林家の慈恩寺舞楽のルーツの詳細

林家の慈恩寺舞楽のルーツ
秩父・仙台まほろばの道
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記事タイトル 林家の慈恩寺舞楽のルーツ
概要

初めて慈恩寺に行った時に、ガイドして頂いたのですが、  その時に、林家の舞楽が素晴らしく貴重なんですよ! という話をパネルを見せて頂きながら聞いていました。 でも、その時は、舞楽にあまり関心がなかったので、 あまり覚えてませんでした・・・。 それから今になって舞楽を見たいと思うよ…… more うになったのも、 やっぱり四天王寺に行ったからです。 林家は、四天王寺で舞楽をしていた!! ルーツは、四天王寺舞楽であり、四天王寺舞楽には4人舞楽があったとされ、 東儀家、薗家、岡家、林家の四舞楽。 林家のみが出羽国に舞楽を伝えたのです。 それは、円仁(慈覚大師)による天台宗の出羽国救済が、きっかけだったのです。 東北と大阪の四天王寺がこんなに関係が深いとは思ってもみませんでした。 しかも、以前、慈恩寺のことを書いていて、 しっかり、聖徳太子の図も貼って四天王寺のことも書いてた。  ・・・すっかり忘れている。 何かそこに強い思い入れや感情がわかないと忘れるものだ。 ※四天王寺の石舞台。 四天王寺の舞楽は、「聖霊会(しょうりょうえ)」という。 聖徳太子の命日(本来は旧暦の2月22日)に行われる。 おまけに、慈恩寺にも聖徳太子像がありました。(鎌倉時代)  昨年、9月に非公開の仏像も含め、再建400周年のイベントがあったそうです。 (慈恩寺:聖徳太子像) ※朝日新聞デジタル これだけ大量の情報を書いていても、本当に伝わっているのは1割程度の 微々たる真実というものだけど、 「それを知るタイミング」は、 しばらく経ってから起こるものなんですね。 それまでの予行演習みたいなものがあるのかな。 いちいち、覚えてられないし。 たぶん、少しづつ、ヒントを出してくるんだろうね。 いくつか課題をクリアすると、ご褒美に現地に行けるという喜び?。笑 さて、やっとこの本を購入しました。(マニアック) 『チョウクライロ古代出羽国のことば』長瀬一男著。 この本を読むと驚くことばかり。 こちらを参考にさせて頂き、妄想します。 本の表紙の仮面が、陵王舞で使われる仮面です。 頭に龍がのっているのよ~。 前置きが長くなりますが、ここを通過しないと繋がらないので。 四天王寺と天台宗の関係について、出羽国に伝わった経緯を。円仁さんの話ですが。 平塩熊野神社には行基創建由来がありましたが、聖武天皇に関係していました。 行基は奈良、大阪など近畿地方で活動していたので、 東北に行基の名前はあまりみかけません。 東北地方では、天台宗の円仁(慈覚大師)が主に活動します。 800年代、アテルイが終わった時代に入ります。 エミシ鎮圧になり、なんとか平常にあった朝廷。 東北地方の経営のために、天台信仰=仏教による政策を掲げます。 しかし、この頃~900年代になると、地震、噴火が多くなります。 津波も含め、このような天変地異より怨霊信仰が生まれます。 そのような怨霊を鎮めることを「御霊会(ごりょうえ)」と言いました。 御霊神社というのもそうです。 その国家規模で行われた御霊会が、儀式としての「舞楽」でした。 妄想するに、怨霊シンクロが増えているのは、地震や噴火が多かった 800年代と同じようなことが今も起きているからだと思います。 貞観地震は869年7月。(陸奥国沖地震) 現代は、それに加えて事故も多いので、かなり厳しいです。 その怨霊となった人々の他に、鳥海山の手長足長明神というダイダラボッチ なのですが、ひっくるめて「鬼」とされた存在がある。 これは、七ツ森にも繋がります。 そして、これが大江山の鬼退治にも繋がっていたりする。 末法思想から始まった平等院鳳凰堂境内に別荘を建てた源融(みなもととおる) は、有名な陰陽師。 光源氏のモデルの一人。 オリオンの三つ星。 源融を祖とする渡辺氏の家紋は、三つ星に一文字があるとの事。 (毛利家の家紋と同じ) ということは、鳥海山に繋がる。 (一文字はないけれど三つ星) 妄想するに、三つ星家紋が、 ダイダラボッチを退治する役目だったかもしれません。  渡辺綱は鬼退治をした人として伝承されている。 本来、ダイダラボッチは鬼ではなかったのですが、大物忌神が「祟り神」と言われたように  映画「もののけ姫」のような善神から悪神にされたという意図があったと思います。 誰かを悪にしないとならない思想は、西洋からもたらされたものです。 このようなシンクロは、ダイダラボッチを退治するのに、陰陽師が関係しているという事に。  小野篁も陰陽師だったわけで。 宮城県村田町の鬼退治。渡辺綱の絵。(村田町民話の里) この近くに鬼の手形あり。  「うばがふところ」という名の川を渡る上の方に熊野神社があるんです。 この川は、三途の川に見立ててます。 あの世に熊野神がいるという事です。 GWの山津見神も霊山に登った墨虎も・・・みな全部ここから繋がっているみたい。 虎捕山の話も、大江山の鬼退治(酒呑童子)と似ているのです。 白い犬が登場してきますので。 また、聖徳太子の弟(異母)が、鬼退治する話もある。  時代には誤差があるのですが、なぜ、大江山の鬼退治に聖徳太子の弟を登場させたのか。  ---------------------------------------------- さて、830年前後に、天台宗は陸奥国霊山寺(福島県)、 同じ陸奥国松島寺、出羽国立石寺(山寺)が創建される。 ほとんどの東北地方のお寺は、天台宗。 天台宗の開祖は、最澄。 円仁は、最澄の弟子となっています。 山寺立石寺は、大阪の四天王寺から円仁(慈覚大師)随従した林越前政照によって 舞楽が伝えられたそうです。 根本中堂の前には、明治初期まで舞楽の石舞台があったそうです。  現在はやっていません。 山寺:根本中堂 なぜ、こんなに天台宗が普及したのかは、 830年に出羽国秋田の大地震があったという。 その前の773年に秋田城が壊滅的な被害を被り、多くの死者が出ました。 これらの震災の被害から、朝廷の命令により関東からたくさん移住し、 救済のために十八の寺院が建てられたそうです。 この中に、当時、36歳の円仁がいたのです! 山寺の「円仁さん」のおまんじゅうは、とっても美味しい~。(そこじゃない) 円仁は、828年から法隆寺と四天王寺で『法華経』と『仁王経』の講師を務めていたと!  円仁が四天王寺で講師っ!! どうりで、四天王寺学園の心理学講座を受けたいと思ったわけだ。笑 829年夏、出羽国で疫病が流行し、多数の死者がでました。 朝廷は、円仁を出羽国へいくよう命令します。 円仁は講師を中断し、救済のために出羽国へやってきたそうです。(『慈覚大師伝』) そして830年に、秋田に大地震が起こり秋田城が壊滅する。 850年、再び出羽国で大地震。 壊滅的な被害は、『日本文徳天皇実録』に記録されています。 復元された秋田城跡(Wikipedia)  これにより、朝廷は出羽国に国府移転の願いが出され、 その年に、中尊寺、毛越寺が円仁により開かれる。 天台宗の創建は、震災があった年と一致するそうです。 震災や疫病が流行し、多数の死者がでると天台宗の寺院をたて、 救済していたと考えられます。 ある種の布教活動でもあり、天台宗を広めるためと思われます。 中尊寺建立や平泉は、そのような天変地異への不安や恐怖を拭うために、 浄土思想により救われる。 という思想を生みだすことで、人々に仏教を勧めるようにしたのです。 今も同じようなものですね。  スピリチャルに関心をもつことや、いろんな思想に関心をもつことは、 当時と同じ現象にあるわけです。 だから、この時代を今、生きていると思う由縁・・・。 800年代と同じような現象が起こっているということから、 貞観地震と南海トラフが登場する。 鳥海山も810年~823年に噴火しています。 871年にも噴火。 887年、全国規模の大地震が起こる。 これが南海トラフ。 鳥海山の噴火から連動して南海トラフ。 どこかで繋がっているということで、鳥海山は祟り神となった。 鳥海山の活発な火山活動により、大物忌神に正五位下を授かることに。 鎮魂するには、神々を手厚く祀りあげることをする。 これはよく行われていました。 人の悪の代わりに、鳥海山に悪神神話を創った。 それがダイダラボッチの手長足長明神。 (鳥海山) ---------------------------------------- 鳥海山には、大物忌神社と小物忌神社があります。 大アララト山と小アララト山にエネルギー帯?が似ているのかも。 ヤマトタケルにも大、小あり。 大物主と少名彦も。 小物忌神社は、離島の飛島(とびしま)にあり。 大物忌神とは、対となっている。 大和国龍田大社からの勧請。 龍田大社は、奈良の生駒郡にあります。 風の神のことで、シナツヒコ(科長神社)との由縁あり。 これが、神功皇后を従えていた息長氏=トミナガスネヒコ説。 よってトミ族。 暴れる正体は、トミ族=龍のエネルギー体(地下のマグマ?orヤマタノオロチ)と考えられた。 生駒にいたトミ族が、鳥海山の方へ逃れたわけです。 陵王舞に龍がついているのは、どっちなんだろう? トミ族系か、敵の方だったか、もしくは違う民族の龍系? チョウクライロ舞は、龍の舞だとする説もあり。 シナツヒコは、二上山に鎮座しており、双耳峰とよぶ。 大小と兼ねているのは、そうなのかもしれない。 大アララト山と小アララト山。(「トベ達の悲歌」より) そのような鎮魂の舞は、林家により大阪四天王寺~出羽国へ伝わる。 「一子相伝」のため、門外不出の秘曲ともされる林家舞楽。 次は、いよいよ、慈恩寺舞楽の様子を。 close

林家の慈恩寺舞楽のルーツ
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ お寺 日記・エッセイ・コラム 東北地方の伝説(山形県)
投稿日時 2019-05-12 00:41:01

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