平家物語の最後を飾るのは「勧請巻」そして舞台は『寂光院』の詳細

平家物語の最後を飾るのは「勧請巻」そして舞台は『寂光院』
「高天原の縁側日記」
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記事タイトル 平家物語の最後を飾るのは「勧請巻」そして舞台は『寂光院』
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「祇園精舎の鐘の音」とは、無常院無常堂の鐘の事だそうです。無常堂は祇園精舎で終末期を迎えた僧たちが、最後のひとときを過ごす場所、彼等が臨終を迎えると、建物の4隅に配されていたこの鐘が、ひとりでに鳴るのです。信者の内なる世界にしみこみ、不安やおそれを取り除いて心の平安をもたらす癒や…… more しの鐘の音は、「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」(すべての物がうつろうのは世の定め。この法則を超越すると、死もまた楽しみとなる)と聞こえるらしいです。病僧は、その響きを聞いて死の苦悩から解放され、安らかに浄土に旅立ったといわれます。そして、人々はそこの鐘の音を聞き、いかほど栄華を極めた人でも、最後は滅亡してしまうことを知るのです。飛ぶ鳥を落とす勢いの平家一族の滅亡、平家座頭(平家物語を語る琵琶法師)は当初から廻国の芸能者でありました。中世には文化人の伝手や紹介状を頼りに、各地の有力な大名の屋敷のあいだを芸を披露して回りました。(季節外れですが、やはり幕を下ろすにふさわしいのは紅葉ではありませんか?)琵琶法師が弾き語る歴史物語の『平家物語』、今回シリーズの平家物語の最後を飾るのはやはり、幕引き役平徳子(建礼門院)と後白河法皇ですね。「盛者必衰の理」の総括を『寂光院』からお届けします。其では、『市郎右衛門』の日本歴史ブログをお楽しみくださいね。  絶賛ランキング参加中!四つのバナータグを「 ぽちっと」クリックして応援お願いします。|o´艸)。oO(Thank you)。バナーをクリックいたしますと、ランキングページに移動します。そこで慌てないでくださいね~(笑)市郎右衛門は現在すべてTOP10に入っておりますので、そちらをもう一度クリック頂きますとブログに戻れます(^人^)。【後白河法皇寂光院御幸】平家物語の最後は「勧請巻」といって徳子の後日譚です。平家滅亡時に壇ノ浦で入水しようとした徳子は助けられて京の大原で隠棲し出家します。平家や安徳天皇の菩提を弔いますが、そこに後白河法皇が、大原に隠棲した建礼門院徳子(平清盛・時子の娘。安徳帝の母)を訪れる「大原御幸」で終わります。そして二人は平家の栄華と滅亡を振り返るのです。(有名な大原女も寂光院が始まりだそうです。)(素敵な門構えです。)(鉄灯篭は豊臣秀吉ゆかりの物だそうです。秀吉は平氏を名乗ったために征夷大将軍に成れなかったのだそうです。驚)そして徳子の極楽往生で物語が終わります。『平家物語』によると徳子は安徳天皇・時子の入水の後に自らも飛び込むが、渡辺昵に救助されたといわれます。しかし同じ『平家物語』の「大原御幸」の章や説話集『閑居友』では、時子が「一門の菩提を弔うために生き延びよ!」と徳子に命じたとしています。いずれが正しいか不明ですが(後の演者の創作?)、生き残った徳子は平宗盛・平時忠らと京都に護送されます。宗盛は斬首、時忠は配流となったが、徳子は罪に問われることはなく洛東の吉田の地に隠棲します。5月1日には出家して、直如覚を名乗ります。7月9日、京都を大地震が襲い、多くの建物が倒壊した。吉田の坊も被害を受けたと思われ、9月になると徳子は「山里は物のさびしき事こそあれ 世の憂きよりは住みよかりけり」(『古今集』読人知らず)の心境で比叡山の北西の麓、大原寂光院に入った(『平家物語』)。大原を訪れた建礼門院右京大夫は、御庵のさま、御住まひ、ことがら、すべて目も当てられず (ご庵室やお住まいの様子など、すべてまともに見ていられないほどひどいものだった)。都ぞ春の錦を裁ち重ねて候ふし人々、六十余人ありしかど、見忘るるさまに衰へはてたる墨染めの姿して、僅かに三四人ばかりぞ候はるる (都ではわが世の春を謳歌して美しい着物を着重ねて仕えていた女房が、60人余りいたけれど、ここには見忘れるほどに衰えた尼姿で、僅かに3、4人だけがお仕えしている)。と涙を流し、今や夢昔や夢とまよはれて いかに思へどうつつぞとなき (今が夢なのか、それとも昔が夢なのかと心は迷い、どう考えても現実とは思えません)仰ぎ見し昔の雲の上の月 かかる深山の影ぞ悲しき (雲の上のような宮中で見た中宮様を、このような深山で見るのは悲しいことです)と歌を詠んでいます(『建礼門院右京大夫集』)。(本堂は聖徳太子ゆかりの六万体地蔵尊と称される地蔵菩薩です。)(建礼門院座像)(庭も美しいですね~写真一杯あるんですけど…ほどほどで、笑)(一昨年の紅葉はイマイチでした~残念!)後白河法皇が大原寂光院の徳子を訪ねる灌頂巻は古典文学『平家物語』の終巻で、徳子の極楽往生をもって作品は終わりますが、この大原御幸の史実性については諸説ある様です。文治2年(1186年)4月、後白河法皇が徳大寺実定、花山院兼雅、土御門通親や北面武士を伴にお忍びで大原の閑居を訪ねます。徳子は落魄した身を恥じらいながらも、泣く泣く法皇と対面して、「太政大臣清盛の娘(人間)として生まれ、国母となり、わたしの栄耀栄華は天上界にも及ぶまいと思っていましたが、やがて木曾義仲に攻められて都落ちし京を懐かしみ悲しみました。海上を流浪し飢えと渇きに餓鬼道の苦しみを受けました。そして、壇ノ浦の戦いで二位尼は「極楽浄土とてめでたき所へ具しまいらせ侍らふぞ」と言うと先帝を抱いて海に沈み、その面影は忘れようとしても忘れられません。残った人々の叫びは地獄の罪人のようでした。捕えられ播磨国明石まで来たとき、わたしは夢で昔の内裏よりも立派な場所で先帝と一門の人々が礼儀を正して控えているのを見ました。『ここはどこでしょう』と尋ねると『竜宮城ですよ』と答えられました。『ここに苦しみはあるのでしょうか』と問いますと『竜畜経に書かれています』と答えられました。それで、わたしは経を読み、先帝の菩提を弔っているのです」とこれまでのことを物語した。法皇は「あなたは目前に六道を見たのでしょう。珍しいことです」と答えて涙を流したと記載されます。あの後白河院が落ちぶ れた、建礼門院を見て涙を流して同情し、「あなたは生きながらに六道を見た稀有の人だ」本当に言ったのでしょうか?(それでも綺麗に映っていますかね。)(この池のほとりでお二人の「平家物語」の最後のワンシーンが実際に在ったんですよ~!)【建礼門院没年】『平家物語』(覚一本)は建久2年(1191年)2月に没したとするが、この時期はまだ人々に平氏への関心が高く、徳子の死も何らかの記録に残ったはずで可能性は薄いと思います。そのため『皇代暦』『女院小伝』『女院記』などの記述から、建保元年(1213年)に生涯を閉じたとする説が一般的となっている。【陵・霊廟】陵墓入口陵は寂光院隣接地にある(宮内庁管轄の大原西陵)。(勿論宮内庁管轄)(建礼門院のお墓です。)また安德天皇とともに各地の水天宮で祀られている(前回も一箇所を御紹介致しました。)。また、京都府京都市東山区にある長楽寺にも墓があります。最後に、天の邪鬼の私は、後白河院なら「お前の父清盛が武家の分際で皇室を蔑ろにし、言仁親王(安徳天皇)を強引に即位させた報いなのじゃ」と建礼門院を嘲笑いそうな気もするのですが(((^_^;)。まあ、後白河天皇(77代)→高倉天皇(80代)→安徳天皇(81代)と実の孫な訳ですから、そこまでは無いかと思ってますが!平氏は滅びますが、清盛が成し遂げた武力(武士)による政治力は此の後も、ずっと続く事に成ります。清盛の努力は決して無駄ではなかったと言うことですね。安徳天皇は「平家の都落ち」に同行、都では、新天下人たる木曽義仲の要望をあしらって、「治天の君」である後白河法皇の「天皇なしというわけにはいかない」との主張と指図により、安徳帝の異母弟・尊成親王(たかなり)が、三種の神器なしで即位します。わずか4歳で皇位を継いだこの子こそが、後鳥羽天皇なのです。彼は「承久の乱」を引き起こして鎌倉幕府の討幕を目指すのですが、北条政子の有名な演説「いざ鎌倉」の一言で坂東武士団に完敗、身柄を隠岐に流され、平家も上皇も天皇もいなくなった都では、平安時代が名実ともに幕を閉じ、武士の世が始まりを告げます。いつも応援、ありがとうございますm(__)m。歴史って本当に面白いですよね~!今後もランキングにはこだわって良い記事をUPしたいと思いますので宜しくお願い致します(^人^)日本人気ブログランキングバナー・ブログ村の日本史バナー・Blogramバナー・FC2ブログランキングバナーを「ポチッと」クリックして頂けましたら嬉しいです。            close

平家物語の最後を飾るのは「勧請巻」そして舞台は『寂光院』
サイト名 「高天原の縁側日記」
タグ 『歴史つれづれ』 お寺
投稿日時 2017-03-22 02:21:01

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