石清水八幡宮へ参拝の詳細

 石清水八幡宮へ参拝
日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
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記事タイトル 石清水八幡宮へ参拝
概要

平成三十一年 一月五日 石清水八幡宮へ参拝京都府八幡市八幡高坊30に鎮座する神社です。本日2/11もボルダリングしてきました。最近はほとんど成長はしておらず、毎回同じような課題を登っています。(というか登れていませんが・・・)根気よく長く続けて、少しずつ成長して楽しみたいと思い…… more ます。宇治から大阪への帰り道にあるので、最後に参拝させて頂きました。あんなにも山に登るとは思っていませんでした。膝が心配でしたが無事でした。しかし代わりに翌々日まで筋肉痛になりました。旧称は「男山八幡宮」。二十二社(上七社)の1つで、伊勢神宮(三重県伊勢市)とともに二所宗廟の1つ。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 宇佐神宮(大分県宇佐市)・筥崎宮(福岡市東区)または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)とともに日本三大八幡宮の1つ。また宮中の四方拝で遥拝される神社の1つである。本殿を含む建造物10棟が国宝に指定されている。 平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請された神社で、京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座する。皇室からは遠国の宇佐神宮に代わり二所宗廟の1つとして崇敬されるとともに、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された。武家からは特に源氏が源義家が当社で元服したこともあって武神として信仰し、源氏の広がりとともに壺井八幡宮・鶴岡八幡宮など、当社から各地に八幡宮が勧請された。 創建以来、当社は境内の護国寺と一体となる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓の社殿である高良神社を八幡宮と勘違いしたという『徒然草』の話で知られる。その後、明治維新の神仏分離において仏式は排除された。仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えたが、現在も同祭は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。 境内は国の史跡に指定されており、大きく分けて本宮のある山上の上院と、頓宮や高良神社のある山麓の下院とから成る。また、本社10棟の建物が国宝に指定されている。「やわたのはちまんさん」と呼ばれ親しまれている。【第一鳥居と社号碑】【第一鳥居】【第一鳥居の扁額】【頓宮殿の門】年に一度の「石清水祭」で、本殿から神様が遷られる重要な社殿です。鳥羽伏見の戦い(1868年)で一度焼失し、現在の社殿は大正4年(1915)に造営されました。平成の大修造(2010年~2011年)によって、桧皮葺であった屋根は銅板葺に葺き替えられています。何か分からず写真は撮っていなかったです。【頓宮殿の朱色門】【高良神社】兼好さんの『徒然草』第52段に、石清水八幡宮が登場します。ある仁和寺のお坊さんが、かねがね石清水八幡宮に参拝したいと思っていました。やっと念願が叶って一人で出かけたのですが、男山のふもとにある極楽寺や高良神社(こうらじんじゃ)が八幡宮だとすっかり思い込んで、山には登らず、帰ってきてしまいました。そして仲間に、「お参りを済ませた人が山へ登って行ったのだが、上に何かあったのだろうか。知りたかったけれど、神社に参拝することが本意なので、山までは見ませんでした」と語ったのです。その山上にこそ石清水八幡宮があったのですが、とんだ思い込みで、肝心の八幡宮にお参りできなかったという話です。兼好さんは、このお坊さんの話から、「少しのことにも案内人がほしいものだ」という感想を述べています。【第二鳥居】【参道(坂道)】なだらかですが、かなりながい坂道が続きます。【第三鳥居】ここで登りの坂道は終わります。汗だくでジャンパーも脱ぎました。こちらをくぐると、通称「勝負石」と呼ばれる勝運の石「一ツ石」があり、その他、二ノ鳥居の前にある“源頼朝ゆかりの松”や、くじ運の御利益があるとされる「大扉稲荷社」、などあったそうですが知らずに素通りしていました。【手水舎】【南総門】【国宝の社殿】本殿の二棟は、現存する八幡造りでは最大にして最古の建物で、幣殿・舞殿・楼門・廻廊・武内社などから成ります。本殿の中に鎮座する武内社は、武内宿禰命(たけうちすくねのみこと)が祀られています。武内宿禰命は、応神天皇、神功皇后に側近として仕え、300歳以上生きたという伝説があり、延命長寿の神として信仰されています。現在の社殿は、1634年徳川家光によって造営されたものです。【社殿ズーム】八幡造りの本殿は、楼門を中心に、大鳥が両翼を広げたように廻廊が延び、2階の檜皮葺の屋根と瓦葺きの屋根とが調和して、荘厳で華やかな美しさがあります。軒には極彩色の虎や龍の彫刻が施され、八幡様のお使いである神鳩の飾り金具が光っています。よく見ると右側の鳩は少し口を開けています。阿吽の狛犬の役目を果たしているそうです。【裏参道】帰りは裏参道に誘導されました。後ろを振り返った写真です。急な階段が続きます。【御朱印】八の字が鳩になっていませんでした。ご縁があれば頂けるそうです。私が頂いた後ですが初めて見かけました。御朱印を書いて下さる方が、大あくびをしているのを見ました。後ろ向くか隠して頂きたかったです。今回から初めて外で写真を撮り、ラインカメラというアプリで編集して台紙をつけてみました。夜、家の中で撮るよりいいのかなと思いやってみました。その他、知らなかったスポットがありました。次回は必ず見たいと思います。【信長塀】本殿の左側、西総門(重文)に連なる塀は、織田信長が寄進したと伝えられる「信長塀」です。瓦と土をいくつも重ねて分厚く作られており、銃撃から守り、耐火・耐久にも優れていたといわれています。【御神木】本殿の左に、1334年、楠木正成が必勝祈願に参拝した時に、奉納したと伝えられる大クスノキです。樹齢700年近いご神木です。【石清水社】東側の参道から少し降りた男山の中腹に、石清水社があります。石清水八幡宮の摂社で、山上の八幡大神より古く、天之御中主神(あめのみかなぬしのかみ)を祀っています。冬に凍らず、夏に涸れない霊泉とされる清水が今も湧き出ており、石清水八幡宮の社号の由来となったところです。【主祭神】八幡大神(誉田別命、比咩大神、息長帯姫命の総称)中御前:誉田別命 (ほんだわけのみこと) 第15代応神天皇の本名。西御前:比咩大神 (ひめおおかみ) 宗像三女神、すなわち多紀理毘売命(たぎりびめ)、市寸島姫命(いちきしまひめ)、多岐津比売命(たぎつひめ)の3柱を指す。東御前:息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと) 神功皇后の本名。 【創建】貞観2年(860年)【社格等】国史見在社二十二社(上七社)旧官幣大社勅祭社別表神社【本殿の様式】八幡造【ご由緒】貞観元年(859年)に南都大安寺の僧行教(空海の弟子)が豊前国、宇佐神宮にて受けた「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との神託により、翌貞観2年(860年)清和天皇が社殿を造営したのが創建とされる。「石清水」の社名は、男山に既に鎮座していた石清水寺(現・摂社石清水社)から[要出典]とも、男山の中腹から湧き出ている"石清水"からともされる。また、元々男山の麓に鎮座していたのは和気氏の氏寺であった神願寺(和気清麻呂の墓があったと伝わる)であったが、空海ゆかりの高雄山寺を神護寺に改めて新たな氏寺にした際に元の神願寺に八幡神を勧請することで新たな位置付けを与えようとして行教や清和天皇の後見人である藤原良房に働きかけたとする説もあるが、神願寺の位置については諸説あるために現時点では可能性に留まる。 石清水八幡宮が創建されると薬師如来を本尊とする石清水寺はその神宮寺となり、貞観4年(862年)名称を護国寺と改めてより神仏習合の度合いを増していった。 天慶2年(939年)、伊勢神宮に次いで奉幣される地位を得る[1]。皇室・朝廷からは、京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護鎮護の神、王権・水運の神として篤く崇敬され、天皇・上皇・法皇などの行幸啓は250余を数える。中世以降は勧請元の宇佐神宮に代わって、伊勢神宮と並び二所宗廟の1つに数えられる。また清和源氏の足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏などの源氏諸氏族から氏神として崇敬されたため、武神・弓矢の神・必勝の神とされた。これら源氏によって、当社の分霊は源頼義による壺井八幡宮や頼義・頼朝による鎌倉の鶴岡八幡宮など、数多くの八幡宮に勧請された。 幕末までは神仏習合の宮寺として「石清水八幡宮護国寺」と称し、東寺(教王護国寺)・清水寺・比叡山延暦寺・仁和寺・鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)・相国寺・大安寺など多くの寺院と深い関係を持った。また伊勢平氏も当社を重んじ、平正盛の造営の功や平清盛ら伊勢平氏の臨時祭での演舞が知られる。江戸時代まで護国寺や極楽寺、弁天堂を始め「男山48坊」と呼ばれる宿坊が参道に軒を連ねたといい、寛永の三筆である松花堂昭乗も当社に仕える社僧であったことが知られる。 慶応4年(明治元年・1868年)3月12日に明治政府の神仏分離令により、神号を「八幡大菩薩」から「八幡大神」と改めた。1871年(明治4年)に近代社格制度において官幣大社に列する。1883年(明治16年)には、勅祭社となった。 社号は、1869年(明治2年)8月に「男山八幡宮」に改称したが、1918年(大正7年)1月に「石清水八幡宮」へ復し、現在に至っている。 なお、神宮寺であった護国寺は廃仏毀釈によって廃寺とされたが、護国寺住職の道基は1869年(明治2年)に本尊の薬師如来像と十二神将像を淡路島の東山寺に移している。 Wikipediaより抜粋前回の2/3の記事でブログを始めてからちょうど1年でした。2/11の橿原神宮の紀元祭(建国記念日)の式典に参列させて頂くことから思い立って記録にもなるので始めました。妙に思い出し懐かしくなりました。長く続けられている方々は、本当に尊敬してしまいます。本当に大変ですもんね。秘訣は楽しむことですよね。いつもご訪問して頂きありがとうございました。ブログランキングに参加しています。↓↓良ければ応援クリックを宜しくお願い致します。励みにします。にほんブログ村御朱印ランキング神社・お寺巡りランキング close

石清水八幡宮へ参拝
サイト名 日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
タグ 京都府 神社
投稿日時 2019-02-12 04:00:04

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