正伝永源院 織田・細川家の菩提寺の詳細

正伝永源院 織田・細川家の菩提寺
京都を歩くアルバム
ページの情報
記事タイトル 正伝永源院 織田・細川家の菩提寺
概要

←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全てクリックで拡大します。昨日は記事が更新できずに申し訳ございませんでした。ブログを運営するココログのメインテナンス中に障害が起こったようで、まる1日半記事が作成できませんでした。京の冬の旅(3月18日が最終日)で5年…… more ぶりに特別公開された建仁寺塔頭・正伝永源院(しょうでんえいげんあん)に行ってきました。上は花見小路で左に曲がります。建仁寺の北塀にそって通る東西の通りの途中に京の冬の旅の看板が出ていました。正伝永源院は、臨済宗大本山建仁寺の正伝院と永源庵という二つ塔頭が合併してできた寺院です。以下では、二つの塔頭の歴史とそれらが合併した時代背景を紹介します。(山門を入って左にある中門をくぐります。)「正伝院」は、鎌倉時代中期の文永年間(1264-1275)、大覚禅師の法嗣(はっす)、中国僧・勅謚普覚禅師(中国名・義翁紹仁)が開山となり、祇園花見小路四条下ルに創建されました。勅謚(ちょくし)とは勅命によって諱(いみな)を賜ることです。「永源庵」は、南北朝時代の正平年間(1346-1370)、建仁寺39世・鉄庵道生の法嗣である無涯仁浩禅師が開山となり、当初は東山清水坂鷲峯下に創建されました。(上の唐門をくぐって方丈に上がります。前庭は池泉式庭園です。)延文年間(1356-1360)備後守護であった細川頼有が、戦場に赴く際に同庵の門前で無涯禅師に会い、馬上から仏の教えを聴いた縁で檀家となりました。以後、細川家は同庵住持に帰依、同庵に出家したり住持になるものも出てきます。後の応安5年(1372)永源庵は建仁寺塔頭になり、応永元年(1398)頃現在地に移りました。現在の庭園は永源菴が移転してきた頃のものではなく、近世の作です。池の周囲に石組の護岸、中央の中島には石橋がかかり、低い築山に五重石塔が立てられています。白砂にはハイビャクシン、松、椿などが植えられています。一方、正伝院は天文年間(1532-1555)の戦乱で荒廃、江戸時代の1618年織田信長の弟で大名茶人の織田有楽斎により再興されました。この時、隠居所と茶室「如庵(じょあん)」が建てられ、その名は有楽斎の洗礼名・ジョアンからといわれます。本能寺の変のとき、織田長益(ながます、後の有楽斎)は信長の嫡男・信忠と共に二条御所に籠城、信秀は自刃しましたが、有楽斎は安土へ落ち延び、その後豊臣・徳川家に仕えました。(方丈の西にも庭があります。)明治初年(1868年)の神仏分離令後の廃仏毀釈により、建仁寺は寺領が四分の一程度に縮小され、塔頭の多くが廃されました。無住となっていた永源庵は堂宇のみを残すのみとなります。(自然の石とは思えません。)一方の正伝院は、明治5年(1872)京都府による窮民産業所設立のため境内の建物を放棄し、寺号を残したまま替地となった旧永源庵の現在地に移りました。翌年に永源庵は廃寺と決まりましたが、「永源」の名が消える事を憂いた細川侯爵によって、正伝院と永源庵が合併して寺号を正伝永源庵と改め、細川家の墓も残されました。唐門の前に細川家歴代の墓と「細川石」という石碑があります。この時、正伝院の旧地の茶室「如庵」は祇園町有志に払い下げられ、伽藍は売却されて多くが東京に移されました。昭和37年頃(1962)織田有樂斎と夫人、娘、孫の墓が正伝院旧地より現在地に遷され、唐門の右手に(右からの順で)並んでいます。方丈の北にも庭があります。今回は正伝永源院が所有する障壁画などの寺宝が特別展示されました。方丈には、平成25年(2013)に奉納された元首相・細川護熙氏筆の襖絵「四季山水図」のうち、東山の夜桜を描いた「知音」と、冬の京の雪景色を描いた「聴雪」(下の写真)が展示されています。狩野山楽筆「織田有楽斎画像」 こちらは京の冬の旅のガイドブックからの転載です。方丈の室中の間に残る狩野山楽筆「蓮鷺図」は、蓮の花と鷺や燕などの鳥を描いた美しい金碧の襖絵で、蓮池の時間的経過を追うような画面構成が見事な障壁画です。平成8年(1996)有楽斎が建てた「如庵」が、正伝永源院境内にかつての姿に復元されました。「暦張席」の別名があるように腰貼りの部分に古い暦を使い、また「有楽囲い」「有楽窓」など有楽斎好みの特徴を見ることができるそうです。元の如庵は、明治41年(1908)に三井家の所有となり昭和26年(1951)国宝に指定されました。さらに名古屋鉄道の所有となり、昭和47年(1972)に愛知県犬山市の有楽苑に移され現在に至ります。方丈の杉戸絵の作者は分かりませんが、獲物を狙う鳥の一瞬の姿が鮮やかな色彩で描かれています。 お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。[E:#x2605]こちらを是非よろしく→   ブログ村→ ------------------------------------------------------------------- close

正伝永源院 織田・細川家の菩提寺
サイト名 京都を歩くアルバム
タグ お寺
投稿日時 2019-03-20 15:21:00

「正伝永源院 織田・細川家の菩提寺」関連ページ一覧

新着記事一覧

”❁〚石山寺;秋月祭』龍神池の御神木に【明王様】出現!”


❁【摩訶不思議の世界シリーズ】〚未曾有(みぞう)写真〛 《峠の祥龍》
    ***先年掲載記事が届きましたので~御紹介させて戴きました。***【摩訶不思議の世界】その他最新版は〖松下輝志ツイッターフェイス...
❁【摩訶不思議の世界シリーズ】〚未曾有(みぞう)写真〛 《峠の祥龍》
お寺
2022-09-26 04:22:34

桜につられてお参り「日照山 真證寺」


歴史めぐり 御朱印好きのあちこち紀行
春のこと満開の桜があまりにも素晴らしかったので車を停めて見に行きましたお寺の境内の桜ですこちらからだと逆光なので反対側に回るとさらに美しい桜...
歴史めぐり 御朱印好きのあちこち紀行
お寺 山口県の寺院 御朱印
2022-09-26 01:01:03

府八幡宮


神社 御朱印 日本巡り旅
府八幡宮ふはちまんぐう静岡県磐田市中泉112-10538-32-4762  鳥居の前でペコリ    手水舎    楼...
神社 御朱印 日本巡り旅
神社
2022-09-26 01:00:10

東光院 風鈴祭り (京都府綾部市上延町堂の奥) <東光院 其の肆>


和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
風鐸から風鈴へ(2022.6.17)<コース>【往路】JR大阪(5:55) → JR京都(6:27→6:37) → JR園部(7:20→7:26) → JR綾部(8:25)あやべ駅前観光案内所 →...
和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
お寺
2022-09-26 00:41:52

【2022年9月】京都・奈良・三重県神社参拝&観光まとめ


SERUNAさんちのあじふらい
2022年9月。二日間で京都・奈良・三重に行ってきた記録。URLクリックで記事に飛べます。★一日目(2022.9.6)旅のメインはゴールデンカムイ展。大好き...
SERUNAさんちのあじふらい
【まとめ】旅の記録 神社
2022-09-25 15:00:08

【大阪】住吉大社「初辰まいり」で新たにいただけるようになったステキな【刺繍御朱印】~まとめ版~


~ Destiny 癒しの御朱印巡り ~
【大阪】      住吉大社   初辰まいり とは    毎月最初の辰の日に 種貸社・楠珺社・浅澤社・大歳社の   ...
~ Destiny 癒しの御朱印巡り ~
御朱印 神社
2022-09-25 14:40:07

重陽の節句は陸奥国分寺の菊理媛命さま~【木ノ下白山神社(宮城県仙台市)】


ハロちん♪と参拝歩記
木ノ下白山神社(きのしたはくさんじんじゃ)2022.9.9(金)宮城県仙台市若林区木ノ下に鎮座する白山神社へ行ってきました薬師堂にある鐘楼へ近づいてみ...
ハロちん♪と参拝歩記
お寺 神社
2022-09-25 14:21:24

狛犬たちのモノローグ  File.1249  胡録神社  其の弐


白獅子・黒狛犬
若者と中年をつなぐライン「 えっ えー !! 今の若い人にとっては LINEって中年との連絡ツールになってしまったんだってー」「 ほんとうに ⁈ ...
白獅子・黒狛犬
狛犬たちのモノローグ 神社
2022-09-25 04:40:14

東光院 本堂 (京都府綾部市上延町堂の奥) <東光院 其の参>


和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
丹波の厄除薬師(2022.6.17)<コース>【往路】JR大阪(5:55) → JR京都(6:27→6:37) → JR園部(7:20→7:26) → JR綾部(8:25)あやべ駅前観光案内所 →...
和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
お寺
2022-09-25 00:41:01
;