三河の式内社 知立神社 三河國二ノ宮の詳細

三河の式内社 知立神社 三河國二ノ宮
Journey To The End
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記事タイトル 三河の式内社 知立神社 三河國二ノ宮
概要

知立神社(愛知県知立市西町神田12番地鎮座)祭神 鸕鷀草葺不合尊・彦火火出見尊・玉依比賣命・神日本磐余彦尊(神武天皇)相殿 青海首命・聖徳太子延喜式神名帳「三河國碧海郡 知立神社」鳥居と駐車場知立神社は、東海道バイパスと国道155号線の交差点脇に鎮座する三河國二宮。地図で見る限り…… more 、とてもせわしない場所にあるのかな?と思いましたが、境内に入ると木々に囲まれているせいなのか、とても静かで心鎮まる空間でした。石橋と神池鳥居の先に駐車場がありますが、社殿を向かう途中には花崗岩で作られた石橋が架かっています。神池には通称『池鯉鮒大明神』の通り、鯉や鮒がスイスイと泳いでいました。知立神社石橋この橋は、半円形に沿った太鼓橋で、すべて花崗岩で組まれている。全長6.6メートル、幅2.4メートル、高さ1.68メートルを測る。石の桁を弧状に通し、その上に橋板である厚さ12センチの石の板十九枚が並べられている。欄干南側右柱には「享保十七年(1732)十一月吉日敬白」と刻まれている。「東海道名所図会」には「石橋は神籬の外にあり、池を御手洗という。片目の魚ありとなん」と書かれている。片目の魚は、身代わりとして娘の目の病から救ったためとの言い伝えがある。知立市教育委員会(境内案内板より)石橋と社殿石橋から拝殿を望む写真を撮ってみました。とても美しいです風景です♪知立神社の創建年代は不詳ですが、神社配布の御由緒によれば「景行天皇の御代、東国平定の砌、当地に於いて皇祖の神々を祭って云々」とあり、古書には仲哀天皇元年とも記載されています。御祭神は「皇祖の祖神」である鸕鷀草葺不合尊・彦火火出見尊・玉依比賣命・神日本磐余彦尊を祀り、相殿には鎮座地の碧海地方の開拓神・青海首命を祀っています。また『熱田宮鎮座記』によると、「三河國碧海郡の驛知立神社は、武彦命(吉備武彦命)を祭る」とありますが、御由緒に「知立神社創建の御奉行」として吉備武彦命を祀った土御前社が境外に鎮座しています。さらに『尾張国帳集説』に「知立社は木花知流比賣也」とありますが、神主の永見氏曰く、「木花知流比賣命は地主の神にて別社なり。」として否定しています。美しい拝殿(国有形文化財)文徳実録・三代実録にも記載があり、延喜式神名帳にも「三河國碧海郡 知立神社」と式内社に列している由緒ある古社ですが、「三州池鯉鮒は古は尾州の地なりしにや。池鯉鮒の社の鰐口の銘に、尾張の国知多郡知立神社とある由あり」といい、実は尾張のお社だったのでは?という説がありますが、これまた神主曰く、「鰐口は当時筑前国の者(住林五良左衛門)が作ったもので、遠国の知立神社が尾張なのか三河なのか区別できなかったのでは?」としています。また社伝によると、天文十六年(1547年)に三河の武将戸田弾正宣光により焼失。その後重原村へ遷座したが元亀二年(1571年)再度焼失したため、現在地に遷座して仮宮を建立し、天正元年(1573年)に水野下野守信之主が本社を建造したとあります。かつてはマムシ除けの社として有名だったとのこと。歴史深い古社ならではの話です。尾張造の重厚感溢れる社殿知立神社由緒當神社は池鯉鮒大明神とも称え奉り、延喜式の古大社であって、第十二代景行天皇の御宇皇子日本武尊の東国平定の行路、此の地に於て皇祖建国の鴻業を仰いで国運の発展を祈願し給い、御帰途奉賽のため創建あらせられしと云う。延喜撰格の際は官社に列し、歴朝或は神階を奉られ或は昇叙せられて、元寇襲来に際して異国調伏の勅願あり。明治元年明治天皇御東幸の際に勅使を差遣わして国運の発展を祈願し給う等、古来調停の御崇敬厚く、又歴代各藩主も或いは土地を献じ或は社殿を造営し或は神饌幣帛を献ずる等夫々赤誠を捧げた。又衆庶の崇敬も厚く、古来より蝮除け雨乞い安産等の御霊験を以て全国に聞こえ、御分社は県内は固より遠く関東関西に亘って所々に奉祀せられ、崇敬者は全国に散在してその数を知り難い。又當社は弘法大師の崇敬殊に厚く、三河三弘法巡拝者の必ず當社に詣ずるは蓋し大師の敬神の精神を体するものである。御祭神鸕鷀草葺不合尊彦火火出見尊玉依比賣命神日本磐余彦尊(神武天皇)相殿 青海首命例祭日 五月三日(元旧暦四月三日)(境内案内板より)親母神社(祭神:豊玉媛命)(国有形文化財)愛知縣三河國碧海郡知立町字知立縣社 知立神社祭神鸕鷀草葺不合尊・玉依比賣命・彦火火出見命・神倭伊婆禮毘古命創立年代詳ならず。但仲哀天皇元年と称すものといへども、其據を知らず。當社は延喜式内社にして文徳實録に「仁壽元年冬十月乙己、進参河國知立砥鹿両神階、竝加 従五位上」と見え、次いで「貞観六年二月十九日正五位下、同十二年八月二十八日正五位上、同十八年六月八日従四位上奉授」のこと三代實録に見えたるが、後ち累進極位に至らせ給へるにや尾張國内神名帳に従一位と見え、次いで三河國内神名帳に「正一位知立大明神」正安の古額に「正二位智池鯉鮒大明神」と見えたり。 社領は三川雀に「二十俵、時の守護より出る」と見え、三才圖會に「社領十石」と見えたるが、三河國官社考集説に、「永見氏云、當社は往古社領七百五十石ありしとい傳ふ。(中略)天和二年水野隼人正忠清(中略)社田十石を給ふ、と見え、本多光臣の記にも「社領昔より二十石」と見えたり。社殿修営のことは同じく修説に、「永見氏云、文明三年三月、緒川城主水野直守修造を加ふ。又大永六年十一月(注略)水野右衛門大夫忠政主修理を加へわる。然るに天文十六年、戸田弾正宣光のために残らず消失す。依 之重原村へ遷座せしを、元亀二年又焼失するにより、尚又今の地に遷座ますといへども、乱世故假の宮居なり。然るを天正元年、水野下野守信之主、本社を造り玉ふ。元和二年、同隼人正忠清主修理を加ふ云々」と見えたり。左:境内社 右:土御前社(祭神:吉備武彦命)古来近郷二十四ヶ村の産土神にして、池鯉鮒の馬市と共に其の名遠近に聞こえ其の名伯家部類乗穂録、其他名所図會等のものに見えざるはなきが、明治五年九月縣社に列せられたり。社殿は本殿、前殿、廻廊、拝殿、祭文殿、神庫、神楽殿、湯呑所等を具備し、境内地2434坪。老樹鬱蒼として社殿を繞り、頼る荘厳を極む。當社には嘉祥三年建立の多宝塔及正安年間の古額其他應永年間の奥書ある古書少からざるが、古来除蝮蛇神札をだす。「夏秋の頃山中叢林中にこれを懐中せれば蝮蛇迯去る」云々と東海道名所図會に見え、「氏子二十四ヶ村には、まむし、うろこもち絶えて住まず」云々と集説にも見えたり。 又當社御手洗池、魚鱗多しといへども、殺生を禁ぜられ、旱魃には郷民雨を是に祈る。時に神寶の蛙面を出して池水を注げば惣現應するよし又圖會に見え、此面古代の作にして、舞楽の具也。此外にも古作の面神寶にあり」と同書に見えたり。因みに當社尾張國神名帳に「従一位智里府名神」と見えたるより伴信友「此地古へ尾張國へ属しことも有しにや」といへるが、乗穂録にも「池鯉鮒社の鰐口に、尾張國知多郡知立神社とある由」見え、熱田宮寛平縁記の首書にも亦其の由見えたりといふ。境内神社親母社、白山姫社、神明社、津島社、山神社、豊受社、稲荷社、市杵島社、祓戸社(明治神社誌料より)美しい社殿と境内知立神社今在 池鯉鮒駅西、按に駅の西入口傍らに在。号 池鯉鮒明神。按に神主永見氏云、末社に親母神と云ふあり、豊玉姫命を祀れり熱田宮鎮座記云、三河國碧海郡の驛知立神社は、武彦命(吉備武彦)を祭る。武彦命は孝霊天皇の皇子也。今熱田竜神の社も武彦命も祀る。按に永見氏云、末社に武彦命の社あり。尾張国帳集説に云、知立社は木花知流比賣也。按に永見氏云、木花知流比賣命は地主の神にて別社なり。東海道名所図會云、例祭四月三日、當驛中近隣廿余村、刈谷城下等の生土神とす。神輿一基楽車飾山あり。神事は刈谷と隔年なり。古額あり、「表に正弌位智鯉鮒大明神、裏に正安辛丑八月□神□法印」あり。神殿に納む裏文字古朽分明ならず。多宝塔あり。傳云、嘉祥三年建之と九輪の臺に山岡忠左衛門とおあり。これ再建の願主といふ。例年九月五日御弓の祭式あり。近辺より集る別当松智院また両社人よりマムシ除けの守り出る。神籬門多宝塔の傍にあり。伴信友云、此地古へ尾張国へ属しても有しにや、尾張国内神名帳に従一位智里府名神あり。岡田氏の集穂録に云、三州池鯉鮒は古は尾州の地なりしにや。池鯉鮒の社の鰐口の銘に、尾張の国知多郡知立神社とある由ありと云り。熱田宮寛平縁起の首書にもしか云り。按に此銘を永見氏に問ふに、寛永十一年八月吉日、筑前の国の住林の住林五良左衛門施主敬白と有て、古き物には非ず。遠国の人故、國を違へたるなるべし。其の鰐口今は亡しと云り。(尾三郷史料叢書. 第3編より抜粋)石橋と多宝塔さて、石橋から南に目を遣ると神仏習合の名残からか、多宝塔が遺されています。明治の神仏分離令の際には、祀られていた愛染明王を総持寺に移し、相輪を取り除き、瓦葺にかえ、「知立文庫」と名も替えて、取り壊しの難を逃れたといいます。多宝塔社伝によれば、嘉祥三年(850年)天台宗僧円仁が神宮寺を創立し、多宝塔を建立した。後知立神社の別当寺となった。現存する多宝塔は、永正六年(1509年)重原城主山岡忠左衛門が再建した。三間二層の塔であり、正面に桟唐戸を配し、左右には連子窓、他は篏板張りである。屋根は杮葺で、塔高さは約10メートルあり、室町時代の建築である。明治の神仏分離令の際には、祀られていた愛染明王を総持寺に移し、相輪を取り除き、瓦葺にかえ、「知立文庫」と名も替えて、取り壊しの難を免れた。知立市教育委員会(境内案内板より)社殿から境内を望む尾張造の重厚感溢れる社殿群や過去の苦難を乗り越え今なお遺る多宝塔、鬱蒼とした社叢や神池の美しさ、そして何より掃き清められた境内・・・拝観する處も多く、実に心地よく参拝することができました。知立公園そして、ここ知立公園のベンチでパソコンを広げて二時間ほどお仕事をしていました・・・。参拝時は霧っぽい天気でしたが、境内を後にしたら太陽が顔を出し始め、ほどなく快晴になりました。 close

三河の式内社 知立神社 三河國二ノ宮
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タグ 神社
投稿日時 2019-08-24 01:40:04

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