羽黒山真浄院と石姫皇女伝説の詳細

羽黒山真浄院と石姫皇女伝説
秩父・仙台まほろばの道
ページの情報
記事タイトル 羽黒山真浄院と石姫皇女伝説
概要

羽黒山真浄院には晴明塚があったそうですが、現在は確認できません。 真浄院は、783年に空海が開山したと伝わる。 国指定文化財になっている金剛鈴と金剛杵があり、 9~10世紀のチベット作という! チベット~♪ このお寺は、前々回に書いた大杉の祟りによって「おろす」という少…… more 女が 登場してきたのですが(信夫郡笹木野村)この大杉の祟りによって 静めたのが安倍晴明と芦屋道満だそうで、二人を陸奥まで連れてきたという伝承。 そのお礼に清明塚を建てたという話です。 晴明塚、道満塚とありますが、セーマン・ドーマンであり、 晴明=セーマン(星型)、道満=ドーマン(四角型)でしょう。 四方に神社を置くとか、四角にくくるのは、ドーマンの魔除です。 実際に「道満」という名の陰陽師が一人いて、 1009年に呪詛の疑いで逮捕されています。 城の城壁にもよく刻まれるマークですが、 ♯(シャープ)のような記号は、「ドーマン」という魔よけであると考えられ、 祭祀的な意味があります。 他の墨書土器も一文字のものや、記号的なものが多い。 三重県志摩地方(現 鳥羽市と志摩市)の海女が身につける魔除けであると。 以前、紫波町で貝紫の話をしてましたけど、 実は、この魔除のマークは、「貝紫色で描くまたは黒糸」で書くものなのだそうです。 貝は魔除の色にされているようです。 猿田彦命は、貝にはさまれて海に沈められたという神話があった。 貝を使った巫女によって鎮められたと言えそう。 星形は一筆書きで元の位置に戻り始めも終わりもないことから、 魔物の入り込む余地がなく、 また海女達の口伝に寄れば元の場所に戻る=『無事に戻ってこられるように』 との祈りを込めたともいわれ、格子は多くの目で魔物を見張るといわれます。 この「無事戻ってこれるように」というのがとても気になる言葉です。 「ささやき橋」の伝承のように、「一条戻橋」(京都)という名の橋がありますが、 父の死を聞いて急ぎかえってきた熊野修行中の子が、 棺桶にすがって泣いて祈ると、落雷と共に一時生き帰り父子が抱き合った伝承があり、 この橋の近くに晴明神社があるのです。 「戻橋」は、亡くなった人が、生き帰った話に由来する。 橋は、天と地を繋ぐもので、あの世とこの世のかけ橋として使われる言葉。 多くは古来の人柱風習があったためか、そのような川と橋に、 十二神将を隠した陰陽師の話があるのです。 ---------------------------------------------------- 三狐の話で、信夫山にある稲荷神社がありましたが、 具体的にどの稲荷神社か不明。 でも信夫山には出羽三山信仰があり、伝説がとても多い山です。 「羽黒山」といえば、出羽三山なのですが、信夫山と関連すると思うので、 そうすると「黒沼神社」しか浮かばない。 羽黒も黒だし、黒沼も黒。 福島稲荷神社の太子堂 福島稲荷神社に聖徳太子の太子堂が祀られていました。 聖徳太子も冠位十二階など、陰陽五行や道教などの思想を取り入れています。 陰陽師のルーツが聖徳太子だったので?太子堂として祀っていると思われます。 さて、その信夫山の黒沼神社は、欽明天皇(539年頃~)の皇后、 黒沼大神=石姫皇后を祀っているのです。 別の説では、「闇御津羽神(くらみつは)」とも言われ、やっぱり闇。 黒沼大神とは、昔、当地が湖水であった頃の水神で、湖の主であった龍神とされる。 また、信夫山は「御山」とよばれており、 金山跡などがあるので、鉱山資源の宝庫であったと考えられる。 欽明天皇の皇后である石姫命は、皇子・渟倉太命の後を追って陸奥国は下向したが 当地で崩御したという。 一説には、石姫命は入水したや、皇女を追って来たとの説があり、 これは蜂子皇子を追ってきた機織姫の小手姫伝説と同じ。 黒沼神社 信夫山の月山神社には、皇子・渟倉太命の鏡を祀り、 渟倉太命の御霊を羽黒神社に祀っているという。 福島の「羽黒山」と、石姫皇女が関係しているように思う。 何度も出てくる宮城県金ヶ瀬の話がありました。 以前、藤原国衡(奥州平泉)が逃れる時に、金ヶ瀬あたりまできていたが、 出羽の方へ逃げるつもりだった。 金ヶ瀬は大高山神社があるところ。 ここは金ヶ瀬の「真野」とよばれていた。 そこには笛をふく高貴な男性が住んでいた伝承があり、 菊紋様のついた笛が畑から見つかったので、お笛田という地名になったという。 大高山神社の伝承は、崇峻天皇2年(588年)には主祭神として 橘豊日尊(用明天皇)が、合祀された。(祀神は、ヤマトタケル) これは、用明天皇が橘豊日尊と呼ばれた皇子の頃、 勅命により当地へやってきたことがあり、 用明天皇の皇子である聖徳太子がその縁を持って大高山神社へ合祀したと伝わる。 ということで、菊紋様の笛は、用明天皇などの天皇家と結びつけられているのです。 ※用明天皇の父が、欽明天皇です。 図 信夫山には、御坊狐といわれる人を化かすのが上手な狐がいたと。 ある日、御坊狐は鴨左衛門に騙され、冬の黒沼で尻尾で釣りをしていたところ、 氷が張り詰めて大切な尻尾を切られてしまった。 神通力を失ったゴンボ狐(ゴンボとは尻尾が短いこと)は改心して、 ねずみを追い払う蚕の守り神となって、ねこ稲荷に祀られたという。 むむー。 この話は、羽をとられた即道さんと同じだ。(秩父の和銅黒谷) そーいえば、和銅がとれた所も黒だった。 そこには羽がついた足の早い秦氏の話があった。(羊太夫伝承) 要は、羽とか尻尾というのは、「人間にはない」ものの正体。 それが魔術なんだと考えた人たちによる伝承。(宇宙人技ね~) 「誰ゆへに 憂き世を捨てて 隠れなば しのぶの里や 棲み家なるべき」(藤原兼宗) といった歌が残されているように、「信夫」は、「偲ぶ」でもある。 都から天皇家が逃れてきたことは可能性としてありそうです。 明治9年~明治天皇奥州地方御巡幸の時、 「阿津かし山の古戦について御下問あり馬牛沼~御野立、白石の阿古里へ。 6月22日、23日雨のち晴れ、金ヶ瀬、槻木に小休止、竹駒神社へ一泊」 と記録されている。 明治天皇の巡幸は徳川幕府から、天皇に政権が移った(戻った)為、 庶民に天皇を印象づけるために、全国を巡幸をしたと言われます。 明治天皇は陸奥街道を通ってきているようですが、立ち寄っている場所は、 かつて、天皇家が関わってきた場所の調査もあったでしょう。 欽明天皇の時代は、蘇我氏と物部氏の対戦があった時代ですが、 敵対はしていなかった説が有力ですが、藤原政権から退いた氏族がたくさん逃れてます。 蜂子皇子が出羽へ行かせたのも聖徳太子と伝わっているが、 実際、崇俊天皇が暗殺されたのかもよくわかっていません。 藤原不比等の藤原政権が書き変えているので、もうごっちゃです。 石姫皇女の墓とされる地名も「太子町」であり、太子西山古墳という。 --------------------------------------- ところで、豊受大神は籠神社の真名井の泉がある奥の院に祀られている。 泉とか沼とか、坂上田村麻呂が追いかけていた悪玉姫も必ず泉に関係していた。 籠神社は海部氏です。 東北では海部の「カ」の字が全く想像できないのですが、 それは鹿島の「カ」の方が強いからで・・・。 陰陽師が退治したという白狐なり、大杉なり、他にも土蜘蛛退治の 槻の木であったり、月みたいな木ですが、 それらを排除してしまった意図は、単純に伐採なのかもしれない。 自然環境が汚染された話。 木を切ったから祟りが起こった。 それで陰陽師に助けを求めたと・・・。 では、一体、何の木が怒るのか。 福島と繋げるならば、大杉というキーワードからもう「あんばさま」しか浮かばない。 天狗です。天狗といわれたのは猿田彦命です。 そうすると、道祖神のある落馬した藤原実方と繋がっていくことに…。 ルーツは茨城県。 安倍晴明の実態は謎ですが、母が葛の葉と言われた。 葛の葉は、「信太妻(しのだつま)」という。 阿波国からきたのは、福島県飯舘村の山津見神社であったように、 くさの神社由縁で、阿波が属する地を「信太流海」とよぶ。 茨城県霞ケ浦あたりにあったのを信太流海と呼んでいて、 塩の精製がさかんだった所です。 これは塩釜神社にも関係します。 であれば、安倍晴明は茨城県出身の母から生まれたことになりませんか? それで安倍晴明の出生を謎にしているのでは? また、狐の油揚げも「信太巻き」と言うのです。 その「あんばさま」を祀る大杉神社(茨城県稲敷市)が、 律令制以前「信太流海」(霞ヶ浦の西浦)と「榎浦流海」 (利根川流域の低地部に広がっていた内海)に突き出た半島で、 その北東部に離れて「浮島」があり,阿波は阿波崎と須賀津に囲まれた内湾 (霞ヶ浦の甘田入)の奥部に位置していたといいます。 大杉は海を守る航海の目印です。 それが怒ったor祟りとなった話が、大杉の稲荷神社となっていると思います。 信夫山には「丸子」の痕跡があった。 丸子親王といい、鳥海山と月山を開拓した「鳥の海」の開拓皇子。 卵から生まれた新羅王伝説ありますけど、 鳥海山は大物忌で手長足長なのです。 そして、大杉神社には、三輪明神のことがあり悪路王の降伏を祈願したという話も。 なぜ、猿田彦命なのか、というのも「猿沢池」があるように。 関連するのは、表から消えた人たちの痕跡が黒になって語られている。 丸子氏の家紋 信夫佐藤氏の信夫山なので、志賀の名取老女があるように、 滋賀県大津市に繋がります。 ここが「真野」の発祥地。真野・小野地区。 真野郷は、和邇氏、小野氏、真野氏、春日氏が居住していたという。 錦織があったので、秦氏の関係している土地でもあり。 信夫山のイワクラ 鳥海山にいた丸子氏は、大伴氏と武蔵江戸氏がある。 大伴糖手連(おほとものあらてのむらじ)は、 福島に逃れたと伝わる崇俊天皇のお妃、小手子の父であり、 秦氏と関係していた大伴氏です。 そのマルは、ワニ氏(和邇)の「ワニ」と呼んでいたと。 丸を象徴とするため、丸子になったと。 そして和邇は、王仁(ワニ)という高句麗人がいて、「オニ」と呼んだ。 以前書いた話なので割愛しますが、和邇氏とはワタツミで宗像三女神で・・・。 烏ヶ崎 詳細は、「福島県の出羽三山」を参考にしてください。 https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/7ffe8fd4b54391c621a7d799fe49aeea ---------------------------------------- 陰陽師になれる素質として「鬼がわかる人」があげられる。 鬼が見える人は、陰陽師になった。 要は、安倍晴明が誕生した陰陽師は、鬼退治に変貌した。 それ以前は、「民間の陰陽師」であったと想像する。 平安中期、安倍晴明が登場してから、以前の陰陽師、大春日氏、葛木氏、出雲氏 といった陰陽師が姿を消し、安倍家、賀茂家、秦氏が中心となる陰陽師に変わります。 しかし、鬼とは一体、何なのか・・・。 密通をした巫女のことを示すと思わす「ささやき橋」が隠されていると? 密通とは、巫女と一般男性との婚姻のことを言いますが、 巫女は神と結婚するので、人と結婚することは許されませんでした。 そのような巫女たちが怨霊となっていると噂されたのが都にあったのです。 菅原道真や平将門なども・・・そのような人たちは、勝手に怨霊にされる。 それが天皇が病気をするきっかけだと考えられ、白狐だと言われるが、 これも白狐で以て退治する黒(三峰講でいう狼)なんだと思うのです。 関東の三峰講は、狐憑きは狼で封じる民間信仰になっています。 おそらく、そんな巫女が東北(陸奥)では、神格化されて伝承されていることが、 都の人にとって衝撃的だったのかもしれない。 名取老女やあこや姫、小手姫伝承として後世伝わっていることが。 異類婚の多くは、女性が人間ではなく動物や植物に語られるのは、 巫女だったからです。しかし、巫女といえど人間ですから、恋だってします。 そんな都で巫女であった女性が一般男性と恋におちてかけ落ちしたこともあり得ます。 左遷された巫女たちを恋悲話として地元の人が、後世伝えているものが、 東北地方に多いわけです。 鬼とは、闇の中に閉ざされたままの心にあるといえる。 またそれは誰もがもっている闇であり、他人に退治されるのとは違うのだ。 これは、開放するものでもなく、ただ、そこに、そういう人がいたんだ。 と、知ることが鎮魂になるでしょう。 実方と恋仲と噂された清少納言は、枕草子で「見ぐるしいもの」として、 「法師陰陽師の紙冠して祓えしたる」と記されている。 清少納言は、陰陽師をよく思っていなかった。 紙冠とは、髪に幣帛をはさみ、供物、供物を囲む縄、焚火の燃え残りなどを もちいた祈祷をしている図がある。 これは、お正月や神事にも似ていると思う。 どちらがより信仰として大事に残されているかは、民間の陰陽師にあるでしょう。 なぜなら意味を知らなくても、できるからです。 陰陽師は資格がないとできない。 どちらがより広く伝授できるかを考えたら、民間に浸透させるための 儀式を考案させた方が効率が良い。 それを私たちの生活の中に取り入れればよいだけのこと。 姿を消した陰陽師たちも貴族社会だけでの祈祷に魅力を感じなくなったと思うのです。 そんなことを彷彿させる伝統が残されている村がある。 陰陽師が被る紙冠が、幣束になっていたりして? イザナギ流より イザナギ流より 民間の陰陽師といえば、以前、Hさんが教えてくれた「いざなぎ流」があり、 この動画をみて、まだ残っている!という感動があった。 場所は、高知県物部村。 (この村の名が物部氏とは関係ないです。) こちらの動画をみて頂くと、 このような祈りが民間に残されていることの方が重要だと思うのです。 詳細はこちらをみてください。 NHKアーカイブ https://www2.nhk.or.jp/archives/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004990359_00000 これは東北地方の一部に伝わる「切り子」と同じはないですか!? 気仙沼の切り子は素晴らしいよ。 「いざなぎ流」が、東北に伝わっていると思うような伝統でした。 ※「東北のオカザリー神宿りの紙飾り」 多摩美術大学美術館 https://blog.goo.ne.jp/harold1234/e/9864979e6eb0084c120474f57562aec5 ということで、消えて行った陰陽師の方に興味ツツ・・・。 彼らの行った民間療法の方が、ずっと今にも潜在的に残されていると思うのでした。 まだまだいろいろ妄想していたのですが、まとめるのが難しいのでおしまい。 ただ、藤原実方も陰陽師みたいなシャーマンな人だったのかな・・・。 と、思ってしまう話をちょっと書いておきたい。 close

羽黒山真浄院と石姫皇女伝説
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ お寺 東北地方の伝説(福島県)
投稿日時 2018-12-25 01:21:02

「羽黒山真浄院と石姫皇女伝説」関連ページ一覧

新着記事一覧

”❁〚石山寺;秋月祭』龍神池の御神木に【明王様】出現!”


❁【摩訶不思議の世界シリーズ】〚未曾有(みぞう)写真〛 《峠の祥龍》
    ***先年掲載記事が届きましたので~御紹介させて戴きました。***【摩訶不思議の世界】その他最新版は〖松下輝志ツイッターフェイス...
❁【摩訶不思議の世界シリーズ】〚未曾有(みぞう)写真〛 《峠の祥龍》
お寺
2022-09-26 04:22:34

桜につられてお参り「日照山 真證寺」


歴史めぐり 御朱印好きのあちこち紀行
春のこと満開の桜があまりにも素晴らしかったので車を停めて見に行きましたお寺の境内の桜ですこちらからだと逆光なので反対側に回るとさらに美しい桜...
歴史めぐり 御朱印好きのあちこち紀行
お寺 山口県の寺院 御朱印
2022-09-26 01:01:03

府八幡宮


神社 御朱印 日本巡り旅
府八幡宮ふはちまんぐう静岡県磐田市中泉112-10538-32-4762  鳥居の前でペコリ    手水舎    楼...
神社 御朱印 日本巡り旅
神社
2022-09-26 01:00:10

東光院 風鈴祭り (京都府綾部市上延町堂の奥) <東光院 其の肆>


和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
風鐸から風鈴へ(2022.6.17)<コース>【往路】JR大阪(5:55) → JR京都(6:27→6:37) → JR園部(7:20→7:26) → JR綾部(8:25)あやべ駅前観光案内所 →...
和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
お寺
2022-09-26 00:41:52

【2022年9月】京都・奈良・三重県神社参拝&観光まとめ


SERUNAさんちのあじふらい
2022年9月。二日間で京都・奈良・三重に行ってきた記録。URLクリックで記事に飛べます。★一日目(2022.9.6)旅のメインはゴールデンカムイ展。大好き...
SERUNAさんちのあじふらい
【まとめ】旅の記録 神社
2022-09-25 15:00:08

【大阪】住吉大社「初辰まいり」で新たにいただけるようになったステキな【刺繍御朱印】~まとめ版~


~ Destiny 癒しの御朱印巡り ~
【大阪】      住吉大社   初辰まいり とは    毎月最初の辰の日に 種貸社・楠珺社・浅澤社・大歳社の   ...
~ Destiny 癒しの御朱印巡り ~
御朱印 神社
2022-09-25 14:40:07

重陽の節句は陸奥国分寺の菊理媛命さま~【木ノ下白山神社(宮城県仙台市)】


ハロちん♪と参拝歩記
木ノ下白山神社(きのしたはくさんじんじゃ)2022.9.9(金)宮城県仙台市若林区木ノ下に鎮座する白山神社へ行ってきました薬師堂にある鐘楼へ近づいてみ...
ハロちん♪と参拝歩記
お寺 神社
2022-09-25 14:21:24

狛犬たちのモノローグ  File.1249  胡録神社  其の弐


白獅子・黒狛犬
若者と中年をつなぐライン「 えっ えー !! 今の若い人にとっては LINEって中年との連絡ツールになってしまったんだってー」「 ほんとうに ⁈ ...
白獅子・黒狛犬
狛犬たちのモノローグ 神社
2022-09-25 04:40:14

東光院 本堂 (京都府綾部市上延町堂の奥) <東光院 其の参>


和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
丹波の厄除薬師(2022.6.17)<コース>【往路】JR大阪(5:55) → JR京都(6:27→6:37) → JR園部(7:20→7:26) → JR綾部(8:25)あやべ駅前観光案内所 →...
和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)
お寺
2022-09-25 00:41:01
;