170号(旧道)の「桜井」交差点から外環状線へ向かう道路に入ってすぐにあります。これは、この辺りの国道170号(旧道)がかつての幹線道路である東高野街道と重なっているため、街道から丘の麓の神社への参道入口がここだったためと思われます。御旅所また、一の鳥居のすぐ北(喜志寄り)には玉垣と木々で囲われた一角があり、中央に石の舞台の様なものがありますが、こちらは当社の御旅所です。粟ヶ池の北側を通る参道大きな石造りの一の鳥居をくぐると道路はなだらかなS字カーブとなっています。左手には粟ヶ池があり、道路は池の堤の上を通っています。この池の中には富田林市の市民会館(レインボーホール)などがあり、周辺の粟ヶ池共園は春には桜の名所となります。2018年現在、粟ヶ池の橋が完成していないので旧道と外環状線という2本の国道170号を往来する車で交通量は多いので注意が必要です。「宮前」交差点近鉄長野線の踏切を越えしばらくすすむと外環状線の「宮前」交差点に出ますが、ここまで来ると、正面に緑の丘とその麓の美具久留御魂神社が見えます。一の鳥居からここまでの参道を近鉄線と外環状線が横切っていることになります。社名標と注連柱通常、社名標と注連柱のあるこちらから参拝される方が多いようです。美具久留御魂神社大阪府自然環境保全地域の案内板境内から本殿背後の丘陵に広がる林は「大阪みどりの百選」に選ばれています。二の鳥居駐車スペースを抜けると二の鳥居があります。社務所・下拝殿前二の鳥居をくぐると正面に下拝殿が見えます。社務所左手には社務所、その奥に鎮魂殿があります。蔵?右手にはお手洗いと蔵のような建物など。石垣の上の石燈籠は左右にあります。手水舎下拝殿手前右側には大変趣のある手水舎。水盆こちらの水盆は元禄6年(1693年)のもので、縁には多くの盃状穴(はいじょうけつ)と呼ばれる人為的に作られた窪みがありますが、これは安産祈願のために開けられたものとも考えられているそうです。下拝殿手水舎から少し石段を上ると拝殿がありますが、こちらは下拝殿で、上拝殿はさらにこの奥の長い石段を上った所にあります。下拝殿の内部当社の主祭神は大国主命ということで、参拝方法として一般的な二礼二拍手一礼とともに出雲大社と同じ二礼四拍手一礼も書かれています。鳥居から覗く二上山(2017年元旦)下拝殿で参拝し、振り返ると歩いてきた参道や鳥居、そしてその先に二上山が見えます。当社は本殿から拝殿、鳥居と東向きにほぼ一直線に造られていて、その先に二上山があります。さらにその延長線上に鎮座する大神神社は当社と同じく山を御神体とし、祭神も大物主大神(大国主神の和魂(にきみたま)であるとされる)であるなど何かと関連性があるようです。この辺りには「旭ヶ丘」という地名が残っているとおり、天気の良い日には美具久留御魂神社の鎮座する丘から綺麗に旭が昇る光景を見ることが出来ます。祖霊社と周辺の石碑下拝殿の右手には祖霊社があります。獅子頭祖霊社の前には獅子舞で用いられる巨大な獅子頭?が展示されていました。上拝殿への石段(左)と神奈備山への道(右)下拝殿と祖霊社の間を抜けると左に上拝殿への石段、右に御神体である神奈備山への道である「一ノ宮参拝道」があります。一ノ宮奉拝所の一つこの道は本殿を囲む形で一周しており、御神木に併せて方角の先々に鎮座する全国の一の宮の遥拝所が七道ごとに設けられています(畿内は未確認)。上拝殿への石段上拝殿へは長い石段を上りますが、手すりも設けられています。上拝殿ここまで来ると、周りは鬱蒼とした森と苔むした岩で囲まれており、静かで神聖な空気が感じられました。神門上拝殿の先には神門があり、さらにその奥の内陣に建つ本殿が見えます。ここからは立ち入り禁止本殿を囲む壁は格子状になっているので、近付けば中の社殿を垣間見ることが出来ます。熊野貴平神社と南木神社本殿向かって左手には熊野貴平神社(熊野神社(祭神:伊邪那美神、須佐之男神)と貴平神社(祭神:須佐之男命、大国主命、青箭高鈴彦命))と南木神社(祭神:楠木正成、楠木正虎)が鎮座しています。利雁神社・郡天神社・皇大神社また、本殿向かって右手には皇大神社(祭神:天照皇大神、大物主神、事代主神。別名:支子大神宮、河内大神宮)、郡天神社(祭神:菅原道真、事代主命、大国主命)と利雁神社(祭神:保食神、八幡大神、天児屋根命)が鎮座しています。これらは本殿並みに立派な社殿で、郡天神社は西浦村大字東阪田(現羽曳野市東阪田)の郡天神社を、利雁神社は西浦村大字尺度(現羽曳野市尺度)の利雁神社(式内社)を明治時代に合祀したものです。伺候所上拝殿の左手にあるのは伺候所(しこうじょ)。嘉喜門院御廟所下拝殿右手にある祖霊社よりさらに外側に、嘉喜門院御廟所(かきもんいんごびょうしょ)があります。嘉喜門院は南朝後村上天皇の女御であった南北朝時代の女院で、歌人として知られています。支子稲荷神社への石段下拝殿の裏手から右に折れ一ノ宮参拝道を上り始めると整備された石段があり、その先に赤い鳥居が並んでいるのが見えます。ちなみに「一ノ宮参拝道」は一本道ではなく枝分かれしているところも多いので注意が必要です。支子稲荷神社赤い鳥居の先にあるのが支子稲荷神社(きしいなりじんじゃ)です。白雲宮支子稲荷神社からさらに上ると白雲宮があります。こちらは上拝殿、本殿のすぐ北側になります。古墳手前の結界白雲宮の辺りから上には数か所の一の宮遥拝所やなみだれの梅、古墳群等がありますが、山道のようになるので歩きやすい靴で参拝しましょう。美具久留御魂神社裏山古墳群説明板神奈備山頂付近には美具久留御魂神社裏山古墳群があります。この古墳群は4基の古墳からなり、説明板のある1号墳は古墳時代前期に造られた前方後円墳だったようです。英霊社本殿を中心に一ノ宮参拝道を反時計回りに回り下山してくると、最後にこちらの英霊社があります。イメージキャラクター美具久留御魂神社にはイメージキャラクターの「みぐくるん」がいます。このキャラクターは神社の歴史をうまく表していて、二上山の形の頭部に太陽を表す宝鏡、首には五色の大蛇の勾玉、右手に大国主命が潜った山河の流れを象徴する笏?、石川の流れを表した水色の衣に神事の浅沓といういで立ちです。下拝殿周辺で目撃されることが多いようです。みぐくるん旭ヶ岡駅跡一の鳥居がある国道170号(旧道)「桜井」交差点から国道170号(外環状線)「宮前」交差点に向かう間に近鉄長野線の踏切がありますが、この付近にかつて「旭ヶ岡」駅がありました。旭ヶ岡駅跡(2017年10月撮影)この駅は、明治44年(1911年)8月1日の河南鉄道による新設から大正9年(1920年)4月1日に休止されるまでは「宮ノ前」停留場という名称でした。その後、大正12年(1923年)12月28日、100mほど南に移設され「旭ヶ岡」駅として復活。昭和20年(1945年)6月1日休止、そして昭和49年(1974年)7月20日正式に廃止されました。鉄道会社も大阪鉄道、関西急行鉄道、近畿日本鉄道と変わりました。アクセス公共交通機関では、近鉄長野線「喜志駅」西口から出て200mほど西の国道170号(外環状線)の「旭ヶ丘南」交差点を左折します。500mほど先の「宮前」交差点を右に曲がると神社が見えます。車では、富田林市北部の国道170号(外環状線)「宮前」交差点を目指し、羽曳野・藤井寺市方面からは右折、富田林・河内長野方面からは左折すると100mほど先に注連柱が見えます。参道の一部が駐車場になっていますが、車は注連柱の下はくぐれないので左側の道を少し進むと右手に駐車場入口があります。一の鳥居(御旅所はこの右手)なお、一の鳥居や御旅所は「宮前」交差点から約400m東の国道170号(旧道)沿いにあります。Migukurumitama Shrine(Tondabayashi City,Osaka Prefecture) close

美具久留御魂神社(富田林市) ・大国主命を祀り水を護る神社
サイト名 ちょっと気になる! ~大阪発史跡旅~
タグ 大阪府 富田林市 式内社 神社
投稿日時 2018-10-31 02:40:03

「美具久留御魂神社(富田林市) ・大国主命を祀り水を護る神社」関連ページ一覧

新着記事一覧

”❁〚石山寺;秋月祭』龍神池の御神木に【明王様】出現!”


❁【摩訶不思議の世界シリーズ】〚未曾有(みぞう)写真〛 《峠の祥龍》
    ***先年掲載記事が届きましたので~御紹介させて戴きました。***【摩訶不思議の世界】その他最新版は〖松下輝志ツイッターフェイス...
❁【摩訶不思議の世界シリーズ】〚未曾有(みぞう)写真〛 《峠の祥龍》
お寺
2022-09-26 04:22:34

桜につられてお参り「日照山 真證寺」


歴史めぐり 御朱印好きのあちこち紀行
春のこと満開の桜があまりにも素晴らしかったので車を停めて見に行きましたお寺の境内の桜ですこちらからだと逆光なので反対側に回るとさらに美しい桜...
歴史めぐり 御朱印好きのあちこち紀行
お寺 山口県の寺院 御朱印
2022-09-26 01:01:03

府八幡宮


神社 御朱印 日本巡り旅
府八幡宮ふはちまんぐう静岡県磐田市中泉112-10538-32-4762  鳥居の前でペコリ    手水舎    楼...
神社 御朱印 日本巡り旅
神社
2022-09-26 01:00:10

東光院 風鈴祭り (京都府綾部市上延町堂の奥) <東光院 其の肆>


和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
風鐸から風鈴へ(2022.6.17)<コース>【往路】JR大阪(5:55) → JR京都(6:27→6:37) → JR園部(7:20→7:26) → JR綾部(8:25)あやべ駅前観光案内所 →...
和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
お寺
2022-09-26 00:41:52

【2022年9月】京都・奈良・三重県神社参拝&観光まとめ


SERUNAさんちのあじふらい
2022年9月。二日間で京都・奈良・三重に行ってきた記録。URLクリックで記事に飛べます。★一日目(2022.9.6)旅のメインはゴールデンカムイ展。大好き...
SERUNAさんちのあじふらい
【まとめ】旅の記録 神社
2022-09-25 15:00:08

【大阪】住吉大社「初辰まいり」で新たにいただけるようになったステキな【刺繍御朱印】~まとめ版~


~ Destiny 癒しの御朱印巡り ~
【大阪】      住吉大社   初辰まいり とは    毎月最初の辰の日に 種貸社・楠珺社・浅澤社・大歳社の   ...
~ Destiny 癒しの御朱印巡り ~
御朱印 神社
2022-09-25 14:40:07

重陽の節句は陸奥国分寺の菊理媛命さま~【木ノ下白山神社(宮城県仙台市)】


ハロちん♪と参拝歩記
木ノ下白山神社(きのしたはくさんじんじゃ)2022.9.9(金)宮城県仙台市若林区木ノ下に鎮座する白山神社へ行ってきました薬師堂にある鐘楼へ近づいてみ...
ハロちん♪と参拝歩記
お寺 神社
2022-09-25 14:21:24

狛犬たちのモノローグ  File.1249  胡録神社  其の弐


白獅子・黒狛犬
若者と中年をつなぐライン「 えっ えー !! 今の若い人にとっては LINEって中年との連絡ツールになってしまったんだってー」「 ほんとうに ⁈ ...
白獅子・黒狛犬
狛犬たちのモノローグ 神社
2022-09-25 04:40:14

東光院 本堂 (京都府綾部市上延町堂の奥) <東光院 其の参>


和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
丹波の厄除薬師(2022.6.17)<コース>【往路】JR大阪(5:55) → JR京都(6:27→6:37) → JR園部(7:20→7:26) → JR綾部(8:25)あやべ駅前観光案内所 →...
和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
お寺
2022-09-25 00:41:01
;