熊野白山瀧神社@一関の詳細

熊野白山瀧神社@一関
秩父・仙台まほろばの道
ページの情報
記事タイトル 熊野白山瀧神社@一関
概要

初めての観光客のようにレンタルサイクルを借りる。 マップをもらったりして。 でも、行きたい場所が・・・ マップにひとつも・・・ 載っていない。  そりゃそーだ。 天気のよい自転車は気持ちいい~♪ 一関は最高っす! さっそく「機織山」のバス停。  帰りに立ち寄ってみようと思ってい…… more たけど、 帰りは違う道を行ったので忘れてました。 後でネットで調べてみたら、比較的新しい機織神社が祀られてましたが、 詳細などは不明。 熊野白山滝神社というのがありますが、 最初、六芒星の滝神社だと思っていましたが、 これは関係ありませんでした。 下の階第から登る道ではなく、ちょっと坂をあがってすぐ神社に到着。 なので看板の説明などを見ることもなく、あんまり詳細わからず。 ネットからの情報より 『祭神 伊奘諾尊・伊弉册尊・瀬織津姫命   例祭 九月九日 、(ククリヒメだから?)  由緒  延暦十年(791年)坂上田村麻呂東夷征伐の折、  磐井郡司安倍黒人が田村麻呂に従い追討のため荒滝に来て賊を討ち、住民を安んじた。 この時白山大神を桂峯に、熊野大神を延寿原に奉祀した。 寛治二年(1088年)熊野大神を桂峯に奉遷して熊野・白山二神を合祀した。    また大同年間(806~810年)田村麻呂賊徒の強暴を鎮めんと 祓戸大神を鎮祭して神威を仰ぎ滝神社を奉安し、 後この三神を合せて一村の鎮守とした。』 下には池があるらしいです。 前回の成島毘沙門天の追記ですが、詳細わかりました。 達谷毘沙門堂→黒石寺→江刺藤里毘沙門天→北上立花毘沙門天→成島毘沙門天 という道は、 平安初期に坂上田村麻呂が歩いてきたルート上にあると考えられると。 その理由は、成島毘沙門堂に祀られている阿弥陀如来像の中から 墨書きが出てきており、 そこに施主の名として「坂上最延」という名があったという。  時代は、1098年なので後三年の役の後です。 安倍氏と源氏の対戦が終わった後に、鎮魂の意味をもって毘沙門天が祀られた と思いますが、 そのモデルは、坂上田村麻呂でしょう。 藤原家ではなく、やはり坂上家が崇拝していたものだとわかりました。 達谷毘沙門堂に訪れた時、珍しくこの時は、観光客が誰もいなかったのです。 一人で神秘的な岩屋に座って、不思議な空間を体現したのを覚えています。 さて、熊野白山滝神社に戻りますが、『田村草子』は、田村丸=田村麻呂 をモデルとした話しになっているのですが、 (他に藤原利仁)文献によれば、大武丸は鬼神とされ、  「山を黒雲を覆って暴風雨や雷雨、火の雨などの神通力をもつ」とある。 境内にも風神、雷神らしき像がありました。 今起こっている出来事とシンクロしていると感じてしまいます。 暴風雨に火の雨。 首里城の火災ではケガ人がいなくて良かったと思うのですが、貴重な遺産が焼失したのは残念です。 しかし、東北地方の世界遺産を見てほしい。 目的は違えど、平泉は形はほとんど何も残っていませんが、土に残っています。 風土が生きています。 たくさんの蝦夷柵を作られ、城や寺も何度も焼き払われ、東北の貴重な文化遺産はほとんど残っていません。 それでも土が生き、風土が生き、毎日、水や川が流れ、実りにあふれています。 沖縄の人たちも、また、立ちあがって下さい。 大武丸が本当の悪ということは、ないのです。 エミシを考えると、本当の悪とはなんだろう?と思います。 単なるタタラ場の権力争いとは言えないからですが、 それがなかなか見えないのです。 朝廷側の視点ならば、なんとでも言えそうだが。 『田村草子』では、 鈴鹿の地は、京都から「伊勢神宮」に向かう交通の要所で、 古くから「斎王」と呼ばれる女性皇族が、 「伊勢神宮」に向かう際に、禊(みそぎ)を行っていた神聖な場所とされているそうです。 片山神社がそれだと。 祭神は、倭姫命(ヤマトヒメ)。 ヤマトヒメが斎宮の起源です。 片山神社は、滋賀県と三重県の県境にあたる国道1号の鈴鹿トンネル上に位置し、 伊勢湾へと流れる鈴鹿川や琵琶湖へと流れる田村川を眺望できる鈴鹿峠にある。 付近は豊かな水に恵まれた聖地であり、 伊勢神宮へと向かう斎王が逗留して禊を行った鈴鹿禊の地で、  後に巫覡の徒が祓えを行う神聖な地ともなった。(Wikipedia) この神社に池があったようなので、禊の池と思います。 瀬織津姫にしているのは、なんとなく「穂積氏」と思います。  妄想ですが、熊野だし。 (裏手の井戸がなんか怖い) 平泉では義経伝承があります。 直接この神社に関係しているかわかりませんが、 義経従者だった鈴木三郎重家という人がおります。 熊野の藤代出身で熊野修験だったようです。  山伏の姿になり国を出て平泉にきたという。 義経が討ち取られた後、鈴木氏も戦死。 家臣が主の遺言の通り、鈴木氏の氏神である牛頭天王のご神体を背負って 現地に弔いをしたという伝承があります。 場所は、宮城県の柴田町入間田で現在、八雲神社になっています。  何度も書いている新羅の郷のある地域。 熊野白山滝神社境内にも八雲神社がありました。 藤白の熊野といったら熊野修験が東北地方にたくさんきていますが、 鈴木姓発祥とも言われる。 ○義山? おそらく、鈴木重家=藤白鈴木氏=熊野=二ギハヤヒの祖とする穂積氏が系譜、と考えられます。 そこから熊野別当になっている人もたくさんいて、 藤原実方の母が熊野別当の家だった。 水を司る鍛冶の清水は、アテルイとモレの石碑がある羽黒山もそうです。 ※羽黒山出羽神社 中世の遺構や古塚あり(愛宕社) 奈良時代の土師器杯の破片が発見され、アテルイ時代のエミシがここに足を 踏み入れたことが明らかとなりました。 始めて羽黒山を訪れた時に、「私のエミシ探訪は、母と一緒に歩いている」というメッセージがあり、 そのことをブログにも書いていました。 今思えば、機織りの少女の母かもしれない。 もしくは、機織りの母であるタクハタチチ姫。 ※舞草神社 日本刀発祥地である舞(イ偏)草神社のある鉱物には、 鉄を柔らかくする「バナジウム」を含んでいるという。 バナジウムは、灰色の金属で主な産地は、南アフリカ、中国、ロシア、アメリカで 90%以上も占める。 ということは、この鉱物の知識がある人がいたわけです。 ちなみに、富士山の湧水には多くのバナジウムを含んでいます。 「舞草、白山岳付近に安房という刀鍛冶が住んでいた。   名刀をうつために舞草の神社にお参りしたところ「金と火と水と風の陰陽を合体するようにすればよい。 うしとらの方角に刀を鍛えるのによい湧き水がある」 ※日本刀発祥の地 https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/3acd245b041f7ce7175922e0bad6a363 ※白山岳からみる平泉と北上川 鈴木の鈴=タタラの清水なので、「すず」と言うのでしょう。 火と水で生まれた造形美は、美しい姫(巫女)の助言により産まれた。 女神信仰がタタラで生まれたのは、「すず」にあると思い、 鈴鹿御前はそのタタラの女神で、 坂上家はその「すず」をほしがったでしょう。 東北の豊かな清水を。 大武丸が守りたかった清水が、奪われたのだと思います。 その水で首を洗ったという伝承もある。  これは、ヤマトタケルから剣を奪われたマシキトベと似ていると思います。 こういう所に私は葛藤します。 エミシについてほしかったとアテルイはそう思っているはずです。  都を捨ててしまえば良かったとマロもそう思うのです。 厳美渓には「鈴振りの橋」がありますし、「姫待ち滝」もあります。 修験の講が置いた石碑は、滝を向いています。 -------------------------------------------------  『坂面伝母礼麻呂(サカノモノテモレマル)』という名前があります。 以前書いた話しですが、『陸奥話記』に書かれているのですが、 坂面伝母礼麻呂とは、坂上田村麻呂のことなのですが、  「坂上田村麻呂が朝廷に降伏した」と読めるのです。 なので、専門家は「モレ(母礼)」のことであると解釈している。  しかし、これは坂上田村麻呂のことを伝えていると思います。(そういう風に書いている) 「坂面伝母礼麻呂請降普服」請降普服→降を請い(降伏した)の意味の後に、  「・・・北天之化現希代名将也」とあるので、 坂上田村麻呂が毘沙門天の化身(北天之化現)であることを伝えていると解釈される。 マロは、アテルイとモレと一緒に都に行って降伏したと伝えているのでは?  これを書いた人は「藤原明衡」という人が書いた説が有力です。 『陸奥話記』は、前九年の役の顛末を描いた軍記物語。  成島毘沙門天を祀った時代の後になりますが、 安倍氏と源氏の対戦は、 アテルイとモレの対戦(38年戦争)から続いている 東北の民族を排除してきた歴史です。 その終止符を打つための最後の砦、岩手県に毘沙門堂が置かれたと考えられます。 毘沙門天は平和を願っていたマロの為に、子孫が祀ったものと言えるでしょう。 ということで、突然の成島毘沙門天の登場には、何かある!と思って、  私もそれに応えたく調べてみたのですが、 実際のところは、わからない事でもあります。 しかし、誰かが信じてあげなければ、先祖の魂は報われないことは、常に感じています。 境内に、黄色のモンシロチョウがたくさん飛んでました。 7、8羽くらいは飛んでいたかな。 一本の小さなアザミに、2羽の蝶とミツバチが必死に。 アザミはモテモテ。 植物も昆虫も、何も気にしていない。 虫たちは、アザミが好きなだけ。 互いに必死。 敵でも味方でもなんでも、好きになれれば幸福です。 次は、鬼死骸村と名のつく神社へ♪ close

熊野白山瀧神社@一関
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ 東北地方の伝説(岩手県) 神社
投稿日時 2019-11-04 03:40:03

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