史跡長岡050 勝竜寺城跡 細川ガラシャが住んでいたの詳細

史跡長岡050 勝竜寺城跡 細川ガラシャが住んでいた
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  勝竜寺城公園 細川ガラシャ(1563~1600) 天正6年(1578)、明智光秀の娘・玉は、父の主君・織田信長に勧められ、勝竜寺城主・細川藤孝の長子忠興に嫁ぎます。そして、その後2年間、勝竜寺城で幸福な新婚生活を過ごしたと言われています。 しかし、天正10年(1582)、父…… more の光秀が主君・信長を討つという歴史上の大事件(本能寺の変)を起こします。天下人となった光秀は、盟友の細川藤孝・忠興親子に加勢を求めますが、親子はこの誘いをきっぱりと断ります。その後、光秀は羽柴秀吉との戦い(山崎の合戦)に敗れ、居城・近江坂本城に落ち延びる道中で亡くなります。一転「逆臣の娘」となった玉は、以後苦難の生活を強いられることとなりました。  光秀の死後、忠興は、玉を丹後の山奥・味土野(現・京都府京丹後市)に隔離・幽閉します。幽閉が解かれ、大阪城下玉造の細川家屋敷に移り住んだ後も、忠興の嫉妬心による厳しい監視など、様々な困難に見舞われます。この頃から、玉は平安をキリスト教に求めるようになり、洗礼を受けて細川ガラシャ(日本語で恵みの意味)と呼ばれるようになりました。 しかし、秀吉の死後、再び天下が乱れます。徳川家康(東軍)と石田三成(西軍)の対立が激化し、美濃国関ケ原で決戦(関ヶ原の戦い)が起こったのです。忠興は家康に従い、西軍の上杉家の討伐に向かいますが、これを好機と見た三成は、細川屋敷に軍勢を送り、ガラシャ夫人に人質になるように強要しました。ところが彼女はこれを敢然と拒否し、屋敷に火をかけて壮絶な最期を遂げます。慶長5年(1600)、38歳の生涯でした。         北門跡 本丸の北西隅から北の出入り口が見つかった。この出入り口を囲む土塁は高さ2m以上の石垣があり、立派な門が建てられていた。 城内に入るには、堀を渡って第一の門をくぐり四角い形の広場に出る。突き当りを左に折れ、第二の門を通り、やっと城内に入れる。これは攻め入る敵を土塁上から攻撃し、簡単に城内に入れない構造になっていた。この門から山崎合戦に敗れた明智光秀が逃げ出したといわれる。 平成4年3月 長岡京市       東辺土塁と多聞櫓 本丸の東辺に築かれた土塁上の平坦面で、二列の石垣が見つかった。この幅4メートルの間に北東隅の建物(隅櫓)とつながった長屋風の建物(櫓)があったと考えられる。このような構造の建物は多聞櫓と呼ばれ、中に弓矢や槍、鉄砲、火薬などの武器が納められ、城外の敵を攻撃できるようになっていた。また、土塁の斜面にはテラス状の平坦面をつくり、井戸を設けていた。 多聞櫓への階段 本丸の北東隅から石垣で築かれた高さ4メートルの土塁が見つかった。この土塁に登る斜面には大きな自然の石を使った階段が七段作られていた。土塁の上は一辺が10m四方の広い平坦な面があり、城の外を監視、攻撃するための建物があったことを裏付けた。この建物は東辺の土塁上にのびる多聞櫓という長屋風の建物と思われる。     沼田丸への通路 西辺土塁の中央部で、土塁の頂上にある平坦面を深さ1.5m堀くぼめ、土塁が南北に分断されていた。こと土塁斜面を発掘調査したところ、斜面は階段状に掘られ、二カ所で段差が見つかり、多量に石が埋まっていた。 このことから、土塁の斜面に石を使って階段をつくり、土塁の頂上まで登り、沼田丸へ渡ったものとみられる。また、西辺土塁の南端で人頭大の大きな石や小石が見つかった。これらは土塁上にあった隅櫓などの建物に使われたとみられる。 本丸跡 城の心臓部にあたる本丸は、東西約105m、南北約70mで、その周囲には水を湛えた幅広い堀が造られ、その内側に高く土を盛り上げた土塁を巡らしている。 堀は深さ約3mで、幅が15mを越え、土塁の裾には石垣が築かれていた。土塁は高さ4~5mで、四方を取り囲んでいた。しかも、最も高く築いた西辺の土塁は、四角い形をした本丸の南側に張り出していた。これは南門から攻め入ろうとする敵をこの高い土塁上から攻撃する目的があった。 土塁南辺の中央に推定される南門の位置では、杭列や大きな石垣が見つかった。北西隅からは石垣で築いた北門が、北東隅では土塁に登る階段が、東辺の土塁上では長屋風の建物 (多聞櫓)の土台である石垣などが発見された。 本丸内では、西半部で南北方向の堀で石で蓋された溝などが、東半部で井戸二基や礎石建物三棟が見つかった。堀は幅約4m、深さ2mで、井戸はいずれも深さ約2m、直径0.9mの石組みのものであった。             史跡 前回の記事 ⇒ 史跡長岡049 勝龍寺城土塁・空堀跡  長岡京市 下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます close

史跡長岡050 勝竜寺城跡 細川ガラシャが住んでいた
サイト名 アートプラス京めぐり
タグ お寺 史跡・旧跡
投稿日時 2019-10-25 15:01:02

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