越中国一ノ宮 気多神社 と 越中国分寺の詳細

越中国一ノ宮 気多神社 と 越中国分寺
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記事タイトル 越中国一ノ宮 気多神社 と 越中国分寺
概要

気多神社(富山県高岡市伏木一宮1-10-1鎮座)御祭神 大己貴命・奴奈加波比賣命・事代主命・菊理媛命延喜式神名帳「越中國射水郡 氣多神社」名神大社論社越中國一宮国分寺から続く参道気多神社は射水神社・高瀬神社・雄山神社とともに越中國一ノ宮に列せられるお社。二上山系の一宮山の麓に鎮座…… more し、500メートル程坂下に坐す国分寺や国府跡を見下ろすような位置にあり、社域周辺の伏木郷はかつて古代越中国の中心地でした。気多神社の清泉伏木周辺は伏木神社の項でも記した通り、清泉が数多く湧き出ていた場所。水道水の普及により多くはふさがれましたが、ここ気多神社の清泉は滾々と清らかなお水が湧き出て「とやまの名水」に指定されております。参道気多神社は社伝によると、天平四年(732年)、能登国一宮氣多大社より大己貴命の御分霊を勧請され氣多大神として御鎮座賜ったことがはじまりとされ、神社の創建は天平宝宇元年(757年)、越中より能登国が分立した後、能登・羽咋にある氣多大社を、国府に近い現在地に勧請したのが始まりといいます。これは大宝律令による行政区分の変更が影響していると言われています。また、養老二年(718年)に僧行基が創建したとも伝えられています。鳥居本神社は氣多大神・大己貴命と越の国の姫神・奴奈加波比賣命(又の名沼河比賣)を主祭神とし、事代主命と菊理媛命を配祀として祭っています。苔蒸した美しい参道鳥居をくぐって石段を登っていくと、苔が蒸した緑の世界が広がっていきます。木々も生い茂り、静寂とした境内。石段の先に微かに見える拝殿の佇まいは、正に神域。不思議と心が鎮まる風景です。拝殿全盛時には越中一宮として境内の周囲に神宮寺である徳証寺をはじめとする大伽藍が並立していたと伝えられるが、寿永年間(1182)に木曽義仲、天文年間(1532~1554)には上杉郡と二度の兵火で、ことごとく焼失しました。現在の本殿は、永禄年間(1558~1569)に再建されたとあり、本殿は室町時代の建築様式を遺しているとして国指定重要文化財に指定されています。その後江戸時代に入り、正保二年(1645年)前田利常が当社本殿、拝殿等を修復し、慶安三年(1650年)同じく利常が社領十石を寄進し、孫綱紀の安全息災を祈願。明治二年(1869年)には廃仏毀釈の令により当社本地仏が旧国分寺跡の薬師堂へ遷したといいます。国重文の本殿越中國一宮 延喜式内名神大社氣多神社当社由緒当社は氣多大神宮とも称し奉り、延喜の時代には名神大社に列し、越中国三十四座のうちの最上位として越中一宮の社格を有せられた神社で、北陸道鎮護の大社であります。御祭神大己貴命:又の名大国主神、大穴牟遅神、八十矛神。出雲大社を本貫とする祭神。奴奈加波比賣命:又の名沼河比賣。越後の国の姫。事代主命:大国主神と神屋楯比賣命の子菊理媛命:加賀白山神社、白山信仰の神社の祭神社殿略誌天平四年(732年) 能登国一宮氣多大社より御分霊(大己貴命)を勧請され、氣多大神として御鎮座賜り越中国一宮となる。天平十八年(746年) 従五位大伴家持第二代越中国守着任 - 751年まで天平宝宇元年(757年) 創建は、社伝によると越中より能登国が分立した後、能登・羽咋にある氣多大社を、国府に近い現在地に勧請したものといわれている。一説によると養老二年(718年)に僧行基が開基したともいわれている。延長五年(927年) 当社は、越中国三十四座の名神大一座として神名帳に登載される。寿永年間(1182年)、天文年間(1532~55年) 盛時には、越中一宮として境内の周囲に神宮寺である徳証寺を始めとする大伽藍が並立していたと伝えられるが、寿永年間に木曾義仲、天文年間には上杉謙信と2度にわたる兵火で、ほとんど全てが灰燼に帰した。永禄年間(1558~70年) 現在の本殿が再建される。正保二年(1645年) 加越能大守前田利常候、当社を崇敬し本殿、拝殿等を修復する。慶安三年(1650年) 前田利常候社領十石を寄進し、孫綱紀の安全息災を祈願する。明治二年(1869年) 廃仏毀釈の令により当社本地仏が旧国分寺跡の薬師堂へ遷す。明治六年(1873年) 当社は縣社に列す。以下略(境内案内板より抜粋)拝殿内富山県越中國射水郡伏木町大字一ノ宮縣社 氣多神社祭神 大己貴命 奴奈加波比賣命相殿 菊理姫命 事代主命御神體は木像也、一の宮記に氣多神社(大己貴命)越中國礪波郡にありと見ゆるは、即ち本社也。創建は社記に據に、元正天皇養老二年越中の國を割き能登國を置かれし時の鎮祭にして、勅して越中一の宮と定めらる。神亀貮年聖武天皇勅願宸翰を賜ひ、近郷九ヶ村を神領に寄附し給ふ。諸社根元記、延喜式、神社啓蒙等の書を按ずるに、氣多神社名神大、神名帳考証に今在 国府一宮村 大己貴命と、延喜三年三月丁亥、同八年八月十六日乙卯、又朱雀天皇天慶三年正月六日、白川天皇承暦五年二月十日、崇徳天皇永治元年七月十日、高倉天皇治承四年十二月十三日等に各官幣に預からせ給ふ由見えて、有名なる神と知られたり。又越中舊事記日本後紀に、「延暦三年三月三日丁亥叙従三位氣太神正三位」とあり、朝野群載に「承暦四年六月十日、ト部兼宗、奏亀ト御體御ト云々、坐 越中國 氣多神云々」と見ゆ。されば、當社中古より上下の崇敬深かりし事を知る。又天平年中大伴家持越中の守護たりし時尊敬格別なりし由也。従って其當時社殿等の建築も宏壮を極めたれど、惜い哉嘉永の末、義仲の爲めに兵火に罹りて灰燼となりき。後世再建せしに天文年中再び上杉氏の兵火に逢ひ、社殿末社等悉く鳥有に帰せり。左:大伴神社 右:越中三賊象型石其の後當社の別当宥應纔(わずか)に小祠を建てて祭祀を続け居たりしが、正和二年國守前田利常殊に當社を崇敬し、神殿、拝殿等を再建せられ、慶安二年社領舊高拾石並に山林二十町歩を寄附し、宗家長久の祈願所と定めらる。明治六年八月縣社に列す。社殿は本殿、拝殿、神供所、廻廊等を有し、境内2952坪あり。當社は有明の岡にありて、富山湾に臨み、紅葉村澁谷夫婦光奈呉浦有磯海の勝地は、近傍拾敷町で出てずして散在し、四時の風景賞すべく、人常に絶える事なく、誠に當郡の名祠たり。寶物には額面貮枚弘法大師筆跡、運慶作狛犬貮個、寄進状貮通等あり。但祭神に就き異説區々。神名帳頭注、社記及神社啓蒙に、天活玉神也とあるは何の據あるか。或は大己貴命に奴奈加波姫命、菊理姫命、事代主命を合祀すとも云ふ。されど一宮記等に大己貴命とあれば、主神は此神に成る事確かなるが如し。礪波郡に鎮座している高瀬神社は往昔は氣多神社或は高瀬神社と称したけれど、天平以降は高瀬神社と称す。射水郡なる氣多神社と同神なるべけれど、中世よりかくは分れたりと。(明治神社誌料より)緑の世界気多神社今一宮村一宮山に在り(一宮巡詣記、越中舊事記、神名帳考証等。按諸社根元記、諸神記云、延喜八年八月乙卯、越中気多大神官幣例に預ると云り、他書考ふる所なし。又按上人本社を一宮と云ふは、思ふに能登国気多神を此に、遷祭りし故に、猶此神社をも彼社に倣って一宮と云るにや、姑附て考に備ふ)白河天皇承暦四年六月御トに氣多神の祭事を穢せる崇めるを以て社司に中祓を科す、即是也(朝野群載)。凡五月二日、九月二十五日祭を行ふ。(神祇志料より)越中総社伝承地社殿北に「越中総社伝承地」があり、木鳥居と玉垣内の土壇が祀られています。総社とは越中国四郡(射水・砺波・婦負・新川)三十四社を一巡する代わりに、国府総社に参拝し一巡したこととするお社のことで、国府が就任国の国府に到着すると国府総社で着任の儀礼が行われたといいます。参道を望む本神社の近隣には一宮・射水神社が鎮座しておりますが、射水神社は仏教色が色濃く山王権現に影響を受けた神仏習合の権現様に変貌していったのに対し、本神社は官社としての位置づけで建立されていき、時代に翻弄されながら現在に至っている社のように思いました。御朱印越中国分寺跡国分寺前の地蔵堂気多神社の旧参道脇には越中国分寺がひっそりと坐しています。越中国分寺は天平十三年(741年)、聖武天皇により発布された国分寺建立に勅により創建とされ、萬葉集に「従僧清見」や「講師僧恵行」の名があることから、当時国分寺及び僧が存在していたという説があります。石仏群・背後には薬師堂薬師堂脇に立つ数基の野仏群が歴史の重みのようなものを感じます。伏木地区にはほかにも旧国府跡に建つ唐門で有名な勝興寺や古い遺跡も点在しており、のんびり散歩してみるのも良いかもしれません♪ close

越中国一ノ宮 気多神社 と 越中国分寺
サイト名 Journey To The End
タグ お寺 神社
投稿日時 2019-09-12 01:20:10

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