一関八幡神社と坂上田村麻呂との記憶の詳細

一関八幡神社と坂上田村麻呂との記憶
秩父・仙台まほろばの道
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記事タイトル 一関八幡神社と坂上田村麻呂との記憶
概要

もうひとつの六芒星、三嶋神社に寄るつもりだったのですが、 結構距離があり、往復1時間はかかりそう。 コーヒー飲んでまったりしていたら、面倒になってきたのでやめました。ワラ また次に来る時にとっておきます。(へなちょこ探訪) それで、自転車で通り過ぎた神社が八幡神社で一関駅に近い所…… more にあります。  ここもマロに関係する神社だったので、立ち寄ってみました。  きれいで立派な神社です。 椿の道。 ・由緒 一関八幡神社は、相殿の田村神社とあわてせ一関八幡神社相殿田村神社とも。 岩手県一関の総鎮守として知られる。 ・祭神 誉田別命(ホンダワケノミコト)  坂上田村麻呂  田村輝定 スっと入ってきた光   相殿田村神社があることを知らず。 帰って来てから調べたら、本殿と別のところにお祀りされているようでした。 そこ行かないとだめじゃん、と思ったけど、まあいっか。 たぶん、こういう面倒くさいな~という気持が弱いんだと思う。笑 だから肝心な所を忘れるのだな・・・。 過去世の機織姫は鬼死骸村を知っていました。 ということは、マロも鬼死骸村付近を通過していたわけです。 まあ、本殿も一緒にマロの御霊を祀っているようなので参拝。  しかもここは鈴鹿峠にある田村神社なのですよ!  要するに「田村草子」の舞台となる一関に詣でしたわけで。 「延暦年間(782年~806年)に坂上田村麻呂が東夷平定の際に館山に陣営を敷き、  諏訪の大神(諏訪大社)に勝利を祈願したのが始まりとされる。 康平4年(1061年)に前九年の役で安倍貞任を征伐する源頼義、義家父子が 田村麻呂と同じく館山に陣を敷き、 合戦の祈願のために奉幣使として 中原大夫清房を伊勢の神宮や石清水八幡宮へと使わせたところ、  両宮の大御神の御神託を賜って、この地の八方に八幡宮を勧請した。 その第一社が現在の一関八幡神社である。」 「天正2年(1574年)に八雲神社を、文禄(1593年)に諏訪神社を再奉して、  寛文2年(1662年)に一関藩主伊達宗勝により現在の地へと遷座された。 元禄7年(1694年)に一関藩へと赴任した初代田村藩主田村建顕が、 この地に田村麻呂を慕う人々が多いことから代拝参宮として伊勢へと 伊藤惣助をへ使わしたさいに、 滋賀県甲賀市の田村神社の御分霊を田村神社として 一関八幡神社の相殿へと併せ祀った。 以来田村氏の崇敬神社となり、一関の総鎮守とされた。」 田村神社のサイト https://tamura-hachiman.com/mokuji.html ------------------------------------- 一関では、マロを崇拝している人が多かったので、祀ったという話し。  とにかく八雲神社が多いですね。 境内には竹駒神社の狐さんも祀られています。 私はこの図のマロが好きなんです。 マロらしい絵です。 田村神社の分霊であるというので、サイトをチェックしてみたら、 やはり「田村草子」の舞台でした。 由緒『田村神社は近江国(滋賀県)と伊勢国(三重県)の国境にあり、 古来には都より伊勢へと参宮する交通の要衝でした。   当社の言い伝えによると、 『鈴鹿峠に悪鬼が出没して旅人を悩ましており、 嵯峨天皇は坂上田村麻呂公に勅命を出してこれを平定させた」とあります。 それゆえに、交通の障害を取り除いて土地を安定させた坂上田村麻呂公の 御遺徳を仰ぎ、弘仁3(812)年の正月、  嵯峨天皇は勅令を出して坂上田村麻呂公をこの土山の地に祀られることとなりました。』 鬼死骸村は、マロが気になっていた場所のようで、実際、大武丸はいたのです。 この記事を書いている間、覚えていないけど夢でいろんなことを見せられたようで、 なんだか、睡眠中はずっと落ち着きませんでした。 田村万人講社というのがありました。  明治時代の初めに当時の田村徳充宮司が、ほぼ1年をかけて滋賀県と三重県を くまなく歩き、  田村神社の厄除け信仰を説き広めたことを起源として、  明治15年9月に「厄除田村万人講社」として発足しました。 う~ん。 なぜこんなにマロは有名で信仰熱い人が集まるのか・・・。 朝廷が嫉妬するわけですね・・・。 田村神社も竹の矢伝説があります。  「坂上田村麻呂が射った矢は地面に落ち、そこから青々とした芽が生えてきました。 これが現在、本殿前に生えている矢竹です。」 ハイヌヴェレの箟岳(宮城県)にも逆さ竹の伝承があります。 ------------------------------------------- マロとのご縁は、フリフリ(振り子)しながら神様とお話しているM子さんに教えてもらったのですが、  M子さんも過去世、私と会っていてお姉さんでした。 何度も「クシフルダケ」のピラミッド妄想があったのですが(骨寺村で書いてた) あのフリフリは、M子さんの振り子と通じるものだった!事もわかりました。  同じタイゲタ星(プレアデス)の魂なんだから、おったまげ~。 でも私はタイゲタ星を何も知らない。笑 その中で、坂上田村麻呂が登場してきます。(詳細はこちら) ※イネハポの話し https://blog.goo.ne.jp/nonahouse/e/d9f0ec9fe84886440c9ccdc9abfb2a6f M子さんの話しは、私にしか分からない事を神々を通じて教えてくれます。 まほろばブログは私の魂のルーツ探訪なのですが、 なぜ秩父で生まれ、機織少女がいて、 なぜエミシで東北のなのか、がわかりました。 私にとっての武甲山はスサノオでボスだから。 スサノオがチチ姫の夫というのも納得。  スサノオには女がいっぱいいた。(←言い方が) ということだから、ずっと機織のチチ姫と探訪していたわけです。 だから子供みたいだな~と自分でも違和感があったのは、その時の少女の魂のまま 東北を歩いているのかもね。 子供だから好奇心が勝り、恐怖がないから、一人で勝手な所に行ってしまうわけです。 このような話しから歴史の真実を紐解くというのは、とても面白いです。 つくづく女で良かった。笑 人は何度も生まれ変わっているから、 その度に、魂に刻印される記憶が誰にもあるのです。 それを歴史というのだと思います。 それを思い出せばよいだけです。 そうすれば成仏できます。 みんな、知っているのですから当然、繋がるわけです。 チチ姫は少女にとって母親のような存在です。 マロは優しいお兄さんという感じだったかなぁ。 若いイメージだったんよね。 助けてもらった時をよく覚えています。 ひょっこり、土手下の草むらから私(5、6歳くらい)がでてきたので、 すぐそばでは家が燃えているのです。 川のそばの家で街道より下に住んでました。 馬に乗ってきた男性がとてもびっくりして。 でも瞬間、この子は助かった子だ!となり、ざーと草むらを駆け下り、 がっと強引に抱え込み、猛ダッシュで馬を走らせた男性です。 たまたま馬で通りかかった人に見つけてもらい、命を助けてもらっただけです。 その男性が坂上田村麻呂だと知った時は、一瞬、心臓が止まりました。 どーりでマロ呼ばわりできるわけだ!笑 ずいぶん、マロいじりしてました。反省。 少女は助けてくれた男性が、また迎えに来てくれると思い、ずっと待っていたようです。 その時は、長い旅のような気がしていたので、後で東北地方の一関だったのを知って、 なんだか、不思議な気持ちになりました。 たしか、途中で複数の大人たちと合流したと思います。 機織の少女はとても強い子だったと思います。 生き残ったわけですから。  たぶん、マロが私に弱くならないでほしいと言うのは、 その時の少女の魂を持ち続けてほしいという事なんだと思います。 純粋なことは良いことです。 チチ姫の魂がいつまでも人のご縁を繋げていられるのは、 ムスビの力が働いているからだと思います。 人だけではなく、何でも結ぶからです。  なんだか、それが瀬織津姫みたいな感じなのです。 魂が瀬織津姫というのではなく、間接的に機織の魂と繋がっている気はします。 早池峰で感じた少女は、機織の少女だったのかもしれない。 ----------------------------------------------- といった話から記憶をたどれば、小説にもなりそうな話。笑 それで、荒蝦夷というのがいますが、朝廷に反対してきた蝦夷ですが、 機織の家を攻撃していたようです。 朝廷が奨励する養蚕をひどく嫌っていたようで、その少女の家が機織の家でした。 (たぶん北関東) 「拓殖婦人」とよばれた機織の幼い少女を都から坂上田村麻呂(諸説あり)が東北地方に連れてきた話は、 菊池氏の『エミシの国の女神』にも書いてありました。 そのため、機織りの家が迫害されていることに、ひどく落ち込んだのです。 小手姫はもっと古い時代に来ていたので、大丈夫でした。 絹は弥生時代初期から早くに伝わっているもので、麻と同じくらい貴重なものでした。 縄文人も絹に触れていたのです。 しかし、シルクロードから来た人たちは、なぜか、荒蝦夷から迫害を受けてきたようなのです。 どちらにも属さない平和な人たちだったので、一番、辛い立場だったと思います。 それに百済人は日本人と仲良くやっていたようです。 そのような人たちを保護してきた豪族も、もちろんいます。  大伴氏もそんな気もしますね。 サンカと繋がりがあるという点では、多治比氏に関心があり、 栗駒山山頂にも祀られていることから、 サンカの家に預けられた話は、あり得ます。  私は、サンカと多治比氏のことについてブログにも書いていました。 900年代ですが、多治比文子という機織姫がおります。 所沢に住んでいた時に、「物部天神社」へ行って境内に祀られていた姫を知りました。 物部天神社は、二ギハヤヒです。 一関八幡宮にも菅原道真を祀っていますが、機織の鎮魂と関係している気がします。 ※天満宮 やはり、一関に多治比氏が来ていたと思います。 文子さんは、菅原道真鎮魂のためにつくしたそうで、それが機織姫なのです。 なので多治比氏がサンカの系譜があると思われ、機織をしていたことを考えると、 阿波忌部と繋がるかもしれません。 倭文織(しずりおり)です。  麻と絹の混合。 縄文と弥生の融合という言葉が何度も出てくるのは、そういう事です。 「和を以て尊す」の聖徳太子は、蘇我馬子の事だそう。 少女の家の系譜は、秦氏だと思いますが(蘇我氏もありうる) でも、少女は一関で会った物部氏というタタラの子を好きになるのです。 たぶん、人柱の風習から助けてもらったからだと思う。 機織姫は人柱になる運命だったようです。強い巫女ですから。 家の屋根に色は白だったか、旗を掲げられるのです。 黄色だったイメージもあるんだな。 そこでもまた、少女は助けてもらうのです。 たぶん、マロはずっと都に戻っていたので少女のことを気にかけ、保護してくれるように、 物部氏にお願いしていたんだと思います。 それが悪路王なり大武丸の一員だったら面白い! アテルイは、ずっと歳が上だったと思います、モレも。 最初に、あこや姫に興味をもったのも魂の記憶からです。 そこに物部守屋を継承する碑があるのも、そういうことです。 物部氏のそばに機織りの魂はあるのです。  これについては、いずれわかる時が来ると思います。 ------------------------------------------------------------ そう考えると、あの時の夢もそうなのか、と思うことがありました。 高校生か大学の時だったか覚えていないのですが、 初めて京都の清水寺に観光した時に、デジャブの感覚がありました。 その後、夢をみたのですが、清水寺の上空を飛んでいて、 清水寺のすぐ隣にお寺があるようですが、 観光客はあまり入らないような?お寺で その中の御堂にいて、天井は高く窓が上の方にあって光がかすかに御堂に 注いでいるのですが、 その真ん中で座禅をしているのです。 外では観光客の声が聞こえるのですが、何もない広い御堂に一人僧侶らしき人が座禅をしている。  自分がその僧侶になっているようで、不思議な夢をみたのを今でも覚えています。 夢でみたお寺を思い出し、マップをみてみると、たぶん、 開山堂か隋求堂だと思います。 お坊さんが気になったので調べたら、「延鎮(えんちん)」という人がいて、 マロが乙輪山(音羽山)に山荘をつくり、延鎮を招き開山したと伝わる。 伝承では、 「大和の国の僧、延鎮上人が夢に見た観音のお告げにより、音羽の滝を探し当て、  宝亀9年(778年)に開山したのが清水寺の創始と伝えられている。 延暦17年(798年)のある日、延鎮は猟をしていた坂上田村麻呂に出会うが、 その時、延鎮は彼に殺生を戒めた。 それを契機として坂上田村麻呂は延鎮に帰依し、仏殿を建立、寄進したという。」 ※音羽山清水寺(平成清水寺縁起絵巻(2015年) https://www.kiyomizudera.or.jp/history.php でも、それから清水寺へ行くのは嫌になって、足を運ぼうとは思いません。 清水寺といえば坂上田村麻呂で、アテルイやモレの碑もあるのですが、 私は京都へ行っても清水寺には行きたくない、と思うのです。 何かあるんでしょうね。 ということで、一関に行くとイネハポスイッチが入ります。笑 平泉とはまた違った世界観があります。 骨寺村と鬼死骸村は、過去の魂で繋がっていました。 どちらも「骨」で、蕨手刀は、霊剣ですね。 てなことで、やっと鬼死骸探訪を手放すことができた感じですが、濃い! 明治天皇とか濃いからっ!!長州藩、頼むよ!(なにを?)  私はつくづく霊の中で生きているんだな、と思います。 現実に興味がないと言う方が正しい。 いつも夢の世界で生きているのであり、これからも夢の中であちらの世界と繋がることに、 喜びを感じていくのです。 私はそういう人なんだな、と改めて感じた鬼探訪でしたが、 このような形で歴史が繋がっていくのが、とても面白い!と思います。 妄想は自由ですけど、こんな風に真実が伝わると嬉しいですね。 自分にしかわからない事だから。 いろんな霊統に感謝です。 またどこかに導かれたら、その土地の霊と遊んでいじってあげようと思います。 いじるのかっ。(鬼のつぶやき) ミッション終了~。 close

一関八幡神社と坂上田村麻呂との記憶
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ 東北地方の伝説(岩手県) 神社
投稿日時 2019-11-08 15:20:04

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