野中神社(藤井寺市) ・野中宮山古墳の墳丘上に鎮座する産土神の詳細

野中神社(藤井寺市) ・野中宮山古墳の墳丘上に鎮座する産土神
ちょっと気になる! ~大阪発史跡旅~
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記事タイトル 野中神社(藤井寺市) ・野中宮山古墳の墳丘上に鎮座する産土神
概要

野中神社 2021年7月訪問野中神社(のなかじんじゃ)は大阪府藤井寺市野中にある神社です。藤井寺市南部の野中地区は古市古墳群の中央部に位置し、周辺も含めて大小様々な古墳が現存していますが、野中神社はその古墳の墳丘上に鎮座しています。野中神社(藤井寺市) 野中神社の鎮座する野…… more 中宮山古墳の周囲には、古市古墳群の中でもユネスコの世界文化遺産に登録されたはざみ山古墳、墓山古墳、そして全国第2位の規模を誇る応神天皇陵(誉田御廟山古墳)といった古墳がある他、翠鳥園遺跡公園(石器人のアトリエ)、誉田白鳥埴輪製作遺跡、誉田八幡宮など様々な時代の歴史スポットがあります。 歴史と概要まず、現在の野中神社が鎮座する野中宮山古墳ですが、当古墳は古市古墳群のほぼ中央、洪積段丘面に造られた古墳で、応神天皇陵の約500m西、墓山古墳の約200m北に位置しています。また、当古墳から府道31号堺羽曳野線を挟んだ北側にははざみ山古墳があります。現地説明板や各種資料によると、野中宮山古墳は前方部を西に向けた三段築成の前方後円墳で、その規模は全長約154m、後円部径約100m、高さ約14.1m、前方部幅約75m、高さ約10.1mあります。周囲には濠と堤があり、周濠は墳丘に沿って前方後円形に巡らされていました。墳丘のくびれ部には張り出しがある他、葺石が認められています。なお、現在は濠の東、南、西側が埋め立てられ、残った北側が宮池(宮ノ池)と呼ばれているようです。野中宮山古墳の説明板 発掘調査では円筒埴輪、壺型埴輪列、家、衣蓋、盾、囲み、水鳥、鶏、馬、猪形などの形象埴輪が出土し、それらから野中宮山古墳の築造時期は4世紀末葉から5世紀前半とみられています。当古墳の埋葬施設は不明ですが、後円部に板状の割石が散乱していることから、竪穴式石槨の可能性があると考えられています。周辺の小字名(2021年2月) 大阪府全志などによると、野中宮山古墳は少なくとも大正時代頃までは足塚と呼ばれ周囲の小字名にもなっていた他、青山や豆塚という呼び名もあったようです。当古墳に野中神社が鎮座するまでは、ここに野中山満願寺という真言宗の寺院がありました。満願寺は聖徳太子により創建されたと伝わる寺院で、薬師如来及び十一面観世音菩薩を本尊としていましたが、明治5年(1872年)に廃寺となりました。野中神社の正確な創建年は不祥ですが、拝殿前にある平成4年(1992年)4月に建てられた改築記念碑によると「当社は貞観17年(875年)8月戌寅に従五位下を授けられた野中郷の鎮守の神として住民の尊崇の厚いお宮で、祭神は彦国葺命と素戔鳴命であります。」とあります。御祭神の素戔男尊は全国の八坂神社をはじめとした様々な神社で祀られておりよく知られていますが、彦国葺命(ひこくにふくのみこと)を祀る神社はこの辺りでは珍しいかもしれません(滋賀県大津市真野普門の神田神社でも彦国葺命と須佐之男命などが祀られているようです)。彦国葺命は、日本書紀では「彦国葺」、古事記では「日子国夫玖命」、また他の文献では「彦訓服命」とも表記される古代の人物で、第5代孝昭天皇皇子の天足彦国押人命の三世、または四世孫で、和珥臣(和珥氏)の遠祖とされています。第10代崇神天皇の命を受けた彦国葺命は、謀反をおこした武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)とその妻吾田媛(あたひめ)を大彦命(おおひこのみこと)と共に討ち取り、第11代垂仁天皇の御世には五大夫の一人に数えられたとあります。新撰姓氏録には「皇別」で「天足彦国押人命之後也」とされる「野中氏」が見られることから、野中氏の祖神として彦国葺命が祀られていると考えられます。ちなみに、和珥氏は奈良盆地東北部一帯に勢力を持っており、その本拠地は大和国添上郡和邇(現天理市和爾町・櫟本町付近)であったと考えられています。野中神社のある南河内では、崇神天皇10年(紀元前88年)に創建されたと伝わる美具久留御魂神社(富田林市宮町)を和爾神社、その東にある粟ヶ池を和珥池と呼んでいたようですが関係は不明です。改築記念碑 当社は延喜式神名帳がまとめられた延長5年(927年)以前からある古社ですが延喜式には記載されておらず、当時の鎮座地も不明です。一方で野中宮山古墳には野中山満願寺がありましたが、その鎮守が牛頭天王で、この地の産土神とされていたようです。満願寺が廃寺となった後、跡地には廃仏毀釈により御祭神を牛頭天王から同一視されていた素戔鳴命に改めた野中神社(当初は「産土神社」と呼称?)が鎮座し、旧社各制度で村社に列しました。明治41年(1908年)2月10日に現社地から1.3kmほど北西、当時の南河内郡藤井寺村大字岡字春日山(現藤井寺市藤井寺)にある式内社の辛國神社(辛国神社)に合祀されました。しかし、第二次大戦後の昭和25年(1950年)に住民の強い要望と浄財によって現在地に復元されました。復社後40有余りが経ち、社殿が老朽化し倒壊の恐れも出たことから平成4年に現社殿に建て替えられたようです。この改築の費用は先祖伝来の上の田池の一部を柏羽藤消防組合庁舎用地として売却した処分金により完成致したそうです。鎮座地である野中の歴史を振り返ると、当地は古来河内国丹比郡野中郷に属していましたが、平安時代後期に丹比郡は丹南郡と丹北郡に分かれ、さらに丹北郡から八下郷が八上郡として分割されます。その後、当地は明治の初めまで丹南郡野中村と呼ばれており、その村域はおおよそ現在の藤井寺市野中、藤ヶ丘、青山、陵南町に及んでいました。明治22年(1889年)の町村制の施行により、野中村は藤井寺村、岡村と合併して丹南郡長野村となり、明治29年(1896年)4月に所属郡が南河内郡に変更されます。また、同年5月には同じ南河内郡内で旧錦部郡の長野村(現河内長野市中心部)との区別のため旧丹南郡の長野村が改称して藤井寺村となります。当時の野中神社鎮座地の住所は南河内郡藤井寺村大字野中字豆塚となっていました。同村は大正4年(1915年)に小山村と合併して改めて藤井寺村が発足。昭和3年(1928年)に藤井寺村が町制施行して藤井寺町となります。藤井寺町は昭和34年(1959年)に道明寺町と合併して南河内郡藤井寺道明寺町が発足しますが、翌年には改称して美陵町となります。昭和41年(1966年)、美陵町が市制施行して美陵市となり、即日改称して藤井寺市が誕生しました。旧野中村には野中宮山古墳の他に、はざみ山古墳(挾山)、西墓山古墳、野中古墳、越中塚古墳、青山古墳、アリ山古墳、蕃所山古墳、サンド山古墳(山道)、藤の森古墳、東山古墳、野中アリ山古墳(蟻山)、稲荷塚古墳、落塚・割塚古墳、そして仁賢天皇陵(野中ボケ山古墳、仁賢天皇埴生坂本陵)など多数の古墳がありましたが一部は消滅しています。また、野中神社の鎮座する野中宮山古墳から半径1km圏内には応神天皇陵をはじめ、仲哀天皇陵、日本武尊白鳥陵(軽里大塚古墳)といった古市古墳群を代表するような古墳もあります。野中神社は神職不在神社で、現在は羽曳野市高鷲にある式内社大津神社の兼務社となっているようです。また、現在は神社、古墳、公園を含めて藤井寺市内有数の桜の名所として知られています。 古墳の現状と境内の様子野中神社がある野中宮山古墳へは古墳の南西と南東から入ることが出来ます。両入口には北側を走る大きな府道31号から向かうことも出来ますが、今回は南側の旧野中村集落内を東西に横切る古市街道から古墳南西の入口を目指しました。なお、古市街道は摂津国平野郷と南河内の古市を結ぶかつての準幹線道路で、誉田八幡宮の南東で東高野街道と、古市で竹内街道と合流しています。南西にある公園入口 古市街道から住宅街の中を50mほど北に進むと右手に公園と木々の生い茂る小高い丘、つまり野中宮山古墳が見えてきます。古墳南側の恐らく周濠跡と思われる部分には「野中宮山児童公園」がありますが、これは当古墳の名称を用いて命名されたものです。南西から見た古墳 公園前をさらに少し北に進むと古墳・神社の南西側入口に到着します。ここは右側に大きく開けた広場となっていて、奥に墳丘部が見えています。野中神社の参道は古墳の南側にあるので、ここから右に進みますが、広場の奥も気になるので一旦左奥の方に進みます。藤井寺南幼稚園野中分園解体工事(2021年2月) この広場は野中神社の西側、つまり野中宮山古墳の前方部に当たります。ここには藤井寺市立藤井寺南幼稚園野中分園がありましたが、令和2年度(2020年度)より藤井寺南幼稚園に統合され、その後解体されました。北西部より 現在は幼稚園が無くなっているので幼稚園跡を通って古墳の北西部も見学することが出来ますが、幼稚園のあった部分はかなり墳丘が削平されているようです。前方部から見た古墳北側の濠(宮池) 野中宮山古墳には周濠がありましたが現在は北側のみ残されており、現在は神社のそばにあることから宮池とも呼ばれているようです。西側から見た墳丘北面 古墳の北側も立ち入り禁止ではないようですが夏場は少々草深いようです。石段と坂道 古墳・神社の南西側入口に戻って東に50mほど進むと左手の墳丘上に上る参道が現れます。参道は左側の旧来の石段と、後に作られたと思われる右側のスロープがあります(他にも後述する東南側の参道もあります)。参道の石段上り口 今回は古くからあったと思われる石段を上って参拝します。石段下にある石灯篭と石柱 石段の上り口右手、スロープ上り口との間に1基の石灯篭と「村中安全」と彫られた石柱が建っています。石柱には上部に何か取り付けられていたような跡があり、土台の部分も石で囲まれた枠のようになっていてかつては柵があったようにも見えます。広場入口の石灯篭 石段を上りきると一対の石灯籠があり、その先が平坦な鳥居前の広場になっています。この平らな広場が野中宮山古墳の前方部頂上に当たります。前方部上より後円部を望む 広場に出て右(東)を向くと奥に鳥居が見え、さらにその先に石段があることがわかります。鳥居と社号標 石造りの鳥居に向かって右側には野中神社の社号標が建っています。拝殿前の石造物 社殿のある後円部上への石段を上ると、多数の石灯篭をはじめとした石造物の奥に拝殿が見えます。なお、野中神社の石灯篭は江戸時代のものが多いようです。百度石・手水舎・狛犬 後円部上の参道を少し進み狛犬を過ぎると右手に手水舎があります。また、手水舎前の拝殿寄りには新旧二つの百度石が並んで建っています。拝殿 後円部頂上には西向きの拝殿、本殿が建っています。改築記念碑と遥拝所(右奥) 拝殿に向かって左側手前に改築記念碑などの石碑が並んでおり、記念碑の奥、拝殿の左側に石の鳥居の跡と思われる2本の柱と、その先の灯篭が見えます。遥拝所 鳥居跡からほぼ東に建つこの灯篭の竿の部分には「遥拝所」と刻まれていることから、こちらは伊勢の神宮の遥拝所と思われます。ちなみに、こちらの灯篭の竿部分は石ですが、上部は木造です。拝殿左手(北西)から見た本殿 遥拝所付近から視線を右に移すと、拝殿の奥にある柵で囲われた一間社流造の本殿を見ることが出来ます。拝殿の南側 本殿は、拝殿の左右どちらからでも奥に進むと見ることが出来ます。本殿の周囲にも2対の石灯篭があり、さらに本殿に向かって右側の柵の外にも1基の石灯篭が建っていることがわかります。拝殿に向かって右、つまり南側にも短い石造りの鳥居跡のような2本の柱があり、その間から下る道は古墳南東側の参道となっており、下の参道入口には後述の薬師堂などがあります。赤い鳥が並ぶ境内社 拝殿正面の石段から下って再び古墳前方部の墳丘下に戻り、滑り台の横を通って東に向かうとスロープの右手に朱色の鳥居が並ぶ境内社があります。稲荷社 こちらは境内社の稲荷神社のようですが、詳細は不明です。古墳南東部の参道 古墳南側をさらに東に進むと、古墳南東部から後円部頂上の野中神社社殿に向かう参道の上り口があります。南東側参道の小社と薬師堂 こちらの南東側参道の上り口には、薬師堂(瑠璃殿)と境内社?があり、参道を挟んだ向かいには「薬師如来」と彫られた百度石も。薬師堂 こちらの薬師堂と境内社の詳細は不明ですが、前述のようにかつて野中宮山古墳にあった満願寺の御本尊が薬師如来及び十一面観世音だったということで関係があるのかもしれません。南東側から見た後円部東面 薬師堂の左手から奥(北)に進むと古墳の東側から北側に回れるようです。南東側から見た公園と古墳 薬師堂前から20mほど東に進むと、古墳東側で北側の府道と南側の古市街道を結ぶ路地に出ます。ここから約20m南に野中宮山児童公園の東側出入口があります。野中神社は野中宮山古墳にあった満願寺の跡地に祀られた歴史ある野中村の産土神ですが、現代では神社、古墳、公園が一体となって地域の人々にとっての大切な場所になっているようです。アクセス国道170号(外環状線)「野中」交差点(野中跨道橋の高架下)から50mほど東の路地を南に入り、左に野中宮山古墳を見ながら100mほど進むと左に古墳内、神社、公園への南西側入口があります。応神天皇陵や誉田八幡宮のある東側から向かう場合は、羽曳野市役所と羽曳野警察署の間の道を西に進み、約270m先を右折。さらに70mほど歩くと左に古墳や神社への入口があります。公共交通機関の場合、近鉄南大阪線「藤井寺」駅(南口)と南大阪線・長野線「古市」駅を結ぶ近鉄バスの「野中北」バス停で下車し、バス停から30mほど西の府道南側から路地に入り、約100m南に進むと左に南西側入口があります。ちなみに、駅との距離は「藤井寺」駅より「古市」駅の方が近いです。野中神社、野中宮山古墳に駐車場はありませんので周辺のコインパーキングなどを利用し、他の古墳や神社と一緒に巡るのもよいかと思われます(外環状線の高架下のコインパーキングが最寄のようです)。Nonaka Shrine/Nonaka-miyayama Tumulus(Fujiidera City,Osaka Prefecture) close

野中神社(藤井寺市) ・野中宮山古墳の墳丘上に鎮座する産土神
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タグ お寺 古墳 大阪府 神社 藤井寺市
投稿日時 2021-08-09 00:42:35

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