サルタヒコの道標 part.5 國神社とその周辺の詳細

サルタヒコの道標 part.5 國神社とその周辺
瑠璃の星☆彡
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記事タイトル サルタヒコの道標 part.5 國神社とその周辺
概要

8/7(水)のことです。この日は、ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」の執筆者、武部正俊さんと南海高野線・金剛駅で9時頃待ち合わせして畿内の神社仏閣へと出かけていました。武部正俊さんのブログはこちら↓「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」http://blog.livedoor.jp/omt…… more akebe/-----------------------------堺市南区の桜井神社では、国宝の拝殿の先へ進んでいくと、合祀された國神社の社があり、そして元の國神社から運ばれたであろう灯篭や磐座ともご対面できました。ここが元の國神社。ということで、やってまいりました。堺市南区上神谷字鉢峯とに鎮座。道路を挟んで向かい側には、大きなお寺・法道寺があります。法道仙人ゆかりのお寺で、大きくてとても立派。対してこちらの國神社は、ひっそりと茂みの奥に隠れていて目立ちません。対称的なお寺と神社です。裏手の丘は墓地になっていて、お墓だらけ。日が暮れると寂しい雰囲気になりそうですが、なぜだろう・・・どうにもこうにも、魅かれるものがあります。鉢峯の丘陵の中で、いちばん良い位置はココだ!と直感的に感じるのです。國神社について、その周辺も含めてここはタダならぬ場所だと書いていらっしゃる武部正俊さんの関連記事はこちらです↓鉢ケ峯寺の國神社http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/55271647.html 鉢ケ峯寺の國神社の不思議-02 國神社の立地の重要性http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/77308491.html武部さん曰く、これが聖地を示すとされるカゴノキ、とのこと。鳥居のすぐそばにありました。クスノキ科の樹木で大きくなると樹皮が鹿の子模様になるから、鹿子の木、ということです。樹皮からイメージできるのは実は「蛇」なんじゃないか?と武部さん。私もいま、蛇をモチーフに組紐を組もうとしているのでまさにそれだ!と思いました。「迷彩模様」にも見えますが、↑これって、ちょっと現代的な見方かもしれませんネ。色彩豊かで、とにかく絵になる木ですね。標しとして、ここにあるんだ、と言われたら、妙に納得できます。おぉ・・・\( 'ω')/狭山神社の岳主社(大山祇神・猿田彦大神)のところで降り注いでいたのと同じ光がここにも。歓迎してくださっているように感じました。由緒通りに、天照大神が鳳凰となって降臨したという伝承は、こんな虹色の光の鳳凰だったのかしら・・・と想像します。8/8、摩耶山天上寺の秘仏御開帳のときに現れたあの虹の鳳凰のように。虹色スポットです。鳳凰はいま、六甲周辺・金鳥山周辺に出現していますが鳳凰自体がいまとてもホットな存在゛あることは間違いないですね。石段を上り詰めると、小さな祠がありました。ここもちょっと、モヤっています。もういちど撮ると、ちゃんとクリアに写りました。祭祀場という雰囲気です。【祭神】 ・天照大神・幸魂奇魂大物主神・ 天光神・金峯・熊野・白山・山王各権現時代を経て、神様オールスターズみたいになってるようです。【由緒】 垂仁天皇八年、天照大神鳳凰の形を現し、襲の峰に降臨せらる。景行天皇の御宇降臨の跡を祀り社を営ましめらる。是が国神社の起因である。爾来この地を神の郷という。上神谷(にわだに)の名亦之に因る。ついで同帝五十五年神鳳を曽抄の里に遷座せらる。即ち今の大鳥神社である。祭神天照大神外四権現合祀す。 祭日は10月5日当日朝境内に於いて、鉢ヶ峯保存会により「鼓踊 こをどり」を奉納す。 明治四十三年に片蔵の式内桜井神社に合祀された。神奈備にようこそ・國神社址よりhttp://kamnavi.jp/en/izumi/hatimine.htm現在は、鉢峯と呼ばれるこの地域。由緒にあるように、垂仁天皇の時代、天照大神が鳳凰となって降臨・・の頃はここは襲の峰として知られている場所だった。「襲」という字は、ちょっと穏やかではない印象を受けますがどんな意味が込められているのかな?と気になりました。漢字教育士ひろりんの書斎・「襲」と「おそう」http://hccweb6.bai.ne.jp/~hgd17901/hirorinhp/1%20kanji/1%20ronkou/syuuosou!.html・「襲」には「襲撃」「強襲」などの用法と、「世襲」「襲名」などの用法がある。・また、「おそう」という日本語にも、人に攻撃を加える意味と、人のあとを継ぐ意味とがある。・襲は「衽(えり)を左にしたる袍(ほう=わたいれ)なり」とされ、衣服の一種である。・「字統」では、襲は龍と衣との会意文字で、死者の衣上に呪飾として龍の文様を加えたことによるといい、・「字訓」では、霊を受けるために着る呪衣であり、覆うて身につけることを言うという。・「字通」では、「即位嗣襲のときに服するものであるらしい。ここに立つと、風が吹いてきました。蒸し暑い日でしたが、清々しい涼風に感じられました。國神社の背後が、現代はお墓だらけであることが気になっていました。國神社って、現代でいう「護国神社」や「靖国神社」のような役割を果たしているのかもしれません。そして、是が国神社の起因で、以来、この地を「神の郷」という。ここで、最初に参拝した狭山神社の摂社、狭山堤神社(さやまつつみじんじゃ)のことを、ふと思い出す・・・堤神社の祭神は、入色入彦命(五十瓊敷命)この方は、垂仁天皇と日葉酢媛命(2番目の后)の子で、弟の景行天皇(ヤマトタケルの父)とは血を分けた兄弟同士。彼は皇位継承者でありながらそれを望まず弓矢を望み、狭山池を掘ったりして堤神社の祭神となっています。菟砥川上宮(うとのかわかみのみや)、大阪府泉南郡阪南町の菟砥川流域)にて、剣1千口を作り石上神宮(奈良県天理市)に納めました。そして以後、五十瓊敷命は石上神宮の神宝を管掌した。狭山堤神社の起因は、この国神社。出発点。本来は、是國神社 と呼ぶべきかもしれないです。「是」の意味するもの。・ただしい。正しいと認める。 「是正」「是認」・よいとして定めた方針。「国是」「社是」 ・これ。ここ。この。「色即是空」反対は「非」「堤」は、「是」に「土」を足して「つつみ」と読む。狭山神社でみた九曜紋。その真ん中の大きな〇は、「土」であり聖観音でした。ほんとうは、狭山堤神社も「是國神社」なんだと思います。私は、最初に訪れていた狭山堤神社で降りていた虹色の光が気になっていました。それはまさに、虹の鳳凰で「是國」であるよ・・・とのメッセージだったからではないかと感じます。また、垂仁天皇には、最初の后・狭穂姫との間に生まれた、誉津別王(品牟都和気命、ホムツワケ)という皇子がいました。誉津別王は、14人いる子の中で最初に生まれた子。長男です。彼に纏わるエピソードがとても気になります。それは、この國神社とも無関係ではないと思います。ちょっと長いですが、wikiから抜粋します。-------------誉津別王【出生】名の由来を記では稲城の焼かれる火中で生まれたので、母により本牟智和気御子と名づけられたとする。母の狭穂姫命はその兄狭穂彦の興した叛乱(狭穂毘古の反乱)の際に自殺。紀では反乱の前に生まれていたとするが、火中から救い出されたのは記に同じ。火中出産は木花咲耶姫の誓約につながるとの指摘がある。 誉津別皇子は父天皇に大変寵愛されたが、長じてひげが胸先に達しても言葉を発することがなく、特に『日本書紀』では赤子のように泣いてばかりであったという。 【言葉を発するまで】『日本書紀』によると皇子はある日、鵠(くぐい、今の白鳥)が渡るさまを見て「是何物ぞ」と初めて言葉を発した。天皇は喜び、その鵠を捕まえることを命じる。湯河板挙(鳥取造の祖)が出雲(一書に但馬)で捕まえて献上し、鵠を遊び相手にすると、誉津別命は言葉を発するようになった。ここに鳥取部・鳥飼部・誉津部を設けたとある。 一方『古事記』では、誉津別皇子についてより詳しい伝承が述べられている。天皇は尾張の国の二股に分かれた杉で二股船を作り、それを運んできて、市師池・軽池に浮かべて、皇子とともに戯れた。あるとき皇子は天を往く鵠を見て何かを言おうとしたので、天皇はそれを見て鵠を捕らえるように命じた。鵠は紀伊・播磨・因幡・丹波・但馬・近江・美濃・尾張・信濃・越を飛んだ末に捕らえられた。しかし皇子は鵠を得てもまだ物言わなかった。ある晩、天皇の夢に何者かが現れて「我が宮を天皇の宮のごとく造り直したなら、皇子はしゃべれるようになるだろう」と述べた。そこで天皇は太占で夢に現れたのが何者であるか占わせると、言語(物言わぬ)は出雲大神の祟りとわかった。天皇は皇子を曙立王・菟上王とともに出雲(現:島根県東部)に遣わし、大神を拝させると皇子はしゃべれるようになったという。その帰り、皇子は肥長比売と婚姻したが、垣間見ると肥長比売が蛇体であったため、畏れて逃げた。すると肥長比売は海原を照らしながら追いかけてきたので、皇子はますます畏れて、船を山に引き上げて大和に逃げ帰った。天皇は皇子が話せるようになったことを知って喜び、菟上王を出雲に返して大神の宮を造らせた。また鳥取部・鳥甘部・品遅部・大湯坐・若湯坐を設けたという。 さらに、『釈日本紀』に引く『尾張国風土記』逸文では阿麻乃彌加都比女の祟りとする。それによると誉津別皇子は7歳になっても話すことができなかったが、皇后の夢に多具の国の神・阿麻乃彌加都比売が現れて、「自分にはまだ祝(はふり)がいないので、自分を祭祀してくれる者を与えてくれたなら、皇子は話せるようになり、寿命も延びるであろう」と言った。そこで天皇は日置部らの祖・建岡君にこの神がどこにいるかを占わせた。建岡君は美濃国の花鹿山に行き、榊を折って鬘(髪飾り)を作り、ウケイして「この鬘の落ちたところに神はいらっしゃるだろう」と言った。すると鬘は空を飛んで尾張国丹羽郡に落ちたので、建岡君は同地に社を建て、また同地も鬘が訛って阿豆良(あづら)の里と呼ばれるようになったとある。 多具の国とは、出雲国の多久川流域とされ、また阿麻乃彌加都比売は『出雲国風土記』秋鹿郡伊農郷にみえる天ミカ津日女(もしくは楯縫郡神名樋山の項の天御梶日女)と同神とされる。 これらの話は神話研究では、記紀でのスサノオが大人になっても泣いてばかりであったことや、また『出雲国風土記』でのアジスキタカヒコネが口が利けなかったという神話と比較されている。 社の近くのカゴノキ。「襲」の意味のひとつとして、死者の衣上に呪飾として龍の文様・・・とありますがカゴノキの樹皮も、そのような龍のウロコ紋もに見えてきます。武部さんが仰るように、「蛇」に見えるということは、「龍」でもあるということです。古代出雲のトーテムは「龍蛇」龍蛇が「地」なら、鳥は「天の日・月・星」の象徴かもしれない。狭山神社に祀られていた堤神社の祭神、垂仁天皇の皇子・入色入彦命(五十瓊敷命)は、どうして皇位を望まずに「弓矢」を望んだのでしょうか?弓矢は・狩りが収穫をもたらすとして、幸(さち)・箭霊(さち)・幸福を現します。・狩り・シャーマンの祈祷・呪術道具に使われ・ハープ(竪琴)弦楽器の発祥起源でもあります。いっぽう、腹違いの兄である誉津別皇子は、鵠(くぐい)を見て言葉を発することが出来るようになった。鵠(くぐい)は、・白鳥はくちょうの漢名。 ・弓の的の中心にある黒い星。ほし。鵠(くぐい)には、こんな諺があります。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや小人物には、大人物の志は理解できないということのたとえ。「燕雀」は小さな鳥の意から転じて小人物、「鴻鵠」は大きな鳥の意から転じて大人物のこと。鴻鵠の志大人物の志。「鴻」は大鳥、「鵠」は白鳥のことで、どちらも大きな鳥。転じて大人物のこと。正鵠を射る物事の要点・急所をつくこと。「正鵠」は「せいこう」とも読み、要点・急所の意。出雲には、星神信仰があったんだと思います。天津甕星(あまつみかぼし)=香香背男(かがせお)=金星 その信仰がありました。『出雲国風土記』に登場する、天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)別名・天御梶日女命 (あめのみかつひめのみこと)・阿麻乃弥加都比女(あまのみかつひめのみこと)・・・は金星を象徴する女神とも言われています。天照大神の荒御魂=撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)との関連も見られます。=神功皇后が筑紫の小山田邑の斎宮で祈った時に神がかりした神向津媛命は瀬織津姫(せおりつひめ)とも。「みかつひめ」、「みかじひめ」、「むかつひめ」響き・音。それが言霊・言葉になるのだから。天照大神が鳳凰になって降臨・・は、金星・明けの明星を象徴する上記の女神なのかもしれません。垂仁天皇の御代は、ホツマツタヱの中でも、ヒボコの渡来などと共に語られていて真実が暗喩となっているようで霧や雲が懸かるようなニュアンスで記されています。崇神天皇の頃からそれは始まっている・・・想像力を逞しくしなければ、見えにくい世紀だなとつくづく思います。國神社の裏手は、ほんとうにお墓だらけでちょっと登っていくと、丘の頂点にも石の祠がありました。六甲山中の山神も、こんふうに石の祠にして祭られている場所があます。そこもカタカムナ伝承で名高い、金鳥山への登山道に。まさに「鳳凰のあしあと」ですね。これが板根の木かぁ~。 強そう。\( 'ω')/國神社=大國魂神だと思います。ここの祭神・幸魂奇魂大物主神は、三輪山の神。幸魂奇魂守給幸給・・・(さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえたまえ)これは、最も重要な唱詞(となえことば)です。大己貴神(オホナムチ)が国造りの半ばで少彦名命(スクナヒコナ)に常世郷に先立たれて困難に直面し、出雲国に至り言挙げした時、海のかなたから、光る神が近づいてきた。それが「幸魂奇魂」(さきみたまくしみたま)であった。「今何処にか住まむと欲ふ」との問いに「三諸山(みむろのやま)に住まむと欲ふ」と答えたので、大己貴神その地に宮を作り大三輪の神となった。大国主大神は、「幸魂奇魂」の存在を知り、そして自分自身の中に潜む「幸魂奇魂」の霊力により「縁結びの神」になられた。「幸魂奇魂」の「幸」(さき)は、「咲き」や「裂き」であり、増殖や分裂である。「幸魂奇魂」の「奇」(くし)は、「串」や「櫛」であり、「整え」や「統一」を意味する。「幸魂奇魂」は「分化繁殖」したモノを「整え統一」させ、大国主大神の道に神習い、明るく和やかな日々が送れるということを意味する。神様のエネルギーは、私たちの中心にあって4つの性質のバランスを取りながら生きています。それが、きっと、こういう場所に立つと整っていくんだと思います。三輪山もそんな場所であり、ここもゼロ磁場。幸魂奇魂大物主神は、そのことを伝えてくれています。ここに来てから、書ききれないほどのストーリーが頭の中をめぐります。いろいろありすぎて、うまく纏まらないんです。もうひとつの國神社に纏わる石の祠が有るポイントへと武部さんは案内してくださいました。場所は、法道寺からも、ほど近い所。でも、ご近所の皆さんにもそこはあまり知られていないようなところらしいです。お地蔵さんが目印となっているようです。通りすがりに立ち止まり、手を合わせる。そしてまた道なりに歩き出す・・・そんな場所。でも、その裏手の藪を、私たちはガシガシ切り込んで登っていくんですね~!まだ道にもなっていない山道を行く・・・木々の茂る丘の上に到着。すると、ビックリ。 (◎_◎;)さっき見ていた國神社の裏手の丘にあった石の祠と同じような小さな御殿が、ここにも出現しました。近くで見ても、同じような祠。ここはきっと、神聖なサルタヒコの道標。それを仁王立ちで見下ろしている図です。ここで、上森三郎さんがプロデュースされたフラーレン構造のゼロ磁場装置・テラファイト・コアを宝珠の代わりになるかな・・・と思い、乗っけてみました。テラファイト・コアを中心にして、手を合わせていると風が吹いてきました。爽やかな風です。幾ら地元とはいえ、、こんなところを独自の感覚とインスピレーションで探し当ててしまうとは。やっぱり武部さんは只者ではないな・・・と思いました。そして、國神社について、ますます興味が湧いてきました。今回書いていることは、ここに来て感じたままのことや知っていたことを照らし合わせて掴めたことです。新たに調べて、やっぱり、と確信することもありました。そしてそれは、ほんの一部に過ぎなかったりします。少しずつ、関連していくことを、これからも書き出していけたらいいなと思っています。たぶん、たくさん歩くことにもなるでしょう。続きます。。。 close

サルタヒコの道標 part.5 國神社とその周辺
サイト名 瑠璃の星☆彡
タグ 神社 神社仏閣めぐり(大阪)
投稿日時 2019-08-12 16:00:04

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