近鉄奈良橿原線ー1 薬師寺-1の詳細

近鉄奈良橿原線ー1 薬師寺-1
素人漁師の独り言
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記事タイトル 近鉄奈良橿原線ー1 薬師寺-1
概要

12月27日の誕生花       ウ    メ (梅)花言葉:    高潔、忠義、澄んだ心、忠実   ♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:今回は「近畿日本鉄道 南大阪…… more 線」 土師ノ里から古市駅で乗り換え「近鉄橿原線」 大和路の平城京を訪ねた。南大阪・吉野線京都・橿原線  最初に降り立ったのは 近鉄橿原線「西ノ京駅」        駅を出れば案内板が有った。薬師寺境内図 右 薬師寺 左 薬師寺塔頭 三蔵院薬師寺  奈良県奈良市西ノ京町457  電話 :0742-33-6001西ノ京駅から東に歩けば 塔頭 三蔵院に出る 右折すれば突き当りに薬師寺「興楽門」が有る。         興楽門を左折すれば拝観受付の北門が有る。秋の特別拝観券もセットされていた薬師寺は、「法相宗(ほっそうしゅう)」の大本山で白鳳時代680年、天武天皇によって皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し発願され、697年持統天皇の時代に完成しました。当時は、その大伽藍はわが国随一の壮麗さを誇り、金堂や塔のたたずまいは「龍宮造り」と呼ばれるほどの美しさでした。その後、平城遷都に伴い、718年に飛鳥の藤原京から平城京に移されました。幾多の災害により東塔を除いて失なわれたが現在は復興され、1998年ユネスコ世界遺産に登録されました。拝観券を購入して聚楽殿に入る 建物内は薬師寺拝観の事前説明がされていた。沢山の修学旅行生に混じり拝聴した境内に出れば右に「食堂」が有り内部を特別公開されていた食堂は僧侶が斎食をするための建物で、僧侶約300人が一堂に会する規模であったと発掘調査により判明しています。『薬師寺縁起』によると食堂の規模は東大寺、大安寺に次ぐ大きさとされており、その記録がほぼ裏付けられています。          阿弥陀三尊浄土図新たに復興した食堂は、建物外観は奈良時代の意匠を凝らした作りとし、内部は現代技術を活用することで広い空間を確保し、食堂を多目的に利用することを想定しています。堂内には田渕俊夫画伯により描かれた食堂ご本尊「阿弥陀三尊浄土図」を中心に、全長50メートルにわたる壁画「仏教伝来の道と薬師寺」が祀られています   旅立ち   仏教伝来の道と薬師寺 全14面より                  帰帆                   うねび                   平城京 食堂の拝観を終えて参道を戻ると「鐘楼」が見えます重要文化財の梵鐘は薬師寺白鳳伽藍の「東僧坊」の南側に隣接する位置にあり 当時の薬師寺の梵鐘が災害に寄り失われたので現在の大和郡山市植槻町にあった「建法寺(植槻寺)」奈良時代に造られた鐘楼を平安時代中頃の長保5年(1003)に移転されたものである。当時の薬師寺は 藤原一族・興福寺とのつながりも深かったと考えられている  鐘楼の横を南進すると右に鮮やかに朱色が施された昭和59年再建の中門を中心に両側に伸びている回廊が有る回廊の左を進むと 東院堂【国宝】鎌倉時代 が有る。東院堂は、養老年間(717~724)に吉備内親王[きびないしんのう]が元明天皇[げんめいてんのう]の冥福を祈り、建立されました。奈良時代は現在地の東側に建てられていましたが、天禄4年(973)の火災で焼失しました。現在の建物は正面7間、側面4間の入母屋造本瓦葺で、弘安8年(1285)に南向きで再建されましたが、享保18年(1733)に西向きに変えられました。高い基檀の上に建つのは、水害・湿気を避けるためであり、鎌倉時代後期の和様仏堂の好例です。 聖観世音菩薩像東院堂本尊。【国宝】白鳳時代の名称は「銅造観音菩薩立像」。像高188.9センチ。飛鳥時代後期(白鳳期)または奈良時代(7 - 8世紀)。蓮華座上に直立する菩薩像で、右腕は体側に垂下し、左腕は曲げ、手は肩の辺まで上げて掌を正面に向ける。蝋型鋳造による銅像で、右手先や天衣遊離部などを別鋳とする。像表面の鍍金はほとんど剥落する。光背は木造の後補で近世の作。『薬師寺縁起』によれば、東院堂は養老年間(721年頃)、元明太上天皇の病気平癒のために建立。日本屈指のお美しいお姿の観音さまといわれ、薄い衣を召し、その衣の美しい襞の流れの下からおみ足が透けて見える彫刻法は、インドのグプタ王朝の影響を受けたものです。四天王立像【重要文化財】鎌倉時代四天王は古代インドの神が仏教にも守護神として取り入れられたものです。東・持国天、南・増長天、西・広目天、北・多聞天が配されます。東院堂に安置される四天王は多聞天の台座に記された銘文より、正応2年(1289)に像が作られ、永仁4年(1296)に彩色が完成した事がわかります。彫刻の技術、彩色の保存状態がともに良好で、平成30年に新たに重要文化財に指定されました。東院堂の拝観を終えて回廊を右に出ると左に南門が有る南門(重文) - 境内南正面にある小規模な四脚門。室町時代・永正9年(1512年)の建築で、もとは薬師寺西院の門であった。南門右には中門が有る。左に西塔・右に工事中の東塔現在の中門は、昭和59年(1984年)に再建されたものであり、西塔などと同じくまだ比較的新しい雰囲気を感じさせる建築となっており、同じく再建された東西の回廊と一続きとなった美しい佇まいを見せる存在となっています。建築様式としては、東大寺転害門などでも見られる三角形の棟が三つ設けられた「三棟造」と呼ばれるものとなっており、重厚感を感じさせるものにもなっています。中門左右には「二天王像」が有る武装した佇まいの二天王像は、1991年の造立であるため奈良にある仏像としては珍しく完全な「彩色」が施された状態となっています。         右                  左 中門を潜ると右に「解体修理中の東塔」中央に「金堂」左に「西塔」が配置されている。先ず右の東塔(国宝)は2020年6月まで修理のため覆屋に覆われています薬師寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)に遡る唯一のもの。総高34.1メートル(相輪含む)。日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇る。屋根の出が6か所にあり、一見六重の塔に見えるが、下から1・3・5番目の屋根は裳階(もこし)であり、構造的には三重の塔である。仏塔建築としては他に類例のない意匠を示す。塔の先端部の相輪にある青銅製の水煙(すいえん)には飛天像が透かし彫りされており、奈良時代の高い工芸技術を現代に伝えている。左には 今回「西塔内部」が特別公開されていた西塔 - 東塔と対称的な位置に建つ。旧塔は享禄元年(1528年)に戦災で焼失し、現在ある塔は1981年に伝統様式・技法で再建されたものである。デザインは東塔と似ているが、東塔が裳階部分を白壁とするのに対し、西塔は同じ箇所に連子窓を設けるなどの違いもある。東塔も元々は連子窓であったが修復で白壁にされた。一見すると東塔に比べ若干高く見えるが、これは1300年の年月の内に、東塔に材木の撓みと基礎の沈下が起きたためであり、再建された西塔はそのような年月の経過を経験していないため、若干高く見えるとのことである。西塔の再建に当たった文化財保存技術者西岡常一によれば、500年後には西塔も東塔と同じ高さに落ち着く計算とのことである                                      回廊で拝観券を渡し塔内に入ると塔の心柱を囲むように東正面に釈迦が苦行を終えた後、菩提樹の下で草刈人から捧げられた草を敷き瞑想に入られ マーラ(悪魔)の遣わした三人の美女の誘惑や、猿、猪、象など動物の頭を持つ醜い化け物の姿にや 武器を携えた魔衆の脅迫に動じずに瞑想を続け、右手を地に触れて大地の女神を召還し、遂に成道を果たす様子が表されています時計回りに回ると南に「転法輪」と書かれた彫刻が現れます悟りの後、鹿野苑にて苦行仲間であった五人に比丘で最初の説法をします。以降、マガダ国のビンビサーラ王に迎えられ、霊鷲山で瞑想されるお姿が表現されています。中央左には精舎を寄進する為金貨を敷き詰めるスダッタ長者が、左側には、死後三十三天に昇られた実母マヤ夫人への説法からお戻りになる際の金・銀・瑠璃でできた階段が見られます。次の場面は西面に クシナガラで病に倒れたお釈迦様は、沙羅双樹の間に身を横たえて涅槃に入られます。満月の中マヤ夫人がお迎えに来られています。周りには最後の施しをしたチュンダや水を運ぶ者、疲れ果てて眠る者など沢山の弟子達がお釈迦様の涅槃を悲しんでおり、そして足元では身の回りのお世話をしていたアーナンダがひと際嘆いている姿が描かれています最後北面にお釈迦様の涅槃に駆けつけるマハーカッサバ。その後お釈迦様は荼毘に付されたと言われています。象に乗った各国の使者たちは仏舎利をもらおうと諍いを始めます。それを諌めたバラモンのドローナが仏舎利を八つに分け、代表となる八ヶ国に分配します。各国の使者たちは仏舎利の納められた容器を象に乗せて帰国し、各地に仏塔を建ててお釈迦様を拝したとされています西塔の拝観を終えて中央に有る「龍宮造り」と呼ばれる金堂に向かった。薬師寺の中心のお堂で、ご本尊をお祀りしています。大きく広がる屋根は軒先が美しいカーブを描きます。その美しさはいつしか竜宮造りと呼ばれるようになりました。創建当初の金堂は戦国時代の大火で焼け落ちてしまい、仮のお堂が建てられました。昭和43年から始まった「お写経勧進による白鳳伽藍復興」により、昭和51年に復興されました。二重(二階建て)の建物の各層に裳階もこし(飾りと風よけの為の小さな屋根)があります。二層目には納経されたお写経を納める納経蔵があります金堂に入堂すると右に椅子が置かれ沢山の人が座って居たその前で住職が説法をされていた。話の粗筋は薬師寺の再興を面白おかしく説明された内容だった。京都の「鈴虫寺」の説法も参詣者の笑いが絶えない楽しい説法だったが 薬師寺の住職の説法も爆笑の連続だった。内容は薬師寺の 金堂は、1528年に戦火に巻き込まれ焼失しました。その後豊臣家が本格的な再建に取りかかるはずでしたが、その豊臣家の滅亡によって400年近く仮堂のままの状態でした。薬師寺にとって失われた伽藍の復興は長年の悲願でした。昭和四十三年(1968)、高田好胤和上は、物で栄えて心で滅ぶ高度経済成長の時代だからこそ、精神性の伴ったお写経勧進による白鳳伽藍復興を始めた。一巻(いっかん)千円のご納経料をいただき百万巻のお写経を勧進して金堂(こんどう)復興を目指しました。高田管長は全国を行脚し、お写経を通した「美しい心の再発見」を呼びかけ、昭和51年(1976)に目標の百万巻を達成。金堂が落慶されました。 お写経勧進による白鳳伽藍復興を始め、平成30年で50周年となります。西塔・中門・回廊・大講堂・食堂と白鳳伽藍の主要な堂塔はおおよそ復興されつつあります。まさに日本人の美しい心の結晶です。薬師三尊像【国宝】白鳳時代薬師寺創建当初よりお祀りしている、薬師寺のご本尊です。金堂は火災で消失しましたがご本尊は火災に耐え、三尊ともほぼ完全な姿です。国宝指定名称は「銅造薬師如来及両脇侍像 3躯」。中尊は薬師如来、左脇侍(向かって右)に日光菩薩(にっこうぼさつ)右脇侍に月光菩薩(がっこうぼさつ)を配している。像高は薬師如来254.7cm、日光菩薩317.3㎝、月光菩薩315.3㎝。日本の仏像彫刻が、中国・六朝や唐の影響を受けつつ、独自の古典様式を完成した7 - 8世紀の作品のなかでも最高傑作の1つとして古来名高いものである薬師三尊像(手前から日光菩薩、薬師如来、月光菩薩)また薬師如来の台座には、ギリシャの葡萄唐草文様、ペルシャの蓮華文様インドから伝わった神の像、 中国の四神 青龍(せいりゅう)・朱雀(すざく)・白虎(びゃっこ)玄武げんぶ)が彫刻されており、シルクロードによって西洋と結ばれていた奈良の国際性を表しています。大講堂・塔頭三蔵院は次週でご紹介します。 出典大橋一章『薬師寺』(日本の古寺美術4)、保育社田辺征夫「都城の大寺 大官大寺と薬師寺」吉川弘文館、町田甲一『大和古寺巡歴』、講談社学術文庫、1『週刊朝日百科 日本の国宝』5号(薬師寺)、朝日新聞社白鳳文化研究会編『薬師寺白鳳伽藍の謎を解く』、冨山房『日本歴史地名大系 奈良県の地名』、平凡社『角川日本地名大辞典 奈良県』、角川書店『国史大辞典』、吉川弘文館特別展図録『国宝薬師寺展』、東京国立博物館、東野治之「薬師寺の歴史」『国宝薬師寺展』所収、東京国立博物館、2008金子啓明「若き古代 初期律令国家の理想仏 薬師寺金堂薬師三尊像について」リンク法相宗大本山薬師寺ウィキペディア  ♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:            猫好きの方必見    ,  ♪ にゃんことわんこのおしゃれグッズをハンドメイド  ♪        Neko'sではネコちゃんワンちゃんに          優しい天然素材を中心に     オリジナルのおしゃれなカラーやおもちゃ      オーナーグッズなどをハンドメイドで          製作・販売しています♪        シニア世代・病中病後に必要な         エリザベスカラーや術後服も        オーダーメイドでお作りいたします。    店長選りすぐりのネコちゃん・ワンちゃんグッズ     インテリア・雑貨なども取り揃えております。       ごゆっくりご覧になってください♡         http://nekos.ocnk.net/  ♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;       12月の新作カラーはクリスマスオーナメントが  散りばめられたような色鮮やかなクリスマス色の生地で            中綿入りの大きなふんわりリボン close

近鉄奈良橿原線ー1 薬師寺-1
サイト名 素人漁師の独り言
タグ お寺 公園・遊園地・名所・旧跡 国内旅行記 歴史探訪 神話 神話 神社 仏閣 関西地方
投稿日時 2018-12-27 15:01:00

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