湯野沢熊野神社とヤタガラスの詳細

湯野沢熊野神社とヤタガラス
秩父・仙台まほろばの道
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記事タイトル 湯野沢熊野神社とヤタガラス
概要

山形県にも熊野神社がいくつかあるんですね・・・(当たり前か) 有名なのは南陽市の熊野大社。 でも、山形は出羽三山があるから葉山や羽黒修験の聖地。 熊野修験の入る余地なんてなかったと思っていました。 ですけど、そうでもなく。 羽黒修験と熊野修験は、深い関係をもっていたようです。 名…… more 取の熊野三社は、名取老女の勧請由来があるように、 気仙沼あたりでは、もっと古く二ギハヤヒの祖と言われる穂積氏が、  瀬織津姫をもってきて勧請している鮪立や室根山などもあり。 なので、このあたりの気仙沼付近の海側には熊野神社がたくさん祀られているのです。 その女性は「神子旭」とよばれ、宮城県北部では複数の伝承があります。 名取老女は、その旭が太陽神となってイタコたちの間で崇拝されてきました。 山形県の熊野神社にいってみると、旭といわれた巫女が、 出羽国発祥のような気がしてくるから不思議。 出羽の熊野は山。陸奥の熊野は海。 といったことで、名取老女をもう一度、まとめてみようと思い、 いつか形になれば、と思うようになってきました。 そんな時に偶然みつけた熊野神社だったので、 きっと昔も、出羽と陸奥をつなげた「みちのく」であり、  出羽国から陸奥国への起点として存在している「お籠り」の熊野信仰なのです。 迫害された人をお籠りする熊野修験が東北地方にはたくさんいたのですが、  紀州はどうかといえば、ナグサトベをかくまていった地ではないのかな? つまり、お籠りとは「かくまる」意味でもあるのです。 舟形町までいく途中に村山市を通るので、舟形町へいく前に立ち寄りました。 山中にポツンと祀られている「湯野沢熊野神社」。 何も情報を知らず行ってよかったかも。 家に帰ってきて、詳しいサイトを読んでちょっと重い話だな、と思い。 やっぱり、いろいろある熊野神社でした。 詳しくは、こちらのサイトへ。 ■湯野沢熊野神社 http://okumansama.sakura.ne.jp/ --------------------------------------------- 湯野沢熊野神社は、集落の裏手の山にあります。 慈恩寺舞楽の時によった平塩熊野神社と雰囲気が似ています。 また、このあたり、武家屋敷だったような趣ある家々があり、 用水路(小川)もながれ、とても風情がある所です。 集落に向かい、山奥へすすむと大きな湖がある。 人工湖なのかどうかよくわからない。  釣りをしている人がいたけれど、本当にこの道でよいのか不安。 湖の側で車を止めて、続く車道を歩いていくとちゃんとありました。 ほんとにお籠りな場所! (入口の池) 『湯野沢熊野神社は承元(1207)年、時の湯野沢領主平友康(通称熊野三郎)が、 紀伊国熊野本宮より熊野大神を御分霊して創建された神社といわれています。  以来現在の北村山南部地域の総鎮守として信仰されてきました。 江戸時代には新庄藩御祈願所として新庄藩主代々の信仰篤く、 帳幕などが奉納されています。 明治8年に郷社に列せられました。 平成25年、本殿と拝殿が国指定登録有形文化財に指定されました。』 サイトの「神社に伝わる伝説」を読んで、あ~っ・・・と唸った。  なんか、唸るよねぇ。 一の鳥居 二の鳥居 神社の前でじーーーっと立っていたけど、 全く風はないし、鳥もないてないし、虫すらいない。 異様な静けさ。 看板の説明では「春の新緑の季節は野鳥の鳴き声が響きわたり・・・」 とあるのですが、 こんな鎮守な森でも、私が来ると隠れるんだね。笑 (三の鳥居) 反応ないな、と思って帰ろうとした時に、さ~と風がふいて、 ふっと戦国時代の巻物の図が浮かんだ。 甲冑をきた人が馬にのって駆け巡る様子。 あの時は賑やかだった。 出店もでていて、村の人たちが道にいつもでてきて、 賑わいがあったと。 今は、みんなどこへ行ってしまったんだろう。 こんなところに来る人は、誰もいない。 って、ここに来る人は、私みたいな暇人くらいか・・・。 (湧水) その後、猿羽山へいき、舟形町歴史民俗資料館へ行ってわかった!  巻き物のような図は、資料館にあったのです。 立体地形がガラスケースにあり、それをみていたら足に何かぶつかった。  足元に「最上氏」の合戦様子を描いた絵(パネル)があった。 ああ、そうか。 ここは最上氏だ!と、思い出す。 それに、ここにも弁慶が来ていたと思う。 それで受付の人に聞いたところ、瀬見温泉の話をされた。 そこ、行ってる・・・。 ここにいた感触がほしいのですよ。 で、やっぱり山形。  どこにもあるっちゃあるけど、 弁慶の石伝説がサイトに書いてあった。 それに「橋」伝説。 やっぱり「橋」。 しかも、あのヤタガラスな存在が「熊野三郎」という人で、 この湯野沢熊野神社だったとは!! 帰ってきてからそれを知った感動~。 白鳥十郎長久! 幕が開きそう~。 --------------------------------------------------- まずは、さくっと歴史背景。簡単に。 熊野三郎=「平友康」という人は、元は最上氏についていた家臣であり、 白鳥氏とは敵だった。※平家物語の「平知康」説もあり。 南北朝時代の頃で、白鳥氏は御醍醐天皇側の南朝につき、 湯野沢は平家がいて、 最上氏と北朝側(北条尊氏)についていた。 しかし、白鳥氏は最上氏についていた家臣たちと討ち、 湯野沢地区や大久保地区には白鳥氏が占拠することになる。 それにより、熊野三郎は白鳥氏側についたそうです。  ----------------------------------------- そして、その白鳥氏の鍵となっていた人が、熊野三郎。 このヤタガラス伝承は、何かの人物をさしていると思う。  女性が山伏になることはよくある。 修験女子も昔はたくさんいた。 それは黒い装束であったと想像する・・・。 ヤタガラスに扮して。。。 思いおこすこと2016年の7月に書いた記事。  「白鳥十郎長久とあこや姫」 最上義光の娘は、白鳥十郎長久の妻となっている。 奥方は「おたえ」様とよんだ。 奥方がどんな人かは、最上義光の娘、最上義光の姉、熊野三郎の娘と諸説あり、 よくわかっていません。 時代は、織田信長がいた1500年代。 ある時、最上義光は、白鳥十郎長久をよびます。 義光の娘が白鳥長久に嫁いだとすれば、 白鳥長久にとって最上義光は義父となる。 その誘いを断ることができないためであり、 また、この時最上義光は病に伏せていたという話を聞き、見舞へいったと。 白鳥長久は最上義光のもとへ行くのですが、義光の枕もとに隠されていた刀で 白鳥長久は殺されてしまいます。 その血が桜の木に飛び散ったといわれ、「血染めの桜事件」とよばれます。 白鳥氏についていた熊野三郎も、最上氏により討たれてしまいます。 さて、ここでヤタガラスの伝承が登場するのですが、 白鳥長久が義光のところへ行こうとしたのを、引き止めた話。 「6月始めのこと、白鳥十郎は38人の重臣たちを突き合わせて城をでる。 そして田井橋の所の渡し場で一回目の休憩をとっていると、 白鳥十郎の乗りかごに烏が飛んできて、糞を落して鳴きながら飛び去りった。 それを見た熊野三郎は、「烏が湯野沢の熊野山の方から飛んできて、糞を落して 、また熊野山の方へ飛び立った。 これは熊野山の神の使いとされている 八咫烏が危険だと知らせにきたのだ。」 と思い「殿、今日は縁起が悪いから……」 といって最上義光のところに行くのは取りやめなさるようご忠告申し上げたが、   白鳥十郎は「気にすることはない。」といって、そのまま山形城に行きました。」 (貴船神) (月山大神)   諸説ありますが、なぜ、最上氏は白鳥氏を殺害したいほどに、 うらんでいたかと言えば、 織田信長により白鳥長久は 出羽国の国主を命じられ、「ひおどしの鎧」を受けたという。   (ひおどし:鎧の縅が、クチナシやキハダで下染めし、 その上から紅や緋で染めた紐や革緒などで縅したもの) (八幡大神) (鹿島大神) 国主になるのは、最上氏と決まっていた?のだから、 白鳥氏は殺害されたと考えられます。 奥方と娘は、白鳥長久が殺害されてから、最上氏に追われ、 熊野修験が奥方を逃し河北町谷地地区の「阿弥陀堂」にかくまったとされます。 この阿弥陀堂が、元は熊野神社でした。 (湯殿大神) (愛宕大神) 岩木の三里塚まで逃げて来たとき、待ちぶせしていた最上義光の家来たちに見つかり、   奥方は岩木のおくまん様のところにあった家へ逃げ隠れました。   家来が3人殺されましたが奥方は助かりました。  奥方はこの家の人にかくまってくれたお礼にと、白味の鏡をおいていったそうです。 この鏡をお祀りしたのが岩木の熊野神社(現:谷地区阿弥陀堂)であると伝えられています。    他の家臣たちは更に逃げのび沢畑の四ツ塚で殺されたといわれています。 (北野天神) (稲荷大神) そして白鳥十郎の奥方は西里・慈恩寺・大谷へと逃げのびて、 ゴゴウさまとして生活したということです。   奥方は待女たちをつれて村々をまわり、米を5合ずつもらい歩いて生活していましたから  ゴゴウさまというのだそうです。 このゴゴウ様が、「あこや姫」とも伝わっているのです! 天童にある舞鶴山は、織田信長を祀り忌部氏に繋がっていました。 白鳥氏も忌部氏につながっている氏族だった? ちなみに、白鳥長久が「38人の従者」を連れて最上義光へ向かった話は、 イザナギ・イザナミの子供が38人いたことから由来すると思います。 白鳥氏を神格化して伝承させているのも、熊野修験が伝えたもので、  ある説では、白鳥氏はアテルイの末裔というのだから、 闇の東北、かなり面白い・・・。 そしてこの三十八の漢字は、「秦」の漢字になるそうです。 秦の漢字を分解すると、「三」「十」「八」「ノ」「人」だって。 なんだよー、また秦氏かよーぉ。 たしかに、「白味の鏡」とか言われますけど、 甲冑の糸も、それぞれの色により全国に奉納されているようです。 白鳥氏は、漢字のごとく白なので、新羅です。 八戸の櫛引八幡神社は、赤糸の甲冑です。(国宝 赤糸威鎧) ※義経伝承ある神社です ということで、山形県の熊野神社は、かなり深いです。 深すぎます。 またみつけたら行ってみます。 弁慶はどこにおるん~♪ close

湯野沢熊野神社とヤタガラス
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ 東北地方の伝説(山形県) 神社
投稿日時 2019-05-26 00:40:08

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