平城京ー21ならまち・元興寺の詳細

平城京ー21ならまち・元興寺
素人漁師の独り言
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記事タイトル 平城京ー21ならまち・元興寺
概要

5月23日の誕生花  ゴデチア花言葉:     変わらぬ熱愛 平城京 元興寺  奈良市中院町11番地  TEL:0742-23-1377奈良の猿沢池から「通称ならまち」を通り元興寺へ向かうと、車のすれ違いが出来ない程の小道に江戸時代以降の町屋が数多く 軒を連らねています。「なら…… more まち」は、昔ながらの風情を残し 細い路地を抜けたり道が交差する町で 元興寺の旧門前町の趣が残ります。  旧 元興寺 金堂跡付近     金堂の礎石も商家に展示されていました 独特な ならまち格子の古民家   道角には 道標も残っていました旧門前町の小道は直進でなく所々曲がりくねってます。曲がりくねった道路わきに地蔵尊でなく、薬師如来を祀ったお社が有りました。この界隈は漢方薬店も多くあります    奈良町通りの道祖神元興寺「東門」は、世界遺産「元興寺」の現在の正門として本堂(極楽堂)」の正面に美しく見渡すように建っています。この門は、かつて存在した東大寺塔頭「西南院」の山門であったものを、室町時代の応永年間に元興寺極楽坊の正門として移築された。門自体は鎌倉時代らしい雰囲気の漂う重厚な建築となっています。  東門(重要文化財)東門の前は駐車場になっていて東門左に拝観受付と御朱印受付が有ります。御朱印帳を預け「番号札」を頂き帰りに受け取るようになっていました元興寺は、蘇我馬子が明日香村に建立した日本最古の本格的寺院の飛鳥寺を、平城京遷都のときに移したお寺。   現在も明日香村に たたずむ「飛鳥寺」本堂飛鳥寺本堂に安置されている日本最古の大仏 本尊 飛鳥大仏...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。創建当時は今の「ならまち」のほとんどが境内であったほどの大寺院で、南都七大寺の1つでした。しかし平安時代の中ごろから次第に衰退。浄土教が広がるにつれて、浄土曼荼羅(重要文化財智光曼荼羅)を安置していた極楽坊が寺の中心になってきました。鎌倉時代いまの本堂と禅室が改造され、そこで営まれていた念仏講がさらに発展し庶民の信仰の場となりました。宝徳3年(1451年・室町時代中期)土一揆で金堂と小塔院を焼失、江戸時代末期には五重塔なども焼け、いまの本堂と禅室だけになりました。屋根の一部に残る飛鳥寺から移した瓦の行基葺きや、奈良時代につくられたといわれる国宝五重小塔は、奈良時代の建築様式を知る貴重な資料です。現在の元興寺境内図             東門から入れば正面に本堂が有ります     元興寺本堂(極楽堂)の歴史は、鎌倉時代の寛元2年(1244年)に僧坊(東室南階大房)として使用されていた建物の一部で正面の柱の間が6間となっており、お堂の正面中央に柱が見られるような様式になっている 元興寺極楽坊 本堂内部は板敷きの内陣の周囲を畳敷きの外陣がぐるりと囲んでおり、内陣の周囲を念仏を唱えながら歩き回る「行道」に適した構造になっている。内陣の周囲には智光曼荼羅(ちこうまんだら)(重文)吊るされています。「智光曼荼羅」は 奈良時代の元興寺におられた「智光」と呼ばれる僧侶が夢を見る中で感得された「極楽浄土」の風景を描いた図像です。この智光曼荼羅は、「当麻曼荼羅」・「清海曼荼羅」と並び「浄土三曼荼羅」と称される有名な存在であり、奈良時代にその「原本」として生み出されたものは、火災により失われてしまったとされていますが、現在は平安時代の終わりもしくは鎌倉時代などに描かれたとされる「板絵智光曼荼羅」、また室町時代の作である「厨子入智光曼荼羅」、「軸装智光曼荼羅」が残されています。本堂の建物は鎌倉時代の寛元2年(1244年)、旧僧房の東端部分を改造したもので、内陣周囲の太い角柱や天井板材には奈良時代の部材が再用されている。日本最古の本堂西面の屋根瓦には、「飛鳥時代」の瓦が現役で使用されており、それ以降の瓦とは明らかに違う質感を感じさせる存在となっています本堂 北側屋根 蓮華紋の鐙瓦。     本堂の西側に位置する長細い建物「禅室」はかつては本堂と同じ僧坊の一部でしたが、僧坊を現在の本堂の建物へ改造する際に、2つの建物に分離する形でこちらも改造が行われました。元興寺文化財研究所の研究成果によると、使用されている木材には世界最古の木造建築である法隆寺で使用されている木材よりも更に古い木材を使用している 右 本堂 左 禅室禅室の前に小子房(旧庫裏) 元禅室の北側にあります。東室南階小子房の一部を改築して、北厨房あるいは台所と称された。寛永三年(1663)極楽院庫裏として改築されたが昭和24年本堂の南側に移転増築して極楽院保育所建物とし、さらに昭和35年(1960)現位置に移動して復旧された。小子坊入り口 小子坊入り口の前を西に行けば茶室が有りますその前には浮田図があります。 元興寺を拝観する中での最大の見どころの一つとも言える圧巻の石仏・石塔群である「浮図田」。こちらは鎌倉時代~江戸時代にかけての石仏・石塔などを昭和になってから一か所に集める形で整備されたものです。浮図田(ふとでん) 多くの供養仏塔が並べられてます。石仏群(浮図田) 板碑五輪塔を中心とした供養塔、阿弥陀仏地蔵尊等の石仏類からなり、鎌倉時代末期から江戸時代中期のものが多い。中世紀に当寺や興福寺大乗院関係の人々、近在の人達が浄土往生を願って、極楽坊周辺に減罪積徳作善のため造立した供養仏塔である。浮図田の南側には小さな「弁天社」が有ります法輪館(総合収蔵庫) 堂の南側、浮図田のすぐ近くには元興寺が所蔵する国宝・重要文化財などの大半を収蔵・展示する「法輪館(総合収蔵庫)」があります。内部では小さな五重塔を精巧に再現し、ミニチュアながら「建造物」として国宝指定を受ける「五重小塔」をはじめ、中世以降の「庶民信仰」の拠点として栄えた時代を物語る仏像や史料も安置・展示されています。 法輪館入り口綜合収蔵庫に入ると中央に国宝の五重小塔 (奈良時代)が有ります。高さ5.5mあり、瓦や組物を精密に表現したもので、一見塔の模型のように見える。平安時代、鎌倉時代など6回の修理が行われ、特に最後の昭和42,43年(1967,8年)に際してほぼ当初の形に復元された。塔の内部には昭和40年(1965)にスリランカよりもたらされた舎利(仏舎利)が納められている 五重小塔の前左には 【十一面観音菩薩立像(重文)」木造 (鎌倉時代13世紀)が祀られています。左手に華瓶(けびよう)を握り、下げた右手に錫杖(亡失)を執る長谷寺式の十一面観音立像。左耳上の頭上面は奈良時代末~平安時代初期制作の乾漆造。本像の作風は鎌倉時代前・中期に南都を中心に活動の知られる仏師善円の作風にきわめて近い。五重小塔の前右には  「薬師如来立像(国宝)」 木造 (平安時代作)が安置されています。羅髪や両手首先を除き台座の蓮肉部までカヤの木の一材から彫成されています。   十一面観音菩薩立像       薬師如来立像      館内には数多くの仏像が安置されていました。 以下主なものを紹介します。木造彫眼 阿弥陀如来像 (平安時代) 阿弥陀如来は西方十万億劫土の極楽世界で現在も説法を続けているとされ、無量寿仏・無量光仏とも呼ばれます。カヤとみられる材を⊥字形に組んで、一木から彫り、部分的に厚手に塑土を塗って調整して金箔を押しています。寄木造玉眼 南無仏太子像 鎌倉時代平安時代に記された聖徳太子の伝記では太子2歳の2月15日乳母の手から離れ、東を向いて南無仏と唱え、7歳まで続けたといいます。合掌した手の中から釈尊の左眼舎利が出現したといわれ、法隆寺舎利殿にはその御舎利が祀られているといいます。和国の教主といわれた太子の仏教者としての誕生と舎利信仰が結びついた造像なのでしょう。2歳児としての子供らしさと、聖なる賢者たる理知的な面相がいかんなく表現されています。寄木造玉眼 聖徳太子立像  文永5(1268)年聖徳太子は観音の化身・極楽引接の先達とする信仰は、太子の一代記を生み出し、その形姿の源泉となってきました。本像は孝養像と呼ばれるもので、太子16歳の時、父用明天皇の病気平癒を祈る姿だといいます。髪を美豆良に結った青年太子は朱色の袍に腰衣を着け、七条遠山袈裟と横被を搭けて、右手で柄香炉を持ち左手をそえて、小指で横被をとめています。元興寺は「聖徳太子四十六ヶ伽藍之随一也」とする考えが成立し、南都の律僧達が太子信仰に拠って極楽坊をその拠点としたことが太子像造立の契機でした。文永5年、仏師善春等によって作られ、眼清ら僧俗約5千人による勧進結縁 で出来あがった事情が像内納入品によって明らかにされています。木造彫眼 聖観音菩薩立像  平安時代後期観音菩薩(観自在菩薩)とは光世音菩薩とも称します。菩薩とは「悟りを求めて実践する人」を意味し、大乗仏教では大切な考え方とされます。その姿は出家前の釈迦から生まれ主に蓮花をもってその象徴とします。木造玉眼 不動明王坐像 江戸時代不動明王は梵名アチャラタナータ、無動尊とも呼びます。五大明王・八大明王の主尊でもあります。堅固不動の菩提心をあらわします。利剣と羂索を持って火生三昧に住し、煩悩・災難を降伏する意味を象徴しています。本像は、生駒山宝山寺中興開山、湛海律師の作風に通じる1体とみられます。湛海和上は密教図像を忠実に写し、精神的高揚の中で彫刻・作画しました。江戸時代の仏像彫刻では特出すべき作例を遺しています。木造彫眼 不動明王立像  鎌倉時代初期不動明王とは大日如来の使者であると同時に、大日如来と同体の行者の象徴でもあります。その姿はインド土着の民族に起源するとされて何種類かに分類されます。本像は、平安時代の飛鳥寺玄朝(源朝)が記した粉本図様に近い細身な形姿であり、繊細な切金文様などおだやかさが残っています。木造彫眼 毘沙門天立像 (鎌倉時代初期) 毘沙門天は仏教擁護の四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)を総括して多聞天の別称があります。一般に宝塔を捧げる武身であらわされます。右手を腰に当てる姿が、5体(5輪)すなわち宝塔を捧げるに等しいとされています。木造玉眼 薬師如来坐像  鎌倉時代中期薬師如来は、東方瑠璃光浄土で説法する過去仏とされ、医王如来とも呼ばれます。一般には左手に病を癒すための薬壺を象徴的に持っていますが、持たない像もあります。本像は、通形でありますが、衲衣が右肘までかかり、足裏までおおわれています。また、光背裏には木彫の宝楼閣で瑠璃光浄土を表しています。着衣の彫りは深く、寄木造りで親しみやすい阿弥陀様(快慶の一門)です。木造玉眼 如意輪観音像 鎌倉時代末期さまざまな観音菩薩の中でも如意輪観音は仏教的・密教的な観音です。如意宝珠の功徳と輪宝の威力で、一切衆生の世間財と出世間財を満足せしめる観音の象徴となっています木造 司録坐像 室町時代官服をまとい、書巻を開き読む態を示しています。冥界への罪状認否を行うさまです。宿院仏師の作。木造玉眼 地蔵菩薩立像  天文15(1546)年地蔵菩薩は弥勒仏の出現までの末法無仏の間に、衆生を済度する菩薩として僧形の姿であらわれます。中世の南都では、春日社第三神(天児屋根命)の本地仏としても盛んに信仰され造立されました。本像は、地蔵に通例の錫杖・宝珠を持たず その先例は興福寺や矢田寺地蔵尊にあります。本像の作者は、室町時代に仏師になった「定正」の作です。木造 弁才天坐像 江戸時代インドのサラスバティー河を神格化したもので農業神として尊崇されました。我国では音楽の神・福徳神としても信仰されています。真言宗寺院では勧請鎮守とすることが多い。禅室南側に池の在った時期に中島に祀られていた。木造玉眼 弘法大師坐像(鎌倉時代) 弘法大師空海は、延暦14年(795)、東大寺戒壇において元興寺泰信和上を戒師とし大安寺勤操の弟子として具足戒(比丘となる)を受けています。元興寺は泰範や仲継、護命僧正など空海と関係深い学僧がいました。空海は唐・青龍寺に留学して恵果阿闍梨から密教を相承して第8祖となりましたが、平安時代後期には真言宗宗祖として信仰されはじめ、鎌倉期の400年遠忌から単独の祖師像が造立されるようになります。本像もその頃の作で願主珠禅の願文によれば、大師の哀愍によって後生に兜率天(弥勒仏の浄土)に往生したいと述べています。弘法大師像は単なる祖師像ではなく、弥勒仏としても祀られています。像内には理趣経が朱書きされ、数多くの納入品が発見されました。全国に数多くある大師像中の白眉とされます。 弘法大師像1・2階の拝観を終えて三階の常設総合収蔵庫を見学します新・旧の境内から発掘された土器・瓦 また旧建築素材・様式などが分かる品々が展示されています 法輪館(総合収蔵庫)の正面には、かつての「巨大寺院」時代に存在した建物である「講堂」跡の礎石が置かれています。直径1メートルを超える礎石が重厚感があり、往時の規模が偲ばれるものとなっています。境内右側(本堂の右)にかえる石 豊臣秀吉の「お気に入りの石」とされ、大阪城の敷地に長らく置かれてきた一方で、「殺生石」と呼ばれたり「淀君の霊」がこもる不吉な石としての伝説も有する奇石「かえる石」が昭和中期以降 元興寺の境内に置かれており、現在は「福かえる」といったような「幸運」をもたらす石としてお祀りされています。  出展『元興寺ほか』 〈週刊朝日百科・日本の国宝58号〉『元興寺・元興寺極楽坊・般若寺・十輪院』 岩波書店 岩城隆利 『元興寺の歴史』 吉川弘文館 1999 岩城編 『元興寺編年史料 増補』 『元興寺文化財研究所創立40周年記念論文集』 ウィキペディア 外部リンクウィキメディア・コモンズ元興寺HP元興寺文化財研究所 猫好きの方必見 Neko's by Atelier Mew へ ようこそ[E:#x266C] 当店では大切な家族の一員であるネコちゃんワンちゃんが身に着けても安心な優しく軽いコットンを中心とした天然素材でデイリーユースできるオリジナルデザインのカラー(首輪)やおもちゃ、オーナーグッズなど ひとつひとつ心を込めてハンドメイドで製作・販売しています。 ◆ https://nekos.theshop.jp/ 5月の新作カラー新元号『令和』を祝してキチンと感のあるホワイトカラーに 日の丸のネクタイを締めました。 ネクタイの日の丸には真っ赤なラインストーンがキラリ[E:#x2605](ラインストーンはホットフィックスを使用) ネコちゃんや小柄なワンちゃんにピッタリです(*´ェ`*) 【襟付き 日の丸ネクタイ】 ¥1600(税込)https://nekos.theshop.jp/items/19418474 close

平城京ー21ならまち・元興寺
サイト名 素人漁師の独り言
タグ お寺 公園・遊園地・名所・旧跡 国内旅行記 歴史探訪 神話 神話 神社 仏閣 関西地方
投稿日時 2019-05-23 15:01:04

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