原町区の謎の冠嶺神社の詳細

原町区の謎の冠嶺神社
秩父・仙台まほろばの道
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記事タイトル 原町区の謎の冠嶺神社
概要

あけましておめでとうございます。 今年も東北と寄り添っていければ幸せです。 変わらず妄想&暴走しますので、よろしくお願いします。(@_@;) で、まだ続いてしまう相馬~。 偶然マップで見つけた冠嶺神社(さかみねじんじゃ)。 聞いたことないので行ってみたのですが、ちょっと調べたら…… more (Wikipediaだけど) いろいろ由緒ある神社のようです。 しかし、ここで私はまた勘違いが始まった・・・。 「真野」については、石巻牧山の零羊崎神社で妄想してました。 まだこれが続いているというのはどーいうことでしょう? かなり前に何かの記事で、真野は相馬にあると書いてあったのに、 鹿野姫の話からか、二本松とか郡山の方に真野という地名があると思いこんでいた。 真野とは真野川のことであり、その真野とは相馬のことだった! そんなことすっかり忘れている。てか、覚えてないし。 なんだ、普通に真野川とか車から見えたし。 なんだよ、近いところにあるじゃん。 ちらっとみえた真野川 真野ダム その真野川の「真名井の水」と関係する神社が、鹿島区の冠嶺神社だった! よしキターっ!と思いきや、行った神社は原町区の方だった。 もーーーっ。 冠嶺神社は2社あり、鹿島区と原町区。 私が行きたかったのは鹿島区の方だったのですが、到着したのは原町区の方。 私がほんとの天然なのか、何かの仕業なのか・・・。 ま、天然だな。 して、何かある神社は、やっぱり迷う。 すんなり行けない。 マップ通りにいっても入口も神社らしき鳥居などが見当たらない。 車なので急に止ることができず、ちょっと広いところに車を止め、 マップとにらめっこ。 山中にあるのはわかるのですが、その山への入口を探したい。 主人は行かないというので、さっさとおいて車を降り、 着た道をもどって歩く。 主人は近くで車で待機。というGメンのような探索だな・・・。 山へ入る道をみつけたので行ってみると、階段があった。 神社かな?と思って行ってみたら、立派なお墓が。 個人のお墓にしては大きな石碑が2つあり、とても立派です。 「太田家の墓」とあった。 なるほど~。相馬らしい。 後で調べたところ、(だからWikiなんですけどー) おそらく、冠嶺神社を代々守ってきた大田九太夫家のご親戚か、一族なのかもしれません。 冠嶺神社の創建は不明で、小さな祠だったのを野火で社殿は焼失。 その後、祠を建てて祀り1704年~祠官だった大田九太夫の家が絶えたので、 羽黒修験の山覚院が代わりに祭祀していたとの事。 迷いこんだお墓は不思議な空間で、まるで「マヨイガ」のような森。 そのくらい立派なお墓でした。 2つ並んだ石碑なので夫婦なのかな? なんとなく・・・昔みた夢で中国のお墓の夢を思い出す。 皇族と思われる夫婦の墓。彫刻されていた。 一瞬、そんな空気を感じたお墓でした。 階段を降りるとまだ山の方に続く道があった。 この道をすすむと何となくありそうな雰囲気。 5,6分くらい歩いていくとやっと神社が見えた。 鳥居があり、階段がずっと下にあったので、やはり入口はあったらしい。 私は山中を歩いてきたようです。 いい運動になりましたが…。 ---------------------------------------- 冠嶺神社のご祭神は、少名彦命のみ。 1781年~住民が減り、当地の農夫が御神体を民家の小祠へと遷座。 これを隠し長年本山派修験の大学院が祀ったそうです。 その後、佐藤氏という他の村から来た者が冠嶺神社を祀っていた農家に住み始め、 佐藤氏が小祠を修理し祀っていたと。 1815年、相馬益胤は、行方郡内の式内社八社を調査し、家臣に命じたところ、 多珂神社、鹿島御子神社、御力神神社、押雄神社、高座神社、日祭神社は特定したが、 冠嶺神社、益多嶺神社は不明で特定できず。 1819年、「村に冠嶺の神を祀る小祠がある」と聞いた郡官は、 再度調査しようとしたが、村人が不審に思い冠嶺神社の鎮座を否定した為、 調査できず。 1855年に、二宮尊徳の農業復興策により、冠嶺神社の復興が命じられ、 名工の匠人上杉主殿頭が社殿の造営を行った。 原町区の他、鹿島区と鹿島区北海老に鎮座する鶏足(けいそく)神社も 冠嶺神社であると称していたが、原町区の冠嶺神社のみが往古から 「冠嶺神社」と称し御神体も千年以上の歴史があるものとされ、 当社が冠嶺神社の本社であるとされた。 ということで、こちらが本社らしいので、最初のご挨拶に、 原町区の方で良かったのかもしれない。 それにしても、御神体が千年以上?の歴史があるというが、何かわからず。 村人が隠したいほどの神とは何でしょう? でも、鶏足神社とは、「ニワタリ」さんですよね。。。 足は、タリですし、鶏といえば福島に鶏の神様、ニワタリさんが多い。 二渡、三渡のミワタリもあり、鬼渡もそうで。 おそらく、ニワタリ権現と関係するならば、隠したい理由がなんとなくわかる…。 鶏足神社に伝わる話では、宇比智迩神(ウイジニ)が頭に被っていた 鶏冠をこの地に落とした話がある。 聞いたことあるな~。 七北田川の志波彦さんと同じ。 七北田川は、古くは「冠川」といった。 シワヒコさんが冠を落としたからです。 それに、七北田川沿いにある二柱神社は、ニワタリ権現を祀ってます。 とても強い場です。(近くに住んでた時いろいろ現象があった) 鶏足神社には、雨乞いの話もあり、神社前に鶏の足跡が残されていたので、 鶏足神社と呼んだそうだ。 まるで鳥人間のよう・・・。 ここも白い鳥に関係する話なのですが、 宇比智迩神とは、あまり聞きませんが古事記では砂とか泥とか。 土を生んだ神様なのですか~? ひょっとすると、小鶴明神の二羽の鶴は、ニワタリさんかもしれないね…。 もうひとつ鹿島区の冠嶺神社は由来があります。 ご祭神は、少名彦命と天津彦火々出見命。 ヤマトタケル征伐の話があり、地主神だった猿田彦命の霊示により、 天津彦火々出見命を勧請したそうです。 冠嶺神社がある山は、堂六神山といい、南麓に真名井の水をもって 真野の池という水場を設け、御手洗(清め)としたとある。 ・・ダムになってね? 真野川の上流には、立石という奇石があるそうで、 猿田彦命が降りてきた石と伝わる。 それに、八龍大明神とよばれた闇淤加美神(クラオカミ)を相殿神としており、 それは飯舘村の綿津見神からもってきているのだ。 山津見神参拝の後に立ちよったあの綿津見神社だった。 『綿津見神社の御祭神は綿津見大神、五十猛命、大屋津姫神、抓津姫神、 闇於加美神、玉依姫神、鎌倉権五郎景政。 社格は明治三年に郷社に列格。 延喜式神名帳の『苕野神社(くさのじんじゃ)』の論社にもなっている。』 金毘羅さんと思われる石碑 ということで、飯舘村の綿津見神社はすごいのね~。 これもずっと続いている「あんばさま」で、浪江町の苕野神社からだ。 茨城県大杉神社のあんばさま→苕野神社→綿津見神社→冠嶺神社。 あんばさまの由来が、猿田彦命と結びつけられていると思います。 烏天狗からの天狗。 また、福島の天栄村には、同じように猿田彦命が降臨した石があり、 その山を妙見山と呼ぶ。 妙見山という山は3つあり、天栄村にも妙見信仰が伝わっていたような気配。 ちなみに、南相馬市は、原町市と相馬郡小高町および鹿島町が合併した市です。 ---------------------------------------- 少名彦命を祀るということは、大国主の存在があったはず。 真名井の水は、籠神社の真名井のことか、出雲の真名井の水なのか。 堂六神山には、十六善神を祀っているとの事。 出雲に十六島というのがあり、海苔の産地で有名との事ですが、 十六島を「うっぷるい」と言う。 アイヌ語説や朝鮮語説などありますが、少名彦命説もあり、 当地で海苔を獲った際、海水に何度も打ち振るったことから「打ち振り」が 訛って「うっぷるい」になったという。 真相はわかりませんが、「十六」が関係しているような気がしますが これは十六菊紋様のこと?(皇室の菊) 天津彦火々出見命は、母が大山祗神で、娘が「鹿葦津姫」という。 コノハナサクヤヒメのことで、山幸彦を産んでます。 だから、ニニギを祀っているわけですね。 これは、角田の熱日高彦神社にも繋がると思います。 ここは、浮田国造であったことから、この地域を治めていたのは、 崇神天皇5世の「賀我別王(ががわけおう)」という人。 浮田国造は、大和政権より前であったので、 浮く→浮島の湿地帯。海に近い土地だったとみられる。 賀我別王は、志賀なのだ。やっぱり滋賀県の琵琶湖。 冠嶺神社は、冠小坂といい、 鳥取越のことで産鉄族の鳥取部と関係していたことが、「白鳥伝説」に 書かれていると。であれば、鳥取部と一緒にいたのは、秋田へ逃れた物部氏であり、 鍛冶神となる。 早くに東国征伐にきていた毛野氏の系譜とも考えられるのですが、 出雲由来と思う理由に、後方墳を残した出雲式が残る栃木県大田原の話からも、 「大田」であるように、東北には多氏の足跡が海側に残されている。 秋田物部氏も志賀も神功皇后に関係し、卑弥呼と言われた太陽神は、 九州の卑弥呼という妄想。 東北と九州は家族のように繋がっています。 神武東征の折、九州の巫女を連れて紀州へ通りナグサトベを殺害し、倭へ入る。 それから疫病が流行り三輪山の祟りと知る。 そこで、オオタタネコに頼んで神武天皇から、次の天皇を「祟神」という名にした。 それは、トベ一族や土蜘蛛を退治したからではないでしょうか? その祟りを恐れて。 土蜘蛛の蜘蛛は、出雲の雲という説もあるが同一ではないでしょう。 ここは多氏の拠点でもあり、鹿島神宮の本来の神は、大生神社(おおう)と言われ、 多氏の祖神だったのを中臣氏(藤原氏)に変わった。 大生神社は、鹿島の末神の系譜をひく神々なので、祭神はタケミカヅチ。 大生とは、「オフ」と呼び、飯富族の多氏である。 雷神社ばかり目につくのは、タケミカヅチなのだと思います。 多氏が気にしているからでしょう。 多氏は、九州の阿蘇氏と同族といわれ、九州阿蘇国造の「健磐龍命(タケイワタツノミコト)」 と天栄村の古墳の主「建磐主命」は同じ一族なのでは? 多氏も神功皇后の息長氏に関係すると思います。 卑弥呼として敬っていた神功皇后の存在があったでしょう。 多氏にとっての日巫女とは九州の巫女かもしれない。 多氏は、太安万侶が多氏の祖といわれるように、多氏も祝詞をあげていました。 朝廷側についた阿蘇氏と、抵抗した鳥見長脛彦の存在があり、 多氏は阿蘇氏と共に朝廷側について、東国征伐にのった氏族でした。 前回の「杵島」の歌で、国栖を退治したのは多氏・阿蘇氏の九州由来の海民だったでしょう。 杵島は、阿蘇山のひとつ杵島岳に由来する地名という。 これが海幸彦、山幸彦のことをさすのかもしれない・・・。 実際、征伐したのか不明ですが、藤原氏によって物部氏同様、多氏も 歴史から排除されているのだから、何とも言えない。 降りる時は階段でしたが、これを登るのはちとキツイね。 さて、多氏と物部氏が交錯する相馬なのですが、 ブログを書き始めた頃から、多氏にはとても興味がありました。 なぜ、宮城県北部で横穴石室が途絶えたのかが不思議で。 どこかで、出雲封じみたいなのが、東北には残っている気がします。 多氏が出雲の人であれば、多氏の名も残されていない理由もみえてきます。 それをかき消すように物部氏も台頭してきますが、 彼らも名を残さず消えていきます。 優しい愛のある人々と産鉄族は、残念ながら一致しないことはある。 「笠」という名や地名には闇があると思い、福島稲荷神社でふとそんな気が したのですが、どうやら、それはあっているかもしれない。 鬼退治の大江山、青葉山あたりに 「陸耳御笠(くがみみのみかさ)」という土蜘蛛といわれた先住民の首長がいたと言う。 「笠津彦」を祀り、加佐郡と言われた場所。 そこへ聖徳太子と秦氏がやってきて、先住民を殺害し、 一人を残し丹後半島先端の端にある立石に封じたという。 その立石は、物部守屋を討った聖徳太子の母、穴穂部間人皇后が 滞在した場所と伝わる。 ということは、「立石に封じる」という伝承は、物部氏と蘇我氏(秦氏)の 討伐があった際、物部氏や阿蘇氏、多氏などの豪族に対する鎮魂の意味をもって そのような伝承が伝わったと言えそうだ。 海部氏の関係はちょっとわからない。 籠神社は海部氏なので、関連はあると思うが…。 相馬に魅了されたのは、多氏や阿蘇氏の末裔がいたと気づき、 先祖は、遠く海幸彦から山幸彦となり、新しい東北の開拓を望んでいた。 今、その先祖のルーツをたどると、震災で大変な思いをしてきた 相馬の人たちに対し、先祖が力になりたいと願っているような繋がりも感じました。 私にとっては、先祖の足跡を探ることが本望みたいなものなので、 消えた足跡をたどるかのように、導かれた冠嶺神社の神様は、 多氏を知っているはずですが、まだ、続きがあるみたい。 あと、3日目に行われる相馬小高神社の野馬懸の写真。 観光案内から。 迫力ありますね~。しかも白馬。 さて、最後に立ちよったのが、修復完了した相馬中村神社です。 本殿が立派でした。 つづく close

原町区の謎の冠嶺神社
サイト名 秩父・仙台まほろばの道
タグ 東北地方の伝説(福島県) 神社
投稿日時 2019-01-03 03:40:02

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