秩父霊場@尼寺の太陽寺の詳細

秩父霊場@尼寺の太陽寺
秩父・仙台まほろばの道
ページの情報
記事タイトル 秩父霊場@尼寺の太陽寺
概要

秩父ネタ。 秩父は秩父帯がある地域。  旧石器時代~数十万年前頃は最後の氷河期といわれ、 いろんな動物が列島にやってきました。 太陽寺がある大血川洞窟では北方系クマ。 埼玉県川口市猿貝貝塚で発掘された安行式土器は、 およそ3500年前に作られたもので、 青森県の亀ヶ岡文化と同時…… more 期に存在し、 交流していた可能性が指摘されています。 また、宮城の塩釜に由来する塩の釜は、 埼玉で発掘された釜と形状が似ている物もあり、 和銅黒谷がとれた聖神社にも蕨手刀があることからも、 古来から東北地方との交流が行われていたと考えられます。 深谷の鹿島群古墳も宮城県の鹿島古墳と似ている指摘も。  「武蔵にいた豪族が逃れてエミシになった。」 というのは、あながち適当な話しでもなく、  出雲族も多くいたことから、武蔵文化圏と東北文化圏は、 縄文時代から大都市を形成していたと言われています。 東北から関東なのか。 それとも関東から東北なのか。 どっちが先に文明が入ってきたのかは、わかりません。 東北から関東~近畿説が多いのですが、 互いに影響を与えながら文明を築いていたことは確かです。 秩父は盆地なので夏は暑いです。 冬は寒いことは寒いのですが、冬は晴天の日が日本一多い埼玉県なので、 冬の秩父の方がいつも晴れているので、冬の帰省の方が好きかも。 さて、秩父へは主人が久しぶりだったので、 前から「太陽寺に行きたい」と言ってました。 私も一度も太陽寺に行ったことがなかったので、 早速、秩父の秘境へ。 今回の秩父は、太陽寺から始まったので、 鬼女や鬼婆というテーマでいこうと思った。 女(母)の強さを考えてみたい。 ここから太陽寺へ登る路があるのですが、暑いのでパス。 上まで車でいけます。 「禁猟」と、でかでかと掲げた看板の目の前は、釣りでむらがる人々。 雰囲気でてます。 車では、三峰へ行く道途中から分岐を下の方へおり、 そこから大血川渓流の山奥へ向かっていきます。 秩父札所は女人講といわれたように、秩父は女性を受け入れる観音信仰として、 関東地方では定着していました。 千葉県の方では、男は伊勢、女は秩父といわれ、40歳過ぎに巡礼を許されて 一人前の主婦とされたそうです。 「女契約」や「嫁の講」といった女性の講は、 念仏講、観音講といった独自の日を設けて講をしていました。  嫁の講は、出産や育児に関する信仰で、月待講などもそうです。 「婦人会」というものは、大正~昭和に行われた女性たちの会ですが、 今では「女子会」でワイワイ楽しんでますけど・・・。 三峰神社は男性のみで、昔は女性は禁止されました。  武士の家では、夫が亡くなると女性は仏門に入り、 新しい名前をもらって生活する習わしがありました。 そのため、太陽寺に出家する女性が多くいました。 また、伴侶は三峰には同伴できなかったので、その代りの女性の巡礼地となったのが、太陽寺です。 独身の僧侶が、太陽寺で縁を結ぶこともあったそうです。 太陽寺まで、1.3キロ。 あれ?意外に近いね。(もっと下から登る路があったと思います、たぶん) 霧藻ヶ峰は、雲取山の方です。 右:太陽寺を経て雲取山?かな。 左・天目山 ---------------------------------------- 太陽寺について。 「天空の禅寺より」 http://www.taiyoji.com/abouttaiyoji.html 『神々の里、三峰のさらにその奥に、天狗が住むといわれた秘境があった。 時代は鎌倉時代末期から南北朝時代にむかう動乱の世、 当山開山仏国国師は後嵯峨天皇の第三皇子として京の都に生をうけられた。 当時の京の都は鎌倉幕府の無力化とともに朝廷を巻き込んだ政権争いが にわかに激しさを増してきている時代であった。 そうした争いを避けるかのように16歳の時仏門に入った国師は、 遥か東国に修行の地を求め鎌倉建長寺にはいる。 その後さらなる悟りの道を求めて獣も寄り付かぬといわれたこの渓谷にたどりついた。 そこには、京の都や鎌倉を舞台にくりひろげられる激しい政権争いとは 全く無縁の世界がひろがっていた。 遠くには清流の音、厳しい冬を通り越して芽吹く木々、 それらが育む鳥たちのさえずり。 夜には満天の星たちが遥か数万光年の宇宙の時を刻む。 誰に見られる為でもなく淡々と、しかし威厳に満ちた大自然。 ここでは、人間の世界にいることさえ、忘れてしまいそうな光景が広がっていたに違いない。  黙々と座禅を続ける国師の姿は、山賊や猟師たちには天狗に映ったのだろうか。 その後、天狗が住むと恐れられた渓谷は江戸時代には空前の山岳信仰の波に乗り 繁栄することになる。 「渓声即是黄長舌。山色豈非清浄心。」  けいせいすなわちこれこうちょうぜつ さんしょくあにしょうじょうしんあらざらんや』 大きな天狗のお面があるそうですが、座禅を組む国師の姿と言われます。 『本尊は釈迦如来であり、大陽寺の阿閦如来は秩父十三仏霊場のひとつでもある。 阿閦如来は密教では金剛界曼茶羅の四仏の一人として重要な地位を占めている。 尊名の阿閦とは、サンスクリットのアクショーブヤの音写語で、 揺るぎない・動じないなどの意味である。 漢訳では無動仏・不動仏などと翻訳されている。 ともすれば何につけ、すぐに諦め、長続きしない私たち。  阿閦如来に祈るときにはその功徳によって、私たちが何事にも揺るぎない心と、  怒りを離れた安楽な世界を得られるようにとお祈りをする。 人々のもつ罪業を消滅する阿閦如来と心をひとつにしつつ。』 文化財指定の閻魔堂には江戸時代作の木造閻魔大王坐像を中心に、 十三体の仏像が安置されています。 閻魔堂は、迫力がありました。 怖くて思わず「すみません。」と謝ってしまうほど。笑  閻魔大王の話しは、秩父には多いと思うのですが、 この後も、閻魔大王にちなむお寺に行ってしまいます。 現在は、宿坊になっていて外国人も多いです。 この日も、外国人が宿坊に泊まっていました。 東京にも近いので、都会からやってくる女性が多いと聞きます。 ここは、携帯の電波は入りません。 外からさくっと見学しただけなのですが、 秩父の山はすり鉢の底のように険しい山々の隙間みたいな所に 家々が みえるので、このような秩父を埼玉県民は、「秘境」とくくり、触れてきません。笑 太陽寺を開山した国師は、ここまで来れば誰も来ないだろう。 ということで、特にこの場所が特別だったということではなく、 誰からも追われることも探されることもなく、  隠居する場所としては最適だった。 なので、パワースポットとか、変な勘違いしないでちょーだい。 秩父は逃れた人が生き延びるために選ばれた村であった伝承はあり、 歴史が表に語られてこなかった理由も納得できます。 江戸時代後期だと思いますが、太陽寺の跡取りとしておられた息子さんのお相手に、  横瀬町から花嫁として迎い入れたい話しがありました。 なぜ横瀬町からだったのかというと、横瀬町は太陽寺に木材や、 しいたけといった産物を提供していた為、太陽寺とは交流がありました。 横瀬町は森しかないので、良質の木材は、大滝や三峰の方などに出荷されていました。 横瀬町の札所は武甲山があるように、秩父最終の札所が多く存在しています。 (現在は順番は異なる)  太陽寺との交流や関係が深いのも、信仰深い地主・名主たちが、 家族、一族の繁栄の意味も込めて、 信仰との間で婚姻を交わしていた時代だったのです。 その仲人として太陽寺と横瀬のお嫁さんの縁を結んだ人が、私の先祖でした。 女性で仏門に入る人が多かったのは、戦いや病気などで 横瀬郷に来る以前からすでに夫が世を去っていたことが主な理由としてあります。  太陽寺もそのような女性を受け入れる所であり、先祖が太陽寺と何らかの関係があったのは、 松平長七郎伝承があるように、横瀬も同じような環境に置かれた人々を受け入れることを理解できた郷であったと思います。 お盆の時期にふさわしい巡礼になってしまったのですが、 先祖の戒名など過去帳によると、1600年代から昭和まで、 ずら~と「禅定門」「禅定尼」、「居士」「大姉」が続いている。 「禅定門」「禅定尼」の位号は法門に深く帰入した人に付けられる称号で、 「居士」「大姉」もそうですが、「大」がつくと各位が高い。  もともとは五重相伝の受者に限って与えられていたそうですが、 近年ではあまり見られない戒名らしい。 仏教だけの話しですけど。 十数人の女中などと暮らしていた家だったので、 私も鬼女やら鬼婆の言葉に魅かれるのは、しょーがないのです?笑 だからか! 夢で知らないおばちゃんに、渇!入れられるんだ。。。笑 前よくみていた夢で、実家に帰る夢なのですが、いつも知らない女性が たくさん東の玄関口に座って賑やかにしていて。 たまに男性も家の裏から登場したりするのですが、いつもおばさんがたくさんいます。 親戚のようにくつろいでいる人たちなのです。  先祖は禅を学んでおり、そのために東林寺を建てたので、 私もこんな風に信仰深くなってしまうのは、仕方ないな~と思うわけです。 ということで、先祖のルーツを調べると、その性格を受け継いでることに気づきます。 まずは、自分の家、家系、実家の氏神なりのことを知ってから、 周りの人たちの世界と、どのように繋がっているのかを考える方が、 いろいろ役に立ちますし、家相もだんだん良くなっていきます。  最初から遠くの宇宙を見ると、わけわかりません。 太陽寺の裏道が、三峰へいく道。 かつては、僧侶たちが尼僧を求めて通っていた路なんですよね。 そういうところがディープな秩父。 三峰神社がパワースポットと騒がれて表にでた陽に対し、 太陽寺は雲隠れした陰の寺として、女性らしくふさわしい。 ま、そんな隠居が似合う秩父を考えると、ある神社にいろいろ思うことがあります。 次は、ずっと前から行ってみたかったあの神社を考えてみる。 秩父は濃ゆい~。 close

秩父霊場@尼寺の太陽寺
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ お寺 秩父の祭りと信仰
投稿日時 2019-08-25 01:21:00

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