櫻井神社(堺市南区) ・国宝の拝殿を持つ上神谷の八幡さんの詳細

櫻井神社(堺市南区) ・国宝の拝殿を持つ上神谷の八幡さん
ちょっと気になる! ~大阪発史跡旅~
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記事タイトル 櫻井神社(堺市南区) ・国宝の拝殿を持つ上神谷の八幡さん
概要

櫻井神社 2021年1月訪問 櫻井神社(さくらいじんじゃ)は大阪府堺市南区片蔵にある神社です。平安時代にまとめられた「延喜式神名帳」に和泉国大鳥郡24座のうちの一つとしてその名が記載されたいわゆる式内社(小社)で、旧社格制度では府社に列していた櫻井神社には、堺市内で唯一の国宝…… more もあります。櫻井神社(堺市南区) 第二次大戦後に開かれた泉北ニュータウンの中心ともいえる位置に鎮座している櫻井神社ですが、歴史ある地名を冠して「上神谷八幡宮(にわだにはちまんぐう)」や「上神谷の八幡さん」とも呼ばれており、神社の周辺には古くからの集落の面影も残っています。 歴史と概要櫻井神社の正確な創建年は不祥ですが、由緒記や堺市のホームページなどによると、古代この地にあった櫻井朝臣一族が祖先である武内宿禰命を祀ったのが創祀とされ、6世紀末に八幡宮を合祀して「上神谷(にわだに)八幡宮」とも称されました。御祭神は、中殿に八幡神である第15代応神(應神)天皇、東殿に第14代仲哀天皇、西殿に仲哀天皇皇后の神功皇后が祀られています。大阪府全史には、推古天皇5年(597年)8月8日に八幡神がこの地に示現し、民が喜んで祠を建てて直に祀ったところ、亀乙という老翁が忽然と現れ三柱の神像を刻んで去ったという言説が紹介されており、関連する史跡が境内に残っています。和泉国大鳥郡上神郷の総鎮守である当社は、平安時代、第60代醍醐天皇の命により編纂が始められた延喜式の神名帳に和泉国大鳥郡の小社として記載され、官弊社として歴代皇室に崇敬され荘田の寄進を受けました。また、亀遊山神宮寺の建立以後は神仏習合の霊場として隆盛を極めたようです。中世、武神である八幡神を祀る櫻井神社は武家にも尊崇され、上神(にわ)城主である上神常儀が社殿を造営した他、小谷城主小谷甚八郎政種、南朝方の上神、和田、櫻井、木寺などの武将が御供田を献納しました。しかし、天正5年(1577年)、織田信長による紀州根来寺征伐の際に戦火を受けて拝殿を除き神宝古記録なども焼失。さらに社領も没収されました。天正16年(1588年)に加藤清正によって阿弥陀堂が再建され、さらにその後神門、鐘楼、宝蔵が再建、復興されました。慶応4年(1868年)、神仏分離に際して仏像や経典などは片蔵の金福寺に移され、阿弥陀堂は別所の法華寺へ移築された他、後に鐘楼は神輿庫に改造されています。明治5年(1872年)、近代社格制度において郷社に列せられました。明治14年(1881年)に社殿造営。明治40年(1907年)1月には神饌幣帛料供進社に指定されました。明治41年(1908年)から明治43年(1910年)にかけて式内社である山の井神社(山井神社)や國神社(国神社)など9社を合祀。そして昭和17年(1942年)に府社に昇格しました。国神社は大字鉢ヶ峯寺(はちがみねじ)の鉢ヶ峯山上にあった天照大神を祀る式内社で、旧社格は村社でした(隣接して法道寺あり)。また、山井神社は大字栂の南方、字奥井戸にあった式内社で、こちらも旧社格は村社でした。天神と呼ばれていたようですが御祭神は不明とする資料も(現在は美豆波乃女命(みづはのめのみこと)を御祭神としています)。なお、国神社のあった鉢ヶ峯は「襲(おそい)の峯」とも呼ばれ、第11代垂仁天皇の8年(紀元前22年)に天照大神が鳳凰(おおとり)に姿を変えて地上へ降り立った場所とされ、そのことからこの辺りは「上神谷(にわだに)」と呼ばれるようになったと伝えられています。 説明板 鎮座地周辺は、江戸時代には和泉国大鳥郡片蔵村と呼ばれていましたが、明治22年(1889年)の町村制施行により、大鳥郡豊田村、栂村、田中村と合併して中上神村(なかにわむら)となりました(村役場は大字片蔵に設置)。明治27年(1894年)には大鳥郡南上神村(みなみにわむら)と合併して、大鳥郡上神谷村(にわだにむら)となりました。当時の鎮座地住所は大鳥郡上神谷村大字片蔵字櫻井。その後、明治29年(1896年)に所属郡が泉北郡となりますが、昭和30年(1955年)に泉北郡上神谷村、久世村、西陶器村、東陶器村が合併して泉北郡泉ヶ丘町が誕生、そして昭和34年(1959年)に泉ヶ丘町は堺市に編入されました。平成に入ってからは「櫻井」という名のつながりから、アイドルグループ「嵐」のファンにも知られるようになり「聖地巡礼」で多くのファンが参拝するようになったそうです。特にファンの間では赤・青・緑・黄・紫の嵐カラーの5種類のお守りなども人気とか。国宝の拝殿と文化財櫻井神社の文化財の代表といえば、何と言っても堺市内で唯一の国宝に指定されている拝殿です。説明板や堺市のホームページによると、この拝殿は鎌倉時代前期に建立された現存する拝殿建築の中でも最も古いもののうちの一つとされており、切妻造、本瓦葺きの寺院建築風の簡素な意匠の割拝殿となっています。軒廻りは円柱の上に舟肘木(ふなひじき)を置き桁を受けています。また、妻飾は梁間いっぱいに大虹梁(こうりょう)を架けて、二つの蟇股(かえるまた)を置き、さらにその上に虹梁を架け蟇股を置いて棟木を受ける「二重虹梁蟇股式」という奈良時代以来の伝統的な構築法が用いられています。当拝殿は、大正6年(1917年)に特別保護建造物に指定され、昭和3年(1928年)に解体修理が行われた後、昭和28年(1948年)に国宝建造物に指定されました。昭和53年(1978年)に屋根の葺き替え等保存修理が行われています。国宝櫻井神社拝殿の説明板 他に、大阪府指定文化財の有形文化財として、元は合祀された国神社に祀られていた木造神像(彫刻)をはじめ、男神像、菩薩形像、明王形像がある他、こちらも国神社にあった応永19年(1412年)作の石造燈籠(工芸品)も指定されています。また、無形民俗文化財として「上神谷のこおどり」が指定されています(後述)。祭礼毎年10月の5日に近い日曜日に、国宝の拝殿前で鬼や天狗を中心に総勢18名が鉦と太鼓の囃子で踊る「上神谷のこおどり」が奉納されますが、これは国選択・府指定の大阪府指定無形民俗文化財となっています。この踊りは、古来鉢ヶ峯寺村の氏子が国神社に奉納してきた神事舞踊で、かつては旧暦8月27日の祭りの際に若衆によって演じられていたものです。現在も雨乞い・雨礼踊りから秋祭りの芸能としても毎年櫻井神社で行われており、堺こおどり保存会によって地域の小中学生への伝承活動も積極的に行われているそうです。また、秋祭りには地車(だんじり)も宮入します。境内とその周辺泉北ニュータウンが開かれる以前のこの地域は、東の石津川、西の和田川それぞれの侵食谷である上神谷(にわだに)、和田谷(にぎただに)を中心に古くから集落が形成されていたようで、櫻井神社の鎮座する旧片蔵村の集落の中心は石津川右岸(東岸)でした。櫻井神社は片蔵村の北部にあり、南に長い参道が延びています。注連柱 旧片蔵集落の中心から少し東に行くと、左に「上神郷総鎮守」、右に「櫻井神社」と彫られた注連柱が建っており、そこから北に向かって元馬場ともいわれる真っすぐな参道が続いています。また、右手(東)の斜面には「櫻井神社御旅所跡」の碑も建っています。大鳥居 注連柱から200mほど北に進み、2車線道路を横断すると赤い大鳥居があります。この大鳥居は令和元年(2019年)11月に建立されたもので「御大典奉祝」とあることから、同年10月の第126代天皇(今上天皇)即位の礼を祝して奉納されたものと思われます。この鳥居はその高さと鮮やかな色から、石津川の対岸からでも見つけることが出来ます。なお、昭和の中頃までは参道南端に鳥居があったものの老朽化で撤去されたとの情報も。神門 鳥居をくぐると駐車スペースがあり、その先に元禄15年(1702年)に再建された神門があります。神門から見た境内 神門をくぐり境内に入ると、正面の拝殿をはじめ様々な建物などが見えます。境内は奥に行くほど八の字状に広がっているようで、拝殿、本殿はほぼ南向きとなっています。百度石はすぐ右側にありました。社務所 まず、左手(西側)に見えるのが2階建ての社務所で、その手前に手水舎があります。手水鉢 手水鉢には「八幡宮」と彫られています(奉納は宝永7年(1710年)と読めます)。境内東側の建物 一方、神門をくぐって右手(東側)には様々な建物が並んでいます。神輿庫 神輿庫は享保16年(1731年)に鐘楼として建立されたもので、明治時代に改造されました。昭和53年に修理されています。絵馬殿 神輿庫の奥にあるのが絵馬殿で、この中では新旧様々な絵馬を見ることが出来ます。北側の赤鬼の面 特に目を引くのが南北の天井付近に掲げられた大きな赤と黒の鬼の面です。こちらは昭和44年(1969年)にNHKの番組で「上神谷のこおどり」が紹介された際にNHKから奉納されたようです。南側の黒鬼の面 赤黒の鬼神は前述の「上神谷のこおどり」にも登場します。爆弾三勇士の絵馬 中には昭和7年(1932年)9月に奉納された「爆弾三勇士」といった時代を感じさせる絵馬(彫刻?)もあります。爆弾三勇士(肉弾三勇士とも)とは、第一次上海事変の最中、昭和7年2月22日に陸軍独立工兵第18大隊(久留米)の3名の一等兵が、破壊筒(爆薬筒)を持って敵陣を突破して自爆し、突撃路を開いたことからこう呼ばれました。参集殿 絵馬殿の隣にあるのが参集殿です。上神谷戎社 参集殿の本殿寄りに南向きの上神谷戎社があります。白福稲荷社 戎社のさらに本殿寄りには保食神を祀る白福稲荷社が鎮座しています。拝殿(国宝) そして、境内の中央付近、大きな狛犬の奥にあるのが外壁の白壁と木部の朱色との鮮やかなコントラストが美しい国宝の拝殿です。櫻井神社の拝殿は中央に馬道(めどう)という土間の通り抜け部分を持つ割拝殿となっています。拝殿中央の馬道 こちらの拝殿は、祭礼時には通路の両脇の蔀戸(しとみど)を降ろして、床にすることができるように工夫されています。拝殿内から見える幣殿・本殿 拝殿内の馬道を奥に進むと賽銭箱があり、その先に中門、幣殿、本殿があります。なお、痕跡から拝殿の建立当初はもともと全面に床が張られ、建物の周囲には縁をめぐらせていたと考えられています。境内の西側 拝殿と社務所の間を左(西)に進むと途中に説明板があります。招魂社 拝殿に向かって左側(西)には、氏子の戦死者(180柱余り)を祀った招魂社があります。境内北西にある門等 招魂社の奥にはさらに門などがありますがこちらは立入禁止となっています。中門とその先の社殿 拝殿内の賽銭箱前から参拝出来ますが、さらにその少し奥には昭和6年(1931年)に建立された中門があり、その手前には多数の石灯篭が並んでいます。中門の中には入れませんが、その先の中央に応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祀る櫻井神社、右に天照皇大神を祀る国神社、左に美豆波乃女命を祀る山井神社、その他の末社が鎮座している他、櫻井神社の由緒となった降臨石や亀乙老翁に関連する福塚(亀塚)もあります(福塚は移設されたもの)。なお、本殿の背後(北側)には妙見川が流れています。ここからは、境内を離れ神門前の道路を西(神門を出て右)に120mほど進みます。橋の袂から見た櫻井古跡 妙見川に架かる宮橋を渡ってすぐ右手に「櫻井古跡」があります。鳥居右手の説明板 こちらは櫻井神社にゆかりのある櫻井井戸の跡です。この井戸は遥か昔より櫻井神社の御祭神に深い縁故を有し、古来夏祭に御神幸あり、和泉名所図絵にも記載されているそうです。常に清水が湧き出て枯渇しない井戸でしたが、明治18年(1885年)の洪水で埋まってしまいました。その後、大正4年(1915年)の御大典記念に30年ぶりに復旧され、さらに平成元年(1989年)の妙見川拡幅と宮橋の架け替え工事の際に整備されましたが、井戸は現存していません。櫻井古跡 現在の櫻井古跡は、石造りの鳥居と灯篭、そして石畳の参道の先に井戸(のようなもの?)があります。アクセス泉北1号線(府道38号富田林泉大津線)高架下の「豊田南」交差点(「豊田橋南」ではありません)から南に進み、約800m先の「片蔵」交差点を左折し(櫻井神社の看板などあり)、東に250mほど進むと左手に櫻井神社があります。駐車場は大鳥居をくぐった神門前に数台分あります。大鳥居からさらに60mほど東に広い第2駐車場がありますが、普段はあまり開放されていないようです。東の第2駐車場 公共交通機関では、泉北高速鉄道「泉ケ丘」駅から南海バスに乗車し「桜井神社前」バス停下車すぐ。なお、「泉ケ丘」、「栂・美木多駅(とが・みきた)」両駅とも直線距離ではほぼ同じですが、徒歩の場合は「栂・美木多駅」からの方が若干近くなります(いずれも2kmほど)。 Sakurai Shrine(Minami Ward,Sakai City,Osaka Prefecture) close

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タグ 大阪府 式内社 神社
投稿日時 2021-04-27 00:41:20

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