正親町天皇と本能寺の変の詳細

正親町天皇と本能寺の変
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記事タイトル 正親町天皇と本能寺の変
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←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。 ※写真は全てクリックで拡大します。 正親町(おうぎまち)天皇は、戦国時代の永正14年(1517)後奈良天皇の第一皇子として誕生、文禄2年(1593)に崩御。織田信長の台頭、本能寺の変、豊臣秀吉の天下統一という激動の歴史のなか…… more で、天皇として重要な役割を演じました。 本能寺の変の黒幕という説もあるほど、時代の変革に密接に関わってきました。以下では、本能寺の変の前後における正親町天皇の足跡をたどります。(上下の写真は京都御所) 弘治3年(1557)後奈良天皇の崩御に伴って天皇の位につきました。しかし、当時は天皇や公家達は貧窮しており、三好長慶が洛中棟別を課して税を徴収、2か月後に葬礼が行われました。 戦国大名・毛利元就から献納を受けたことにより、永禄3年(1560)正月になってようやく即位の礼を挙げることができました。(先日の即位の礼で東京に運ばれた高御座(かたみくら)と御帳台(みちょうだい)。 下は泉涌寺蔵の正親町天皇像(パブリックドメイン)です。 永禄11年(1567)天皇は綸旨を発して岐阜城を占拠した織田信長の武勇を讃え、上洛を促しました。翌年、信長は正親町天皇を保護するという大義名分により京都を制圧しました。 時代祭の安土桃山時代には「織田公上洛列」があり、その先頭の立入宗継(上)は信長(下)に上洛を促した勅使です。 立入宗継は戦国時代から安土桃山時代にかけての商人で、禁裏御所の財政を担う禁裏御蔵職も務め、朝廷の権威復興に尽力しました。御所の東にあり、皇室とゆかりの深い清浄華院に「立入宗継旌忠碑」があります。 清浄華院の「梵鐘」は江戸時代初めの慶長15年(1610)に造られ、銘文には大坂堺の阿弥陀寺住職旭蓮社良道和尚の発願、近衛殿北政所心光院が大施主となって鋳造、正親町天皇などの名前も見られるそうです。 信長は、逼迫していた朝廷の財政を様々な政策や援助により回復させ、その一方で天皇の権威を用い、敵対勢力に対する度重なる講和の勅命を実現させました。 (吉田神社参道) 天正9年(1581)の馬揃えは明智光秀が総括責任者を務め、大規模な軍事パレードとなりました。上の吉田神社参道で予行演習をおこない、下は当日馬揃えが行われた御所東門前の通り。 この間の天正4年(1576)興福寺別当の人事では信長と対立、以後信長は天皇を嫌い皇子の誠仁(さねひと)親王への譲位を要請したという説があり、正親町天皇が本能寺の変の黒幕ともいわれました。(泉涌寺蔵の誠仁親王像) しかし現在では、正親町天皇が譲位を望んだが実現しなかったという説の方が有力とされています。譲位を行うための祭礼費用に加え、退位後の仙洞御所を用意できるのは信長しかいませんでした。(誠仁親王の二条新御所跡に建つ旧有栖川邸 ) 上記の馬揃えの直後に正親町天皇は信長に譲位の意向を示すも実現しませんでした。その時、天皇65歳、誠仁親王30歳で、天皇には病気の記録が頻出するようになっていました。 そのような状況の中、天正10年に本能寺の変が起こり、隣の妙覺寺に宿泊していた信長の嫡男・信忠が二条新御所に立てこもります。信忠は明智軍と交渉して誠仁親王一族を禁裏に退避させました。 山崎の戦いで明智軍が滅ぶと、正親町天皇は勅命により、信長・信忠父子の菩提を弔うため、聖誉貞安(ていあん)上人に二条新御池を賜りました。天正15年(1587)貞安上人は信忠の法名にちなんで大雲院を創建しました。 その後の変遷を経て、大雲院は現在ねねの道沿いに移転しています。本堂には本尊の阿弥陀如来坐像に加え、その左に織田信忠像も安置されています。 移転する前からあった祇園閣の横に墓地があり、「織田信長・信忠の慰霊碑」が建っています。通常非公開ですが、ときどき特別公開されます。TOPの写真はその南門です。 丹波橋にある「勝念寺」は萩振る舞いと身代わり蛙で知られますが、文禄4年(1595)聖誉貞安(ていあん)上人が天下人となった豊臣秀吉の城下町に布教の拠点とするべく開創しました。 「身代釜敷地蔵尊」 地獄で釜茹での責めに苦しんでいる人の身代りとなって、苦しみを取り除き、幸せへと導いてくれる地蔵尊です。織田信長から貞安に賜ったといわれています。 誠仁親王は即位することなく天正14年(1586)34歳で崩御。同年正親町天皇は秀吉の関白就任を勅許し、孫の和仁(かずひと)親王(後陽成天皇、当寺15塞)に譲位、秀吉が造営した仙洞御所で院政を敷きました。 後陽成天皇は秀吉の出陣に度々勅令を与えましたが、その後の朝鮮・明の征服、統合計画には反対し渡海諭止の詔書を発しました。正親町上皇は文禄2年(1593)没し、深草北稜に葬られました。 伏見城跡に建つ模擬天守 お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。 ★こちらを是非よろしく→   ブログ村→ ------------------------------------------------------------------- close

正親町天皇と本能寺の変
サイト名 京都を歩くアルバム
タグ お寺
投稿日時 2020-01-20 14:21:07

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