来迎字(松原市) ・丹南藩陣屋跡碑もある藩主高木氏の菩提寺の詳細

来迎字(松原市) ・丹南藩陣屋跡碑もある藩主高木氏の菩提寺
ちょっと気になる! ~大阪発史跡旅~
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記事タイトル 来迎字(松原市) ・丹南藩陣屋跡碑もある藩主高木氏の菩提寺
概要

来迎字 2021年4月訪問来迎字(らいごうじ)は大阪府松原市丹南にある寺院です。宗派は大阪市平野区にある大念仏寺を総本山とする融通念仏宗で、山号は諸仏山。院号は護念院。北門の新しい寺号標には「融通念仏宗丹南本山 來迎寺」とあります。来迎字(松原市) 江戸時代には、来迎寺の隣…… more にこの地を治めた丹南藩の陣屋があり、来迎寺はその藩主である譜代大名、高木氏の菩提寺でもありました。 歴史と概要寺伝によると、来迎寺は奈良時代に行基が建てた毘沙門院(多聞院とも)がもとになっているとされますが、平安時代末期の天承元年(1131年)5月に融通念仏宗開祖である良忍(聖応大師)が阿弥陀如来を安置する堂を建て、融通念仏十ヶ郷辻本大勧進毘沙門山阿弥陀寺と称したとされます。当時は第75代崇徳天皇の御代でしたがまだ若かったこともあり、父である鳥羽上皇(第74代鳥羽天皇)が院政を敷いており、融通念仏宗の勧進も上皇の勅願によるともいわれているようです。後に融通念仏宗は一時衰退し、大念仏寺や阿弥陀寺などの堂塔も壊廃しましたが、鎌倉時代末期の元亨元年(1321年)、139年ぶりに大念仏寺第7世に法明が就き大念仏宗(融通念仏宗)の復興に努めました。良忍の聖跡と伝えられる阿弥陀寺が荒れるのを惜しんだ法明は、当寺から約3.6km南の丹南郡菅生(すごう)村(現堺市美原区菅生)にある菅生神社より感得した阿弥陀如来像を勧請して中興しました。そして、正中元年(1324年)に寺号を阿弥陀寺から河内十箇郷六本別寺諸仏山護念院来迎寺と改めました。なお、法明は来迎寺中興と時を同じくして法明寺(大阪市平野区喜連)、良明寺(奈良県生駒郡平群町久安寺)、極楽寺(河内長野市古野)、大念寺(南河内郡河南町大ケ塚)、高安寺(八尾市水越)の各寺も開基し、後に来迎寺を含めたこれら6ヶ寺は融通念仏宗の中本山となりました。松原市のホームページによると、来迎寺は慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で豊臣方の真田信繁(幸村)に焼かれましたが、後に丹南に陣屋を置いた丹南藩の三代藩主高木正弘が正保4年(1647年)、住職の良清を助けて本堂の再建に着手しました。ちなみに、南隣りの丹南天満宮も同じく夏の陣で焼失しましたが、こちらも丹南藩主が復興したそうです。江戸時代以降、来迎寺は河内国丹北・丹南・八上郡、及び摂津国東成・西成・百済・住吉郡にある融通念仏宗の寺院36ヶ寺をまとめました。来迎寺には今も法明の大衣が寺宝として残されている他、平安中期の阿弥陀仏も所蔵。また、徳川方の武将として活躍した初代正次が、戦利品として真田の六文銭印の桶と杓を持ち帰っており、両品は高木氏の菩提寺となった当寺に今も所蔵されているそうです。境内墓地には法明の供養塔が歴代住職の墓塔と並んで祀られ、さらに平重盛の護持の塔、イブキの名木などもあります。古い説明板 丹南藩江戸時代、この地には丹南藩の陣屋が置かれていましたが、その藩祖の高木正次は尾張国(現愛知県西部)の生まれで、徳川十六神将の一人高木清秀の三男でした(もともと高木氏は三河国(現愛知県東部)出身とも)。徳川氏に仕えた正次は、小牧・長久手の戦い、小田原征伐、文禄・慶長の役、第二次上田合戦などに従軍。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では江戸城の守備に就きますが、翌年の夏の陣では大坂に出陣して戦功を挙げました。その後、正次は旗本として相模国、武蔵国、上総国、下総国、近江国に合計9千石を領していましたが、元和9年(1623年)に大坂定番に就任。1千石の加増を受けるとともに、領地も河内国に移され、1万石の大名として丹南に陣屋を構える藩主となりました。丹南藩は初代正次から13代正善まで一貫して高木家が藩主を務めましたが、6代正陳(まさのぶ)の時に江戸定府となり藩主は江戸に定住。それ以降の藩政は全て江戸藩邸(上屋敷・中屋敷・下屋敷)で行われました。元禄元年(1688年)には将軍徳川綱吉の命により、正陳が叡福寺(現南河内郡太子町)の回廊や鐘楼堂、聖徳太子摂政像を祀る御堂などを寄進しています。12代正坦の時に明治維新を迎え、明治元年(1868年)には陣屋内(来迎寺の東側)に藩校である「丹南学校」を設置します。翌明治2年(1869年)の版籍奉還により、正担が藩知事となり陣屋は藩の庁舎となりました。また、同時に藩主家は華族に列しています。その年の11月18日、養父の隠居により13代目として正善が跡を継ぎますが、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官されます。藩領は丹南県となりますが同年11月22日に廃県となり堺県に編入されました。正善は明治17年(1884年)に子爵を叙爵。三笠宮崇仁親王の妃百合子殿下は正善の孫に当たります。新しい説明板 明治初年時点での丹南藩の領地は河内国丹南郡北村、北余部村、南余部村、太井村、黒山村、野村、樫山村、丹南村、西川村、菅生村、北野田村、丹北郡池内村、堀村、清水村、向井村、高木村、志紀郡東老原村、西老原村となっています。また、飛び地として下野国(現栃木県)足利郡の板倉村、五十部村などを領していました。丹南陣屋の東は中高野街道、西は来迎寺に接しており、陣屋は南向きで南側に正門がありました。陣屋南側の中央は、高木氏に仕えて郷士となり庄屋職も務めた松川家が占め、この松川家前が表道筋だったようです。また、家臣たちの住居は陣屋内の東側に多く建っていました。陣屋の跡地は、大正10年(1921年)には民有地となり田畑として利用されており、既に痕跡は残っていなかったようで、現在は店舗や工場、民家となっています。明治維新後、陣屋の御殿の客殿の一部が来迎寺の奥座敷として移築されましたが、こちらも取り壊されて現存していません。境内来迎寺は現在、府道2号大阪中央環状線(中環)という大阪の大動脈の南側にあり、周囲は店舗や企業、浄水場などなっていますが、明治から昭和の中頃までは南側の集落を除いて周囲は田畑だったようです。明治の初めまでの当地は旧河内国丹南郡丹南村(現松原市丹南)の北部に当たり、字名は創建時にちなんでか毘沙門だったようです。東側には丹南藩の丹南陣屋があり、さらにその東には中高野街道が南北に、少し北には竹内街道が東西に通っていました。北西から見た来迎寺 明治時代の地図などを見ると、かつて来迎寺へは東の中高野街道から丹南村の集落内を西に進み、少し北に上って山門に至る道しかなかったようですが、現在は中央環状線から来迎寺の西側の道路を南下すると参拝しやすいです。西側の道路から見た寺の南西部 西側の道路を南に歩くと、塀の向こうに立派な屋根や寄せ墓?などが見えます。南西側から見た入口付近 中央環状線から120mほど南に来迎寺の西側(南側)入口があります。なお、北側に当たる中央環状沿いに北門もありますが、通常は閉まっているようです。山門前の広場 ここで左(北)を向くと少し先に山門が見えます。この山門前は舗装された広場のようになっています。石碑と新しい説明板 山門に向かって進むと、山門の少し手前の右手に新しい説明板と、二つの石碑が立っています。右側の石碑には「旧丹南藩主高木主水正陣屋址」とありますが、これは丹南高木家14代で子爵だった高木正得が昭和12年(1937年)に記したものです。この正得の次女が三笠宮崇仁親王の妃である百合子様で、昭和16年(1941年)に高木氏から嫁がれました。左側の「不許酒肉五辛入門内」と彫られた石はいわゆる結界石で、読んで字のごとく修行の妨げになる持ち込み禁止の物が記されています。山門 山門前右手には「諸佛山護念院 來迎寺」と彫られた寺号標があり、山門の扁額にも「諸佛山」とあります。山門から見た境内 山門をくぐると正面に向かって延びる石畳の先に本堂が見えます。手水舎 境内の中ほどまで進むと右手に手水舎があります。石塔と観音堂 また、ここで左側を見ると十三重石塔と観音堂などがあります。境内南東側を望む 境内の右側(東側)を見ると、手水舎と並ぶようにお堂(地蔵堂?)や鐘楼が建っているのが見えます。本堂 本堂の扁額には「來迎寺」とあります。西福院の案内 なお、訪問時には山門に向かって左手、つまり境内の西側で工事が行われていましたが、これは永代納骨堂の西福院を建設していたようです。西福院は令和4年(2022年)に落慶の予定だそうです。アクセス府道2号大阪中央環状線と中高野街道が交わる「丹南東」交差点から(中央環状線の南側を)約260m西に進み左折します(途中に来迎寺の北門がありますが通常は閉まっているようです)。ここから来迎寺西側の道路を120mほど南に進むと左手に入口があります。なお、中央環状線に面して「来迎寺駐車場」と書かれた門がありますが、こちらも通常は閉鎖されているようです。Raigoji Temple(Matsubara City,Osaka Prefecture) close

来迎字(松原市) ・丹南藩陣屋跡碑もある藩主高木氏の菩提寺
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タグ お寺 史跡 大阪府 寺院 松原市
投稿日時 2021-10-14 01:41:01

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